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誰に導かれなくてもぼくらは生きる  作者: 城乃華一郎
第一章
38/97

35.『だから私達は』

 さざめきが、村中をひたひたと波のように満たしている。

 数百人分の声を聞き分けることが出来たなら、それらの声のうち、実に半分が同じ声であることに気づけただろう。勿論、それが出来る人間など、この場にはいない。


 カグナ以外には。


「あまり無理をしてはいけないのですよ、カグナ様」


 食堂は、既に大半の人が引けていた。

 物資の集積と分散が無事に終了したため、各々、やっと家に帰っていったのだ。

 後は宿の主人や従業員が、予定外に発生した業務をこなすべく、黙々と働いているだけだ。

 テーブルに着いているものは他になく、薄暗く明度の落とされた中を、ただ二人、ニレェーとカグナだけが差し向かいに座っている。


 ニレェーのくぐもった傷声(きずごえ)には、普段なら感じ取れるであろう抑揚が失せていたが、カグナには、それで十分だった。


「つい、この間の、討伐前にもやったことだ。さほど苦にはならない」


 そう言って、今となっては数少ない友人に、微笑んで見せる。


 カグナは、影の耳と目、それに口を、この村の全家庭に飛ばし、それぞれ個別に現在の対応状況や今後どうするべきかの予定を通達していた。

 村人総勢251名、最低限の訓練を受けた戦士と認められる士級(しきゅう)以上の、戦力に数えられる人物は居なかったが、これは仕方がない。何分、半年も前から、予定されていた広域討伐に備えて、周辺の村々から人を軍に一時参集させていたのは、当のカグナなのである。

 そのことを含め、カグナは村人達に、出来る限りの事実を率直に告げていた。


 自分が大量にいる、いつもの感覚が、彼女を覆い尽くしている。

 当然、感覚器官だけが増えても処理が追いつかないため、脳などの重要部位を影で練り込み、会話を取り捌いている。これが、慣れないうちは、自我を酷く揺らす行為なのだ。

 自分が誰か、曖昧になる。それもあっての、『曖昧なる確影』という、技法の名である。


(幸い、聞き分けてくれているが──正直冷や汗ものだな)


 危惧していたのは、林の中で矮族に襲われていただろう一団が、この村の構成員だったケースだ。もし、いつまでも帰らぬ家族や友人がいて、王種の出現という凶報を聞いたなら、糾弾の矛先は、間違いなく討伐の総責任者であったカグナに向かう。

 そのような報告が挙がっていない以上、あれはハースの街を最近発った行商人などの旅人なのであろう。それもまた由々しき問題だが、火急の事態に足元で炎上されるよりは良い。

 また、村人達の身内を含むハースからの軍隊派遣が、三、四日のうちに到着するという朗報も、彼らの混乱を抑えるのに一役買っていた。


『この目で見てきたから、間違いないよ』


 とは、立ち去る前のノーコの言だ。


(人間王の所領から、ここに達するまでも、私でさえ一週間以上は見込む。

 まして、彼女は敵対国の重鎮だ。それが、あらゆる警戒をすり抜けて、ハースにまでたどり着き、あまつさえ引き返して正確にこの村を突き止めるとは……)


「やはり、《人間王の盾》。見た目通りの存在ではありませんか」


 ニレェーもまた、同じことに思いを巡らせていたらしい。カグナの深刻な面持ちから、何を考えているのかの推量を働かせたようだ。期せずして心の足並みが揃った喜ばしさで、つい、互いに目を見合わせて、どちらからともなく笑ってしまう。


「王種討伐にあたっては、味方が手強いというのは、ありがたいことだ。歓迎しようじゃないか。

 彼女がもたらした、もう一つの報……、奴らが拠点を築き出しているというのも、戦力で劣っている現状、朗報に聞こえなくもない。しかし、言い換えるなら、相応の知性を持った王種ということにもなるな。

 すぐに攻め込んでくる様子がなくとも、厄介だぞ」

「このところ、王種の発生頻度が明らかに上がってます。やはり、災厄の日が近いのでしょう」


 ニレェーの一番の懸念は、やはりそこのようだった。

 キスケと対立する切っ掛けにもなった、とまでは、二人とも気づいていなかったが、異世界人であろうと、この世界に生きるどのような種族であろうと、巨族の墜落(・・)は、目を背けがたい、歴史上、比肩するもののない凶事である。落ち込ませ、自暴自棄に追い込む一因となったであろうというのは、想像に難くなかった。


 カグナはきついアルコールをボトル一本、一気に流し込むと、感情の高揚と栄養とを糧に、引き続き影を操り続ける。ボトルは、やけにラベルが擦り切れていて、随分使い回されていそうだった。額面通りの中身が入っているかも怪しい安酒だ。だが、今はそれが美味い。


『二人だけで、話がしたいんだ、トモダチ』


 ノーコの、あの誘いを、キスケが黙って受け容れたという事実が、彼女の中で、尾を引いていた。

 肉の体の喉を焼く、香りの強いアルコールが、増殖させた影に埋没しかかる自分の存在を確かにしてくれる。流霊族は、酒に強い方ではないが、それも亜人となって三代目となる、人間の血の方がもはや濃い自分にとってみれば、酔いで体を壊す失態はまず起こり得ない。気兼ねなく、次のボトルに手を伸ばし、また、開けた。

 その仕草を見つめるニレェーのまなざしは、苦い。


「先程の、キスケ様の深呼吸。覚えておいでですか?」

「ああ」

「魔力の吸収は起きていましたが、これまでのように、無制限ではありませんでした」

「そうだな……」

「やはり、概念核(スキルコア)を自力形成した際に、自力で制限を掛けたのだと思います」

「ニレェーもそう見たか」

「……これで、キスケ様が帝都にわざわざ赴く必然性が、一つ、無くなってしまいました」


 おざなりな相槌が、止まった。


「あの、ノーコという者の口にしていた『勧誘』、カグナ様はどうなさるおつもりですか?」


 影繰りに集中する素振りを見せ、目をつむるカグナ。

 それが見せかけだけの偽りであるのは、個人的な付き合いのあるニレェーならずとも、きっと見破るまでもない。とても幼い、嘘のつき方。


 玄関の外では、雨が止んでいる。直に、夜明けが訪れるだろう。

 大勢に踏まれて深くなったぬかるみが、大きな泥溜まりを作っていた。


(正しい答えは分かる)


 カグナは、焦点を結ぶことを避けていた、その言葉を、脳裏で嫌々ながらも形にする。

 質の悪い、硝子のボトルの歪んだ表面を手でさすり、握りしめた。


「どうもしない。

 私とキスケは、ベイジと約束した。二人で帝都に行くと、そう決めている」

「そう、ですね」


 ニレェーの言いよどみには、言外に、キスケがその約束を守り続けるつもりがあるのなら、という、ただし書きが付いている。それが知れて、彼女は強い痛みを自覚する。

 小さな渦。暴れ狂う何かを、小さく小さく押し固めて核にした、渦。それが、胸の中にある。

 触れるのが恐ろしくて、カグナは遂に、見ないふりを押し通した。


 ピシリ、と、握るボトルに入る、小さな(ひび)


/*/


「んー、流石にそこまでする余裕、なかったのかな。それとも、怖かったのか。どっちなんだろう」


 ノーコが取った宿の一室で、備え付けの椅子に座らされたキスケは、彼女の不明瞭な独り言を聞いて、苛立ちを口から吐き出した。


「用事があったんじゃねえのか?」


 そうそう、と、手をパンと叩いて、自身はベッドに腰掛けていたノーコが頷いた。


「王子であるカグナさんと、門番のニレェーさんは、私のことを当然色々知っていたんだけどね、肝心のトモダチなキスケくんが私のことを知らないなって思って。自己紹介、したかったんだ」

「臆面もなくトモダチトモダチって使うよな、お前」

「?」


 銀色の瞳が、不思議そうにきょるんと輝く。


「気軽にさっきみたいなことをして、恥ずかしくねえのかって聞いてんだよ」

「あはは、面白い言い回し」


 睨め上げる男の、今だに片方が血で濁った眼光を浴びても、少女らしく笑うだけで、ノーコからは動じた雰囲気が湧かない。

 それが、無性に癇に障った。


「私はノーコ。改めまして、よろしくだね、キスケ・アマイモンさん」

「名字はどうした。キャラクターネームだから、そんなもん、ないか」

「本名なんだけどなー」


 バツが悪そうに頬を掻き、立ったはいいが、また、ベッドに腰を下ろしたノーコ。

 ホットパンツであぐらをかいているため、その格好は健全な青少年には毒なのだが、据わった目をしたキスケには、長く伸びている肌色を気に留める余裕がなく、答えを苛立たしげに催促する。


「忘れたって訳じゃねえだろ。自分の名字だぞ」


(本名さえ分からねえ俺じゃあるまいし)


 そう、タカをくくって煽った彼に、自分の言葉がそのまま跳ね返ってきた。


「ごめん、忘れた」


 思わず絶句する。

 細い頬を笑みで丸くたわませながら、彼女は、するすると何でもないことのように説明する。


「ちょっと、こっち暮らしが長すぎてさ。

 だから、強いていうなら、国名がそのまま名字に当てはまるんじゃないかな。ほら、元々は家を意味する部分の名前だっていうし。

 だから私の名前は、ノーコ=ユニオン、で、どうでしょう……ダメ?」


 連合(ユニオン)

 人間王の勢力の名を、気負いもせずに背負いながら、細身の少女は照れくさそうにはにかみながら告げた。


(こいつ、一体何歳……いや、そうじゃねえ。

 このゲーム、一体どれだけ続いて(・・・・・・・)やがる?)


 目の前の少女に、老いや、まして、人生にくたびれ果てたような厭世感は一切感じられない。

 目尻は透明感のある止まり方をしていて、皺は無く、露出しているどこの肌目もサラリと水玉を作りそうな、良く詰んだ皮膚だ。

 銀髪も、白髪ではなく、よくあるフィクション的な色味だし、一本一本のコシが強いから、長いのにピンピンと毛筋の通った揺れ方で、本人の活発な挙動に合わせてしきりと宙に舞っている。


「ユニークスキル持ちだと、どうしても現実側の記憶って薄くなっちゃうみたいで、私の場合、スキルがスキルだけに、結局戻らなかったんだよ。本当の私本人に興味がないワケじゃないですが、今更戻っても同期なんて取れないだろうから、これはもう、仕方ないね」


 ねっ? と飛ばしてきた意味のないウィンクは、触れられたくないから念を押したというよりも、純粋に、場が重たくなるのを嫌ってだけのことだろうと、飛ばされた側は直感した。


「それで、私のユニークスキル、《不可侵》は、これ、代名詞みたいになってるから、多分どこで聞いても結構ネタが割れてると思うんだけども、とにかく何でも通しません」

「王級の攻撃もか?」

「さすがに、空にいる光の一族と戦ったことはないけど、その分身の攻撃だって受け止めたよ」


 むふん! と、どこぞの著名水夫(ポ○イ)みたいな顔をして、ぐいと曲げた腕から力こぶを作ってみせる。

 ぷにぷにで柔らかそうな二の腕だった。


「攻撃に限らないの。

 時間の経過も、食べたご飯の栄養も、筋トレしてのパワーアップも、私の体は何も通さない。

 だから、本来の人間種族に出来る、およそあらゆる有利が、私にはなかったんだ。

 あらゆる普通が、私からは取り上げられた。それが私の力の代償」


 与えるは奪う、奪うは与える♪


 そう、ノーコは口ずさんだ。

 目つきが険しくなったキスケの反応を見て、真顔になり、頷く。


「ハコちゃんの言ったこと、うち(・・)は今でも覚えてる」


 おそらく、その一人称こそは、失われなかった、かつての記憶なのだろう。

 微かにイントネーションを変えたのも、ほんの一瞬のことだった。

 ノーコはすぐに元の調子に戻って話を続ける。


「安心していいよ、キスケくん。

 君がどんな力を持っていようと、私には通じない。

 君がどんなに強くなろうと、私とだけは、ずっと対等でいられる。

 だから私達は、トモダチ」


 ──胸に槍を突き通されたような衝撃が来た。

 ずっと、自身の力をこそ、嫌悪し続け、また、恐れてもいたキスケにとり、その言葉は、怒りの鎧を十分に貫通する威力があった。


「何の記憶がなくても、たとえ、今後ずうっと、その力こそが君の本質そのものであるように見られても、私だからこそ、断言できるね」


 ノーコは立ち上がり、無造作にキスケへと近づいてくる。


「『そんなモノたった一つが、君の全部を表していてたまるか』」


 長い人差し指、形の整った爪が、とすん、と、キスケの胸に、触れた。

 顔は、おどけたように怒ってみせている。


 その顔が、鼻先で、柔らかくほころんだ。


「欠点って、自分のだと、とっても大きく見える。

 でも、いいよ。別にいい。

 君が何をしようと、私はミカタで、トモダチだよ」


 キスケを指していた手が、今度は自身の薄い胸を自慢げに親指で指し示している。


「それが、誰に傷つけられることもない、私、《不可侵》ノーコ=ユニオンの、この世界で果たすべき使命だと、自任していたりするのです」


 ふわり、勢いで背に広がり舞う、その髪色は、鮮やかな銀。

 陰鬱な空気だとか、重苦しい記憶だとかの帯びている魔性を祓うかのように、訪れた夜明けの光を室内に散らしてから、また、背中に収まっていく。


「……そのストライプのシャツ、似合ってねえぞ」

「なっ!?」


 そっぽを向きながらの、これまでの話の流れを全部無視して出てきたキスケの感想に、ノーコは初めて声を大きく揺らして慌てふためいた。


「こここ、これだけは《不可侵》の影響でずっと新品同然のお気に入りでしたのに!」

「うるせえよ、バーカ。その靴も、何だ、その頭のイカれたサイケデリックは」

「これはきっと現実の流行りで、いいものなんだと私は信じているんだよ!?」


 もー、ひどいなあ、トモダチは。

 そう、屈託なく笑いながら腰に手を当て、立っているノーコの姿は、差し込む朝日のせいか、今のキスケには、とても眩しく映ってみえたのだった。

傷声でググってみましたが出ませんでしたので造語ということで一つよろしくお願いします。造語は好きです。割りとマジで変な形で言葉を誤用している時もあるので油断出来ませんが。

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