王子としての理由(1)
全知全能の神がいたとしても、本当にすべてを知っているとは思えない。知り尽くしていたら、男だと思っていた相手に殴られることはなかった。
昼食としてホプス(ナンみたいなポケットパン)にガルバンゾ豆(ひよこ豆)のソテーを付けて優雅に食している王子(実際は女だった)の隣でカマルは殴られた頬を大事に守っていた。一発くらっただけでも相当なダメージが来た。
「なんだ。私はてっきり貴様が女という事実を知った上での狼藉かと思ってしまったぞ」
「俺はこの国に来て間もないって言った。知ってるわけないだろ」
「まあ、そういうことだな」
「なんであんたは俺の金で飯を食おうとしている」
人の話すら聞かないのかこいつは。事故だとはいえ、無意識に異性の体に触れてしまったことは此方に非礼がある。侘びとして少ない食事代の中から二人分の昼食を代わりに支払っているのだ。二人分というのはカマル以外の、ジャリルと果物を売っていた気前のいい髭の親父の分。この男に礼も侘びもする義理もないと思うが。
「俺は商売の邪魔をされたからなー」
「店も無事なんだから支障は出ていないだろ」
「そうもいかねー。一分一秒でも遮られたらしばらく食っていけなくなる。今日だって飯代を稼げるはずがつまらねー争いのおかげで失っちまった」
その原因はお前にもあるんだぞ、と髭の親父は粉着した指でカマルを指しながら言った。先の騒動の後、思わぬ出来事でカマルは王子に追いかけられたが、その際市場のあちらこちらを駆け回り、時には店内を駆け巡るということもした。売り買いする人たちにとっては面白がられるのだが、大半は営業妨害だと恨みを抱く原因になってしまう。侘びるだけでは物足りないという人もいるのだろう。
やらかしたことは元に戻らない。カマルは嘆息を吐いていっしょに運ばれてきた果物を横に鎮座している鹿にあげる。鹿は一瞬主人と果物を交互に見て、食べていいのかと思い至ると目の前の食べ物に噛り付いた。
「気になったのだが、貴様と一緒にいるのは魔法で呼び出したのか?」
純粋に思ったことを聞いたジャリルにカマルは暫し考える素振りをみせた後、「さあな」と首を傾げた。
「さあなって」
「気が付いたらいたんだ。最初は邪魔だと思っていたが、荷物を運んでくれるし俺の言うことも素直に聞く。旅をするのに便利な奴だなと連れているんだ」
「……一つ聞くが、それがなんなのか知ってるのか?」
ジャリルの問いにカマルは再び知らないと答えると、王子と共に大きく口を開けて今まさに肉たっぷりのホプスを頬張ろうとした髭の男も同時に顔を近づけた。ガシャン、食器が揺れて中身の一部が食卓に零れる。
「な、なんだ? 驚くこともないだろう」
「驚くに決まっているだろう! 貴様、召喚獣って聞いたことないのか!?」
「サモン…」
召喚。
魔法を使うものなら一度は身に付ける術。ベドウィンが住まうこの国では当たり前のように存在し、街の至る所に呼び出された召喚獣がいる。先ほどから卓上で素早く食べては気持ちよさそうに眠っている狐もジャリルが魔法の練習で呼び出したもの。後衛より直接刃を交えた方が敵の実力を測れるため、召喚したのは細かい動きが出来る小狐なのだ。
魔法の存在は知っていたが召喚獣に関しては興味が無かったので、今まで無視してきた。旅から一緒の鹿も王子たちの連れているものと同じだということは知らなかったのだ。
「こいつが召喚獣だったなんてな」
「一緒にいるのに解らなかったのか」
「俺は魔法はからきし駄目なもので」
「使えない? 実際に召喚されているのにか?」
魔力が無ければ召喚も行えない。なのにカマルにはいつも召喚獣が付いているという。事実か気になるので試しに催促をする。カマルは不機嫌そうになるも、諦めた様子で卓上の真ん中に手をやり、細々と口の中で呪文を唱える。掌に朱い粒子が集まってきたのは認識できたが、それだけで大きな変化を見せず、一つにまとまろうとしたところで消散してしまった。
本当に魔法は使えないらしい。発動に失敗したのに本人は然程気にしていない様子だ。
(召喚獣がいるからてっきり同じベドウィンだと思っていたのだが)
肌色から判断しただけのことだが、魔法を使えないとなると同族ではないのか。
「さて、質問には答えた。次は俺が王子様に聞く番だ」
カマルは改めて王子と向き合う。
「俺が聴きたいのは二つ。一つは女であるにも関わらず、どうして王子として振る舞っている?」
もしかしたら男兄弟はいないのだろうか。そうなれば自然と王位継承権はジャリルに回ってくる。彼女自身も周りから男としての教養されてきたのだろう。
それも含めて質問したのだが、ジャリルは突拍子の内容に対して言いづらそうにした。
「それは……だな」
食事が乗っていた皿は話している間になくなり、気が付けば店員に片付けられていく。髭の親父はジャリルの様子を察してか、静かに自分の店に戻っていった。
「私が、王子として……」
生きている理由。それは人を前に進めるもの。時には鎖となって縛り付ける足枷。