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誰に導かれなくてもぼくらは生きる  作者: 城乃華一郎
序章
12/97

11.序章終了~タイトルコール

 窓のない部屋で灯りだけを見つめていると、今が何時か、分からなくなってくる。

 明度は絞られていて、視界が薄暗い。

 まるで、外より一足早く、夜の訪れたようだった。


 疲れで一層冴えた、今だけの思考力が、与えられた現実の、輪郭を……。

 一つ一つ、頭の中で確かめていく。


 片あぐらでベッドの縁から投げ出した足とは逆の膝に、規則的に沈む、重みがある。

 撫でる手に、たまに引っかかる、鱗の微かに散った青髪は、灯る、僅かな光をも吸い込んで、艶やかな黒に移り変わっていた。

 その、首から下では、元々の体格に合わせた寸法で緩みを持たされていた寝間着が、更にだるんとたるみを深くしており、横向けに眠る、肩と胸が、健やかに上下している。どちらかというと男性的な素っ気なさを意図して縫製された衣と、その内側に押し矯められた肉の丸みとが、噛み合わさり、触れているキスケに、磁力を感じさせていた。


 踏み込み難く、それでいて。

 引き寄せられて、安定する。


 眼下のあどけない頬と唇に、視線は落ちる。無防備な寝姿に、心は遠のく。

 そんな、相反するようでいて、均衡する、二つの作用が、キスケに覆い被さっているのである。


 久々に外気へと晒した足裏が、妙に落ち着かないでいた。

 履いてきたスニーカーと靴下は、中に靴下が残った状態で、無造作に近くの床で転がされている。

 ベッドの上に伸びる、しなやかで長い、女性の足もまた、暗闇の中で、白い爪の上に光がうっすらと散る、素足である。


 言葉になり切らぬ、まどろみの音色が、膝を伝い、気を引いてくる。

 見やると、手の下で身じろぎをしている、安心しきった微笑みがあって、それは、意識がないはずなのに、まるで彼を手放すまいとするかのように、その視線を引き付ける。


 キスケは自問していた。


/*/


 時は遡る。

 会食が済んだのち、二人だけで話がしたいとカグナの自室に招き入れられたキスケは、彼女からの懇願を受けていた。


「間違いを、私に与えてくれないだろうか」


 張り出した胸に手をあて、間違いを(こいねが)うカグナに対し、キスケは、笑っているつもりなのだろう、不器用に口元を歪めて、表情を崩そうとしている。相手の願いを聞き入れたいが、自分はそれを望んでおらず、どう、やり過ごしたものか、思案に暮れている時の、誤魔化しの顔だった。

 お互いに、部屋の入口で立ち尽くしたまま、話を進めている。

 どちらの表情からも、余裕は伺えない。

 もう一度、カグナは繰り返した。


「間違いたいんだ。はっきりと。

 私は、正しいことだけをしようとして、見ようとして、とても苦しかった。自分を苦しめていた。

 キスケに壊されて、壊れて、よく、分かった。

 壊れたのは、私の心じゃあ、ない。

 私の瞳だ」


 世界を見る、私の疲れ切った目つきだ――。


 そう、カグナは、そっと思いを口にする。

 詰んだ青色をした、彼女の虹彩の中で、瞳が一瞬膨らみ、すぼまった。

 その瞳は、焦点が絞り切れぬかのように、常よりも心持ち開いている。


「だから――間違いを選ぶ、私と一緒に、帝都へ着いてきてくれないだろうか」


 誘いは、ベイジの提案した、帝都行きの件に関してであった。

 詳細を聞かされたキスケには、逆に、何が正しく、何が間違いであるのか、この世界のことを、また、この世界を判じようとする自分自身の価値観のことを、掴みかねているがゆえにこそ、その提案は、ただちには請け負いかねる、重みを感じている。

 いや――軽さを感じている、と形容した方がいいのかもしれない。


(軽いのは、俺だ)


 世界に向き合うだけの自重を、持ちあぐねている。

 それで、ベイジの提案に同意したカグナから、直接説得されようとしている。


 軽い言葉を連ねるのは、とても簡単なことのように思えた。


 俺に任せろ。

 出会ったばかりの人間に、人生を預けるんじゃねえよ。

 それでお前が笑えるようになるってんなら、いいぜ。

 選ぶのは、正しさでも、間違いでもない、自分自身がどうありたいかだろ。

 責任は取るさ。


 交互に肯定と否定が浮かんでは消える。

 その二つの選択肢は、キスケにとり、等しい重みがあった。

 等しいだけの、軽さしかなかった。


 自分が誰かは分かっている。喜びを貪り求めるもの、キスケ・アマイモン。

 しかし、何故、自分がその名を背負ったか、その意思が分からない。

 自分と自分が分断されているみたいなもどかしさがあって、目覚めて以降、ずっとままならないでいる。


 軽くてもいいのかもしれない。

 これはゲームだ、意気揚々と楽しむもんだぜ。そう、誰かがキスケにささやいている。

 重くなければならないのかもしれない。

 どんな世界観であろうと、向き合ってしまえば、現実だ。だから、目覚めたばかりの時のようには、心の底から呼吸を楽しめなくなっている自分を、キスケは見つけてしまっている。

 舌に乗る味が、甘くない。


/*/


 カグナは、俺が自問している間もずっと、待ち続けていた。

 眉がまた、頼りなげにハの字を狭めそうになるのを、ぐっとこらえて、我慢して、待っていた。

 唇も、口元を強く力で押し固めているので、への字にはなりきらず、波線のような形で保っている。


 どう、答えたんだったかな。

 ああ、そうだ……。

 俺は『愛したい』と、そう願ったんだっけ。


 記憶を遡ると、途端に背中に力が入った。


 どこで間違えたんだか、十分には愛されてこなかった奴が、目の前にいる。

 それを用意した運命が気に食わなかろうが、それとこいつとの間には、関係なんて、ないだろうが。


 どう、のたまったんだったか。

 覚えている。


『ヒロインがそこにいるなら助けにいくタイプの男だぜ、俺は』


 ああ、そうだ。

 運命にお膳立てされたことが気に食わなかろうが、こいつを気に食わないわけじゃない。

 挑発的なゲームだが、だからといって、やりたかったことが変わったわけじゃない。

 なんの気もなしに軽く選んだ道のりだろうと、だからこそ、本音だった。


「カグナ」

「は、い」


 呼びつけるようにして、名前を呼んだ。

 いい。これで、いい。


 俺は(・・)もっと(・・・)傲慢でいい(・・・・・)


 生きたいと、三度も選択肢を繰り返すような男だろう、俺は。

 だったら、自分自身として生きることに、もっと傲慢でいいはずだ。


 なんで望んだ生き方の割には、それが身に染みついていないのか、疑問だが、それは置いておくことにしよう。


「俺は、俺が、笑いたい」

「う、うん」


 急に何を言い出すのだろうと、話の行く先を心配げに、手を揉み絞りながらカグナは見上げている。

 そんな顔すんじゃねえよ。そんな顔をさせているのは俺でも、そんな顔をするんじゃねえ。

 ほっぺたを両側からつまんで、引っ張った。


「ふぁい?!」

「俺はな、カグナ。俺のことを好きになったと告白してくれた女が、どうせなら、もっと気持ちよーく俺のことを好きで居続けてくれる方が、気分がいいんだ」

「ふぁあ……」

「もらえるもんは貰う。嬉しいからだ。もらったもんは返す。嬉しかったからだ」

「ふ、ふん」


 引っ張られたまま、手をどけようとしないカグナは、ちょっと間が抜けた感じがして、おかしかった。

 正直、なかなか笑えた。

 痛けりゃ払いのけていいんだよ。しょうがねえなあ、お前。


「お前が誰かは知らねえけれど、それがお前を愛さない理由にはならないだろ」


 俺が、自分が誰か、知らなかろうが、それが自分を愛さない理由にはならないように。


「お前が行きたい、俺と行きたいっていうなら、俺に断る理由は、ないんだよ。

 俺が断る理由を探す必要も、どこにもない。行く理由を探す必要もない。

 俺を好きなお前と一緒にいた方が、俺は絶対嬉しいだろ。お前を好きな俺が一緒にいた方が、お前だって嬉しい。

 そのことにな、今、気づいた。だから、行こうぜ、帝都」


 つまんで赤みを帯びさせてしまった頬を、衝動的についばみたくなる自分を抑え、撫でてやるだけにする。

 なし崩しは断る。趣味じゃねえ。

 だが、可愛いと思ったから、その分だけは愛でる。そうだ、これが俺の趣味だ。


「俺から始めちまった間違いを、三人でもっとでっかく広げようっていうんなら、ありがてえ、間違いじゃなかったことにしちまおう!」

「うん……うん? うん……!」


 カグナは、俺の中で何があったかは、分からなかったようだ。そりゃ当たり前だ、カグナは俺じゃない。

 言わなきゃわからん。言っても伝わらなきゃ、わからんだろう。

 それでも、前髪を払いのけるようにして、額から前頭部に撫で置かれた手の意味だけは、わかってくれたようだった。


 なし崩しは趣味じゃないが、予約を入れておくぐらいなら構わんだろう。

 なあ、俺よ?


/*/


 おでこに口づけられた後、くすぐったそうに肩を竦めたカグナは、深々と沈むベッドに勢いよく尻から飛び乗って、自分の隣をぺしぺしと掌で叩き、キスケを呼び寄せた。

 それから二人は、対面初日らしく、改めて自分達の距離感を、どう取っていいのか分からなくなり、ただ、肩を預けあって、決して居心地の悪くない沈黙を過ごすうちに……。


 いつしか、どちらからともなく、眠りに落ちていた。


/*/


 ……。


 ………………。


 ………………………………。


 そして、夢からではない目覚めを、俺は迎えた。


 だからこそ、冒頭からの自問を、今もこうして繰り返している。


 この物語の、本当の始まりを思い出し。


 どこを終わりと定めるか、決めあぐねている、そのために。




















/* Open True Time */


「あ……あなたは、誰ですか。どうやって、ぼく(・・)接続(アクセス)したんですか」


 いつものように、情報管理領域を立ち上げ、ゲーム世界観への人格情報体(エーアイ)コンバートを行っているぼくの前に、突如出現した空間投影(ホログラム)型の印章。それは、《矛盾領域》という漢字四文字が、行書体を元にデザイン化された印章だった。

 その印象は、最初、20センチ四方の小さな窓状をしていた。

 その窓が、収縮すると同時に拡散して……つまり、文字組の方が小さな点に圧縮され、それを縁取っていた三重線の亀甲型の枠組みが広がり……、中から現れたのは、女性の姿。


『イレギュラーゲームを開始します。選択世界観は現在ロック中のため固定、頂天虚空の層界迷宮(レイヤード)。エディション、【裏切りの楽園】です。

 ようこそプレイヤー。貴方は(・・・)貴方が望んだ通り(・・・・・・・・)、確率という名のゲームに勝利しました。

 これから次なるゲームのルールガイダンスの前に、貴方に報酬の提示をいたしましょう』


 その女性には、顔がなく、造形の詳細がなく、衣装がなく、存在感がないのに、笑っていないことだけは、なぜだかぼく(・・)には理解が出来た。

 これは、人じゃない。

 こんなもの、人であってたまるか。

 ひどく本能を掻き立てられる、冒涜的なものを目にした怒りと同時に、密かに待ち望んでいた何か(・・)が、ついにぼくにも(・・・・)訪れた、その喜びを、ぼくは抑えきれないでもいた。


 ああ(・・)ついに(・・・)ぼくにも(・・・・)ここではないどこか(・・・・・・・・・)いまではないいつかが(・・・・・・・・・・)与えられるんだ(・・・・・・・)


 ないまぜになった興奮が、ぼくの声を我にもなく荒らげさせる。


「あ、あなたは……ううん、お前(・・)は、神か。女神なのか。一体、誰なんだ!」

『システム:物ノ名は、次なるゲームの結果を基に、絶対矛盾を招聘します。

 あらゆる世界観を、現実に変える。それが私達、《矛盾領域》の使命。

 ただし、プレイヤー。あなたが挑む、ゲームの結果から、たった一つだけです』


 質問に答えず女神は機械的な説明を続ける。


『選んで、プレイヤー。あなたが本当に望む、たった一つを。

 あなたはゲームの世界から、どんなものでも(・・・・・・・)一つだけ(・・・・)、現実に持ち帰ることを許されます』


 その言葉に、全ての疑問と倫理観を投げ捨てて、ぼくの中の昏い欲望が立ち上がった。


/* Open Variable Time */

 

『チュートリアルステージ終了です。

 繰り返します。

 ステージクリアごとにどんなものでも一つだけ、ゲームの世界から持ち帰る機会が与えられます。

 ただし、何が起こるかは保証しません。たとえそれが、この世界の崩壊を招こうとも。

 ()こうしている間にも(・・・・・・・・・)進んでいる通りに(・・・・・・・・)、現実世界の崩壊を招こうとも』


 女神は今も()に、無機質な声で、これで終わりかどうかを訊ねてくる。

 手の下には、カグナの頬の、温かな質感があった。


『ゲームをクリアしますか? プレイヤー。現在のスコアと、それに基づく交換対象一覧は、一度しか確認することができません。また、現実への帰還後は、二度と同じ歴史に戻ることはできません。

 続行か、終了か。選択してください――』


/*『歴史改変度:3』*/


【笑う魔人と踊る世界 ~どうやらゲームの世界からたった一つだけクリア報酬が現実に持ち帰れるようです~】


/*/


 序章・了。

序章終了です。ここまでのお付き合い、ありがとうございました。

次回更新時に、小説タイトルの変更をかけさせていただきます。

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