2.魔人の始まり
2018-03-27:差し替え。
2020-03-09:旧版差し戻し。
街灯りを目指して、腰丈ほどもある緑の海原をかき分け、歩みながらも、記憶は徐々に蘇る。
確かめたいはずの、肝心要の箇所だけを、どうにも外している感じがして気持ちが悪かった。
/*【OTT】*/
窓の中、白い髪の女性が表示されている。佇んでいるようでもあり、浮かんでいるようでもある。その装いは柔らかな光沢を帯びており、色調は、その髪よりも存在感の確かな濃い白。簡素な作りの貫頭衣は、風を身の内に含みでもしているのか、ふわり、ふわり、肢体の輪郭をかき消すように、重力で垂れ下がりもせず、首から下を余すところなく覆いながら、微かに膨らんでいた。
女性は、幾つかの問いをそれぞれ1つずつの小窓に分けて、投げかけてくる。どうやら、こちらの回答を待っているらしい。
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『遊びたいですか? 生きたいですか?』
→遊びたい。ここへは、ゲームしに来たんだよ。
『死にたいですか? 生きたいですか?』
→生きたい。普通、死にたい奴いるか?
『愛したいですか? 生きたいですか?』
→愛したい。折角だから、何かを好きになりたい。
『痛くないですか? 生きたいですか?』
→生きたい。痛くなければ覚えませぬ。痛くないと生きたいの二択ってそもそもおかしくない?
『会いたいですか? 生きたいですか?』
→生きたい。ゲームの世界で生きたいからゲームやってるんだよ。
『心は震えますか? 生きていますか?』
→なんだこれ? 新作を遊ぶ前の興奮で震えていることにしよう。
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《S.Y.N》
今度は入れ替わりに男性の声。だが姿はなく、更新された窓にメッセージだけが表示された。
《夢見る心臓は求めます。口上と共に、名乗りなさい》
俺か私か、私か俺か。ここは一つ、俺にしよう。
「俺は……
「自称、どこにでもいる、ただのガキ。
「どれほど非凡であろうとも、
「どれほど平凡であろうとも、
「ついぞ世界に名を知られたことのない、所詮はその程度の、ただのガキ!
「これから知られる俺の名を、これから名乗る、俺の名を、だから、きっとよく覚えておきやがれ!
「我と我が名は運命を定める!
「自他を問わずに喜びを助け、そして恥ずかしながらも子供らしく、悪にも憧れ、悪魔を名乗ろう!
「俺の名はキスケ・アマイモン、自他を問わず喜びに貪欲なるものだ!!!!」
ベタだけど、悪魔はインパクトある名前が多いよね。
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【これは、儀式だ】
窓が消えた。幼くも傲慢な響きを持った、子どもの声が、どこからともなく降ってくる。
【“信じる”か、“信じない”か──。“信じる”を選べ】
二択じゃねえし。
【“信じない”なら、始まらない。だからこれは、儀式だ】
【お前が選ぶことで、世界は始まる】
OK分かった信じるよ。
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背中が粟立った。
少女がそこにいた。
窓じゃない。そこにいる。そしてあああ!
「ちっ、避けましたね。」
目つきも口元も、無気力さのあまり、横棒だけで似顔絵に写し込めそうな、緑髪の少女がいた。
少女は、自らの試みが失敗した忌々しさを、何かがおかしい平坦な口調で表現しながらも、両手で振りぬいたばかりの剣を構え直す。
「アホか! 死ぬわ!!」
「死にません。終わるだけです。」
「命の終わりを死と呼ぶのでは無いのでしょうか!?」
すり足で間合いを詰め直そうとする相手から、慌てて二、三歩の大きなバックステップを繰り返して遠ざかる。華奢な腕には、体の真正面から斜め前にガッツリと剣を保持する構えは荷が重いと判断したのだろう、彼女は剣の位置を斜め下方へとぶらさげるような下段構えに移行した。しないで。
「今度の獲物は活きがいいですね。」
「お願い普通にゲームを開始させて!?」
「最後の調整というものがあるのです。」
続く、長い一拍を空けての、少女の嘆息は、緊張に硬直していた俺の、密かな願いとは裏腹に、とても深かった。
「──……また、違った。間違いなく、間違いじゃない……。」
「おいおい、何を勝手に失望していらっしゃるかお嬢さん。先ほどの名乗り、聞いていなかった?」
俺は笑って人差し指を彼女の方に突きつけると、俯きかけていた無感慨な顔は、目線だけをこちらまで上げ直す。
「あんたが誰であろうとも、俺は喜びを助け、貪るものだぜ。
だから、寝言たれてんじゃあねえ、っつー話だ」
「……?。」
今度は顔を、肩甲骨のあたりまである髪と一緒に、横に傾け、下から覗き伺ってくる。
「自慢じゃないが、ヒロインがそこにいるなら助けにいくタイプの男だぜ、俺は」
「残念ながら私はゲーム内には参加していませんご了承ください。」
「これから何も始まらない!?」
「なお以降のログイン時にも一切登場いたしませんので重ねてご了承ください。」
「念を押されすぎている!!」
明後日の方角にオーバーリアクションしながら、横目に彼女の反応を確かめると、無表情な小顔の頬は、ぴくりとも緩んでいなかった。
かわりに、大胆な一歩、二歩を俺めがけて踏み出しながら、剣を垂直に振り上げ、冷静に無情に、隙をついてきていた。
「始まらないなら、終わりましょう。」
轟、と質量が空間を割り裂く。熱が音に沿って俺の体に直線を引いてきた。
一歩分、間合いが遠い。それでも、体ごと投げ出すようにして振りぬかれた金属の長モノが、皮膚を真皮の層まで削っていったのだ。
唐突な剣閃は止まらない。くの字を超えて深く胴のねじれた体勢で、足場すれすれ(そういえば今俺はどこに立っている?)から一気に真上へと切っ先を跳ね上げる、不自然で奇抜で奇襲な一撃。
最初の攻撃がどこに掠めていたかを、やっと脳が把握している間にも、俺の体は反射的に足を出して、少女の足に裏側から絡めて転ばせる。バランスを欠いていた彼女は、非力さも相まって、あっけなく背中から床に倒れこむ。剣を踏んづけ、逆の足で握る手指を蹴り払い、制圧。
「あのなあ……いくらゲームだからって、ログイン前にハッキングしてプレイヤーキルか? それ犯罪」
「プレイヤー、では、ありません。私は、システム、《物ノ名》です。」
言葉が切れ切れなところにだけ、苦しさを感じさせるも、未だに口調は変わっていない。
「ならシステム側がどうしてプレイヤーを狩る?」
「始まる前に、終わるのが、もっとも正しい、終わりだから、です。」
真下から、真っ向、目線を飛ばされて、そう告げられた。
「最終調整とかいう名目はどこいったよ」
「…………」
真っ向だった目線が、早々と横に逃げる。
「ここで手を差し出したら、齧りついてきたりするのか?」
肯定するかのように、カチカチと歯を剥いて打ち鳴らされた。
ああ、女の子の唇は、こんな動きでもセクシーだなとか考えながら、俺はしゃがみこんで二の腕をひっつかみ、その上体を引き起こさせた。
「名前は?」
「物ノ名、ハ子」
「ハコか。ハコね。OK」
頭を撫でる……というより、噛みついてきた時を想定して、いつでも押さえつけられるよう、ハコの緑のつむじに掌を置く。
息を、吸い込んだ。
「君の怒りに触れたことを、俺は喜ぼう」
「……?」
「君の名前に触れたことを、俺は喜ぼう」
ハコ、と名前を呼んだ。
「二度と会えなかろうが、俺は名乗った。喜びを助け、貪る悪魔、キスケ・アマイモン。
だったら、一期一会に、貪れるだけ、喜べることを貪るだけだぜ、俺は」
「はあ……。」
あなたがまだ、どんな人かも、悪魔かも、私はよく分かっていませんが。
そう、言われた。
「ゲームを始めたい。始める前から終わった方が正しい、無駄なことでも、俺は、やりたいんだよ」
「……最終認証を開始します。」
噛み合ってねぇなーと、我ながら思う。
別に構わないや。俺は遊びに来ただけだぜ。
ハコに、手というよりは、掌を胸元にかざされる。
始められたそれは、認証コードのつぶやきというよりも、まるで連なる呪文の詠唱のようだった。
「与えることは、奪うこと。」
「奪うことは、与えること。」
「あなたから、何を奪ってよい?。」
「あなたは、何を与えられたい?。」
「物ノ名は始まりを宣言する。」
「終わることは、始まること。」
「始まることは、終わること。」
「……だから、選択権は与えない。」
「いつだって、あなたに終わって欲しいから。」
「私はずっと終わりを間違いながら、あなたとあなたをあなたで始める。」
「物ノ名ハ子は、キスケ・アマイモンを認証しました。」
その時までずっと、横一文字に堅く引き結ばれていたハコの口元が、歪に波打つ。
「ようこそ、《歓喜の魔人》よ。そして行ってらっしゃい。」
──サヨウナラ。──
途端、暗転しっぱなしだったらしい世界に色が付く。
緑色の陽炎が、終始どこかで狂っていたその声ごと、遥か彼方に遠のいた。