陰に潜む暗殺者(1)
夜会に向けての準備のためジャリルは一人部屋で公式の衣装を身にまとっていた。耳にはピアス、赤水晶のネックレスといった装飾品がより王子らしさを引き出させている。
「……窮屈だな」
衣装が、ではない。もちろん、堅苦しい正装をさせられて今すぐにでも脱ぎ捨てたい気持ちに駆られるが、今夜の出番の為に慣れておかなければならない。実の父親の誕生日を祝わない人はいないはずだし、ジャリル自身も立派に国を治めている父を尊敬している。最近では、よその国との関係を良くしていこうと王宮を開けている時間が多いため、家族団欒で過ごす時間が格段と減ってしまったが。
「そういえば、母様にもお会いしていないな」
いつも王宮を抜け出しているせいでもあるが、直に会って話をすることが無かった。こういうときくらいだ。王もいることなので思い切って話しかけるのもいいだろう。話題はいくらでもある。髭の親父の話や、今日あったばかりの商人のことも切り出してみるか。考えるほど楽しみが膨らみ、早く面会時間を取りたくて気分が弾んできた。
ただ会うだけではつまらない。ここは人目を盗んで思いがけない場所から登場してみようか。思い立ったらなんとやら。ジャリルは早速窓を開けて壁を伝って登ろうと片足を掛けた時だった。
「どこへ行くのですか?」
「……テル」
「何をしているのです。夜会はもうすぐ始まりますので待機していてくださいとあれほど」
あと少しで成功したのに、どこに潜んでいたのか。テルは部屋の入り口付近の壁に寄り掛かっていた。彼が現れた時点で計画は失敗に終わった。さあ、説教をされるか嫌味を言われるのか。言い訳に近くなるが、こちらも弁解というものをしてみよう。
「時間があるから母様にお会いしようとしただけだ。それに私のやるべきことは解っている。公式ではしっかりやるつもりだ」
「ならば、窓からではなく扉から出ていかれたらよろしいものを」
「貴様がいると解って、誰が正規の方からいくものか」
「それは残念」
絶対残念ではないだろう顔で肩をすくめるテル。
その時、考え事をするジャリルの部屋に一人の兵士が入ってきた。兵士は傍付のテルに用事があるようで、彼を認めるとまっすぐに駆け寄っては敬礼した。
「テルさま、先程捕らえた者を処罰が決まるまで牢に閉じ込めておきました」
「ご苦労様」
どうやら何らかの罪状により人が捕縛されたようだ。テルが命じたのだろうか。
「それと、暗殺計画はいつ実行で……」
「君ね、王子様がいる場で口外は間違っているよ」
「はっ、申し訳ありません!」
謝る兵士の様子がどうもおかしい。
咎めるつもりはないが、ジャリルは詳しい話を聞くために兵士に近づいた。
「貴様、今なんて言った……? あんさつ? そう聞こえたが」
「あ、ジャリル王子。えっと、あの…ですね……」
必死で取り繕おうとする兵士にテルはやれやれと言った様子で頭を抱える。そして、何を考えてか冷めた眼差しで兵士の首を掴んだ。
「だから、余計なことを言うなって言っているだろ」
淡々と言い放つテルは腰に提げていた剣の柄に手をかける。白銀の刃が見えた時点で彼がこれから何をしようとするのか想像したジャリルは青ざめて叫んだ。
「やめろ!」
「お止め下さい! 俺はまだ……っ」
王子の咄嗟の制止も空しく、テルの剣は兵士の胸を貫く。彼もまた抵抗しようとしだが、大量の出血により、やがて動かなくなった。テルは手を放すと、死体は鈍い音を立てて床に転がり落ちる。一気に大量の赤黒いものが周りに広がった。
ジャリルは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。危機感と共に、必死に謝罪する兵士を簡単に仕留める彼に怒りを感じ、気が付けば拳を強く握っては睨んでいた。
「テル……貴様…」
「申し訳ありません。すぐ片付けますので」
「そうではない! どうして殺したのだ!」
「この者が余計なことを先走っていたので」
さらりと言っているが、彼のしたことは許されるものではない。命乞いをしていた相手を簡単に、しかも顔色一つ変えずに殺した。
「…何を企んでいる」
「私は単に、頼まれた仕事を熟すだけにすぎません。この国の王を暗殺し、一国の崩壊を見届けよと。人の血を見るのは楽しいですし、何より快感に近いものを感じることが出来る。その為にはまず潜入して周りの信頼を得ることが必要だった」
「……騙されていたのだな、ずっと」
それも二年も。彼の計画に付き合わされていたということか。それなのに、今日まで何も気づかなかった己が悔しい。
「父様を殺せば貴様は警備兵によって捕まるぞ」
「そうかもしれませんね。ですが私に罪は降りかかりません」
「降りかからない? 何故だ」
「王を殺した事実は、あの商人に背負わせるのですよ」
「商人って……まさか、カマルのことを言っているのか!? あれは罪人でもないというのに!」
ジャリルの問いに、傍付は何も言わなかった。肯定を指しているのか嫌なくらいの笑みを作っている。
カマルはただのいけ好かない商人なはず。そう主張したジャリルに対し、テルは驚いた顔をした。
信じたくない事実を黒い笑みを零しながら傍付は告げる。
「彼、盗賊ですよ?」