短編7.『影人形』その7
「ほんと、ヨウィにもクオタさんを見習って欲しいですよ~!」
ペアテら三人が大人組の集落にたどり着こうかという頃、年長組のテントで留守番をしていたメルラは、存分に甘えさせてくれるクオタへと、すっかり心を開いていた。
「あいつと来たら、いっつもうろちょろと何にでも首を突っ込んで、危なっかしいんだから!
クオタさんはやっぱり大人ですよね、こう、ドンと構えてる感じがします!」
身振りを交えて幼馴染の真似をしてみせるメルラに、クオタは眩しそうな片頬笑みを作る。
暗いテントの中でも分かるほど、真似が、あんまりにも堂に入っていたからだ。
口ではあれこれ言いながらも、よく見ていなければ出来ない仕草だろうと、彼は二人の関係性に思いを馳せて、顔の自由に動かない右側を手で撫で付ける。
「メルラ、それは違うよ。あいつは俺なんかより、ずっと大人だぜ」
「えっ?」
思いもよらない言葉に、ぴょこんと少女は座っていた背筋を伸ばす。
「ヨウィは、自分が何をしたがっているか、分かっている。
そのために自分が何をすればいいのか、いつも考えている。今回の件もそうだ。
俺みたいに、大人しく状況を受け流しているだけの奴なんかより、そういう男の方が、ずっと大人だとは思わないかい? メルラ」
「でも、クオタさんだって影人形を探そうとしてるじゃないですか~」
こうして話している間も、実際にクオタは優しく彼女の疑問に答えてくれている。
聞けばちゃんと答えてくれるというのは、メルラの中で、確実に大人の条件の一つに含まれていた。
(だって、長生きしている分、子供より多くのことを見聞きしているんだから、そうでなくっちゃおかしいもの)
だが、クオタは頬笑んだまま首を横に振った。
「俺は、それこそ状況を変えられる奴になりたいだけなんだよ。
自分の道をとっくの昔に決めて突き進んでいるガザやドゥテと自分を比べて、ずっと焦っていたんだ。
それで、ペアテを誘って変わろうとした。どうなりたいとか、見えてない分だけ、あいつらよりも子供だ」
「そういう風に、変わりたいと思うのも、すごく大人っぽいと思いますよ、私」
正直な感想だ。
クオタの隻眼が、どんな景色を見ているのかは、こうして説明されても彼女には共感出来なかった。
ただ、自分の分からないことが出来る、考えられるというだけで、その顔がずっと大人びて見えた。
「メルラは、ここでヨウィを否定はしないんだよな」
クオタが歯を見せ、肩を揺らしながら笑っている。
「君自身も、ヨウィの大人びたところをちゃんと認めている証拠だろ、そういうのって」
「え~。そう、かなあ……」
魔法魔法とやかましい、組分けされてからの付き合いの少年を、けれどもメルラは確かに否定的に見た覚えはない。もっと成長して欲しい、周りを見られるようになって欲しいと、付き合わされている間は、そればっかり考えている。
「ガザや俺を見習って欲しいって言ったのも、あいつがもっと行けると信じてるからだろ。
羨ましいぜ、そういうの」
「う~ん……」
あの好奇心旺盛な少年に手を焼かされている身としては、すぐには同意しかねる考え方だった。
けれども、反論できないのもまた、正直な心の動きである。
少女の葛藤を見て取ったか、クオタはおおらかに頷きながら、言葉を継いだ。
「ガザやドゥテだってそうだぜ。力と知恵、どちらも抜きん出て認められてる。
ガザの努力は、さっき秘訣を聞かされたけど、知ったからってすぐに真似出来るものじゃない。キツいに決まってるんだ。
ドゥテの賢さ、あれは天与のものだよ。これもそうだ。どれだけ人に話を聞いたって、身につかない、知恵にならない奴らはいるだろう?
それを追いかけるのって、すごいぜ。年下だけど、ヨウィはすごい奴だと、俺は認めてるんだ」
「でもでも!」
懸命にメルラはタイミングを見計らって言葉を挿し込んだ。
「そうやって、いろんなものを見られるようになるのも、大人って言わないですか?
私が大人だと思うのは、やっぱりクオタさんなんですよ~!」
こればかりは譲れない。
どれだけクオタが周りを認めようと、メルラもまた、クオタを認めている。
そこを覆されては、彼女の信じている世界自体も覆されてしまう。
世界観が、変わってしまう。
それは違うと、自身もまた、周りから認められる資質や、自分で向かっている道行きを得ていない少女は、彼の論調を僅かにでも押し戻そうとした。
「だってだって、そうでもなきゃ、本物の大人なんてちっともいないことになっちゃうじゃないですか!」
すると、メルラよりも3つ年上の少年は、静かに左目を瞑目させ、唇から自嘲を取り除いて、穏やかさの色だけを残した。
「……そうだな。大人になりたいと願うのも、子供が大人に近づく正しい道順なのかも知れないな。
ありがとう、メルラ、気遣ってくれて」
そして、クオタは思うのだ。
(ペアテ。君も、同じように考えているか?)
賢人の蕾たる姉がすくすくと花開くのを、誰より間近に感じてきて、また、人生に対して鈍感ではいられなくなるほどの窮地を、自分同様に何者かによって救われた少女。
クオタ自身がそうであったように、死地にあって、孤独に己を見つめるより他に時間の流れる方法がない状況を潜り抜けてきた彼女なら、同じ心境に至っていて欲しい。
そう、隻眼の少年は望んでいた。
孤独はとても恐ろしい。
だから、同じ気持ちを味わったことのある人と、生涯を共にしたい。
「そっ、そんな、照れちゃいますよぅ」
メルラの愛らしい恥じらいを耳にしつつ、思いを寄せる相手の今に想像の翼を羽ばたかせるクオタであった。
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ペアテは、自分が見ている光景を疑っていた。
幾ら夜と言えど、真白く輝く満天の星々や、常に真円と満ちて世界を照らす、あの銀盤の下、夜に慣れた目が、見慣れた姉の姿を見紛うはずもない。
その姉が、大人の女性と親しげに言葉を交わしている。自分たちと一緒にいる間、ついぞ覗かせたことのない、甘えた子供らしい表情だ。
顔の細かい表情までは、どれがどうと指摘するほど、捉えている訳ではない。ただ、生まれてからずっと共に暮らしてきた相手が、どんな気配でいるのか位、そうと認められる距離にまで来ていたら、見間違えはしない。それが家族というものだからだ。
驚いたのは、普段見慣れない姉の表情を見たからだけではない。
その女性が、驚くほど自分や姉に似ていたのだ。
(おかあ、さん……?)
直観が、思考を飛び越えて先に来る。
『……さあな。随分会っていない。正直、顔も思い出せない』
今朝方、ドゥテが口にした言葉だ。
思えば不自然なほど機嫌の変化が顕著なタイミングでの言葉だった。
大人組の集落の入口に到着した三人。
その位置から、数十歩ほどしか離れていない距離に、ペアテの知らないドゥテと、ペアテの知らない、ドゥテと親しげにしている大人の女性がいて、顔さえ向いていれば気がつくのに、お互いの顔を見つめ合って談笑しているから、今もまだ、ドゥテは妹の存在に気がついていない。
ドウシテ ワタシガ ソコニイナイ?
ソコハ ワタシノ イバショナノニ!
ピシリ、ペアテの中の理にヒビが入る。
「ドゥテさん! 丁度良かった、探していたんだよ!」
ヨウィの遠慮のない声が、彼女の鼓膜を無遠慮に叩いた。
ガザも、今度ばかりは特にそれを咎める素振りはない。当然だ、彼らはドゥテを迎えに来ている。
その隣の大人が誰であるかなども、また、さほど気に掛ける要素ではなかった。
むしろ、彼女たちの雰囲気が柔らかなものなら、子供たちが、禁を破り、ここまで来てしまったのを見逃してくれる可能性すらあって、それで弛緩した雰囲気が少年たち二人からは漏れていた。
顔見知りのヨウィに気が付き、隣の人物から視線を移してきたドゥテの表情は、サッと真面目な普段通りのものに戻ってから、僅かに眉を吊り上げ、目を見開いた、一瞬の硬直へと移行した。そして、そのままぴくりとも動かない、強張りを得る。
その隣の女性もまた、ドゥテと同じところで視線を止め、にこやかな雰囲気から、息を呑んだ音まで聞こえてきそうな位、唇を縮め、顎を小さく引き締めた。
二人の視線は、確かにペアテの存在をそこに認めていた。
ちょびっとだけ短めですが、キリが良いので続きます。




