41.決戦前夜
「……」
キスケは、王子を名乗るクレナイに対して、あからさまに胡乱げな視線を寄越してやった。
それにしては魔力の気配がしない。同じ王子格のカグナどころか、街の子供よりもだ。
クレナイは、鎧の上から胸に手を当て、心外そうに問い掛けを重ねてくる。
「私のこと、ご存知ありません?
話にぐらいは、聞いたことがあると思って声を掛けさせていただいたのですが」
「ねぇよ」
「それは重畳。私、評判が悪いことにかけては《波濤》よりも自信がありますの」
握っていた薙刀を胸元に寄りかからせ、今度は手を合わせて喜ぶクレナイ。
意図がさっぱり分からず、キスケは面倒くさそうに視線を彼女から切ると、遠くに見える赤い空へと視界を戻した。あの下には、彼が倒し、喰らわねばならない敵が、今も鎮座しているはずである。
目標を見据え、静かに魔力で影を練り込んでいたところに、来訪者を迎えて気分の良いはずもない。また、村中に張り巡らせていた警戒網を無効化された点も、気に食わなかった。
(邪魔くせぇ)
「自己紹介、してくださらないんですのね」
残念そうな声色が、苛立つ脳に突き刺さる。キスケはこれで、無視を決め込むことにした。
(この女の言葉には、抑揚が付きすぎだ)
この手合は、感情を演じてみせているにすぎない。まともに応じただけで、予め用意された舞台に、強制的に上がらされることになる。相手をするだけ馬鹿を見るというものだ。
ゆるゆると、呼吸を練りながら、辺りから緩く吸い込んだ魔力を、身の内で作り変えていく。自分を肥大化させる感覚。自分の増える感覚。
その、吸い込みに、阻害を感じた。
思わず背後を振り返る。
「お気に掛けていただけました?」
「てめぇ……」
愛想の良さそうな微笑みを浮かべながら、クレナイは佇んでいる。
これも、偽りだ。愛想が良さそうなのと、良いのとは、違う。
これは、顔の形が笑っているだけだ。
キスケは怒りを剥き出しにし、その歯を食い縛った。
「まあ、怖い!」
「うるせえよ。そういう台詞は怖がってから言うんだな」
「どうして私の心が分かりますの?」
「怖がるだけで逃げもしない奴ってのは、楽しんでるに決まってるだろうが」
動物園で檻の中の猛獣を見て、きゃあきゃあ騒ぐのや、絶叫マシンに乗りながら叫ぶのと変わりない。
怖くないからこそ、怖がれる。安全が保証されているからこそ、怖がる。
からかわれていることに気がついて、キスケは甚だしく不愉快になった。
とっとと行って貰い、被害を最小限にする方がいいだろうと、無視をやめることにする。
「用件を言いな。いつまでも居られると邪魔くせぇ」
「お相手いただけるようで、何よりの喜びです」
「そういう言い回しでしか話が出来ないのか?」
「私はただ、元ライバルで、旧友の、《波濤》と同じ闘法を使う方がどんなお方か、気になっただけですのに……」
「しょげかえって見せるんじゃねえよ。あんたウザいな」
「フフ……」
唇の横に、合わせた手をやり、微笑んで見せるクレナイからは、魔性しか感じられない。
「!?」
即座に影を使って飛び退こうとしたキスケは、だが、その行動が不発に終わったことで、態度を怒りから警戒に切り替えた。
(どういうことだ。固定で出してある影だけならともかく、魔法の出掛かりからキャンセルだと?
いや、今のはまるで、魔力そのものが動かなかったみたいな手応えだ。
一体、何をされた)
「本当に私のこと、ご存知ないようですね」
自らの優位を確信し、初めて笑みが本物となるクレナイ。心性の歪みが露出したかのように、その表情は妖しい質感を帯びている。
「貴様のことなど話すと舌まで腐るからな、《虚火》」
その後ろから、鋭い声が投げやられた。
クレナイは、驚いた風を装うでもなく、肩越しにゆっくりと振り向いていく。
「ええ、ええ、あなたなら、きっとそのように仰るでしょうと、私、信頼していましたわ? 《波濤》」
キスケから見えるクレナイの背中が、今にも哄笑しそうなほど震えていた。
カグナの姿が、その向こうには見えている。
「そしてあなたが《女》になった理由が、彼というわけですわね」
「帝国の同僚となったよしみだ、それ以上口を開かなければ、ここに居なかったことにしてやる。どけ」
「亜人の方は本当に仲間思いですのね。あれだけ嫌っていたのに、その仰りよう。
ああ、こんなことなら、帝国に降される最後の戦いで、あなたと戦っておければ良かったのに!
どうしていらしてくださらなかったんですか? 私、ずっと待っていましたのよ??」
「キスケ、すまない。こいつは私に絡んできたいだけなんだ、君を巻き込んでしまった」
(この数日、話しかけることすら躊躇っていたのに、やっと話せたと思ったら、必要性に駆られての言葉掛けか……)
カグナは怒りで頭がグラグラと煮えそうになるのを、必死に堪えていた。この、人を苛立たせて喜悦の色を浮かべている女と相対するだけで、神経の一本一本が逆撫でられていくような心地さえしている。
会話にクレナイを挟み込ませないよう、キスケに向かって語りかけることに専念した。
「この大陸で長年両雄として君臨していた、青の国と、赤の国。両者がこの数年で立て続けに帝国に組み込まれるまでは、相争っていた国の主戦力同士だよ。こいつは結局、戦場で着けきれなかった決着の、因縁がつけたいだけなのさ」
「本当に自意識過剰なお方。あなたが王子として戦場に立ち、私と対峙していたのは、ほんの二、三年の間のことでしょう?」
その身を伸ばし、カグナがキスケに向けた視線に割り込んできて、薙刀を手にしながら、挑発的にカグナへと顔を近づけるクレナイ。
カグナの言が、あながち間違いではなさそうなのは、事情を知らないキスケにも察せられるほど、彼女はカグナへの対抗意識を燃やしていた。
「今やることじゃねえだろ。よそでやれ」
言い捨てて、キスケは立ち去ろうとする。
(集中出来ねぇだろうが。苛つく)
だが、その背中をなおもクレナイが呼び止める。
「あら、お待ちくださいな、あなた。
同じ戦列に加わるものとして、私のことは知っていただけませんと、事故の元ですわ。ねえ《波濤》?」
「なら、貴様が言え」
「本当に? 本当に私が申し上げてよろしい? 今夜が最後になるかも知れませんわよ?」
「……キスケ。少しだけ、待ってくれないか」
嘆息。
これでは、放っておいたらいつまでも付き合わされそうだった。
キスケは後ろを見ることなく、手だけ挙げて、その人差し指をクイクイと曲げて見せた。
「お前が来いよ。そいつの傍にいるのは、俺も御免だ」
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アレは、忌子だ。
カグナは端的にそう語った。
「ノーコ殿がそうであるように、あいつもユニークスキルの影響で概念核を持っていない。
生まれついてのユニーク持ちで、赤の王国でなかったら、殺されていたかもな」
二人は、村に、再び戻っていた。構築された陣の端で、立ち話をしている。
「赤の王は最も早くから人間族の保護を訴えていて、歴史的に見ても、人の姿を取るようになった、一番最初の王だ。私とて、我が主に出会わなければ、あるいは今頃、あちらの側にいたかもしれない。
そんな王の治める国だからこそ、あいつは殺されずに育っている」
嫌悪で歪む表情を、それでもキスケには見せまいと、カグナは陣の外を向いて言う。
「アレは、魔法を消すユニークスキルの持ち主だ。
そんなもの、本来ありえない。種の起源たる、血の魔法を否定して、人間種として生きていられる訳がない。それなのに奴は生きている。忌子と呼ばれる所以さ」
「……」
それを聞く彼の胸中には、ある種族との類似性が思い起こされていた。
無族。
あらゆる魔法と、魔法に基づく現象を無効化する、地の底に生きる種族。
それは、魔法によってこの世界に存在する、あらゆる種族の天敵と言える、邪悪の代名詞である。
矮族が事あるごとに大繁殖しようとする厄介な怪物ならば、無族は異物と呼ぶに相応しい。
両種族が、まとめて魔族と括られているのは、ひとえにどちらも文明の害悪だからに過ぎない。一説には、魔力を霊性に変じることの出来る文明種族と異なり、魔力そのものの影響をまともに受けた種族だから、魔族なのだとも言われている。
矮族の出自は、カグナがかつて語った通り、巨族から生まれてくるので、この説は全く正しくないのだが、人々は、自らと悪しき存在とを分かりやすく区別するための理屈として、魔族が霊性を持たない生き物であるという説を信奉しているのだろう。
事実、ハースの学校でムンタに聞かされたのは、上記の通りの話だった。その場で否定されることもなかったのは、それでいいと皆が考えているからのはずだ。キスケはこの件に関して、誰に確認を取った訳でもないが、正しいことばかりが世界に広まるのではないという例証だと受け止めていた。
「キスケ。その……アレには、戦場で近寄るな。
アレ自身に魔法が通用しないだけでなく、アレは魔法を無効化する範囲を、無族のように拡大できる。
自身への現象を受け付けないノーコ殿と違って、現象そのものを阻害する」
「そうかい。ありがとうよ」
言って、キスケはふいと歩き出した。迷いなく、真っ直ぐに立ち去る足運びだ。
「ま、待ってくれ!」
慌ててカグナは呼び止める。
「こんな話がしたいんじゃない。
キスケ。君に聞きたかったんだ」
「……何を?」
振り返る、醒めたまなざしだけが、夜に浮かんで見える。
「キスケは、まだ、私と一緒に帝都に向かってくれる気は……」
そのまなざしに萎縮して、口にした言葉が尻すぼみに消えていく。
「……明日、生き残ったらな」
目を閉じたのか、まなざしは宵闇から掻き消え、そうして足音が静かに遠ざかっていった。
(まだ、何も始まっていない……。
そうだ、旅の途中で立ち止まっただけだ。
私とキスケの旅は、まだ、何も……)
ぎゅう、と下唇を噛みしめる。
見上げた空の一角、矮族の拠点がある方角からは、不吉に揺れる、赤色が星々の輝きを遮っていた。