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誰に導かれなくてもぼくらは生きる  作者: 城乃華一郎
間章
61/97

短編4.『B&C』その1

 抜け出せない、赤黒い底無しの沼地。

 その淵に、少年はうつ伏せのまま、転がされていた。


 身に纏う外套は、彼の若さには少し不釣り合いな上等さでしつらえられている。骨ばかりがひょろ長く発達した体に、まだ肉がついてきていないこともあって、服に着られる、貫禄の足りない恰好である。

 その外套の裾が、沼地に浸って、黒ずんでいる。

 よく見ると、それらは自然に出来た泥の沼ではなかった。泥水は、こんなに早く、厚い外套の生地に吸い上げられてはこない。撥水するはずの外套が吸っているのは、血であった。


 沼は、全て人血によって成る、文字通りの屍山血河だったのだ。


「……ぅ……」


 うめきながらも少年が自身の状況を確認すると、外套の下に着込んであったソフトレザーの鎧は、派手に破れている。丁度、腹のあたりの破け目が、内蔵の飛び出たようにも見えて、それで、とどめを刺されず、ここまで運ばれて来たのだろう。

 自らの幸運を喜ぶべきか、それとも周りがおそらく敵に囲まれているだろう絶体絶命のさなかに目覚めてしまった運命に怨嗟を吐くべきか、しばらく迷った後、彼が取った選択肢は、他にも生存者がいないか、なるべく動かないようにしながら視線を巡らし、確かめることであった。


 くちゃり、くちゃり。

 ガリッ。

 バキ、ボリゴリボリ。


 咀嚼音がそこら中で響き渡っている。

 当然だ。少年は思った。矮族に負けて囚われるとは、つまりそういうことなのだ。

 食い残しもなく、綺麗に血溜まりだけが広がっているのは、さすがに地べたにこぼれた血を、すすってまで食らうことを連中がしないからに過ぎない。

 逃げられるなどという、希望を抱かないこと。せめて戦士としての誇りを抱いたまま、体がまだ動くようなら、一矢報いてから自決しよう。そう、徐々にはっきりとしてきた意識の中、覚悟を決めた。


 それにしても運がいい。この外套は、昨日もらったばかりの新品なのだ。

 偶然、体の前面にだけ攻撃を受けて、そのまま気絶してしまったからか、外套自体には、汚れ以外の損壊は、ほとんど入っていないようだった。


『はははっ、よ、よく似合うじゃないか、ベイルズ!』

『いいですよ、僕だってこの服が似合うような立派な男にきっとなって見せますからね!』


(…………)


 受け取ったその場で袖を通した時の一幕を思い出すと、こんな状況でも、ふと頬が緩んだ。

 それから、夜の街灯りの中で、自分が贈ったイヤリングを付けて見せてくれた彼女のことを思う。

 私はベイルズの姉代わりだからな、とばかり語って自任していたその顔が、照れくさそうにはにかんでくれたのは、とても嬉しかった。


(僕はもう駄目だけど、きっと彼女なら無事に逃げ切れただろうな……)


 戦士としてのキャリアが違う。幾度もの矮族討伐に参加し、とうとう今年には軍人を教え育てる立場となる、師級(しきゅう)にまで上り詰めた彼女のことだ。

 今頃は、点呼で帰らぬ人員の中に、自分の名前を見つけて悲しがっているかもしれない。いや、怒り狂っているかもしれないぞ。あの人は、ただやられてばかりで黙っているような性分じゃない。

 きっと、仇を討ってくれるだろう。


(だったら、いいかな)


 よし……行こう。


 そう、決意を固めた。

 点検したが、体で動かない箇所はない。ひと暴れして死に花を咲かせてやれそうだ。

 武器が見当たらないが、腕力や体力では、一体一体なら人間と互角なのが矮族である。どうとにでもなる。


 ぐ、と腕に力を込め、体を起こそうとした時、ふと、遠くでうごめく矮族の手元に、目が吸い寄せられた。


 ごり、ごり。

 ぎちゃり。

 ぺちゃ……。


 その、様々な獣の入り混じった醜悪な生き物の口元に運ばれている、丸い物体。

 歯型で抉れた人の頭部の、片耳に、自分の贈ったイヤリングがきらめいていた。


/*/


「……きて、起きてください、せんせぇ!

 朝ごはんのお時間ですよ! もう!」


 舌っ足らずの甘い声が耳朶を打つと共に、その声の主にしては似つかわしくない、凛々しいアーモンド型の目が、自分を上から覗き込んでいた。


B・B(ビー・ビー)せんせぇ、また椅子で座りながら寝て! もう……。

 椅子に着く前に、顔を洗ってきてくださいね」

「……シアニスか。ああ、分かったよ。今度から気をつけよう」


 夢に見た女性の顔とは異なり、ずっと幼く、濃い眉や、厚めのしっかりした唇から、少年めいた印象を受ける顔が、むっとむくれた。

 今度今度って、いつもそうなんだから、と、ズボンを履いた腰に拳を当て、ぼやきつつも書斎を出て行く少女の後ろ姿を、ぼんやりとしたまま、彼……B・Bは見送った。小柄な背丈の半ばまでに達する、長い黒髪が、去っていくその背に揺れていた。


 目元を拭うと、赤い染みが手を汚す。血涙が流れ出ていた。


(夢か……今更、あの時の夢を見るとはな)


 彼の長身に相応しい、背丈の長い背もたれに手を掛けながら立ち上がると、椅子は掛かる無理な重量に対して抗議の声を上げるみたいにして、古びた音で軋みを上げた。

 読みかけの本の山に被せておいた、つばの格別に広い帽子を取り上げ、定位置に運ぶ。身に纏う外套と同じで、濁ったような黒色のそれは、肌を含め、全身の装いからして統一された色調の一部となる。唯一、主であるB・B当人の、微かに毛先を覗かせる短い髪だけが、白い。

 そうして佇んでいると、長大な手足や体に見合うだけの、強靭な筋肉が外套を下から押し上げており、偉丈夫という言葉が実に似合った。少年の頃の、痩せぎすな体格とは違って、古びてもなお仕立ての良さを伺わせる外套にも似合いの、壮年期の男である。

 だが、その外套の輪郭は、かつてとは異なり、ところどころで抉れたような、奇妙な変貌を遂げていた。


「ごはん、食べちゃいますよー!」


 遠く、面倒を見ている弟子のせっつきが元気に彼を呼び寄せる。

 食事。夢で見た光景と、その単語を頭の中で引き比べ、男は皮肉げに口元を歪めた。


/*/


 広い食堂に高い天井、長いテーブル、上等な椅子。

 それらの端に、ちんまりと座って待ち構えている、弟子、シアニス=シェルクラッドの、ふんすと鼻息も聞こえてきそうな勇んだ顔に、B・Bは、手を挙げ、改めて挨拶をした。


「お早う、シアニス」

「おはようございます、せんせぇ!

 今日も腕によりをかけましたよ!」


 見ると、なるほど、並んでいる料理は湯気が立ち、いずれも朝の胃を動かすには相応しそうな、バランスの取れた品目となっている。肉、野菜、穀物、スープ……。仕込みを含めると、夜には準備を済ませておかなければ、とても間に合わない分量だった。

 彼が書物を紐解きながら、弟子をどう育成しようか、明日のプランを考えているうちに、シアニスの方は、これを進めていたのだろう。身の回りの世話を命じたつもりはないが、彼女はよくやってくれている。


「では、いただきます!」

「……いただこう」


 もっとも、師よりも先に宣言し、師よりも先にぱくつき始めた、その行動と表情とを鑑みれば、シアニス自身、食べるのが大好きでしょうがないからだというのは、推理するまでもない簡単な真実だったが。


 そんなことをつらつらと考えるうちに、今日も一人で昨日あった色々な出来事を話していたシアニスの口調が随分と怒り始めていた。つい聞き過ごしてしまっていたB・Bは、話の筋を手繰り直すべく、注意して耳を傾け出す。


「本当にひどいと思いません? いっつも買ってくる量を、私一人で全部食べていると思ってたんですよ、そのお店の人たち!

 私、そんなに大食いじゃありません!」


 体を僅かに潤す程度の栄養素をしか、まだ、口元に運んでいなかったB・Bは、自らの手元に並べられている皿の中身の分量と、憤慨しながらスプーンを動かす育ち盛りの少女の手元とを見比べ、無言で彼女の顔を見やった。

 幾ら彼がほとんど食べない体であるとはいえ、その差、5倍はある。

 あからさまな言外の理屈を受け止めたシアニスは、さすがに恥ずかしそうに太い眉毛をしょぼつかせるも、誤魔化すようにその怒りを継続させ、すぐに眉尻を立ち上がらせた。話はまだ本題に入っていなかったようだ。


「それで、彼らがどうしたって?」


 続きを促してやることで、シアニスの感情の行き場を拾ってやる。


「せんせぇが、人の血を吸っていると思ってたんですよ、あの人たち!

 私を肥えさせて、代わりにその血を吸ってるって!」

「ああ……」


 そういうことかと得心が行った。よくある偏見だ。

 シアニスが怒る時は、いつも大体自分のことより、師に対する世間からの偏見に対してばかりなのである。


「馬鹿馬鹿しい。無知から来る偏見に、そういちいち心を動かしていてはやっていられんぞ、シアニス」


 そう言うと、B・Bはスープを一啜りした。


「そうですけど……。だって、悔しいじゃないですか!

 せんせぇは立派な大戦士ですよ! 血霊(けつれい)族には、誰一人だってそんな怪物は居ません!

 みんな、戦って戦って、戦い抜いた、歴史に名を残す英雄なのに!」

「ただ、生き汚かっただけの老兵だ。

 確かに俺は大勢の化物共を殺し、それにも増して死に損なってきたが、それだけで人間を辞める事が出来るような存在を、人間は、同族とは認めないし、思わない。それだけの事だろう……」

「私、言ってやったんです! そんなの迷信だ、他人の血を奪うなんて種族最悪の禁忌、英雄たちが犯すはずがないって!」

「ま……。見慣れんと、そういう風に見える向きがあるのは、俺自身、分かっている。仕方があるまい」


 確かに市井の人々の噂話は、一部では真理を突いている。

 B・Bを始めとする、血霊族は、かつて人間であった頃とは違い、もはや通常の食事を必要とはしない。それどころか、何一つ口にせずともよい。

 B・Bは語ってやった。


「俺達は、戦う意志ある限り、血の一滴からでも蘇る、もはや人間族とは異なる種族の存在だ。

 だが、想像してみるがいい。一滴の血の染みが、増殖して、再び人間の形を取る光景を。

 人間の血に良からぬ魔法を掛けていると思われるのも、仕方のない話だ」

「でも、だからあんな大きなお屋敷に二人きりで暮らしているんだろうって。さもなければ、その、お、お妾さんだとか、お手つきだとか……」


 ごにょごにょと、最後の方はしりすぼみになって良く聞こえなかったが、ニュアンスは大体伝わってきた。根拠のない噂話を好むのと同じで、口性がないのもまた、市井の人々の特徴だ。


「俺とお前がか?

 俺は血霊族(クレナイ)、お前は人間族(ヒイロ)、種族が異なる。第一、俺達は子孫を為せぬ、一代限りの種族だぞ。ある訳がないだろう。下らん……」


 何故だかシアニスは、この言葉に、これまでで一番激しく怒りを掻き立てられたようだった。

 ザラザラと、皿の中身を口の中に全て落とし込むと、がちゃんと音を立てて食器を置いた。それから椅子の下に置いてあった何かを取り出すと、テーブルの余白にどかんと追加で載せる。新品の帽子だった。今、常用しているものより、つばが少し短く、デザインが落ち着いている。色はもちろん黒である。


「……何だ、これは?」

「プレゼントです!」

「俺に好意を持つのは構わんが、子は作ってやれんぞ」


 シアニスの服の袖がミリ単位で揺れた。

 目にも止まらぬ勢いで、点がB・Bの眼球へと迫り来る。

 事も無げに、それ……千本という、金属の針状の暗器を摘み取ると、その先端を一瞥する。

 透明な何かで濡れている。


「弛緩系の毒だな。この近隣でも採れる毒草の根を、煮詰めて簡単に精製出来る。

 だが、透明に仕上げるのは技量が要る。薬に関しては、いい腕になってきたか。

 しかし、体術はまだまだだな。それに、人間相手なら贈答品で気を緩ませるのも良かろうが、魔族共には通じんぞ。感情に任せて仕掛けるのも良くない。兆しを気取られやすい。自分を律することだ」

「せんせぇのそういうところが人間離れしてて、ほかの人たちに怖がられてるんですよ!」


 自らが人生を賭して手に入れた、ついには種族を超えるまでに至った境地の戦闘技術。

 それを一つ残らず叩き込むために、才ある少女をわざわざ住み込みで鍛えているのだ。

 訓練の一環として、実戦形式で身に着けさせるため、寝ていようが飯時だろうが襲撃をするように教えこんでいたのに、どうもこの弟子は座学ばかり上手でいけない。感情が先走るのは、昔の自分を見ているようで、もどかしい。

 そう、B・Bは心中で評した。


「買い物の一つもしているところを見たことがないって言われてました!

 だからそんな噂話を立てられるんです!」

「事実だな。だが、さっきから、何をそう悔しがっている。自分の未熟にか?」

「せんせぇは立派な人なのに、町の人たちに尊敬されていないのが悔しいんです!」

「町で戦士に立派も糞もあるまい。

 戦士が立派なのは、積み上げた死体の数だけだ、戦場だけだ」

「もう……」


 しょんぼりと肩を落とすシアニス。


「いいです、分かりました。

 それよりも、今日は王様と謁見のご予定がありますよ。

 朝食を急かしたのは、そのためもあるんですから、遅れないでくださいね」

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