プロローグ2
/* Open True Time */
==【コンティニュー要請を受理しました】==
==【これより現実への侵食を開始します】==
/* Close True Time */
顔のない、一人の女のシルエット。
まるで人形のように滑やかで、生物にあるべき表皮の凹凸がない。
人形は、人間で言えば、目と唇、それぞれの両端に当たる箇所を、両手の人差し指と親指で触った。
顔のない顔の表情を、それでも動かそうとしたのだろう。
人差し指と親指の間隔が、きゅ、と縮められていく。
もし、そこに人間の顔があったなら――
その顔の形は、きっと指の力で笑っていただろう。
あるいは、もう一つ、その表情にとても良く似た感情の名前があるけれども、その二つの違いを顔の形だけから見分けることの出来る存在が、果たしてどこにいるというのか。
彼女を見つめられる者は、あらゆる次元の、どこにもいない。
彼女の名前に、名前はない。
物ノ名。ただ、そうとのみ、世界には記されている。
/* Open Fake Time */
……。
あー、なんだっけ?
そうだ、そう。思い出した。
私たちは、いつだって巨大な何かと戦ってきた。喜びを勝ち取る、そのために──。
/*/
この世界そのものに滅びを能う存在があるとするのなら、それは世界に比肩しうるほどの、巨大な物である。現実とは、そのような、絶望にも似た揺るぎない法則を持っているのだと、彼らは間違いなく確信していた。
「ケケケッ!
さすがに頑丈な儂も、まさか一年余りも戦い詰めになるたぁ、思ってもいなかったぜ!」
紫色の体毛をした巨躯の獣が、鋭い爪を構えながら吠える。
私は「弱音を吐くなんてらしくないね」と言おうとして、ふと、この獣が何者であるか分からなくなり、彼の方を見つめてしまった。
「……おい、どうした《アオ》! ボサッとしてんじゃあねえぞ!
忌々しいが、お前の魔法がねえと戦えねえんだよ! どうした!」
「あ、ああ……うん、そうだね、ごめん、《ムラサキ》」
手にしていた杖を握り直し、世界を直接捻じ曲げた。
魔法。物理を超えた物理。この感触が、何度でも私を蘇らせる。そうだ、しっかりしろ。今はやっと辿り着いた最終決戦じゃないか。ほんの17日間、魔法で無理やり動き続けているだけでぼーっとするなんて、それこそ私がらしくない。
『RUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!』
頭上にある、もう一つの大地が、総身を震わせて鳴動する。
すんでのところで魔法の発動が間に合い、数千もの振動拡散点を空間に出現させた私は、魔力の籠められた、ただの咆哮から、かろうじて歴戦の仲間たちを守ることに成功する。
私たち七人を避けた咆哮は、足元に広がる本来の地上へと直撃する。液状化現象を起こしていた一つの大陸が、スープにぶちまけられたひき肉をかき回すみたいに、更に吹き散らされて、海中に没していく。
「……!」
橙色の髪をした少女が、高度1万mも下の光景に、息を呑む。
口元に寄せられた手は、怯えの表れではなく、守れなかった後悔だろう。
何日前か忘れたが、彼女は丁度あの元大陸の諸島群で支援を受けて戦線に復帰したはずだ。
「しっかりしな、《ダイダイ》!
攻撃の手を止めるんじゃないよ!」
藍色の髪の、豊満な肢体の女性が、頭上に向けた槍を両手で握りしめながらも隣に檄を飛ばす。
「でも……でも、《アイ》! みんなが、あそこにはみんながいたんだよ!」
くしゃくしゃの泣き顔で《ダイダイ》は歯を食いしばったまま振り返った。
必死に泣くのを堪えているのだろう。可愛い顔が、ぐにゃぐにゃになっている。
駄目だよ、《ダイダイ》。私がいるよ。だから、まだ、そんなに泣いちゃ駄目なんだ。
「おおおおおおおぉぉぉぉおおおおおおおらぁぁああああああああ!!!!!!!」
満天を覆うそいつの咆哮に、負けじと《アカ》が絶叫している。
世界中の精霊が彼の叫びに応え、参集してきていた。いつだってそうだ。彼の雄々しさは、誰彼を問わずに惹きつけてきた。それが私はたまらなく嫌いで仕方がなかった。
本当に嫌いで仕方なかった。
神々の化性じた、両の腕に嵌めたガントレット。本来ならば、大陸の一つも同じく砕けようほどの威力を宿す、その武具から、更に限界まで力を引き出そうと《アカ》は拳を自前で衝突させあった。
対となる、二柱の神で出来た左右のガントレットが、互いに矛盾しあう概念を受け止めあったことで、爆発的に魔力を増大させていく。
同時に、私がそこへ重ねて魔法陣を展開する。無限大に増殖しかねない魔力を制御し、形を成すために、半自動的に自己増殖する魔法陣だ。桁外れの消耗が私を襲った。幾柱もの魔神が命と引き換えに魔力をそこから振り絞っても砕けないという、古代の王国が生み出した秘石が、ダース単位で砕け散っていく。ネックレスにして装備しててよかった。本当になんて威力だ、あの馬鹿!
竜。
巨大な力の奔流が、竜の形を成して、頭上の世界を穿った。途方もない爆発。
月が健在だったなら、宇宙空間を走る衝撃波で、 砕け散っていたことだろう。
だが、月はない。
そんなちっぽけなサイズの存在など、とうの昔に頭上のこいつに蹴散らされ、宇宙の塵と化していた。
「全ッッ然減った気がしねえぞ!! どうすんだこれ!!!!!」
「元より、勝てるかどうかで挑んだ戦いじゃないでしょう、《アカ》さん」
私は努めて冷静になり、野卑な赤髪の半裸男の泣き言を蹴散らす。
ぽつり、緑髪の幼女が念話で全員に思考を伝播させてきた。
ぽつりとした思考。ぽつりとした覚悟。ぽつりとした小ささ。ぽつりとした揺るぎなさ。
「全員の間で、ありったけの力を高速循環させます。これが最後の魔法です。
引き換えに、私たちは死ぬ。悔しいけど、この戦い、もう、勝てないです。
でも、引き分けにして、この星を守ることだけは、なんとか出来るはずです」
「~~~~ッ、《ミドリ》! ふざッけるんじゃねえぞ!!
俺はなあ、勝つためにここまでやってきたんだぜ!!!?
それをッッッ!!! それをなあッッッ!!!!」
「でも《アカ》さん。私たちがやらないと、この世界は滅びてしまうのです。
それだけは、避けねばなりませんです」
ふわり、それぞれの足場としていた、足裏の小さな魔法陣が広がり出した。
まずい。この魔法陣は、《ミドリ》の管轄していた環境制御系のものだ。私にも介入できない。
それじゃあ、私の目的は達成出来ない。それは駄目だ。駄目だよ、《ミドリ》!
「なんでもいいが、一人で押し支えるのは限界だ。
僕に配慮して、早く決断してくれるとありがたいんだがな……!」
「ご、ごめん《オウ》兄さん! 私も手伝うから!」
金髪の青年が、全身を金色のオーラで覆ったまま、世界の、突進ですらない進行を押し留めていた。
彼お得意の、コピー反射だろう。だが、まさか、あれそのもののコピーまで出来るとは思ってもいなかった。
《アカ》や《ミドリ》もそうだけれども、みんな、最終決戦に際してすら、それぞれに奥の手を隠し持っていたということだろう。
危ない危ない。これでは、うまく勝ったとしても、その後に何の策もなく仕掛けていたら返り討ちだ。
「……やろう。私が制御の要を担うよ、それならギリギリのところで1ドットでもゲージが残せるかもしれないし、ありったけの防護アイテムを使い倒せば、反動も、ひょっとしたらダメージゼロで受けきれるかもしれない」
「ケケケッ! 小娘にしちゃあいい決断じゃねえか、《アオ》!」
「《ムラサキ》さんに褒められるなんて、縁起でもないね。もっと悪態ついてくれないと生存フラグにならないって」
「なんだとう!?」
「《アオ》ッ!! てめえ……賭けるってかよ!!?」
「賭けは嫌いでしたか? 《アカ》さん」
彼は無言で私を睥睨した後、にやりと笑った。
「いいや、大好きだぜ」
うん、知ってた。だから私はあなたを大嫌いなんだ。
「《オウ》さん、行きます! もう少しだけ踏ん張ってください!
《ミドリ》ちゃん、行くよ!」
「……応!」
「はいなのですよ!」
足元の魔法陣が、キロメートル単位で拡大し、互いに連結しあった。
互いの思考が連結される。咄嗟に私は制御系に介入して、私の思考だけを押し隠す。
死ぬつもりなんて毛頭ないね。みんなを犠牲にするのもごめんだ。
勝つ。なんとしても。
生き残れば勝ちだ。
この暴走に、あいつそのものを巻き込んでしまえば。
巻き込める規模まで、魔力の相乗増幅を制御し抜けば。
私の勝ちだ。
「この、世界のために……!」
「散っていった、地上のみんなのために……!」
「儂は世界なんざどうだっていいけどよ、こいつがとにかく気に食わねえ!」
「勝つッッ!!!! 勝たなきゃ意味がねえッッ!!!! やるぞ!!!!」
「守るわ。あなたたち全員、私が……!」
「……もう、保たん! 行くぞ、お前たち!」
みんなが口々に思いを言葉に乗せていく。
魔法で思考が直結した影響で、ダダ漏れになっているんだ。
「私たちは、みんなで生きるんだぁーーーーーっ!!!!」
私も思いの丈を口にした。
そう、生き延びなくちゃ。
ここから先は、繰り返せない。
/*/
…………。
意識が戻った時、周りには誰もいなかった。
私は一人で元通りになった地上に転がっている。
起き上がって見回すまでもない。
あの状況から、今、寝転がれる地上があるということは、相打ちになって、あいつを世界再生の礎にすることが出来たという意味だ。
でも、他の六人はいない。
どこにもいない。
「参ったな……」
口元が、自然に笑えてきた。
頭を抑える。
「これじゃ、みんなを裏切れないじゃない」
頭を抑えた掌が、知らずに溢れていた涙でびじょびじょに濡れていた。
本当に、私はみんなを最後の最後に裏切ることを望んでいたのだろうか?
本当は、私はみんなと一緒に笑い合うだけでよかったんじゃないか?
だって、私は今、泣いているじゃないか。
だとしたら、私は、私自身が本当は何を求めていたのか、そんなことさえ知らない馬鹿だったのか?
馬鹿だ。馬鹿だ。大馬鹿だ!
杖の残骸を握りしめて、唱える予定だったはずの禁呪をつぶやいた。
「『滅びよと』
『時の彼方に我は希う』
『ああ 全てが等しく 痛みなのだから──』」
==【滅びよと】==
==【時の彼方に希うのならば】==
==【我は答えよう 異なる総てが 喜びなのだから】==
「!?」
声が聞こえた気がして、辺りを見回す。
黒い光が、私の周りを取り囲んでいた。
「そ、そんな! 魔力なんてどこにも残っていなかった!
私は魔法を成立させていないのに!」
ぽつ、ぽつ、ぽつ。
ステータス欄で確認出来る限りの総てが窓としてそこらじゅうに展開されていく。
その全てが、一情報単位ずつ、終わりの方から頭へと削られていっている。
私の全てだ。
これまで、このキャラクターで冒険してきた、私の全てだ。
ログも、アイテムも、AI成長履歴も。
それだけじゃない。アカウントに紐付けておいた、仲間たちとの連絡窓も、銀行との課金用窓も、全部削れていく。
ハッキング?
でも、誰が?
「まさか、このゲームの運営が、ゲームクリア者に対して何か罠を仕掛けていた……?」
それこそ馬鹿な!だ。
意味が分からない。でも、こんなこと、ゲームを建造した世界交換手か、運営側かのどちらか位しか、仕掛けられない芸当のはずだ。
蘇生を待つAIとは別に用意してあった、サブのAIで仲間たちがゲーム世界との同期を再開した報告が、窓の一つに表示された。
だが、その表示さえも不気味な削除の侵食を受けて即座に消えていく。
「なんだ……なんなんだよ……」
ログアウトだ。AIとプレイヤーの意識同期を切る。それしかない。
私はすぐにそれを実行した。
「…………出来ない?
AI側に主観が移ってしまったのか?
そんな事故、もう随分昔にしか起きていないぞ。
原理的に今の仕組みじゃ不可能なはずだ!
おい、誰だ、誰が僕に何をしている!
見てるんだろう! 聞いているんだろう!
出てこいよ! おい!」
==【逃しません、プレイヤー】==
ようやく僕は気づく。
この声は、さんざ聞き慣れて空気のように感じている、システムのそれと、全く同じだ。
==【逃しません、プレイヤー。あなたはまだ運命を果たしていない。あなたは選んだはずです】==
==【○生きたいですか? 死にたいですか?】==
システム表示で、生きたいの側に同意マークが付いているのを見て、僕は絶望を起こす。
「まだ、答えていないはずだぞ。
俺がそれを答えるのは、この後のはずだ。AIも違う。こんなはずじゃない」
==【あなたはもう逃げられない。あなたが支払う代償は、既にあなた自身が決めていた】==
==【あなたの歴史は、あなたの現実は、その全てが既に、私のものです、プレイヤー。ですから……】==
==【我が愛よ、今こそさらばと告げよう】==
呪文の続きが唱えられる。
僕の意識が燃やされる。僕の全てが燃やされる。
巨大な魔力が世界を直接掴まえて捻じ曲げる、ゲーム内では馴染んだ感覚が、僕そのものを掴まえて、捻じ曲げてくる。
==【これが夢ではないと確約しましょう、プレイヤー。あなたの裏切りは起きなかった】==
そんな。おかしい。それじゃあ、これから僕が選ぶ行動の、基準が全て狂っていく!
==【いいえ。ご安心を、プレイヤー。もうひとりのあなたは未だ健在です】==
……は?!
どういうことだ、言っている意味がわからない。
いや……そもそも、どうして僕は、未来のこと を、知っている?
/* Open Variable Time */
顔のない女が、背後で笑った気配がして、Kは後ろを振り返る。
「……気のせいか。そうだよな、私はもう答えたはずだ」
(次にあれと顔を合わせるのは、ファーストステージクリア時か、もう一度私がゲームオーバーになった時……)
随分長いこと、背後霊のようにシステムの女神、物ノ名を従えながら暮らしてきた。
そのせいで、未だに錯覚してしまうのだろうと、彼女は自分を納得させる。
旅は、まだ続く。目的を果たし、もう一度歴史の表舞台に立つまで、今しばらくは掛かるだろう。
それでも。
Kは、かつてあれほど忌み嫌っていたゲームの再開を選択したのだ。
「もう一度、君に会いたいよ、カグナ」
そう呟いて我が身を掻き抱くKの表情は、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。
というわけで、プロローグ2です。昨日の更新もそうですが、第二章へ向けて、少しずつ間章も進めていきます。まだ再開ではないです。もうしばらく短編にお付き合いください。