16.散策の最中
「ごめんね。街に出たいんだけども、何かここで人間種族が注意することってあったっけ。
来たばっかりだから、色々見て回りたいんだけども、カグナさんが忙しくて、そのあたりの話をまだ誰にも聞けていないんだよ」
調子が悪い時は動くに限る。
俺の中の誰かがそう告げていたので、ガンガン会話の先手を取っていく。
どうやら、こういった行動指針が思い出せる点だけ取っても、スキルになった記憶は、虚空へ消し飛ぶわけではないらしい。回復する術があるというのも、感覚的に信じられた。そもそも、以前から、ちらほらと断片だけは頭をよぎっていたのだ。
ゲーム知識に関してはインストールを疑う余地があったが、まさか人格形成に影響するような情報までは、無断でインストールすることもあるまい。
これが俺でいい。俺は、こうだ。
少し、自信が出てきた。当面は自信を取り戻すために活動していこう。こういう言い方をするとあいつに悪いのだが、カグナの件で出鼻をくじかれすぎた。
「そうですねぇ……今日で外出禁止令が解かれたばかりですからぁ、出入りが結構激しいので、街から外に出られる時は、少し時間が掛かると思いますぅ」
げこっぷ。
蛙系亜人の少年は、喋り終えた後にも一鳴き入れる。
「青の王国が、帝国に組み込まれてから、日が浅いですからぁ、帝都からいらしたのであれば、あまーりその旨を吹聴して回らない方が、安全かなーと、ピエールめは考えておりますー」
ピエールくんは親切にも街の事情から先に教えてくれた。
王国と帝国があるのね。道理で王子なのに帝都って、不揃いだなーと思った。皇子ならともかく。
ん? 俺は今まで、どうやって王子の音の漢字を識別してたんだ? なんか変だな。血の遺志に関しては識別してないぞ。
原理を考え出すと深みに嵌りそうなため、お礼だけ述べて、早めに本来の目的であった街へと繰り出すことにしよう。
「そうか、ピエールくん。ありがとう。俺はキスケという。もう数日は逗留する予定になっているので、顔を見かけたらよろしく頼むよ」
「はぁい。滅相もございませんー、カグナ王子の大事なお客様ですから、何なりとお申し付けくださいぃー」
げこっ。
ピエールくんは、深々とお辞儀をして立ち去っていった。軍人なのに敬礼じゃないんだな。どういう違いがあるんだろう。
そのまま手を振って見送ると、気恥ずかしそうに、畏れ多そうに少年の背中は度々お辞儀をしつつもその度に遠ざかっていく。筋肉スマイルを恐れたのか、カグナの客人であるという序列を畏れたのか、今一判じかねるのが困ったところである。俺のバカ!
さて、と、俺は再び歩を進め、一階まで降り立った。
昼食を採ったばかりの昼過ぎということもあって、人の出入りは結構激しい。どうやら亜人とは言っても人間と同じ生活サイクルを取っているようだな。小動物系の生き物や、草食系の動物は、頻繁に食べ続けていないと生きられないが、それは体格や食生活に影響されてのことである。体の大部分が共通していたら、生活も似たり寄ったりになるという理解が得られ、満足する。昨日だって、水棲系がルーツとは言ってたけども、カグナは昆虫食をしてなかった。このあたりの文化調整は大変ありがたい。
出かける旨を誰かに伝えておかねばならんと思い、受付カウンターに向かったところ、またピエールくんがいた。なんだ、受付だったのか。一度見送っちゃったせいで、なんだか回りくどいことをしちゃったな。
「げこっ。キスケ様、お出かけですか?」
「うん。ベイジさんかカグナさんを見かけたら、街に出ていると伝えておくれ。それか、二人のところに人をやって、伝えてほしいんだ」
「畏まりましたぁ、行ってらっしゃいませー」
門番の子たちもそうだったけれども、亜人というのはイントネーションがどこかしら純正の人間種族とは異なるものなのだろうか?
間延びした感じのボーイソプラノは、よくよく聞けば、その伸びの中に、かすれた繊細な震えを帯びていた。顔こそ平たいが、発声の中に含まれた音の構成要素は平坦ではなく、美声の範疇に入る。歌えばさぞや耳心地はよかろう。案外、軍楽隊所属だったりするのかもしれん。それとも、カグナと同じで、小柄だが、ファンタジーらしく体格と戦闘能力は必ずしも比例しない、バリバリの武闘派だったり!……するわけないか。そうなら受付しとらんわ。
ひらりと手を振り、そのまま大人数や物資が通過するために設けられてあるエントランスを経て、庁舎前の広場に出る。
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見下ろすのではない、異世界の街並みは、ただ一人対峙するには荷が勝ちすぎているかと思ったが、望外なことに、天候同様、胸の内をさっぱりと晴らしてくれた。
空気が密度濃い透明に見える。
こう表現すると矛盾して聞こえるだろう。しかし、魔力のある世界における視界では、なるほど、こう見えるのだなと、俺は自分の中のどこに生えているかも分からん魔力感知器官へと感謝した。分かるぞ。この密度は、魔力の濃淡だ。
天から降り注ぐ陽光が、透明な魔を孕んでおり、その光の明度が、空気の透明度に置き換わって感じられている。花粉症の人が、今日は花粉が多いなと嗅ぎ分けたり、空気の乾燥や雨上がりの雑味のなさを感じ取るのと同じだな。現実でも、様々な状態が空中には存在している。あの中の一つと捉えて問題なさそうだ。
敬礼を、槍を持った蛇系亜人の見張り番にされたので、見よう見まねで返礼。
きっと、来た時にもされていたんだろう。その時は、気づく余裕がなかった。カグナが返礼していたかどうかも覚えていない。見えていなかった。
それにしても、見張り番さんがさすが職業柄というべきか、異装すぎて俺が悪目立ちしているのか(着のみ着のままだよ畜生、一日ぐらいじゃ平気だけど下着くらいは替えたいぞ)、顔を見ず知らずの相手に覚えられているというのは、有名人でもなかった俺にとって、なかなか新鮮な体験だった。
亜人、亜人、亜人……。
街は亜人で溢れている。これが辺境ということなのか。ごく稀に、どう言い訳しても人間型じゃないだろうという人?が通りがかったが、あれが亜人ではない、元の種族ということなのだろう。それにしても比率が低い。
建物も、人間に合わせたサイズで、現実よりかは随分大ぶりな出入り口にはなっているが、樹をそのまま住居に作り変えたファンタジーホームだの、穴ぐら大好きみたいな種族に向けた竪穴式住居だのは、数分ぶらぶらしただけでは見かけない。
気ままに歩いているつもりだったが、足は自然と知った道を選んでいたようで、カグナに解説されながら通りすがった建物を見かけたので、軒先から覗いてみる。
学校だ。
「たぁー!」
「ぐはっ!」
猫の額ほどの庭を使い、子どもたちがごっこ遊びに興じている。
カグナが俺に攻撃を仕掛けようとした時のような、魔力の気配がしないので、ごっこ遊びのはずだ。
一人の男の子が、手や足を振るっては、周りを取り囲む子たちの元へドタドタと走り寄り、ぺけぺけパンチやキックを沢山繰り出している。それで、食らった側は、適当なところで悲鳴を挙げて、まとめてふっとばされるように地面へとお尻から転がり、やられた~、と力なく横たわる。
一人を取り囲んでいたので、いじめじゃないよね?と目を引いたので、覗き込むことになったのだが、明らかにその子の方が主役っぽいムーブをしているので、むしろ力関係はこちらの方が上なんだろう。
ただ、男の子だけが人間で、周りの子たちがみんな亜人なのが気になるところだ。
「どうだ! 青の王子の力、思い知ったか!」
「ムーちゃんそろそろ交代してー」
「王子は僕と同じ種族だから、僕やりたいよー」
「ダメダメ、矮族はすごい沢山いるんだぞ! もっとオレが倒さないと終わらないじゃん!」
「えー」
「私、ムンタくんち行って早くご本読みたい」
「ご本ー」
「読みたいなら僕が先! 僕の戦争が終わってから!」
「戦争よりご本だよぅ」
いいこと言うじゃねえか女の子。褒美にうちに来て本物の王子様から本を下賜されるがよい。カグナの私室には本が沢山あったぞ。どれも読めなかったんで困ってるんですけど。あれか、俺も一緒に読み聞かせてもらうか。
「こらこら、亀をいじめてはいけないよボーイ」
「亀?」
割って入ってきた大人(というほどの年齢じゃないが、一桁の童たちには、3つも離れれば大人の範疇だ。少なくとも俺はそう感じていた)のボケに対応しきれず、ムンタくんという、みんなの真ん中で猛威を振るっていた男の子が代わりにパンチで返事してくる。おうふっ! スネはやめて、スネは!
この年頃は、分からないことがあるとすぐに肉体言語で変換してくるから油断ならない。
「変な格好! 青いし! いけないんだぞ!」
「へ、色が?」
「王子様の色!」
そりゃジーンズは青系の色だが、どっちかっていうとTシャツの方が青いな。上は原色に近い青のプリントTシャツで、言われりゃ青いと認めざるを得ん。
「カグナのことか?」
「さま!」
「カグナ様」
「そう、よろしい」
よろしいて。王子役やってるせいか、男の子の態度が妙に鷹揚だ。腰に両手を当て、胸まで張っている。
「そりゃ、俺もカグナの……、カグナ様の、あー、なんだろう、身内? お客? だしなあ」
すると、これまで遠巻きにしていた周りの子たちが、ざわっ、と気配を波立たせた。
「え!」
「ムーくん、ごめんして! ごめん!」
尊い人しか身にまとっちゃいけない色があるというのは、古文で習ったような気がする。この場合、ごめんしなきゃいけないのは知らずに着ていた俺のはずなんだが、何故だか子どもたちの方が慌てている。
子どもが遊ぶのに気を払わないといけないなんてこと、俺は嫌だねえ。
「ま、ま、ご両人、それに、ムンタくんだっけ? 君らは悪いことしてないだろう、だから気にするなよ」
「でも、王族のお方なんですよね?」
「まさか!」
断じてNO。
「身内だから色を許されているだけで、俺はそこまで強く……強く……」
あれ、強いか弱いかで話を進めるなら、カグナ自体は倒してる。
「強いけど、まだ公に認められた訳じゃない。それに俺は偉かぁないよ。偉いとしたらカグナだろう」
どうにか誰も悪くない方向で嘘控え目の地点に着地してみた。
俺が勝手に着ちゃいけない色を着ていることになったら、子どもたちが喧伝して困ったことになる。俺も困るし、多分どこかの段階で引っ張り出されるカグナやベイジさんもすごい困る。だからこれでいい。純度100%の嘘とまでは行かないけれど、90%以上、嘘が混じっている。嘘も方便とは言うが、子どもに嘘ついていいもんかなあ。自衛のためならあり?
「すっげー! 強いんだ! 新しい王子じゃん!」
「ねえねえ、どんなスキル??」
「ずっと戦ってたの?? お兄ちゃんも兵隊さんなんだよ!」
「オレと戦ってよ! オレ強いよ!」
「私も! いいでしょ!」
「オレが先だよ! リリは後!」
「一斉攻撃だ! 三、二、一…」
「はっはっは」
やばい、これはもう話をさせてもらえない。
……笑って逃げろ!!
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「ふぃー、危ねえ危ねえ。幼気な子どもたちをスキルの毒牙に掛けるところだったぜ……」
どうにか追撃を振り払い、物陰で額の汗を拭う素振りで自分を落ち着かせた。
子どもでも壁を走ったりするのな、こっちだと。俺も、忍者の修行だ!っつって、壁を駆け巡ったこともあったような気がするんだが、普通にザカザカ壁を四足歩行されるのには参った。年端もいかないのに立体的な戦闘を仕掛けてくるんじゃあないよ、末恐ろしいな。
あちこちの通りを子どもに追い回されながら走って逃げたので、結構な人目についた。それでも俺を見咎めてくる人がいないってことは、服の色そのものは厳格なルールで運用されていて、そもそも不適切な人物の手には届かないようになっていると考えていいだろう。蛇亜人さんが敬礼したのも、顔や服装よりも、むしろ色に対してだったのかもしれない。その方が覚えやすいし。
しかし、そうすると、貴人の古着とか、市井に流したり出来ないのね、この社会。染め直しかしら。服屋や染物屋に免許も要りそうだ。
いつの間にか、主要な区画から外れたようで、あたりは鬱蒼とした木々が生え揃い、地面もむき出しのままとなっている。公園……と呼ぶには、区切りがないな。子どもたちの姿はおろか、人通り自体、全然ない。森林区域だろうか。
呼吸を落ち着かせるつもりで深呼吸をし始めたら、また、空気がうまいのなんの。
あえて緑を無造作に取り込む、この都市デザインは、現代的な設計思想の影響なのか、それとも亜人の存在する影響なのか……。相互に関係性のあるものかもしれない。どのみち、それを作り出した時代と無関係の思想は、どんな世界観にも生えては来ない。どんなものにも因果関係ってのがあるよな。
そんなことをつらつらと考えながら、俺は深呼吸を繰り返していった。
すぅー……。
はぁ-……。
吸気、呼気、吸気、呼気。
意識を呼吸だけに集中し始めると、途端に体内の心臓の音が大きく鳴り始める。
目を閉じた。
すぅ…………。
はぁ…………。
なんだか、呼吸に、引きずり込まれていくような……。
呼吸そのものが俺になってしまっているような……。
鼓動に乗って、《歓喜》が俺を包み込む。
その時だった。
「あー!」
「カグナ様の、うんめいの人!」
「ダメですよ、いけません!」
「その呼吸だけは、いけません!」
聞き覚えのある声の二重奏と共に、森全体を覆うかの如き、巨大な質感が俺を取り囲んだ。
呼吸が割れる。
心臓が、締め付けられる。
「ぐ、う……?」
気づいたら、膝が地に落ちていた。
左胸を押さえていないと、苦しく、て、命そのものが破けてしまいそうな……。
トン、と肩を両側から小さな手で触れられた途端に、その圧迫感が、霧散した。
「失礼しました」
「しましたー」
「でもでも、それは禁忌の行いなのです」
「王子様のいい人と言えども、『王に禁じられたる鼓動』の発覚は、死に次ぐ重罪となりますよー」
「せっかくの王子様のうんめい! 危ないところでした」
「あれ、でも、鼓動はそもそも王に禁じられていて、今は誰も使えないはずー?」
「ですよねー」
「うんうん、ですよー」
あー……。
門番の樹人たち、か。
でも、うん、ごめん。
今は顔を上げて左右を見るだけで、精一杯。
話をするのは、もうちょっとだけ待ってね。