29.ファイナルステージ開示
雨垂れの音が疲れきった脳に重たい。窓の外を覗くと、曇天に遮られ、そろそろ見慣れてきた白い夜空が全く面影を残していなかった。深夜だというのに、ひっきりなしに人が雨垂れの音を割り、移動する足音、魔法の気配、そんなものにばかり、窓の外の世界は彩られていた。
目線を室内にやる。
明かりに照らし出されながら、紙面に書き付けを起こしているカグナは、もう片方の手で、ならぬ、もう幾つかの手で、同じく書き付けを整理したり、食事を摂り進めている。多分、耳目も幾つか同時に働かせているはずだ。
ここに転がり込んできた時は煤けていた髪も、今は艶めきを取り戻して、丁度夜雨の如くに静かな群青色をしている。
その隣では、普段よりも見かけの成長をしてしまっているニレェーが、袖を通したばかりの衣に未だ違和感を覚えているようで、二十代後半くらいの容姿のまま、しきりと襟ぐりのあたりを気にしていた。
魔力を使いすぎて、カグナが影を出す力を一時的に切らしたように、樹霊族系の亜人は、魔力切れを起こすと一時的に育つのだそうだ。部屋に入った途端、にょきにょき手足が伸びて服が破れ始めたから、凄まじくびっくりしながら逃げ惑ったよ、俺は。
ニレェーに限らず、火勢の強い中を激しく動き回っていたせいでボロボロの格好に成り果てていた俺達は、調達したばかりの着替えに身を包み、装いを新たにしている。
食い続けているカグナほどの量ではないが、俺の手にもスープの注がれたマグが握られており、野菜と塩だけの滋味深い旨みが心身をほぐしていた、
宿屋には、建物全体に強めの再現魔法が掛けられている。暖気と共に、緩やかな魔力の脈動が体に染み込んで優しい。
あれから這う這うの体で近場の村に逃げ込んだ俺達は、伝令をハースや近くの街に飛ばし、ただちにその場で戦力の編成に取り掛かった。
驚くべきことに、戦えないという職業の人は、ほとんどおらず、俺にしてみれば想定外の人数がすぐにかき集められる。マジで修羅の巷だったか、この世界は。
俺達は、そのまま、司令部と化した村一番の宿屋の一室に間借りして、善後策を打ち合わせているのだった。
「王種発生時には、通例であれば近隣の諸王が合同で事に当たるんだがな……」
カグナは渋面を作り、スープを掬う手を止めた。ボウルに浮かぶ野菜屑は、乱切りにされており、止まったスプーンの上からゴロゴロと容易く零れ落ちていく。
ニレェーが言葉の後を引き継いだ。
「帝国が現れてからは、協調が取りにくくなっていますからねー……」
「そうなのか」
こちらは、臨戦態勢のままなのか、髪に生えた葉が茂っており、緑の葉を髪そのものの代わりとする、妖精のようにも見える。胸や尻などの印象的な特徴こそ乏しいが、いきなり年上になられて結構動揺していますよ、俺は。
余談はさておき、イメージ的には、最高戦力=王とはいっても、さすがに戦場にまでは出てこないだろうという印象があったので、ごまかしついでにニレェーに聞いてみた。
「いえ、王こそは戦場の先駆けですよ。というより、あまりに王が強すぎて、それ以外では、そうそう国同士の決着などつかないのです」
「国力の違い…動員数や、兵站の維持、拠点の攻防とかは?」
「ない訳ではありませんが、王が行けば必ずひっくり返りますから」
古代か!
古代というよりもう、神代の世界か、ここは!
強さの基準が無茶苦茶じゃないですか、もー。
推察するに、あまりに個人個人の力量差が巨大すぎて、戦争の段階がまだ進んでいないようだ。しかし、ということは、王子であるカグナを降した奴らがすぐ近くにいるというのは…
「ええ、ここも一瞬で焼かれる可能性があります」
「シーソーゲームすぎるぜ」
頭を抱えた。
大概のゲームは、現代の常識や歴史に則って、プレイヤー一人の力量で状況が一変するゲームデザインにはなっていない。RPGでさえ、仲間が集まって初めて歴史を変えられるだけの戦力に育つ。
ただ生まれてくるだけで近隣諸国のパワーバランスを崩すなんて生き物を前提に、どうやって社会体制を整えりゃあいいんだよ。
ステージクリアの条件に達していないのも気になっている。
歴史を変えること、それがゲームとして提示された条件だが、今回、まだ、システム:物ノ名イミ子はあの顔のない顔を俺の前に出してきていない。まさかファーストステージの段階でアレを倒せってんじゃないだろうな。そもそも何個ステージがあるんだ。
思案というより途方に暮れかける自分に気づけたのは、じっとニレェーから見つめられていたからだ。
「……《鼓動》の力、もう、使ってはいけないのですよ」
薄緑色の虹彩が、お姉さんめいていた。
真っ直ぐにこちらの瞳を射抜いてやまない、まなざしの相変わらずの厳しさに混じっているのは、俺に対する、混じりけなしの心配だ。頭身の上がったことで、純真そうだったどんぐりまなこの印象が、理知的で抑制の効いたものに変わっている。
「軽率に約束は出来ねえな」
「その時は、私がキスケ様を止めるとしてもですか?」
「生きるためだったら何だって支払うねえ、俺は」
ポーズを変え、頬杖をつきながら、歯を剥き出しにして笑ってみせる。
俺が死ぬならまだいい。おおゲーマーよ、何たるざまだ、しかし救いの慈悲はない、残念だった。これで済む。
こいつらが死ぬのが気にいらない。
俺より強いはずのこいつらや、俺より弱いはずのハースの街のムンタくん達やら、俺とどっこいどっこいかもしれないピエールくんやら、そういう、強さだけで区切って語るなら、命の優劣付きそうな面子を、だ。
優先順位付けて効率良く死なせるのが俺はすこぶる気にいらない。
ゲーマー気取り、軍事的正解、効率的プレイスタイル。そういう正しさ、今、要らねえなあ。
「力を使って変調をきたした自覚もないし、今んとこは無闇に使う代物でもないってだけで、いざとなったら使うと思うよ、俺は」
「キスケ様はまだ無力です」
「足も折れてるしな」
だが、治りつつある。
力を使いまくったおかげか、それとも天然でこの世界の自己治癒能力が高すぎるのか、固定してある左足の脛は、刻一刻と感覚がつながっていっている。
「万全だとしても、キスケ様は無力です」
繰り返すようにニレェーが念を押してきた。言いたいことが伝わっていないもどかしさから、微かに眉が苛立ちで堅くなっている。
「戦い方は確かに知らねえよ。戦いで役に立つつもりはない」
「キスケ様」
憤りが胸につまったのか、ニレェーがとうとう俺の名前だけを呼びつけた。
「自衛だけに使えばいいだろう?」
「この世界には、キスケ様の命よりも大事なことがあります。キスケ様はそれを分かっていません」
「慮るなよ。敵を殺して敵より厄介なものが生まれたら本末顛倒だってんだろう」
「違います、違う。……人間王がどうして異世界の人間を管轄としているのか、とてもよく分かったのですよ」
ぼそりと、諦めを込めて呟かれた。
言葉の通じない相手に、これ以上、話しても無駄だという、宣言のようなものだ。
テーブルを拳で叩く。まではいかないが、殊更に大きな音を立て、手に持っていたマグを置いた。
ニレェーがじれて話を横に振る。
「カグナ様は、どうして黙っているのですか?
キスケ様だからですか? それとも、監視は私の役目だからですか?」
「休めよ、二人とも」
カグナは取り合おうとしない。流れを打ち切ろうとしてくる。
「今は目の前のことに集中しろ。私は食べる。キスケは傷を癒やす。ニレェーは休む。
ニレェー、やりたいなら何も言わずにキスケを止めればいい。君にはその権限があるし、力もあるだろう。
キスケもだ。後でニレェーが何のことを言っているか、ちゃんと私から話すから、そう神経を尖らせないでくれ」
「…………」
「…………」
俺とニレェーは互いを見ようとせず、また、こちらを見ようともしていないカグナの、机上の紙面に目を通している様を見て、口をつぐんだ。
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夜が更けていく。
放たれている斥候からも、伝令からも、続報はない。
雨音は、降り止むことなく、耳を打ち続けていた。
ニレェーは別室で床に就いた。
俺とカグナは、相変わらずの場所にいて、お互いに会話もない。
俺はというと、深呼吸だけは控えているが、意識を内側に向けるので忙しかった。
(動くだけなら、もう出来る。
今の俺が本気で走ってどこまでの力が出るか……ま、そこは本題じゃないわな)
(ニレェーは、どうも外見に意識が引っ張られていたように思える。
いや、逆なのか?
今の姿の方が幼くて、普段の方が、よっぽど大人にも感じられたが……)
(たまたま流れに乗って、対等のようにカグナやニレェーに混じってここにいるが、俺は別に軍事屋じゃねえだろ。何が出来るとも思えんが、それでも二人のそばにはいたい、ってのは、単なる甘えなのか?)
(《鼓動》は、確かに絶大な効果があった。それでも、あの炎の渦の中にいた奴に、抵抗すら出来るイメージがねえ。猿人とは、今後次第でやり合える気がしたんだが)
(矮族、矮族、矮族……。
増える増えるとは言うものの、ねずみ算式でも、あれから数時間だぜ。
いや、数時間も、なのか。くそ、知識がないってのはしんどいな、何考えても空回りする)
(俺に出来ること……)
幾つかの道筋を、散漫に思考が辿っていって、最後に行き着いたのは、そこだ。
結局、歴史を変えろと言われていて、これがゲームである以上、何らかの手段があるはずなんだ。
俺が何かをしなくちゃ、状況が変わらない。
だから、俺は、前線には居なくてもいいが、状況から退くことは出来ん。
ヤースさんに居て欲しい。頭の中を整理したい。今、俺の状態がどうなっているか、鑑定して欲しい。
ベイジさんに居て欲しい。居てくれるだけでいい、あの存在感と雰囲気で、場を整えて欲しい。
無力、無力か……。
くそ、無力じゃないはずとクリア条件に言われていて、自分でも無力だと自覚している時に、そう連呼してくれるなよな……。
「キスケ」
「ん」
カグナの手が止まった。生身の手だけではなく、全ての手が止まっている。ペンも紙も、机上に置かれていた。
物思いから面を上げた時、丁度目が合う。その瞳には、逡巡が宿っていた。
「キスケは、多分、この世界ではあまりに自明すぎて、確かめるまでもないことを、知らないでいる」
「何をだ? 回りくどいのは嫌だぜ」
「……巨族のことだ」
巨。矮族に対して、巨、か。
王種のことか?
「ニレェーが言っている、誰の命よりも大事なことというのは、巨族のことだ」
「矮族と何か関係があるのか?」
「回りくどいのが嫌だと、言ったな。だから、教える」
見つめ合う先の瞳が、覚悟に固まった。
「巨族は、世界の災厄で、数百年に一度、天から降ってくる。周期的には、もうすぐと予測されている。
矮族は巨族から生まれる。関係と言えば、それだけだ」
「それが一大事だから、だとして、俺にどうしろと? ニレェーはどうして欲しいと言いたかったんだ?」
「魔王の出現は王を減らす。今、王が減れば、それが帝国の支配下にある王であれ、それ以外の王であれ、巨族に対抗する力を大きく削ぐことになる」
「だから、どういうことなんだよ」
顰め面をして結論を催促する。
結論から言やあ、聞かなきゃ良かったと思った。
「巨族に世界が滅ぼされる。だから、魔王につながる力は禁忌なんだよ」
「……巨族は、王種よりも強いのか?」
「比較にならない。昔からの伝承にある。常に同じ文句で語られている。
巨族は、『世界の半分』なのだと」
は?
ちょ、ちょっと待て。
歴史を変えることがゲームクリアの条件で、世界を滅ぼしうる存在が、巨族で。
あれより?
あれより桁違いに強い?
「キスケ。いいか、王は、あくまで『地上で最も強い』存在だ。
天にあっては、誉れある光の一族の一柱と等しいに過ぎない。
それも、最下級の強さと言っていいだろう」
「巨族を倒すのに、その、光の一族の力は借りられないのか?」
「光の一族は、そのためだけに気の遠くなる歳月を費やして、戦いに備え続けている。
あくまで地上の戦力である我々は、末端に過ぎないんだよ」
「そ……」
ちょっと待てよ。
「それでも、一人二人、王が欠けただけで、世界が滅んじまうのか?」
「むしろ事実を知っている私や他の王族は、皆こう思っているぞ」
──何故、まだ、世界が滅ばずに、巨族を倒せているのかが、分からない。
「…………」
何だよそりゃあ。
インフレも甚だしすぎるだろ。
ひょっとして、そういうことか?
毎回、俺みたいな誰かが、歴史を変えたから、勝ててるってことか?
カグナは、自身すら、勝利に全く自信がないことを、きっと、口にだけはするまいと思っていたのかもしれない。
それを口にしてしまった。
その目線が俺から外れて、床に落ちる。
焦茶色の木の床だ。何の変哲もない。
俺が見てきた中でも、この世界で本当に標準的な程度だと思う。
こんなもん、ってことか。
俺も、カグナも、ニレェーも。
その災厄の前では、等しく無力で、この床みたいなもんだって。
そういうことか。
くそ。
こういう時にこそ、折れちゃいけねえのに。
俺にだけは内心の不安を打ち明けてくれたカグナを、支えてやりたいのに。
笑えねえよ。なんだよそれ。
どこかのステージで満足してクリア報酬持って帰ったら、後のことは知りませんよ、さよならバイバイって、そんなこと、出来るわけねーだろ!!
『始まる前に、終わるのが、もっとも正しい、終わりだから、です。』
ゲーム開始前のハコの言葉と、最後に見えた、歪な口元の意味が、やっと分かった気がした。
このゲーム、クソゲーだ。




