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誰に導かれなくてもぼくらは生きる  作者: 城乃華一郎
第一章
35/97

32.魔人の怒り

「ニレェー……」


 キスケは、それまでには決してしなかった、上ずった調子で呼びかけた。目には昏い輝きが灯っている。


「俺を止めるっつったよな」


 淡々とした、乾いた口調。なのに、半ば閉じられた目蓋は、むしろ表情の穏やかさをこそ強調している。また、その右目が血に濡れていて、赤いことが、穏やかさとのギャップからくる事態の異常を、見る者に悟らせただろう。

 キスケの腕が、動いた。


「いいぜ。止めてみなよ。これから深呼吸をする」


 どうぞ、と言わんばかりに軽く掌を開きながら、その両腕は、あけっぴろげに体の前を空けてみせた。

 向き直り、半身でニレェーの方に、左胸を突き出すようにして、晒している。


「止めたら殺す」


 そして、そのまま、その胸を、ゆっ……くりと深い吸気で膨らませ。

 気持ちよさそうに、吐息を鼻から抜けさせた。

 その間、ニレェーは息を呑みながら目を見張るばかりで動けていない。

 キスケは満足げに据わった目つきで頷くと、腕だけ差し伸ばして、人差し指を動かした。


「カグナ、来い」

「何を……」


 戸惑うばかりで、カグナはその挙げかけた両腕を、半端なところに落ち着かせている。

 キスケの肩にでも手を掛け、制止するべきなのか、それとも言われるがままに駆け寄るべきか、実際に、彼女の心中は、状況を判じかねていたからである。

 村人の視線もまた、場で最上位の序列に位置するカグナの挙動を見守っている。


「こんな奴の言うことなんて聞くことありませんよ、カグナ様!」


 指の折れた村人を、支えるようにして立っている男が非難めいた言葉を口にした。

 その面には激しい怒りが顕になっている。


「──俺はカグナに呼びかけたんだけどなあ?」


 キスケが首をあらぬ角度に傾けて、その男を睥睨する。途端、塗り込められたもの(・・)の重たさで、苦しげにうめいて男は崩れ落ちた。肩を貸されていた負傷者の方が、逆にそれを支え止める始末である。

 空間がねっとりと重たい。カグナは、自らの得意とする技術、魔力を質量に変換して操る、確影(たしかげ)が、キスケの視線に載せられていることを確信した。


(実際に重さなど持たない視線が重くなる──?

 殺意や闘気による気当たりはある、しかし、それはあくまでも……)


 そう、あくまでも、力量差を感じ取った相手の脳や、相手の肉体が、知らず、抵抗を止めるように働きかけているからの、現象である。かつて父親と日夜鍛錬を積み重ねた日々を思い起こし、我が身に起こったそれを反芻する。

 けれど、あれは、違う。影に、そんな使い方があったのか?と、自問しかける彼女の意識に、声が再び割り込んで入った。


「カグナ。お前、正しいよ。正しかった。

 間違えてくれって誘ってくれただろう。あれで良かった。

 だから、俺は間違えることにした」


 喋り終えるごとに、キスケは無造作な深呼吸を繰り返している。とてもうまそうに喜悦の色を瞳に浮かべ、その口元は嫌らしくニヤついている。

 カグナは、その笑い方に怖気立つ自分を見出す。


「世界が正しいことばかりを求めるんなら、俺は間違えたままでいい」

「キスケ、今は、そんなことを話している場合じゃ……一体どうしたんだ、何をしたっていうんだ?」

「何も。ただちょいと、自分らしく(・・・・・)なってみたのさ。ああ、うまいな、空気がとてもうまい」


 そう答えると、どけよ、と、周りの人間を手で押しのけ、自らカグナの方まで歩み寄っていく。

 周囲も、割って入ろうとした者の有様を見た直後なので、されるがままに、道を開けた。だが、例え口では何も告げずとも、キスケを見る目が、嫌悪と不信で彩られているのは、語るまでもないことである。

 恐ろしげに人々は囲んでいた輪を広げ、中には気持ちが悪そうにその場を離れる者もいた。


 キスケは、そのどれもを意に介していない。目に入っていない訳はないのだが、これまでが意図的に(・・・・・・・・・)人間を見ようとしていなかったのに対して、今は、明確に憎悪を露わにした排斥の意志が、道を真っ直ぐ進む、その歩き方にも表れている。誰かが肩肘に当たろうと、突き飛ばす。そういう、傲然とした歩き方である。

 良く言えば、人目をどこか(・・・・・・)気にしていた(・・・・・・)これまでよりは堂々としているとも考えられるが……。


 手が、カグナの二の腕を掴んだ。びく、と身じろぐ。

 掴まれた力にではない。それしきは、岩混じりの大きな矮族に掴まれても、逆に振り払って薙ぎ倒せるほどの自重を作れるカグナにしてみれば、痛いとも感じない。

 これまでの、そんなカグナの事情を知って尚、壊れ物を扱うような繊細さで肌に触れてきた彼の配慮が失われていることに、身が竦んだのである。

 それでも未だに態度を決め兼ね、半笑いでキスケを見上げるカグナの顔には、王子らしからぬ、媚びたような、怯えの色が出てしまっている。それでまた、村人達の恐怖が煽り立てられた。

 彼らは我関せずとばかりに、目の前の出来事から逃げ、これから来るであろう、戦いという現実に対処するべく、何事もなかったかのように、戻り始めていた。

 なかったかのように、ではなく。

 なかったのだろう。

 彼らの世界の中では。

 観なかったことになった。


「おい」


 と、不意にキスケは不機嫌な声色で短く発声する。

 目線が自分の上に注がれていたので、カグナは思わず肩を竦めたが、気に留められていない。

 動きが止まったのは、彼女の横に立っていた、ニレェーの方だった。緊張の面持ちをしている。


「止めたら殺すっつったろう。どうしてさっき詠唱してた分の魔力を、まだ散らしてねえんだ?」


 腕を掴んでいない方の掌が、ニレェーの顔に向けられる。

 柔らかそうな掌だ。軍属のニレェーにして見れば、ここ数日で多少すりむけてタコが出来た位の、彼の手は、そこらの子どもよりも武に関する経験の浅さが見て取れる。

 なのに、動けなくなる。


(これまでも、魔力の振動感知(・・・・)だけは出来ているようでしたが……)


 明らかに、魔に対する感性(センス)が上がっていた。

 気取られないよう、いつ発動に回してもいいだけの魔力を、ニレェーは地中に根を張るが如く潜めていた。

 それが、看破されていた。

 ハッタリである可能性は、低いように思える。


 ニレェーは慎重にキスケの行動の意図を探りながらも、表面上では言葉を尽くそうと、思考を巡らせに入る。


「答えろ」


 間を、潰される。考えるだけの時間が言葉で潰され、物理的な圧力を感じるほどに、掌が視界の半ばを遮るほど近づいており、空間も、潰されていく。

 柔らかなだけの掌が、異様に重たそうに見えた。カグナの戦時の質感と遜色ない。

 やむなく魔力を散らしながら答える。


「……これでいいですか、キスケ様」

「駄目だ」


 掌は退()かない。


「お前は()だ。世界の側だ。

 俺を殺す機会を伺っているだろう。深呼吸の一つも満足に出来ない世界なんて、俺は御免だね」


 キスケは、ニレェーが測りかねていた意図を、いとも滑らかに説明してのけた。

 その滑らかさは、皮肉にも、彼がここまでしてきたような、媚びへつらったところ、他人への配慮という虚飾を取り払った、偽りなしの本音を語っているからこそだと、直観的に分かる。

 思えば家に招いた時の無害そうな素振りからは、いかにも周りに適応しようという努力が見られた。それが好ましくて、クヌゥーと共に、彼を客人として遇したのだが、その名残りが今は欠片もない。


「では、私をどうしようというのですか」


 内心を見透かしたように、キスケは眉間に皺を寄せ、その表情に怒気を孕ませた。


「へつらい、(おもね)る相手をしか、お前は認めないだろう。

 失せろよ。一足早く仲間を迎えて来たっていいぜ、どうせ増援は来るんだろう?」


(なんと拗ねた考え方か……!)


 ニレェーはそれで、キスケが子どもであることを実感する。

 見かけ以上に、ずっと幼い。


 保護をせねばという本能と、世界を守らねばという本能、二つが生じ、躊躇いが彼女の動きを止めた。


 数百年を、生まれ(いで)た地より動かぬ樹霊として、深き森に閉ざされて生きる間に、数多の短命種が、彼女の前を通り過ぎていった。

 それが愛おしくて、また、悲しいからこそ、残りの寿命を投げうってまで、亜人化の魔法を使ったのだ。

 しかし、同時に、世界を守り、その調和を保たねばならぬという、捨てたはずの樹霊としての本能もまた、抗いがたい強さを持っている。

 自然、口をついた言葉は、どちらともつかぬものになった。


「……どうしたら、ここにいてもいいと認めてくれるのですか?」

「俺に隷属しろ」


 ぞわり。

 魔力の濃密な気配を察して、咄嗟に足が引きかけるのを、ニレェーは懸命に止めた。


(ベイジ様に聞かされていた通りだとしたら、あれが彼のユニークスキル……?

 人の感情を強制的に動かし、抵抗する者を止め、どうしても止まらなければ壊す(・・)ことで作り換える(・・・・・)


 彼女の推測では、カグナがこの事態にあって尚、キスケに強くは出られていないのも、そのユニークスキルの影響だと考えている。

 表面上を取り繕うことは出来ても、感情までは、自分のものであろうが、そうそう偽れるものではない。隷属というのは、つまり、一度壊されろ(・・・・)という、自我の破壊宣告に等しい。


「そ、外で話すものではないですよ。戦い前に、体が冷えてしまいます。ほら」


 と、ニレェーは腕を広げ、空を見上げることで、雨を殊更に受け止めてキスケにアピールする。

 無防備に晒した喉に、手が掛かった。


「関係ねえなあ?」

「きっ、キスケ!」


 うろたえたカグナが、身じろぎをした。だが、その動きも、掴まれた腕を振り払えるほどの強さではないため、意にも介されていない。


「俺はな? ただ、息をしていたいだけなんだよ。

 どうしてそれが邪魔されるかなあ。

 邪魔すんだったら後は殺し殺されで対等だろう。俺を世界が殺すか、俺が世界をぶっ壊すか、どっちかだ。

 お前はどっちにつく? どっちだ? ニレェー」


 世界か、俺か。

 今、決めろ。


 そう、握る力を強めながら、キスケは迫る。

 どのみち答えさせるつもりがないのは、苦しそうにうめき出したニレェーの様子から見ても明らかだった。


(本当なんだな、キスケ)


 本当に、ニレェーを殺すつもりでいるんだな、と、カグナは気づく。

 出来る・出来ないで語るなら、まともにぶつかっていれば今もニレェーの方が強かったかもしれない。

 でも、今は魔法を使うことさえ出来ない状態で、そして樹霊族の亜人は、決して肉体的な力に恵まれてはいない。

 自分が止めなければ、友達が死んでしまうと、必死になってカグナはキスケの腕を振り払った。

 目が、ニレェーから、カグナの上に、移った。


 物理的に(・・・・)重い(・・)


「だ、駄目だよ、キスケ。そんなことをしている場合じゃ、ない」


 カグナは自らも回復したばかりの魔力を酷使して、質量を練り込み、その重さに抗う。

 足元の地面が加速する重たさで陥没し始めた。


「正気に戻ってくれ!

 ここでニレェーを殺して君に、一体何の意味があるんだ?!

 何が得られるっていうんだ!!

 失うばかりじゃないか!!」

別に(・・)何も(・・)


 物言いに、恐怖が背筋を這い回る。

 幼い頃、父母のどちらからも、また祖父母からも、寝付くまでの間の、おとぎ話として、《白き鼓動の魔王》の恐ろしさは言い聞かされてきた。

 だから、想像したことは何度もあった。魔王とは、どのような人なのだろうか。一体何があって、自らが思い定めて仕えるにまで至った王を殺し、王国の民を皆殺しにしたのだろうか、と。


 キスケの持つ力が、本当に魔王のものであると、初めて彼女は実感していた。


(人を、人と思ってない)


 自分一人居れば、後は他に何も要らない。

 そう考えているのが、態度、言葉の端々から伝わってくる。


(こんな……こんな気持ちを隠して、キスケは私に優しくしてくれていたのか……)


 胸に広がるのは、理解しがたい恐怖と同量か、それ以上の悲しみ。

 あんまりに悲しくて、息が出来なくなりそう(・・・・・・・・・・)だった。


「キスケ、やめて。私も同じだ、ここは寒いよ。中に入ろう? ね?」

「…………」


 振り払われた手と、カグナとを、目の動きだけで見比べて、それからキスケはニレェーを引きずりながら宿に上がりこんでいった。中に逃げ込むようにして矮族襲来への備えを進めていた人々が、慌てて後ずさる。

 陥没した足型の穴から、足を抜くと、溜まっていた水が勢い良く掬い上げられて、掻き出された。

 靴の中にまで水は入り込んでおり、本当に足の芯まで冷えているのをカグナは自覚して、身震いする。

 それで、どんどん宿の奥にまで、一人で勝手に戻っていくキスケの足取りを追うのが、酷く気怠い行為に感じられた。


/*/


 先程までカグナが座っていた司令部の椅子にどかりと腰を据えたキスケは、やっとニレェーの首に掛けた手の力を、息が出来る程度にまで緩めた。今はニレェーも成人女性並みの体格なので、横に彼女を跪かせる格好になっている。


「俺につけってのは、何も悪いことじゃねえよ。いい目は見させるさ。

 何しろ俺は世界を救うからな。付き合いも、そこまででいい」


 掛けろよ、と、カグナに顎で促しながら、キスケは語り出す。


「どのみち、俺は居なくなる。

 すっきりしたもんだろう。別に嫌ってくれてていいぜ、そこは好きにしな」

「キスケ、その……、ニレェーの首から手を離してやってくれないか?」


 伏し目がちに友への許しを願い出る彼女の意向を、彼は無視という形で返した。


「矮族の王を、まずは殺す。次はまだ考えてないが、似たような内容になるんじゃねえかな。

 どうだ、利害は一致しているだろう」

「キスケ、ごめん、私には、無理だ……。この状態で何を話されても、頭に内容が入らない」

「こいつが気になるのか」


 キスケが示して見せた仕草で喉が締まり、ぐ、と呻くニレェー。


「先手を取られたら俺が死にかねないんでね。結論が出るまで、このままだ。

 途中でこいつが死んだら、それはそれでいいんじゃあねえの?」

「そんな訳ないだろう!!

 この五日間だけでも、どれだけ笑いあった間柄だと思ってるんだ、君達は!!!」

「そんなことに、もう、覚えがない(・・・・・)んだよなあ」


 気まずそうにキスケは鼻の頭を掻く。その仕草に悪びれた様子はなく、本心から語っているのが見て取れる。


「さ、さっきのは、また、概念(スキル)を作ったのか?

 それで記憶がなくなったんだよ。キスケ、きっとそうだ」

概念核(スキルコア)っつってたけどな、システムさんは」


 カグナは絶句する。

 帝都まで趣き、黒の皇帝に施してもらうはずの封印であり、普通に生きる人々が概念(スキル)を作り育てるための核としているものこそ、その、概念核だったからである。


(王の、光の一族の力を持ってせねば作れないとされているものが、何故、キスケに……)


 魔王もまた王、ということかと、カグナは緊張に身を固くした。

 だが、彼女が覚えている限りでは、唯一、キスケの状態を判断出来るはずのニレェーは、まだ、そう(・・)であるとは、言っていなかった。言う暇もなかったということは、ないはずだとも、思い返してみる。それらしきアイコンタクトや気配は、確かに出されていない。


「頼むよ。何でもする、だからニレェーを離してくれ……」

「駄目だ」

「……キスケは、私が実力行使に出るとは思っていないんだな」

「出来もしないことを言うのはやめとけって。最初に会った日のこと、忘れた訳じゃないだろ」

「どうしてそんなに急に変わってしまったんだ」


 話題を変えて、揺さぶってみたつもりなのだろう。キスケがそれに乗ることはなく、代わりに片腕で高々と持ち上げられたニレェーの体が、書類を吹っ飛ばして机上に載せられた。体を濡らす水滴があたりに飛び散り、快適に整えられた室内を汚す。


「二度、同じことに答える趣味はない。こいつの気持ちが変わらない限り、このままだ。敵が来たら盾にでも使うか」

「だから、それは変だって!!」

「お前さあ。随分正しいこと(・・・・・)にこだわるのな?」


 キスケの声の、トーンが落ちた。

 が、とニレェーが呻く。明らかに力を込めて首が握り締められている。両手で懸命に引き剥がそうともがいているが、その細指ですら、差し込む隙間もないほどだ。


「あれしろ、これしろ、これが正しい、これは間違ってる……。もう、うんざりなんだよ、世界から指図されるのは。挙句の果てに、息をするな? 許せる訳がねえだろ」

「世界が、それで滅びるとしても、か」

「いいよ」


 パッ、とキスケはニレェーから手を離した。

 すかさず自分の喉を守るように、ニレェーは両手でそこを覆い隠す。

 掌がその側頭部に落ちてきて、机が割れ、床板にニレェーの顔の横半分がめり込む。

 手を蹴り飛ばして、今度は喉を踏みつけた。


俺がいない世界に(・・・・・・・・)興味なんてないって(・・・・・・・・・)

「なんで……なんでそんなに悲しいことを言う!!」


 カグナの胸の中で、心臓がぎゅうっと絞られる痛みが走る。

 悲しみのあまり、胸にじんわりと熱が灯り始めていた。


「他の誰から認められなくっても、家族には愛されたお前(・・・・・・・・・・)には、分からなくってもいいんじゃーねえの? そんなこと」

「キスケ、ねえ、そんなことを言ってる場合じゃないよ」

「だから世界なんてどうだっていいんだって」


 救うと口にした、その舌の根も乾かぬうちに、何度も繰り返される言葉に、彼女は耳を疑う。


「わ……私は? 私も、世界のうちの一人だよ?」

「そうかもな。でも、安心しろよ。そのうち関係なくなるから」

「ベイジや、私の家族は!!」

「そういうとこ、突かれると、ちょっと痛いよなあ」


 しかめつらをするキスケ。


「面倒くせえなあ。諦めっかな」

「は、はあ!?」

「でも世界の思う通りになるのもムカつくよな。ま、どうせ直に戦いだ。負けたら負けたで、そこでケリがつくだろ。どっちでもいいか」

「どうしてそうなる!? なんでそんなに急に投げ出してしまったんだよ、君は!」


 ミシリ、と、壁が鳴った。

 物理的な圧力で、室内が満ちている。

 キスケの殺気が、魔力で形を取らない影として、薄く全体的に広がっている。

 カグナはまたも彼の技に驚かされた。


(影の質量とは、こんな風にも扱えたのか)


「世界を救えなんて無理難題、吹っ掛けられたら、投げもする。

 お前ら(・・・)は馬鹿か? 普通の人間が、そうホイホイと別世界に適応して、責任を持って何かを果たせると、本気で信じてるのか?」


 もはやキスケはカグナを見ていない。どこも見ていない。

 虚ろな目つきで宙を睨み、歯を剥き出しにして怒っている。


「どんだけ人間を信じてるんだよ!!!!

 ふざけるんじゃねえよ!!!!

 こっちは人間なんて欠片も信じらんねえんだよ!!!!

 自分も含めて(・・・・・・)だ!!!!!」

「キスケ、誰もそんなこと言ってないよ。

 世界の誰も、そんなことを君に頼んでない。魔王の話とか、私のこととか、巨族のこととか、急にして悪かったと思っている。君にも心を落ち着かせる時間がきっと必要だったんだ。受け止める時間も与えずに押し付けてすまなかった。だから、もうやめてくれ!」

「時間なんてもん、いつだってない(・・・・・・・)に決まってるだろ」

「どうしてそう何でも自分の中で決めつけてしまうんだ!?」

「さあな。自分の胸に聞いてみたらどうなんだ?」


 皮肉を効かせたつもりの言葉は、けれどもカグナには見当がつかなくて戸惑うばかりとなる。

 キスケは、また深く息を吸うと、ニレェーの喉に体重を掛けるのもお構いなしにしゃがみこんで、足をどけると喉を掴み、その体を持ち上げた。


「無詠唱でも使えるとか考えてんだろうな。分かってるだろ。

 その前に首をねじ切るから無駄だ」

「…………っ」


 掴み上げられたニレェーには、語る彼の背中に、はっきりと影がへばりついて見えていた。

 影は、蠢いており、未だ形を成してはいないが、必要になり次第、すぐにでも腕や足の形を取って、キスケの意のままに動くだろう。


 黒い影を背負いながら笑う姿は、あまりに不気味で。

 既に、魔王とも呼びたくなるほどの不吉を孕んでいる。

 ぎゅう、と、ニレェーは目をつむった。


(ずっと……ずっと、考えても、答えが見つからない。

 どうしたらこの場を切り抜けられるのかも、どうしたら、彼を救えるのかも……)


 再び目を開いた先にあったのは、キスケ越しに見えた、見慣れない人物の姿。

 部屋の扉がいつの間にか開いている。

 ニレェーの目が、はっきりと何かを捉えていることに気づいた二人の視線も、そこに集まる。

 注目が集まったことに気がついて、彼女は気まずそうに口を開いた。


「あー……。お取り込み中、悪いんだけれども、そこで女の子をいじめている貴方が新人くん、で、いいのかな?」

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