5.ファーストインプレッション
「王種か、矮族め!!」
夜を徹しての行進後に、朝焼けから低く斜に差し込む白い光の中、若武者然としたサムライポニーテールが、甲高い叫びを挙げて視界外から一気に直上十数メートルまで飛来してきた感想を述べよう。
わあー、言葉は通じるのに言ってる意味もやってることもこの状況もワケワカンネー。
俺の視界では、ついさっきまで、街を囲んでいるであろう外壁らしき遠景のディティールへも、やっとピントが合ってきていたところだった。それを、横合いから一気に目線を奪われて、再び草原だけが広がる角度に振り向かされる。
文明に近づいた途端、さっそく異世界交流か、面白い。
そう、笑みを浮かべた瞬間に、胸の奥がとくんと震えた。
==【固有概念:歓喜】==
「!?」
全身の血液が裏返るような……何言ってんだか分かんねえのはこれ俺も一緒だな、しかし、とにかく、【血液】の存在を、猛烈に自覚させる、悪寒にも似た衝動を覚えた。そして、意識に過ぎったのが、前文の内容である。そうか。文字や視界内表示じゃあ、ないんだな。
これは、文字よりも、もっと根源的な段階に位置する何かだ。
「っ……!」
自分の気づきは今はいい。相手がいることだ、相手に集中しよう。
頭上のにーちゃんだかねーちゃんだか(声がかっこよすぎて区別がつかんかった)も、明らかに俺と同じタイミングで反応を起こしていた。声や表情は分からんが、気配が揺らいだのだけは分かった。攻撃体勢だった拳も、緩く解かれている。
記念すべきコミュニケーションの第一歩。俺から放たれた何かが通じたんだ。バンザイ。
相手のことも自分のことも全然わからなくても、人間同士、通じ合える時もあるんだよ。
相手は慣性の法則をガン無視して、突然勢いを殺し、直角に落ちる軌道を取り始めている。
止まった勢いが、落下でゆっくりと加速を再開する。しかし距離が10メートルそこそこだと、ゆっくりという印象はない。あ、落ちてくる、という思考とほぼ等速で事実が追いかけてきて着地してしまう。あれ? 待て、位置が真上ならそこは地面じゃあない。俺だ。ぼーっと見てるんじゃあないよ俺、しまった!
「っ、く?!」
激突に、呻く。何をどうしたものかは分からなかったが、見かけよりもずっと衝撃が重い。のしかかってきた突然の暴力に悲鳴を上げる草むらを背に、言い訳がましくも俺のせいじゃねーよと詫びながら、そのまま地面に叩きつけられる。もう、この時点で、両腕両足が動かない。組み伏せられていた。
顔が、近い。表情がよく見えた。
「──何を、した。貴様。そして何故笑っている」
「いやあ」
へらりと笑って、歯を見せる。
聞きたいのは俺の方だよ。予定が変わって殴られなかったのは助かったけども、なんで真上から降ってきただけなのに、俺を関節固めて押さえ込めるんだ。
あと、重たい。重い。俺より細そうなのに、筋力で捕まっているというより、純粋に体が重たい。布の感触しかしないのに、鉛で出来てるのか、お前は。
もとより抗うつもりはないが、これだけ重いと、しんどくて、つい、身じろぎしてしまいたくなって、それを完全に封じられている。チガウ、抵抗するつもりはないのだ! コミュニケーションが取りたいの!
返しに困った挙句、身じろぎの分だけ、弁明しておいた。
「笑顔はコミュニケーションの基本でしょ?
だったら笑ってなきゃあ」
「何をしたと、聞いている……!」
でも、コミュニケーションを取りたいと願っておいて、誠に勝手な態度だが、垂れ目の端を必死に釣り上げて語気を強める相手に対して、俺は途中から割りと話を聞いていなかった。
相手の表情を見つめるうちに、少し、むかついてきていたからだ。
今、俺が眺められるのは、相手の前髪が広がりながら覆い掛かってきている関係で、心地よい朝の光すら髪の毛に薄く遮られてしまっていて、彼だか彼女だかの顔しかない。鼻と鼻がくっつきそうな間合いだ。頭突きの威力が全然出ない間合いだな。間合いの取り方はいい。
けれども、表情がよくない。
年齢は、ガキであるはずの俺と同じか、俺より少し高そうなのに、素直そうな顔つきじゃん。なのに、なんで目が笑ってねーの。
なんで追い詰めてる側が、追い詰められた目をしてんだよ。
気に入らない。だんだん気に入らなくなってきた。
敵意を持たれるのもいい。殺意を持たれるのもだ。
でも、こういう顔をしている奴だけは、ものすごく気に入らないんだ。
殺されたかあないが、こちらの都合とはお構いなしに死ねるのが世界ってところだ。だからそれはいい。仕方ない。
俺を殺したいなら、せめて笑って殺せよ、世界。
だから、褒める。
見つめた先の瞳は青い。こちらの鼻先に垂れ下がって毛先がちらついている前髪も青い。濃い黒髪を青、または緑とも呼ぶという。いや、青いよ。青い。本当にブルーだ。これは、綺麗だよ。
これを褒めよう。
「空より青い髪、してるねえ」
「!? は、はあ!!?」
今は覆い被さられているから見比べることが出来ないけれど、分かる。
薄い色してばかりの空よりも、ずっと濃くて確かな質感を持った青だ。
目と目を合わせ、視線から、深呼吸する。
「君は、綺麗だね」
ああ、君は、風よりも甘い味がする。
触れているだけで気持ちが良かった。息をするたびに気持ちが良い。
相手の鼓動と自分の鼓動が重なるような、通じ合う感触がする。
血が、熱くなる。
相手の目から、やっと強張りの色が、消えた。
満足して目を閉じる。この世界に来てからずっと続いていた深呼吸も、止まる。
「──っ、や、はり……!!」
何がやはりなんだろう。やはり、殺す? やはり、危険?
どちらでもいい。
そのまま流れに身を任せようと、暗闇の世界でずっと次の動きを待ち続けたが、しばらくの間を置いて、なぜだか体の上から重みが消えた。
バサバサと草が踏み分けられる音がして、それで音源を見やると、丁度サムライポニーテールの青髪さんは、今度こそちゃんと俺ではない地面に着地したところだった。10メートルばかりも距離を取られている。落ちてくるのが前提の縦距離と、埋まらないかもしれない横距離とだと、同じ空間量でも、同じ地平に立っていても、なんだか遠くの気がして、寂しいもんだ。
「お前……人間か……?」
訝しむような、怯えるような、そんなまなざしを向けられた。
二人称が貴様からお前に変わったのに、通じ合える前提だったはずの基本設定、俺=人間にも疑問符がついた。まずい。言われている内容は一番最初より良く分かったが、関係が悪化している気しかしないぞ。出会いは最悪でも少しずつ改善されていくのが人の出会い方ってもんじゃないのか。どうなんだ。
二人の距離は、近づいているのか、遠のいたのか。
どっちだ。
観察してみると、向こうは腰を落として、まだ、警戒の構えを解いていない。仕方がないので、害意はありませんよと両手を上げたポーズで慎重に立ち上がろうとする。若武者が動きに反応して、警戒を強めた。
==【固有概念:歓喜】==
全身の血がまた震えた。待て待て何もしてないぞどういうことだ。バグか。なんかスイッチ入りっぱなしになってんのか。スイッチってなんだよ入力コンソールのあった時代の話かよ。
あっ、後ずさりされた。体に力が入りにくいのか、立ち姿が揺らいでいる。デバフ? デバフ入ったの?
どうしたらいいか分からず立ち尽くす俺を、さっきまでとは異なる意味で重たげに、指差しながら、綺麗な青髪の若武者は、自分の顔を隠すように残る片手で覆いつつ、とうとう懇願さえしてきた。
「それを……その概念を使うのを……やめろ、やめて、くれ。
私が私でなくなる……」
「スキル?」
「とぼける、なよ。だが、私に通じるほどの魔法とは……信じられん、その、鼓動といい……」
やはり、私が止めなければ、か?
言いかけにしていた先程の言葉の続きを、唇の動きで読めたような気がした。
指の間から覗く目は、最初は何かに耐えるように苦悶で揺らいでいたが、やおら、決意を帯びて、眼光が強くなる。重たい質感が、空気を伝わってきた。薄まりかけていた戦意が、抗おうと歯を食いしばる顔からもはっきり見て取れる。
目の色が、また、追い詰められた色に、戻った。
どくん。
==【固有概念:歓喜】==
「わーーーー待った待った待った!! 使ってない! いや! 俺の意思じゃない!!
なんだこれ!! なんだこれ!!?」
騒げ!!
騒げ騒げ騒げ!!! もう騒ぐしか出来ねーよ!!
誤射です!! 何、魔法なの!? 魔法なのにフェザータッチすぎるだろ!!
条件反射か!! パッシブスキル? っていうの?? 魔法でオートだと逆に不便だろ! MP?とかどうなってんだ!!
必死に身振り手振りと顔芸を交えながらに釈明する。
「俺、テキ、チガウ!
君、笑う、イイ!
スマーイル!
思ったこと、それダケ!
悪いことしてたなら謝るけど、そもそも、俺、歩いてただけでしょ……だけだよね?
だから、やめ! やめ! 構えないで!
なんか分からんけどこれ自分でも制御できないみたいだから!
何がきっかけだか、さっぱり分かってないから!」
お前もうこれふざけんなよハコ最終調整とか言ってしっかりミスってんじゃねーかバグってんじゃねーかシステムコールだよシステムコール!
ハコの奴、最後笑った……笑ったか? 笑ってた気がする、うん、笑った、別れ際に歪んだ笑顔したのはこういうことか!?
それを望んだのは確かに俺だが、おかげで今、終始一貫して混乱しか出来てねーじゃねーか!
まずは1万字突破。立ち上がり遅くてすいません。
評価とブックマーク、ありがとうございます。ご拝読には言うまでもなく一番の感謝を。