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誰に導かれなくてもぼくらは生きる  作者: 城乃華一郎
序章
13/97

閑話:矛盾領域『物ノ名』:始まり

読み飛ばし推奨の短編です。

あってもなくても機能するようには構成したいですが、たまに、区切りの時などに閑話が入る予定です。

/* Open True Time:10 years ago */


「もう一度、心臓から始めよう」


 意識を生み出す脳だけに偏重するのではなく、全体を駆け巡る、もう一つの流れ──血の流れに、再び焦点を当てる。それは、どこまでいっても制御できないはずの自分という存在の自覚に際して、脳だけを見つめるのは妨げになるという考え方。

 脳も、心臓も、臓器のたった一つ。意識の要と、意識と身体とをつなぐ要、両方を大切にするために、もう一度、心臓を大切なものとして扱ってみようという試み。それが、意識そのものである(アイ)──Intelligenceの置き場所が増える時代に向けた、私の密かな実験だ。


/* Open Concept Time */

踊る魔人と笑う世界 閑話

《物ノ名前人(まえひと):矛盾領域01》

/* Open True Time:7 years ago */


 意識は、身体──世界の一部であるところのハードと、自我──世界を元に自己の内部で築き上げた世界観であるところのデータ、どちらを欠いても成立しない。

 データを内部に持たないもの、データを内部生成しないもの、またはデータの内部生成が人間から見てとれないものは、知性を持たない、ただの抜け殻ハード──つまり世界に過ぎない。

 世界って奴は、全体を見渡せば、独自にデータを内部生成しているので、広義には世界もまた世界観を持つ知性と、呼べないこともないんだろう。個体で見たらデータを産まないが、データをやり取りするための演算子のような働きをしているものは、一杯ある。区切り方を変えれば、小世界という形で、世界の中に、入れ子状に、幾つもの構造が見え隠れするだろう。けど、どんなに見方を変えたとしても、あくまで個は個、世界は世界、なのだ。


「人間自体は小世界であっても、意識だけが人間じゃあない。し、逆に個人から切り離されても、生み出したデータは動き続ける」


 それでも。

 それでも細分化できない、割られることを、砕かれることを、理解され、分解されることを拒むのが、知性というものではないかな──。


 僕の好きだった人は、アイデンティティを、そんな風に形容していた。


 つまり、『分かられてたまるか、ってことさ』。

 惜しみなく伝える癖に、自己主張して、承認欲求に凝り固まる癖に、それでも根っこのところでは理解を拒むことで自らを保つ。全く、人間ってのは、なんて面倒くさい生き物なんだろうね。


 そう、熱い紅茶の注がれてあるティーカップに、皮肉げな笑みを口元には浮かべ、まなざしの中には野心ある倦怠の沈んだ目線を落としながら、彼女は語っていた。


 彼女──物ノ名将来(さき)は、紅茶を決して飲みはしないけれど、淹れっぱなしの紅茶の熱と、熱が放つ芳香とには、一等関心を抱いているような、そんな、偏屈な屁理屈家だった。いつだって冷めた紅茶を誰かに寄越し、そうして、いつだって、冷めた紅茶を飲んでくれる人が周りにいるような、痺れるほどの風変わりさが人を寄せ付ける、冷たい紅茶の香りにも似た、透明度のある甘さを感じさせてくれた。

 それが、僕の恋した女を言い表すのに、僕が選ぶ、彼女と僕との間にしばしば起こっていた、最も印象的で象徴的なエピソード、ってことになるだろうか。

 正直、専門外のことを語る時の人間に、耳を傾けるだけの価値があるかと言ったら、それはもう、相手のことを好きかどうかでしか、語れないと、僕なんかは思ったりするんだが、読者諸兄はどうだろうか?

 物ノ名さんは、いつも大体門外漢のテーマに関して、わかったような、わからないようなことばかりを好き放題述べていた。僕は、その話の正しさよりも、その話し方の、僕の中における正しさの方ばかりを選び取って、好んでいた。あの話し方こそが、彼女の言うところの、『彼女の世界観』、って奴だったんだろう。

 つま先から内股まで、ぴたりと膝を揃えて椅子に腰掛け、脇もしめて、こじんまりとやせぎすの体を更に縮めながら、手にはティーカップ、その置き場所は鼻先か、大体は頬で、紅茶から始まる、さっきみたいな世界と世界観のよもやま話が終わった後の、片頬だけが赤い彼女の表情に、いつの間にか僕は、痺れるようになっていた。まるで、紅茶の熱に頬杖をついているみたいに、物ノ名さんは、いつも頬をティーカップに浅く傾けて預けていた。それが理由で、ティーカップの縁型の跡が頬に付くこともしばしばで、僕なんかは、低温やけどしてやしないかと、心配になったりもしたものだ。

 あの学生時代の当時を物語るなら、おおよそ、僕からは、以上、終わり、だ。

 つまりは、物ノ名さんが、当時の僕の、見える限りの、世界の全てだった、ってこと。

 今から振り返らなくても、彼女には完治していない中二病の症状が見えていて、それを自覚しているところもあったように思い出せる。中二病、つまり、世界観病の症状が、だ。


「世界を世界としてあるがままに受け止めず、自分なりに世界観として噛み砕いて再構築する。素直じゃあ、ないね。うん。でも、そういう作業が、自我を確立していく上で、発達させていく上で、必要不可欠であるとも、私は思っているよ」


 何故って?

 そうでないと、人間はただ、世界じゃないか。

 意志もなく、思惟もなく、押し流されていくだけの、世界のまんまじゃないか。


 自分で飲みもしない紅茶に砂糖を足して、甘い香りを足しながら、物ノ名さんは言っていた。


「自分がないのは、自分がありすぎるより、怖いよ。

 自分が足りないのは、自分が有り余って、わけが分からなくなるより、もっと、怖いよ。

 だって、生まれたイミが分からない。

 まるでロボだ。

 世界というハコに、投げ落とされただけの存在。

 世界の部品になって終わりの、それっぽっちの存在。

 素直でいるってことと、考えがないってことは、イコールにしちゃ、ごっちゃにしちゃ、いけないのさ。自分で考えなくっちゃあ、ダメだ。その考えが行き過ぎる分には、はは、みんな通過儀礼のようにやってきて、大人になってもなかなか完治しない、そういう病気になるだけで、それならあんまり困らない。

 困るのは、何も考えず、何も噛み砕かず、ただ、噛み砕かれるだけ、飲み込まれるだけの存在が、人間のような顔をすることさ。

「いないけどね。100%ずっとそんな顔をし続けている人間なんて、どこにもいない。けれど、私だって、君だって、知らないこと、知らなくていいと思っていること、見えないもの、見なくていいと思っているものに対しては、ずっとそんなような顔を、し続けている。

「そう。私も君も、世界の一部なんだ。全ての物事に対して、考え続けることは、誰にも出来ない。逆に、何も考えずに居続けることも、また、同じ」


 出来ない。

 私には、出来ない。

 君にも、出来ない。

 そうだろう?


「それで、私はずっと、考え続けるために、知らないこと、見たことのないものに対して、なんやかんや、言い続けている。そのように振る舞おうと、意識している。

 紅茶も同じ。

 熱に触れ、香りに漂い、沈みながらに、私の舌は、ついぞその味を浮かべることはない。馬鹿な真似さ。君がいてくれなかったら、紅茶はいつだって置き去りのまんまだ。ミーティングでおざなりに出されたままのドリンクと同じで、手をつけるか、つけていないか、喉が乾いているか、乾いていないか、そんなことのためにしか、便宜上のためにしか消費されない、味わわれることのないままさ」


 人類が持つ全ての話し合いに本気のお茶出しをしたら、一体世界はどんなことになってしまうんだろう。それはそれで興味がある。などと、話が脱線することもあった。

 とにかく脱線したがりの、無軌道で、てんから自分の流儀が肯定されないことに頓着がなく、それでいて、優しい。

 僕に、優しい。

 これが結局、一番の致命傷だろう。

 他人が誰に優しくったってどうでもいいけど、僕に優しいというのは、これはもう、致命傷だ。

 紅茶を飲むのは僕だけれども、いつだって、買うのは物ノ名さんで、淹れるのも、物ノ名さんなのだ。

 流しに空けるよりは生産的と、そう考えているだけかもしれない。

 けれど、僕に紅茶の好みを聞いてきたり、いろいろ買って試してくれたりするのは、優しさと思い込んだっていいんじゃあないだろうか。

 どんなに偏屈な人間でも、自分の話に聞き入ってくれる相手を邪険にはしないという、ただそれだけのことなのかもしれないけれど、それでも僕は、彼女に好かれているという、そんな思いに浸っていたかった。

 物ノ名さんが、好きだから。


 そろそろ全部過去形である理由を、学生時代の思い出であるという以外にも、ちゃんと明かそう。

 物ノ名さんは、もういない。

 レトリック一切抜きに、彼女は死んで、彼女の世界観だけが、今、こうして僕の中に生きている。

 死んだ理由は、いいだろう。

 語りたくはない。思い出したくはない。何があっても、何がなくても、どんな必然があっても、どんな偶然があっても、どう言い繕おうと、どう言い募ろうと、彼女の命は終わった。彼女は死んだ。物ノ名将来(さき)の、将来は、もう永遠に閉ざされた。

 それ以上のことを、僕は考えたくもないから。

 だから、死因なんて、語らなくてもいいだろう。そういうことに、しておいてくれ。


 あれからの僕がやっていることは、不世出の天才の事業を引き継ぐだとか、故人の夢を叶えるとか、そういうことでさえもない。彼女の本業はもっと別のところで、それは普通に引き継がれている、ただの仕事だ。

 だから──僕は、仕事以外を、引き継ぎたかった。

 夢以外を、引き継ぎたかった。

 僕の中にしか残っていないような、そんなどうでもいいような、彼女の残り香を、引き継ぎたかった。


 今でも僕は、紅茶を飲む。アイスティーではなく、ホットで。飲みもしないのに、それだけは飲む側の体のことなんて考えもしないで、好きなだけ匙で掬って傾けた当時の彼女の手つき、そのままに、気ままな量の砂糖が突っ込まれた、冷たい甘さを、噛みしめる。


 考えているのは、世界と世界観の、関係のこと。

 僕を置いて世界になってしまった彼女と、僕との、関係のこと。


「どうしたもんだかなあ……」


 体に悪いばかりの習慣と、先の見えない思索とに、ため息をつきながら、ふと、思い立って、彼女のように笑いながら、紅茶の中を、覗き込んでみた。

 僕の心臓は少しばかり膵臓さんから分泌されるインシュリンの使いすぎで疲れてしまっているようで、よく見知った目線がそこから見えたような気がして、どきり、不整脈。

 強くまばたきをすると、研究室の白い光を反射した、甘ったるい褐色が、今ではもう、そこで揺れているだけだった。

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