30.アマイモン
「キスケ…どこへ?」
頭冷やしてくるだけさ、と、カグナの頭を撫でてから、俺は部屋を立ち去った。
去り際、強がりにでも、笑えていただろうか。
踏みしめる床板、廊下を抜けて、人の行き交うロビーを、手を挙げて笑いながら通り抜ける。
人の顔が見えない。頭の中が歪んで認識できない。誰と目を合わせることもない。ただ玄関だけを見つめて、平気なふりをして、俺は外へ出た。
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左足を引きずり、空を見上げる。
呼吸が浅い。胸が苦しい。ずぶ濡れのまま、それでもどこかへは行こうと、進んでいた。
乱反射しそうになる思考と感情の合わせ鏡の中から、呼吸と、心臓の脈拍だけに、意識を合わせようとして、口元が歪む。
(呼吸も自由に出来やしねえ)
訳もなく、走り出したくなった。
林のあった方へ行き、思いっきり深呼吸をして、見つけた敵をぶん殴れるだけぶん殴ってきたい。
曲がってしまった剣を拾って帰ろう。荷物もだ。せっかく料理を褒められたのに、料理道具は投げ出したままだ。この雨に野ざらしで置いたら、一晩で錆びてしまう。
ハースの庁舎で、一式の旅荷物を受け取った時の感慨が蘇る。
くそ。どうしてだ。どうしてこう、当たり前のように受け取って、失くしてから気づくんだ!
誰かいないか、あたりを見回す。
誰でもいい。話がしたかった。しかし何を?
駆け戻ってカグナの胸に顔を埋め、震えたい。
寒い。雨がひどく寒い。
こう寒くちゃ、呼吸が浅くなって、息もろくに吸えやしない。
雨音しか聞こえない。足の骨が熱を帯びていてうずく。
落ち着け。俺は冷静だ、冷静になれる。
張り付いて鬱陶しい前髪を払い上げ、いつもとは違う髪型になる。
誰か、誰か、誰か。誰でもいい、いてくれ。
自信がないんだ。
何の記憶もない。自分が何を成した人間で、何者なのか、自信がない。
事実だけが記憶の中に羅列されてくる。
カグナと出会い、壊した。ベイジさんと出会い、約束した。ニレェーとクヌゥーと出会い、話を聞いた。ヤースさんに見てもらい、スキルを知った。旅に出て敵を見つけた。
自分が何をするべき存在かを知った。
そこで俺は何をしてきた?
何も。何もしちゃいない。
漫然と生きて、漫然と選んだ。
違う、痛みが確かにある。
不可避に壊した。不可避に戦った。不可避に逃げた。
痛みしかない。喜びがない。
ただ与えられた食事を摂り、笑えていなかった。
俺は誰だ?
喜びを貪る者じゃないのか?
無理矢理に口元を笑わせた。
「ハ、ハ、ハ」
最初に意識を取り戻した時、自分を誰と思っただろう。
聖書になぞらえれば聖人? 魔人にゃ、とんだ皮肉だな。
切れ切れにでも、笑う。
自由はどこだ。どこに遊びがある。
遊ぶ中身を自分で見つけろ?
見つけられない奴もいる。
それでも。
「ハハハハハ」
歯を食いしばり、その隙間から笑い声を挙げる。
息をするだけで心地よかったはずだ。世界を貪る魔王の力だ。
その俺に、世界を救え? いいさ、こんな世界、どうせよくも見知ったわけじゃないだろう。ファーストステージをクリアしたら、適当な報酬を選んでおさらばしよう。それでおしまいだ。
全部は選べない。何を持って帰ろうか。
カグナがいてくれると楽かもしれないな。学校でも格好がつく。そうしたらあいつらも少しは見直してくれるだろう。
鼓動の力をそのまま持って帰ってもいい。魔力のない世界でも力は働くのか?
口を大きく開き、鼻や口に雨粒が飛び込むのも構わず、笑う。
「ははははははは…!」
思い出が何もない。
こっちでも、あっちでも。
俺には何も掴めない。
チャンスがあっても、何も。
「はははははははははははははは!!!」
目が、笑う。
ダン!!!
左足を踏みしめた。骨の亀裂が明らかに広がり、激痛が走る。雨粒とは違う質感が、自分の肌に浮いてきたのが分かった。
貪ることを怠っていた。
痛みも、喜びも、全て。
踵を返して宿に戻る。
/* Open True Time */
もしも全てやり直せるとしたら、お前はどうしたい?
……僕は一体、どうしたい。
どうしたかったんだろう。ゲームの世界に行くことで。
認められたかった?
クリア報酬を手に入れて、僕も、皆と同じになりたかった。
同じって、なんだろうか。
笑いたかった。喜びたかった。
生きているだけで幸せになりたかった。
お前はどうなんだ。
今、幸せか?
僕よりも、幸せか?
なんでそんなに苦しそうなんだよ。
どうしてどこへ行っても辛いんだ?
僕が、僕だからいけないのか?
僕じゃなくても、僕から生まれたら、もう、駄目なのか?
記憶さえ失っても駄目なのか。じゃあ、どうしたら良かったんだ。
お前はどうするつもりなんだよ。
キスケ。
キスケ・アマイモン。
/* Error */
システムメッセージ:
変速時間への切替時に、人格の再同期認証に関する不具合が生じました。アウターインテリジェンス「キスケ・アマイモン」との接続が一時的に失われ、以降、不適合人格として処理されます。
外部人格の喪失に伴う強い衝撃症状をご自覚の方、またはカウンセリングをご希望の方は、ただちにXXXまでご連絡ください。
そろそろ仕事してなかったタグが働きます。