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誰に導かれなくてもぼくらは生きる  作者: 城乃華一郎
序章
1/97

1.名前

2016/12/12:一部修正。

2018/03/27:差し替え。

2020/03/09:旧版に差し戻し。

/*【OTT→OVT】*/


 文字が閃いた瞬間、俺はここにいた。

 初めに言葉ありき。だが、有名なこの文句の続き(・・)に従い、聖書になぞらえた理解をすれば、原初の聖人を自認してしまうことになる。

 それよりは、今、ここがどこで、自分が何者であるかを確かめる方が、ずっと良い。


 けれども、心を落ち着けて記憶を探るよりも疾い風が──

 そんな煩雑さを、頭の中から、浚っていった。


 息が深い。吸い込むほどに、芯から命が芽吹くような力を、駆け巡る総身の血中に感じる。


(なんて甘い風なんだ)


 痺れるほどの快感を、肺から心ゆくままに染み渡らせる。そこでようやく、酸素が脳にも目にも行き届いたのか、ここがどこであるかを、俺の体は知覚したらしい。


 今は、夜。

 夏の日のせせらぎほども心地よい冷たさを孕んだ風は、見渡す限りを吹き抜けて、万物の眠りたる星の輝きと、絶え間ざる大地の営みの双方を、その内に掠め取って育ててきた濃密さ、そのままに、俺の中まで届けてくれていたようだ。かつて噛み締めたことのない自然の密度を、その濃さによって押し広げられた感性が、つぶさに拾い上げてくる。

 感性から理性への正常なリレーが起きた証たる、閃くような直観と共に、俺は、草原の、なだらかな丘の中腹にいる自分を、ようやく見出すことが出来たのだった。


/*/


 俺が立ち尽くしている茂みは、草の丈が深く、刃のように、微小な鋸状の縁を持っていて、それでガサガサと擦れ鳴く声が僅かに粗い。虫や草の、毒によるかぶれが気になって、星月夜のまばゆい明かりの中、纏っている衣服を改めると、スニーカーにジーンズに半袖のTシャツと、どうにも夏の薄い装いで、途端に心もとなくなってくる。

 同時に記憶も改めていたが、空気の強い清浄さによって落ち着いた心理状態とは裏腹に、とんと出てくるものがない。いや、ある。

 まだ、自覚出来ていない混乱が、多分に残っているようだ。思考がとっ捕まえる先が、とっ散らかっている感触がしている。


 浮かぶのは、女の声。何かを問われている自分。女の姿は見えない。どこで、いつ、問われたか。そもそも何を。

 空気の美味さに任せて、ありったけ繰り返している深呼吸が、目覚めた直後に夢のディティールを思い出していくのと同じ要領で、情報の切れ端を再構成し始めた。

 女。そう、あれは確かに女だった。声から年齢を悟らせない、力ある声色をしていた。鍛えられた喉や声の個性か、それとも自分の中にある確信に従っている時にだけ出る、揺るぎなく、伸びやかな声。


 記憶のよすがを求めるべく、無意識に見上げればそこには銀色の静寂が照らしている。

 月、か。それも、満月だ。

 それなのに、星が多い。途轍もなく多い。というより、もはや空が白い。確かに夜なのだが、星と星の間隔が狭すぎて、夜空が黒く感じられない。

 ここは白銀の夜を持つ世界らしい。


 世界。そう、世界だ。

 一つ一つの感慨は無為なようでいて、関連性を持ってつながった道のりを、俺の頭の中は、どうやら正しく遡れているようで、また次の記憶が閃いた。

 世界という単語を、女から聞いたような気がする。世界の歴史がどうとか、そんなことを言っていた気がする。

 わざわざ世界という言葉を扱うからには、ここは元の世界ではないのだろう。あの声の女が、俺を別の世界に飛ばしたと、こういう筋書きだろう。見慣れたはずの丸い銀盤上に、餅つく兎の姿も見い出せなければ、デネブもベガも、アルタイルも、目立つはずの星々は、軒並み所在の見当が付きやしないのだから。

 それに──


 この風だ。


 吸うだけで、俺の中には無かったはずの量の力が湧いてくる。

 こんなもの、地球の風であってたまるか。

 こんな、生きるだけで、ただ息をするだけで満たされる──

 そんな場所が地球であって、たまるものかよ。


 怒りで顔を歪ませながら、怒りに任せて、丘から下る、一歩を踏み出す。

 その一歩の遥か先、草原の海の水平線の奥底からは、緩いけれども、確かに茫洋と立ち上る、人の灯す輝きが、見えていた。


 俺の名はキスケ。()びを(スケ)ける者。

 この物語は、俺が、たった1人の笑わない女神を笑わせるまでの、ほんの短い、旅の記録になるだろう。

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