24.概念形成
そう……旅立ってから、遠目のシルエットだけ人間に似た物体が俺の視界に入るまでには、結構な時間があったはずだ。
「矮族です」
確かハースを発ってから五日目の今日、ニレェーが不意に立ち止まり、真顔になった。
それでカグナが上空に飛び、魔力が横で膨れ上がり、俺は剣を半自動的に抜き放った。
いつのまに、とか、どこに、とか、そういう疑問は抱かない。
どんなに談笑が弾んでいようとも、敵を見つけたら報告し、報告を受けたら疑問を投げ捨てて構える。
五日間、それだけを考えてきた。
初めての野営で緊張しながら身を寄せ合っていた時も、
土砂降りの雨に悪態をつきながら隠れた木陰が、ニレェーの魔法で葉を寄せ、傘に変わったのに驚いた時も、
俺ってば意外に料理が出来るじゃん、と、二人に注目される中、うろ覚えの地球レシピを再現した時も、
用を足しに場を離れた後、冗談めかしてカグナを呼んだら影で返事されたため、すこぶる怒った時も、
毎日、剣の握り方と、立ち方だけをじっと仕込まれていた時も、
どんな時も、それだけは忘れずにいた。
そうだったように記憶している。
何故だろう。
どうしてなんだろう。
ベイジさんの望む通り、ハースに滞在していた頃と変わらない、新鮮な驚きを、今度は二人と共有し続けて、関係を深めていったはずなのに。
戦闘が始まってから、どこかのタイミングで、全てが圧縮されて、小さな点のように卑小化されてしまった。
[いた。林だ]
「木々の中なら独壇場です、お任せを」
「俺は自衛に専念か?」
[自衛すら不要だ。私がいる]
短い会話が走り、ニレェーが小さな歩幅で林に走り、最後に俺だけが、立ち止まった。
その光景は忘れない。
その光景だけが、俺の五日間を、この半月間を、ただ一撃で断ち割って元通りには出来なくした。
「た、助け……」
林の中から、まろび出てきた人影が、すぐ後ろから伸びた手に引きずり込まれ、かじり取られていく。
距離的に、助けを求める声が俺の耳に入ったかどうか、本当はかなり怪しかった。
だから、もう少し客観的に事実へと圧縮していくと、俺の見た光景は、こうだ。
いびつな人型の複合獣が、本来は草食だろう長い長い馬の口を開いて、人間を食い取った。
幾つもの口が人間の形を穴だらけにして、どこにもいないようなものに変えて、最後には、どこにもいなかったことにした。
「 」
頭の中から言葉が消えた。考えたり、反応したりしたことを、自分自身が理解する余地が、消し飛んだ。
再起動が掛かる。無数に湧き出た思考を選り分け、必要な点だけを、思考が直線に結んで描き直す。
討伐は?
何週間も掛けたはずだ、そう聞いている。
ほんの五日の距離、範囲内だったはずだ。
食われたのは一人か?
あれは誰だったんだ?
一体どんな人だったんだ。
思考の切れ端同士が閃いて、目の前の光景と結合して、結局全部、思考を投げ捨てて、刹那で単純至極な結論が俺の口元にひねり出される。
俺は、笑った。
やっとわかりやすい展開になったじゃねえか。
剣を握りしめた手が、我知らず、何にか、震えた。
だが、続く現象が俺を凍らせる。
==【固有概念:魔人】==
……発動した? やっと?
しかし、どうやって。何が条件だ。
林の中から湧き出してきた異形の獣たちは、俺の上に視線を定めることなく、すぐに背中を向けて、奥に突っ込んでいったカグナとニレェーを追うかのように、もと来た方へと戻っていった。
「は……?」
ヘイト管理か?
ターゲッティングされなかった、ってことなのか。
脅威度は比較にならんもんな、無理もねえ、と、気を取り直して、無防備になっているであろう背後からの奇襲を仕掛けるために、慎重に後を追いかける。
身を隠すものはない。いつ敵が反転して猛ダッシュしてきても大丈夫なように、目を配りながら進んでいるだけだ。それ以上の技術は、俺にはない。
[―――キスケっ、来るな!!!!]
俺の周囲を漂わせていたのだろう、影の口が俺の耳元で叫ぶのと、無数の空間の歪みを感じるのでは、かろうじてカグナの方が早かった。
爆圧。だが、木々の間を吹き抜けるうちに分散され、さらにニレェーの気配が絡んで、完全に俺の直前でそよ風すらシャットアウトされる。さすが。どちらもさすがだ。
「魔法……敵は敵国かぁ、カグナーーーっ!!!」
声を張り上げ、あえて確かめる。
カグナの武名は、敵が人間ならば通用する。しかし、矮族が人間を食っている現場で、自衛にしては過剰な規模の魔法。俺の想像も可能性が低いことは承知の上だ。
[もっとまずい]
「王種です、来ないで――ください!」
王種。カグナが俺を見つけた時に叫んでいた単語。
矮族の王。
理解が状況に追いつかない。おいおい、なんだよ、俺を置いて勝手に話を進めるんじゃねえよ。
二人とも、あんまり先を行き過ぎて、姿さえ見えないじゃねえか。
「!」
爆圧の余波で押し戻されてきた、その馬の頭をした生き物が、間近にまで転がっていたことに、遅まきながら気づく。油断だ。顔をこうして至近で確認すると、鱗がぎっしり生えていて、およそまともな生物の構造には思えない。
だが、その生き物は、俺の存在をまるでなかったことのように林の奥へと向かおうとする。
違う。
視線が一度だけ、俺と交錯した。
樹でも見ているような目つき……では、ない。
取るに足りないものを見る目つき、でもない。
何かを促すかのように、そいつは嘶いて見せ、走り去った。
「……は?」
声が裏返った。
嘶きを噛みしめる。
威嚇か? 違う。
あれは、喜びだ。
喜んだ? 何に?
[下がれ!!!]
「下がって、キスケ様!」
指示に、体だけは自動的に従う。
バックステップ。いや、駄目だ。
背中が樹につっかえた。尻もちをつく。
意識がまともに働いていない。
恐怖でか?
物音。
横を見ると、馬面が立っている。
ああ……。樹上から落ちてきたのか。
尻尾が太い。爬虫類の尾は、亜人化して特徴を薄れさせたジェーナさん達にも、確かほとんどなかったはずだ。こいつの尾は、三本目の足みたいに、地面について、体を支えている。
手が伸びてきた。腕は猿のように毛深く、指の本数は人より少ない。
手?
何のために?
[キスケーーーーーっ!!!!]
衝撃が俺の体から爆ぜる。
その爆発は、俺の身を害することなく、横の矮族だけを吹っ飛ばした。
カグナの影だ。あいつ、本当に俺のこと守りすぎだろ。マジで鎧になってやがった。
普通、なるなら盾だろ。形容詞で鎧になるって聞いたことなかったぞ。
思考が現実から逃げかける。
いや。
いやいやいや。
逃げない。
矮族の手は、何をしようとしていた?
俺を、殺そうと? 違う。
引き起こし、助けようと。
あ、分かった。
俺、怒ってる。
「下がる、すまん」
今度は打って変わって、自分のものとは思えない、低い声が出た。
手放しかけていた剣を握り直す。
矮族が攻撃を受けたことに怒りの嘶きを挙げ、それに反応した何体かが嘶きの連鎖を重ねていく。
そこで、やっと、血の煮え立つ感触がやってきた。
==【固有概念:歓喜】==
こちらへ走り出していた矮族達の足が止まる。
笑い出した俺の口元は止まらない。
「ははははははは……」
ようやっと、敵扱いか。
攻撃されたと感じて、やっとか。
じゃあ、つまり、俺は自分のユニークスキルに、こいつらの仲間扱いさせられたってわけだな?
==【概念を形成します:剣術】==
カチリ、と意識の焦点が結ばれた。
/*/
この後、まるで俺の体は、剣を振るうことを当然の技能であるかのように振る舞い続けた。
代わりに、これまでの半月間の詳細が、直近に及ぶほど、深くは思い出せなくなっていた。
まるで思い描くことを拒まれたみたいな感触すら、している。
あれからすぐに林の外まで下がったが、最初に増援を呼んだらしい嘶きのおかげで、また、今も俺が死体を量産しているおかげで、後から後から湧いてきやがる。
[キスケ、いいか、矮族は何もかもを喰らい、好き放題に分裂して増える]
「おう」
[だから、一匹も撃ち漏らすわけにはいかない。すまないが、そこで戦えるだけ戦ってくれ]
「おう」
[私とニレェーは……ここで王種を食い止める。奴が生きている限り、その眷族は魔法を使う]
「倒せるのか?」
[…………]
「逃げて援軍呼ぶわけにはいかねえか」
[出来ない]
「OK。分かった。じゃあ、俺が増援になる」
[ま、待て! キスケは魔法には無防備だろう!]
「奴らも俺には無防備になる。先手を取れば勝てる」
[無茶だ!]
「外に出てくる奴らをあらかた狩り倒せば、そっち行ける。ああいい、今から向かう。いくら増えるっつっても、1分1秒じゃ増えらんねえだろ」
[やめろ! 君には無理だ!]
「諦めろもう向かってる見えてんだろ。見えてねえか。……そっか、それほど必死か」
歩き出しながら、ただの鉄の剣を握りしめる。
ただの鉄の剣でいい。
なんだったら鉄パイプでもいい。
それもなけりゃ拳でいい。
また、俺に人生を消費させたな。
こういうゲームか。何かを得るために、何かを支払うってのは道理だが。
こういう支払い方をさせるゲームってわけだな。
何のために遊んでるんだよ。
何が面白くて遊べるんだよ。
ああ??
クリア報酬か。そんなものが、そんなに大事かよ、ああ!!?
「カグナ。逃げんな。お前のことは手放さん」
[逃げ……何を言っているんだ君は!]
「そこにいろってこった」
ムカつくゲームシステムの代わりにぶん殴られる不幸な奴を、そっちに見つけに行くからよ。