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誰に導かれなくてもぼくらは生きる  作者: 城乃華一郎
序章
11/97

10.ベイジの提案

「……本題と参りましょう、キスケ殿」


 先に結論だけ言うと料理の大半を食ったのはカグナだった。

 父親代わりの保護者と仲直り出来て、ほっとしたのだろう。言葉もなく皿を平らげていくカグナの顔は、自分が愛されていることを疑いもしない、幼いお姫様のように無垢で愛らしい。草原ですっ飛んできた時の鬼気迫る緊張から解き放たれた頬は、自然な緩み方で、内側からもぐもぐと膨らんでいる。

 髪は食事の邪魔にならないよう、再び結わえてあった。しかし、これも自分の手でするのではなく、デカい手で器用に編み込んだベイジさんの仕事によるものだ。髪型も、実直で凛々しいサムライポニーテールから、ふうわり柔らかくまとめた、女の子らしさの引き立つ三つ編みに変わっている。

 卓上は、湯気の立つ皿なんかも混じっていて、毒味とか、いいのかよ、とは思ったけれども、気にすることなく、カグナもベイジさんも口をつけていたので、俺もありがたくいただいた。

 こちらに来てから半日以上経っている。隣のカグナに負けないくらい、ガツガツと行ったつもりだったんだが……。


「キスケはもういいのか?」

「少食でね。美味しかったよ、ご馳走様」

「そうか。じゃあ、残りは私とベイジだな。……ベイジもいいのか? 手があまり進んでいないようだけど」

「私は朝方、皆と食べましたのでな。もともと殿下に召し上がっていただくため、用意させた分量でございます。どうぞお気に召しませぬよう」

「うん、わかった!」


 こんな調子だ。

 そこからしばらくは、茶の類をすすりながら、男二人で、健啖健美なお姫様……元王子様……を無言で見守っていた。

 居心地の良い沈黙を共有しているうちに、俺達は、互いの心情がどこか通じ合っていることを確信する。

 アイコンタクトを交わし、切り出したのは、冒頭にあるように、ベイジさんの方からだった。


「ああ、腹の探り合いはなしにしよう。少なくとも、俺よりベイジさん、あなたの方が、腹も懐も、俺よりずっと深そうだ」

「はっはっは」


 テーブルの端から端へと、その長い両腕で空いた皿を上げ、入れ違いに次の皿をカグナに給仕しつつ、ベイジさんは頷いた。といっても、首と肩が丸々として切れ目なくつながっているので、顎がほとんど無いから、体を前面に向かって揺するような仕草になっている。


「話を、お聞かせいただけますね」

「話すよ。全部」


 互いに、相手を見ながら話していても、横目では、カグナの一挙手一投足を捉えている。

 話には参加せずとも、中心にいるのは彼女だという共通認識が、俺達の間には成立していた。そして、単純に事態の中心だからという以上に、彼女を慮るつもりが、どちらにもあるという前提が、言葉にしなくても、見守る視線の温度で、互いに分かっていた。


「俺が固有概念(ユニークスキル)でカグナの心をねじ切った。任意じゃない。故意でもない。受け身で発動するタイプの能力らしく、不審人物に見えた俺に対して、攻撃を仕掛けようとしたら、発動した。自分の力なのに他人事でしか語れないのは、俺の記憶がろくにないからだ」

「それは!」


 ガタン!

 と、皿を鳴らして俺の隣で立ち上がるカグナ。

 きっと、俺を擁護しようとしたんだろう。けれども、彼女の青いまなざしは、やおら不安げにすぼまり、あるはずのない答えを探すため、左右にせわしなく振れ出した。


「ち……違う! 私は、キスケに、そう、キスケの力に、救われたんだ!

 だから、いいんだ!」

「ないない」


 ナイナイ、と右手でジェスチャーしつつ、泣きそうなカグナに突っ込む。それから、自分の服の、胸元を掴んでベイジさんに強調して見せた。


「街で見てきたよ。俺に似た服装の人はいても、俺、そのまんまの格好をしている人は、多分ここにはいないでしょう。俺は異邦人だ。自分が何を考えてここを選び来たのかは知らないが、望んでここに来て、望まずながらも、カグナさんを傷つけて、壊した。俺が何者であろうとも、そこが一番大事でしょう。

 ……すいませんでした、ベイジさん。すまん、カグナ」


 立ち上がって、深く頭を下げる。

 Tシャツジーンズスニーカーは、どこの世界に行こうとも、きちんと軍服を仕立てて着こなす国柄じゃ、ドレスコード的にはアウトだろう。正直浮きまくっている自分の格好を無視してここまで来るだけで、外面を気にする俺のちっぽけな神経は結構すり減っていたが、卑劣にも、こうして詫びることで肩の荷を半分下ろすために、俺は我慢して歩き続けたようなもんだ。事実、俺の胃は、カロリーが入って温まった時よりも、今の方が楽になっている。


 だが、面はすぐに上げた。

 許されるのを待つつもりはない。そういうのは趣味じゃねえ。


「俺に敵意や害意を抱くと自動で相手の感情を潰す、そういう力だ。だから、ベイジさん、すまないが、あなたの手で俺を裁くことは出来ない。命じて他の人にやらせるのも駄目だ。必要なら、今の食事を最後に断食でもするさ。俺の態度が殊勝に見えたとしても、そりゃ、あなた達の身を案じてのことじゃない。俺自身が、自分の力が気持ち悪くて、怖いから、なるべく発動しないよう、気を配っている。それだけのことなんだ。すまない」

「……」


 ベイジさんは、今の話をどう捉えたのだろうか。

 目を縁取る黒い隈取の中に浮かぶ、くりくりとしたつぶらな目を瞬かせながら聞いていた彼の顔を、じっと見つめる。


/*/


「のーーーーーーーーーーーーーん」


 金管楽器のチューバもかくやという、重低音が部屋中を揺すぶった。

 ファッ?!


「いや、失敬。癖でして」


 そう言いながら、ぺろんと髭のない口元を撫で付けるベイジさん。横一文字に引き結ばれた口元は、僅かに両端を、上向きに持ち上げている。

 声に驚いたのは俺だけではなかったようで、カグナも目を点にしていた。


「キスケ殿。カグナ様の種族については、ご存知ですか」

「あ、ああ、カグナに聞いた」

「ならば、そういうことなのです」

「ならばって……いや、そういうことじゃないでしょう」

「僭越ながら、ご自身の罪の意識と、行動の結果とは、結びつけるべきではありません」


 かけなさい、と、着座を促す手つきに会釈しつつも、納得がいかない俺は、今も事の顛末がどこに転がっていくのか、気を揉みながら俺達の様子を伺っている彼女の、副官であり、保護者でもあるはずの、ベイジさんの目に問いかける。


「あの時カグナは頭を抱え、絶叫しながらうずくまって、最後には白目を剥いて気絶しました。その後、目を覚ますまでの間に、こう(・・)なっていた。そんな始まり(・・・)、どう考えたって、正しい手順じゃないでしょう!」

「正しくなくても、良いのではないですかな?」


 ベイジさんの、目、そのものは、人間と比べてそこまで巨大な訳ではない。どちらかというと、目を思慮深げな黒の彩りに沈ませている、目の周りの隈取の方が、そこまで含めて、目、全体という印象を作り出している。自身の感情に決して溺れることのなさそうな、均一に丸く、広く、そして大きな、黒いまなざし。

 そのまなざしが、今、穏やかに、俺へと問い返してきている。


流霊(りゅうれい)族にとり、愛とは聖なるもの。いかに心を魔法で歪めようと、それで己の愛を見誤るほど、彼らの思い、浅くはありません。まして、セイの……我が友の、娘のことです。私は信じております」

「いや……そういうことじゃ、ねえだろう」


 口調が保てず、崩れてしまった。


「人を傷つけるってのは、例え被害者本人が気にしてないよと言ったとしても、それは、信じちゃいけない言葉だろう!」


 傷ついた側は、いつだって、気にしてないよと笑って嘘をつく(・・・・・・・)

 そういうもんだろう。


 だが、ベイジさんは動じなかった。小山のような存在感、そのままに、小揺るぎもしない。


「キスケ殿。何を信じるかは、誰の目を通してでもなく、己で見定めます。

 私は、見定めました。

 カグナ様は笑っておられた。王子の位を得てより、ああも無垢に笑うカグナ様を、私は見たことがない。ああも心置きなくお食事に興じる姿を、見たことがなかった。いや、見失ってしまっていた。

 それは、不器用な私では出来なかったことだ。こんなに大きい目をしていながら……。

「私は怠惰で、真面目な振りをしている。そこまでの器の男です。部下達の顔色を伺い、皇帝のご意思を慮り、おもねってばかりで、自らが仕えるべきお方を、ずっと一番には出来ないでいる。

「良いではないですか。手段が正しいかどうかよりも、結果を出すことが大事なのです。

「出来るかどうかが、大事なのです。

「あなたは傷つけた責任を取るつもりでここに来られた。それ以上に必要なものが、どこにありますか。

「キスケ殿。罪は、罪です。私には裁けない。裁くつもりもない。あなたがそれを、自身の罪だと背負うのならば、好きになさるといい。お二人の問題です。私は止めない。あなたがどこの誰であろうと、他の何を罪に抱えていようと、私は怠惰に止めません。

「人には、出来ること、出来ないことがあります。無理なものは、無理なのです。私では……僕では、セイの血筋が、こうと思い定めたことを、止めることは出来ない。でも、それ以外のことなら、僕にも出来る」


 うん。

 と、ベイジさんはもう一度、全身を前に揺するようにして、頷いた。


「この決断が、間違っていようと、正しかろうと、僕は、責任を取りますよ。

 キスケ殿……。

 カグナ様を連れて、帝都へと赴いてはくれませんか?」

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