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誰に導かれなくてもぼくらは生きる  作者: 城乃華一郎
間章
73/97

短編7.『影人形』その5

「母親の顔なんて、覚えていたからどうだっていうのさ」


 その日の夜、珍しくテントに残っていたガザは、ペアテの見たという夢の話を聞いて、馬鹿馬鹿しそうに鼻で笑った。


「ま、俺は覚えてるけどな」

「ガザくん、ひどいよ」


 悲しくなったペアテは抗議するも、ガザは自らの体を鍛えるのに余念がなく、彼女なんかに見向きもしない。

 ガザは、両足のつま先と、片手の指先だけを床に着いていた。その状態で、珠のように汗を額に浮かべたまま、体を床に近づけてはまた遠ざける運動を繰り返している。

 床に着く手の指が、五本から四本に減った。シュ、シュと尖らせた口先から漏れる呼吸音と共に、太い眉先から汗が床に滴り落ちる。


「俺は、生まれてくる時の記憶、あるぜ」


 ニヤリと歯を見せながら、見せつけるように笑ってくるガザ。

 その上体を支える指が、四本から三本へと減った。


「ガザが特別なだけだろ……」


 呟く間にも、ガザの使う指は二本から、ついには一本にまで減りきる。

 その光景を見ながら、あぐらを掻いたまま眺めていたクオタは呆れたように唇をくの字に曲げた。

 気を取り直すようにして、その唇の反り返らせる向きを逆にし、左目だけでペアテに笑いかける。


「俺だって母親の顔はもう覚えちゃいないよ、ペアテ。皆大体そうだろうと思うぜ。

 3つか4つの頃にはこっちに引き離されて来るから、ガザみたいな奴の方が絶対珍しい」

「ハハッ! 下手をすれば、野良(・・)でも一人前まで育つ位、しぶといからな、俺たち人間は!」


 茶々を入れながら、支える手の左右を入れ替えるガザに、クオタは苦い顔をした。

 ペアテが寂しがっているのを、この隻眼の少年の方は充分に理解しているのだが、空気を全く読まないもう一人のルームメイトと来たら、これだ。


 ぽんぽん、とテントの布が叩かれる。三人の目が入り口に集まった。


「こんばんはー!」

「クオタさんたち、いるよねっ?」


 愛らしい幼女の声と、まだまだ似たような甲高さを持つ少年の声が、その顔と共に入り口から覗いてきた。

 近くで暮らしている組の、メルラとヨウィだ。


 名指しされたクオタが招くよりも早く、少年・ヨウィはズカズカと中に上がり込んでくる。


「やっぱりドゥテさんいないね、間違いないや!」

「どうしたガキ、また逆さに吊るされに来たか?」


 ケッケッケと、ガザが床に座り直しながらおどける。

 ヨウィは両腕をズバッと広げ、警戒のポーズを取りつつガザから間合いを取った。

 まだまだ胴が太くて短い年頃なので、立ち上がったアライグマみたいとペアテはちょっと微笑んだ。

 真ん丸な目を怒らせ、ガザに威嚇しつつもヨウィは本題を再開する。


「違わい! ガキ言うな、2つしか離れてないだろ!

 ……あのねクオタさん、ドゥテさんを大人たちの集落で見かけたんだよ。

 それでどうしたのかなって思ってさ」

「私はヨウィのお守り! もう眠いのにぃ~」


 ちゃっかりと、話にすっかり置いてけぼりを食らっていたペアテとの挨拶を済ませてから、幼女・メルラは自分も話の輪の中に加わってきた。

 こちらの格好はというと、少年より、もう少し胴や手足が伸び始めてきている。背丈も、隣のヨウィよりは拳一つ分ばかり高かった。ただ、彼女が格別背の高い子だというよりも、これはヨウィの方に原因が求められただろう。

 眠たげなとろんとした目つきに愛らしい顔立ち、そこへ波打つ長い癖っ毛が背中に広がる様は、どこか精霊めいた神秘さが感じられた。


「お前さ、どうしてそんなところで人を見かけられるかね」


 汗塗れの掌で、がっしりとヨウィの短髪頭を一掴みにしつつ、ガザは半目で問いかけた。

 この活発な少年は、ガザにしては珍しく可愛がっている部類に入る相手であり、距離感も随分気易い。とはいえ、ガザはガザなので、いつもうろちょろと横切るヨウィを小突いたり、片手でぶら下げたりと、ろくな扱いをしていないから、懐かれてはいないのである。


「いーっ、だ!」


 早速突き出した真っ赤な舌で反旗を翻したヨウィは、自分を掴んだ腕に両手でぶら下がると、足で相手の胴を蹴っ飛ばして脱出に成功する。

 すかさずクオタの元に転がり込んで、その腕の中に匿われた。


「クオタ! そいつ寄越せ! なんで庇う!」

「いや……庇っているつもりはないんだけど、何でかな」


 やれやれと、年下のきかん坊に甘えられ、左目を苦笑させるクオタ。

 だが、その発言を聞き咎めたのはガザに同じだ。


「またあちこち顔を出していたんだろ。危ないぞ、ヨウィ」

「へへっ、どうってことないさ!」

「ペアテさんからも言ってやってくださいよ~、こいつ私の言うことちっとも聞かないんですよ!」


 こちらはこちらで、ペアテの横にぴったりとくっついて腰を下ろしているメルラである。


(二人とも、私より小さいのに、ガザくんやクオタくんと対等に話せてすごいな)


 隣で揺れる、ふわふわの癖っ毛を撫でつつ、ペアテは羨ましそうにメルラたちを眺める。

 いつも口喧嘩ばかりの二人だが、物心付いた時からずっと同じ組で過ごしていて、もうとっくに番いみたいなものだと周りからも思われている。ヨウィは利発で健やかな気性だし、メルラは人懐っこくて要領がいい。順調に育っていけば、立派な大人組になるだろう。

 そのことを思うとなぜだか湧いてくる小さな胸の痛みに、そっと鍵を掛けながら、ペアテは二人に教えてやった。


「ドゥテはね、月に一度の大人の集まりに行ってるんだよ」

「「ええ~っ!?」」


 弾かれたように二人の目線が彼女を向く。

 賢くて真面目な、自慢の姉。このことを誰かに話す時は、決まって驚かれた。


「あの、坑道の掘り方とか、梁の渡し方とか……そういうのを話す場所だよねっ!?」

「すっご~い! ドゥテさん、組頭どころか、もう大人みた~い!」

「チッ」


 舌打ちが聞こえた。ガザのものだ。見れば、気に食わなそうな顔つきでそっぽを向いている。

 ガザが、ドゥテの言うことだけは渋々ながらも承服するのは、彼女の方が、ガザ自身より、一足も二足も先に、大人たちに認められているのを分かっているからなのだ。

 力こそが全て。世界の絶対法則とも呼べるこの思想からはやや外れる気もするのだが、ガザは、知識や知恵といった要素もまた力として認めているようで、ペアテも姉が彼に乱暴を働かれているのは見たことがない。


(そういう意味でも、決して乱暴なだけの人じゃないのにな、ガザくん)


 周りの定評には疑問を抱きつつ、自らも怯えてばかりなので、我ながら説得力のない考えだと彼女は力なく頬を緩ませた。


「それで、結局チビどもが何の用さ。ドゥテを見かけただけか?」


 大分汗の引いてきたガザが、指先をクイッと曲げて促した。

 すると、ハッとなったヨウィはクオタの腕の中から振り向き彼を見上げる。


「そうだったそうだよクオタさん! この組みんなで影人形の正体を探してるんだろ?

 だったらさ、俺たちも仲間に入れてくれよ!」

「ヨウィ! 人を勝手に巻き込まないの~!」


 む~、と、これまたペアテの掌の下から背伸びして注文をつけるメルラ。

 撫でるにはやや高い位置に行きすぎてしまった彼女の頭から手をどかしつつ、肝心のクオタの反応をペアテは伺った。


「んー……」


 クオタは左目をつむり、じっと考え込んでいる。


「どうするかは、ちょっと考えさせてくれ。

 どうやって知ったか、とは、言わないよ。

 何しろお前のことだからな」

「へへっ」

「だが、発起人としては、噂が広まるのはあまり好ましくないんだ。

 メルラもヨウィも、このことは内緒にしておいてくれよな」

「えーっ?」

「はあい~」


 内容こそ真逆だが、声を揃えてヨウィたちは返事した。


「待てよ」


 そこへガザが乗り出してくる。

 人差し指が、クオタとペアテを順繰りに指してきた。


「お前、こいつらと違ってドジ踏んで助けられたりしてないのに、どうして探す気になった?

 あと、俺は(・・)こいつらと違って、影人形なんか信じてないし、探してもいないからな!」


 ガザの太い眉が、モリッと利かせた睨みで盛り上がっている。

 脂肪の薄い頬や、荒々しく引き結ばれた口元は、早くも子供離れした威圧感を放っており、はぐらかしを許さない厳しさで、ヨウィに照準を合わせていた。


 だが、当のヨウィ少年はというと、さらりとそれを受けて流して、生き生き語り始めた。


「俺さっ、影人形の正体って、魔法使いの人間だと思うんだよな!」

「ヨウィ、人間は魔法を使えないぞ」


 後ろから諌めるようにクオタが発言の内容を正してくるも、ヨウィの勢いは止まらない。


「どうしてさ?

 だって、霊族が助けに来っこないなら、人間が助けたに決まってるじゃないか!

 いっつも坑道に潜ってるのも人間なんだぜ? 他に誰が助けるんだよ!

 絶対影人形の正体は人間だって!」


 目をきらきらとさせ、彼はテント越しに空を見上げでもしているかのように、遠くを見るまなざしになった。


「俺さ、人間が魔法を使えるようになったらいいなあって思ってるんだよ。

 そうしたら、こんな暮らししなくても済むだろ?」

「ハッ! 魔法だとさ、馬鹿馬鹿しい!」


 幼い少年の勢いを削ぐべく、殊更に声を荒らげてガザが腕を振った。

 力強く肉の絡みついた、手首まで太い腕。その所作で、ブオンと風切り音まで立つ。


「無族相手にゃ何の意味もないだろうが!

 人間サマはな、魔法なんかに頼らない!

 体を張るのさ、体を!」


 つい十数分前まで激しい負荷の掛けられていたガザの肌は、今も茹だるような赤みが差しており、そうして筋肉を誇示するかのように両腕を広げられると、全身から湯気の立つ錯覚までしてくるほどであった。


「ガザ。俺さ、前から不思議だったんだけど、どうしてそんなに体を鍛えまくってるの?」


 ヨウィは、反駁されたことには触れず、素直に疑問を口まで登らせた。

 これは、同室で暮らしているペアテもクオタも、ずっとガザに対して向けることの出来なかった真っ直ぐさであった。

 改めて、自分と、この年下の少年との、器量の違いを感じつつ、ペアテもまた、答えがどんなものであるか、傾聴しようとしていた。


 ニィィ……。


 剥き出しにするものが、まるで牙であるかのような獰猛さで、厚い筋肉に覆われた少年は満足げに歯を見せた。大きく広げるあまり、奥歯までが外に露出している。


「いい機会だからお前らにも教えてやる。

 人間てのはな、鍛えれば鍛えるほど、強くなれるようになってるのさ。

 疲れたから今日は(・・・)ほどほどに手を抜こうだとか、自分の限界はこの位(・・・)だから、ここまでにしておこうだとか、考えなくていい」


 掌の皮膚の、パァーンと張り詰めるほどに伸ばした五指を、ガザは頭上にかざして見せる。

 ごつごつと皮膚の硬い掌。それだけなら、全員似たようなものだ。

 ガザの掌は、こうして改めて眺めてみると、パーツの太さがまるで違う。


「ガキだから弱い? ハッ!

 大人だから強い? 冗談じゃない!

 強い奴が強いのさ(・・・・・・・・)鍛えた奴が(・・・・・)強い(・・)


 覇気の漲る掌に、彼らは、ガザが兵士として成り上がると常々口にしていたのは、はったりや向上心からではなく、そこが登れる階段に過ぎないという確信を持っていたと、初めて理解できた。


 ガザは、気圧された四人を見回すと、ニンマリと太い笑みを鷹揚さに変え、頷く。


「……ま、タネを明かすと、もっと話は単純さ。

 ドゥテも前に言ってたけど、俺たち人間の体には無限の血が流れている。

 鍛えれば鍛えるほど、血が細かいところにまでよく流れるようになって、疲れが取れやすくなるんだ。これはドゥテから聞いた話じゃないぞ、俺の実感だ。

 それで、朝も昼も夜も鍛えてもなかなか体が壊れないから、実は俺らって、自分たちが思ってるよりもずっと無理が利くらしいぜ」

「ふぇ~」


 メルラが感心の声を挙げたのをきっかけに、圧倒されていた場の空気が解凍される。


「ヨウィはさ、ガザさんの爪の垢でも煎じてもらった方がいいんじゃない?

 魔法魔法って、いっつもそればっかりだし!」

「いーんだよ! ガザの筋肉みたいに、俺には魔法がロマンなんだから!

 ね、クオタさん、それで結局どうなの? 俺たちを仲間に入れてくれる話、もう決まった?」


 クオタは、一度凍りつかされた場の空気が、今度は身構えるよりも早く、雪崩を打って自分に向かってきているのを悟り、なんとも言えぬ苦みばしった表情を隻眼の顔の上に浮かべた。


「ペアテ、そろそろ大人たちの集まりも終わる頃合いだよ。丁度いいからドゥテを迎えに行ってくれないか?

 彼女の意見が聞きたいな」

「お前は行かないのかよ、クオタ」

「ガザだけにしておくと、何かあった時にすごく困るだろ。主にガザ以外の、俺たちが。

 ここでヨウィたちと一緒に留守番してるよ」

「女一人はまずいだろ。仕方ない、俺も行く」

「それなら俺だって!」

「私はクオタさんとお話して待ってますからねーだ!」


 ぞろぞろと、次の動きの流れが定まっていく。


(皆、いろんなことを考えてるんだ)


 そのことが感じられて、ペアテは、ホッと胸の中が軽くなった心地がした。

 胸の中が、あたたかくなるから、あたためられて、軽くなる。

 あたたかいは、うれしい。あたたかいは、いいこと。


「私、まだ行くって言ってないのー」


 突っ込みながらも皆に一拍遅れて立ち上がった、彼女の頬は、にこにこと元気に緩み始めていた。

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