28.撤退
「起きろ、起きろ起きろ起きろ起きろ起きろーーーーっ!!!」
何かが奪われた、甘い余韻と浮遊感に呆けていると、額をノックする痛みに意識が覚醒する。
キスケの顔があった。鼻の先が、触れ合っている。
思わずそっと目を閉じ、顎を上向きに傾けて唇を差し出した。
「カグナ様、寝ちゃ駄目ですーーー!」
痛っ。誰だ、この声はニレェーか?
足を蹴るな!
ん……キスケの顔が真正面にあるのに、ニレェーもすぐそばにいるのか?
どういう状況なんだ?
魔力を練り、目を閉じたまま影で周囲の視界を確保しようとする。
……出来ない。ない。ごっそりと、魔力が抜け落ちている。
そもそも、溜めておいたはずの影すら、目、一つ分を呼び出すほどの魔力もないというのは、おかしい。
影自体も、ガクンと減っている。
仕方なく薄目を開けた。
「ふんッ!」
「あがっ!?」
キスケから、頭突きを貰った。
い…痛い? 頭突きでか?
キスケの筋力が相当上がっていることを実感する。いや、そもそも、私の腰はキスケに片腕で抱きしめられている。その感触がある。自重を制御出来ない状態の私を抱え上げるだけで、かなりなものだ。
そして、今、周りは……
「空かっ!!」
「そろそろ落下だよっ、着地準備ヨロシク!!!」
眼下では、燃え落ちる林と、林を中心に延焼が広がっている草原が、拳ほどの大きさになっていた。耳元には轟々と風切り音が響いている。
信じられないことに、キスケは私とニレェーを抱いたまま、地上が遠く見えるほどの高度まで跳躍したようだった。
「キスケが着地するのでは駄目なのか?!」
「駄目、よく見ろ俺の足!」
あ、片方折れ曲がってる。
……。
浮遊感が、静止に変わる。
「どうしよう、キスケ」
「何が! ほら、影の足で着地! 頼むよ!」
「私、魔力切れしてるみたい」
落下が始まった。
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重力は、俺に対して害意がある。あってもいいと思う。むしろ害意を持て、持ってくれ!
現実逃避に1秒掛かった。即座に深呼吸を開始する。
「ほ、補助します!」
ニレェーが腕の中で魔力を練り出した。あちこち煤けたその緑髪から葉が伸び、俺の体に巻き付いていく。が、何をどう補助されているのかが分からない。ひょっとして、もう発動している系ではなく、最後に発動する系なのか。待て、お互いの意思疎通が大事だと思うの、見当違いのところを補助してたら死ぬよこれ!
「矮族達が……」
カグナが下を見ながら呟いた。
目をやると、炎の華が、地上に咲いている。
放物線の軌道的に、あそこからどんどん遠ざかりはしているが、所詮は大ジャンプ一発。とてもじゃないが、安全な距離を取り切れた気がしない。
どうしよう、どうする。時間とか空間とか、俺に害意を持たないか。ほら、世界、俺のこと憎いだろう、物理法則なんて捨てて掛かってこいよ!
深呼吸しながらの現実逃避は、まだ建設的だった。吸い込みが終わらない。終わらないうちに着地というか、着弾しそうだ。落下速度はいよいよ加速していて、考えがまとまるよりも早く事態が終わりそうだ。ちくしょう、空気がやけにうまい。
炎の華は、さながら地上に刻印された魔の象徴か。どんどん巨大に見えていき、どんどん視界から見切れていく。
やるしかねえなあ、これ!
「カグナ、確影のコツは!」
「自分を増やせ! い、いや、出来るのか…?」
「出来なきゃ死ぬでしょうが!」
集中、するには時間がない。
増やす、増やす…自分を?
本当は、そんなファンタジーな感覚持ち合わせてねえよ、と答えたい自分もいたんだが、言ってる意味が、なぜだか分からなくもなかった。
足だ。折れてる足に、無事な足のイメージを重ねる。
体の芯が熱く疼く。そこに、ニレェーの気配がそっと絡みついてきた。驚くほどイメージが鮮明になる。
もう出来るかどうか考える時間もない。必要もない。
ちゃ、く、ちぃぃいぃぃーーーー!!!
ゴソッと、吸い上げた分の魔力が失せる。衝撃。
足だけじゃなく、当然全身に衝撃が走って、そして、肩が外れた。腰も抜ける。姿勢が保てない。
でぇも、ここで踏ん張るのが、
「男の子ってもんでしょがーーーーーッ!!!!」
「おおー」
「キスケ、やったな!」
へ、へへ…。
「王種の動く気配がします、すぐにでも近隣の村に知らせないと」
林のあった方を振り返ったニレェーが、余韻に浸る間も無く告げてきた。
「歩くだけなら出来るな、カグナ!」
「走っても見せるよ。けど…」
「なら肩貸せ! まだ終わってねえ!」
これがただゲームの顔見せイベントなら、逃げておしまい、力を蓄えて然るべき時に挑戦だ。でも、俺はそれを認めない。
「被害を抑えて、迎撃の準備だ!
俺らが勝てなかろうが、誰かが勝ちゃあ勝ちなんだよ!」
そうともよ。
主人公ムーブで大将首取るより、俺の選ぶ勝利はそこにある。
だから今は、撤退だ!




