短編4.『B&C』その3
「……それはな、俺が毒だからだ、小僧」
語りながら、B・Bは原点を思い起こす。
なにゆえに、彼がここまで恐れられるようになったのか、その第一歩目の日のことを。
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肉。肉肉肉肉。
骨。白く。割れた。断面。肉のへばりついた。
絡んでいる。繊維状の。
ああ。ああ。
ああああああああああ。
何も残っていない。
愛しかった頬の丸みはとうの昔に消えており。
空洞。
そこからだらしなくこぼれ出たピンク色を。
覆いかぶさるように、獣の入り混じった奇怪な化物が。
上に。
重なる。
やめろ。
食うな。
汚すな。
貴様ら如きが、僕の世界の全てを、汚すんじゃない。
色。
赤い。滴りがぼどぼどと。
かざされて、飲み干される。
ああ。
やめろ。
僕の世界を、壊すんじゃない。
「それは……それは、貴様ら如きが触れていいものじゃ、なかったんだぞ…………!!!!」
少年の中で、ばちばちと音が弾け続けている。
壊れた世界を、怒りのあまり断ち切れた脳の血管を、それでも魔法が埋めて、補い、作り直そうとしている。
それを、端から、自分で怒り狂って高めた血圧で、破断し続けている。
双眸から滴る血涙は、食い縛った口元から流れ出る砕けた歯と血は、黒かった髪の一房を、淡く灰色に枯れさせていく。
その疾駆は、全身で行う絶叫のようだった。
駆け出した少年の、振りかざした腕が横合いから食い千切られる。
構わず、千切れた己の腕の断面から飛び出たもので、目指した正面の矮族の眼孔を奥深くまで貫く。
己の腕をうまそうに丸呑みにする、横から来た奴は、頭を勢い良く振り、歯で喉笛を食い千切った。
そのまま、裂けた喉の断面に残った手を突っ込み、引き裂いて、食われた己の腕を引きずり出すと、傷の断面同士を無理やり押して、挿しつなげる。接合面は、ぐちゃぐちゃに波打っていた。
(やるものか)
振るった拳が、頭部の臓器を抉られ痙攣する、矮族の腹にめり込む。
鈎状に押し広げ、獣の爪のようにした五指を、更に振るった。
何度も、何度も、何度も、何度も。
(やるものか……!!!!)
人間の華奢な指が、構造上、用途を想定していない衝撃に耐えかねて、折れる。
構わず振るった。
ぐにゃぐにゃに折れ曲がった指肉の先から突き出たもので、そのまま裂く。
「…………やるものかよ…………」
唇の肉が潰れるほど己で噛み締めた口元は、胸中に渦巻く悲しみを表しきれず、ただ、行動だけに呼応して、噴出した多量の脳内麻薬から、狂乱の愉悦に引き歪んでいる。
相手の中身を掴み出して、引きずり出し、食い破った。
その中から、沢山のものがこぼれ出る。
とても沢山の、見慣れて、見慣れない、何もかも。
愛おしそうに、掻き抱く。
ジャアアアアアアアアアア!!!
仲間を殺された矮族どもが、その背に凶悪な爪を振るった。
纏っていた外套ごと、ごり、と骨身の削れる感覚。
それでも少年は、愛しいものを手放さない。
「やるものかよ……お前らなんかに……!!」
口元からだけではない、体の内側から溢れ出る血を、再び飲み下し、逆に跳ね飛ばすようにして後ろの矮族を肩で打った。地を踏みしめ、立ち上がる。
新品だった外套は、血で真っ黒に染まっている。
その胸には、もはや何とも見分けのつかないものが、べったりとへばりついている。
「食わせてなんかなあ!!!!
やらないんだよ!!!!!
お前らなんかに!!!!!!!」
ぐつぐつと、体中の血が煮え立っていた。
世界にあるはずのなかったものが、どこからともなく現れる。
数千年を経て、尚、あらゆる人間の体内に巡リ続けて失われない、損なわれることすらなき無限の魔法が、虚空から失血を補っていく。
赤い沸騰が肉を埋め、赤い沸騰が皮膜を張り、赤い沸騰が歪みを押し固めて、赤い沸騰が少年を少年ではないものに変えていく。
魔法そのものへと、作り変えていく。
それでも、食い取られた、体ではない外套までは、補いきることが出来ずに、穴の空いたように欠けている。
白く赤く灼熱した眼球が、すさまじい表情筋の筋圧で歪んだ眼孔から、空間へと、魔力の輝きを帯状に流してく。
キサマラニ クワセテヨイモノナド
コノヨニアラシメテ タマルモノカ
その意志は、確かに魔法そのものであった。
絶対不変の世界を、ただ己の意志のみで捻じ曲げ、その行為の法理を後追いで付き従わせる、純粋無比の魔法。
始祖の遺した血の意志の無限から、更なる力を引きずりし、彼は、もはや異なる新たな魔法を、己の身で編み始めていた。
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「…………」
白昼夢のように、今朝の続きを思い出していたB・B。
ふと前を見やると、子供が怯え、尻もちをついていた。
苦笑する。
「語らずとも、分かったろう。
お前も、周りの大人と同じように振る舞え。俺に迂闊に触れてくるな」
ところどころの歪に丸く抉られた黒い外套を羽織る、巨躯の戦士。
見上げる子供の上に、不吉に丸く巨大な影を落とす、つばの異様に長大な黒帽。
気圧されて、頷くことすら出来ない子供を置き去りに、彼は再び歩き出した。
じくり。
ポケットの中で、歪んだ魔に侵された焼き菓子が、朽ちてその先端を、路上に落とす。
肌まで黒い、その顔面の、細く走る亀裂のような眼窩は、己が足が前に歩み出しても開いておらず、それゆえ、今、自分が何をこぼしていったかも、気づくことはついになかった。
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「帰ったぞ」
「おかえりなさい、せん……なんですか、この匂い!?」
出迎えるなり鼻声になって指摘するシアニス。
B・Bは、ポケットの中のものを取り上げ、差し出した。
「土産だ。今朝、お前から贈呈を受けたからな。返礼と思え」
「買い物してきたんですか、せんせぇが!」
部屋中に漂う甘ったるく爛れた香りと、告げられた事実の、一体どちらに驚けばよいのやらと、彼女は形の良いアーモンド型の目をぱちくりと瞬かせる。
「熱いうちが一番うまいと言っていたんでな。少し、味が落ちているかもしれん」
「冷めてるも何も、せんせぇ、それ、浸しちゃってません?」
「む……」
指摘された通り、手の中のそれは、よく見れば形が溶け崩れている。
彼の身を構成する魔法に侵され、食えたものではなくなってしまっていた。
抜けたところの多い弟子に、自らがまさかの失態を晒し、珍しく男の口元がへの字に曲がった
触らないよう、甘ったるい廃棄物をぽいっと布で包んで仕舞い込んだシアニス。間近から見上げると、背丈では1.5倍近く、体格で言うなら2倍も開きのある、自らの二重に偉大なる師を、まるで子供を叱るように彼女は諭した。
「再誕祭のお返しをしていただけた、そのお気持ちは嬉しいですけど、家のことなら私がしますから、B・Bせんせぇはご無理をなさらないでください」
「再誕祭……?」
「え、気づいていらっしゃらなかったんですか?」
記憶がちくりとまた刺激された。
再誕祭と言えば、始祖が人類種を滅亡から救ったという伝説の残る記念日である。
世間では祭りの日として扱われている。道理で通りが賑やかだったわけだ。
『お前にそれ、やるよ。再誕祭のお祝いだ』
外套を、ひょいと後ろから投げるようにして掛けられた感触が、遠い記憶の中から、微かに蘇る。
震える手で差し出した、背伸びして買った女物のイヤリングを、目の前で付けてくれた彼女……。
(あの顔を、俺はもう、鮮明には思い描くことが出来んのだな……)
記憶はどこまでも遠く、そして色褪せていた。
黒い顔面の中、苦そうに白い歯の輝きを零して、かつての少年はその大きな肩を揺らす。
「そうか……。いや、そうだな。今、気づいた」
「そういうのは、気づいていなかった、っていうんですよ」
きりりと立った眉毛の下から、ジト目で糾弾のまなざしを向けられ、B・Bは帽子を目深に傾けた。
「なら、尚更何かをくれてやらねばならんな。
お前がここに来てから、じき、一年近くということにもなる……」
「へっ?!
い、いいんですか? せんせぇ」
新年を迎えたその日、夜明けも待たずに訪れた少女の姿が思い起こされた。
一年。今の彼に取ってみれば、泡沫の夢のような時間である。
おっかなびっくりで挨拶状を手に差し出してきた、あの小娘が、あの時と同じ顔で、予想外の歓迎に厚めの唇をぽかんと尖らせている。
クツクツと、腹の底から笑えてきた。
「これをやろう」
「ひゃっ……!?」
被っていた、長大なつばの黒帽を、眼下の頭に載せ替える。
小さいシアニスが被ると、いよいよつばは日傘代わりにでもなりそうなほど、大仰に存在感を発揮し始めた。
丸く、帽子の影で、全身が隠れてしまっている。
「代わりに、お前のくれた帽子でも被るさ」
「でっかすぎますよう……」
激変した視界におろおろとよたつく弟子の頭を手で抑え、通りすがって、そのまま置いていくB・B。
脳裏には、昼間の王の声が木霊する。
『そなたが滅びようとも、そなたの血の意志を絶やさせてはならぬ』
『雑草を刈り払い、人間を殖やせ。地に空白を広げ、人間をそこに殖やせ、英雄』
『だから、情に呑まれるなよ?』
『のう、《悪血》よ』
「……いずれ、ここの全てはお前の物になる。
どのような名を号するかは知らんが、せいぜい相応しいだけの風格を、今のうちからその帽子で養っておくことだ」
「…………」
すん、とシアニスが鼻を鳴らすと、腐った菓子の甘ったるい香りを押しのけて、どこか優しい匂いがした。
帽子を身に着けていた、前の着用者のものだろう。
帽子のつばを二本指で押し上げながら、嬉しげに、少女は去りゆくその大きな後ろ姿を見つめていた。
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血霊族。
またの名を、『魔術師』。
果てなき闘争を繰り返し、生き延びた者のみがたどり着く、闘争の最果てにそびえ立つ、孤高の切っ先。
己が人生、その総てを費やしてたどり着いた、自らの人生そのものを象徴しているとも言える独自の法理を身に纏い、戦う意志ある限り、もはや永遠に生きる求道者たちである。
だが、引き換えに、彼らはもはや、その生を前に進める術を喪い、自らを「古い血」と称して、専ら後進の育成に務めるのみである。
その膨大な戦闘経験を後代に託していき、やがては後継を見出すと、自らの意志で滅び去ることを選ぶという。
《悪血》の後継が、いかなる称号を得ることになるのか――。
今はまだ、誰も知らない。
メリークリスマス!(一日遅い)
ということで、贈り物にまつわるお話でした。前回のエピソードとは、魔術師という単語で少しつながっていますね。このように、ちょこちょこと色々実験して回っております。
年の瀬ですが、引き続き更新を掛けていく予定ですので、お付き合いいただければ幸いです。