バザー騒動(2)
「誰だ、お前?」
少女を殴ろうとして、いきなり遮られたマントの人物に男は不審な眼差しを向ける。
「私はただ、近くを通りかかっただけなのだが、貴様が彼女を痛めつけようとするところを目撃し、放って置けなかったから止めた。別にとがめられることではないだろう」
さらり、マントの人物は言って男から手を放す。少女の方を向いて腰を下ろし、「大丈夫か?」と怪我の有無を確認するとともに立たせるために手を差し伸べる。特に痛む箇所はなかったのでそのように頷くと安心したように笑った。最悪の事態を避けられたと思っているのは、マントの人物だけで男は怒りを隠せていないままだった。躾の為に殴ろうとしたというのに憚られてしまったからではない。自分を置いてその場だけの解決へと収めようとするマントの人物に腹が立っているのだ。
「……なめやがって」
低い声で唸る。懐に手を突っ込んだかと思うと鉄の刀身を抜き出した。その形状を見て悲鳴を上げる者、「やっちまえー」と煽る声が響く。
「いい気になるなよ!」
叫んでは刃を向ける。そこまでして小馬鹿にされたことが悔しかったのだろうか。男は切りつけようと刀身を振り上げた。男の様子に気づいたマントの人物はしかし反応が遅れ、咄嗟の防御態勢になることが出来なかった。少女は自分のせいで刺されてしまうと感じたのか恐怖で表情が歪む。
「俺のやり方に口出しする奴は怪我しても文句は言えねーんだよ!」
「……うるさいな」
「は?」
無防備の相手に向かって刃を振り下ろそうとした矢先、なんとも呆れたような台詞が聞こえてきた。
あまりの淡々とした抑揚に対峙していた二人も、それを見世物として楽しんでいた人も情けない声を出してしまった。場の雰囲気を変えたのは二人の前で店を構えていたカマルだった。
「あんたらさ、喧嘩なら余所でやってくれない? 客が逃げていくんだけど」
頬杖を突きながら呟く。隣の男はやってしまったとでも言いたいのか額に手を当てて首を振る。関わらない方がいいと忠告を出しておいたのにまったく。
迷惑そうに言うカマルに男は一瞬呆然としたが、すぐに元の表情に戻る。
「商人は黙っていればいいんだよ」
「ぎゃあぎゃあ喚いてばかりでなんの力もない奴に言われたくないね。その短剣も模造刀だろ」
怒りの矛先をマントの人物からカマルへと変えた男だったが、あっさりと手元の短刀が偽物だと明かされ、周囲から苦笑が漏れる。
「う、うるせえ! だったらこれならどうだ!」
男は恥ずかしさに逃げたくなったが、今まで見ていただけの、たかが商人に馬鹿にされたことが悔しく、今度はマントの人物の背後にまわり、手を当てる。もはや八つ当たりと言っていいとしか思えない行動だ。
「魔法だったらいいんだよな? 誰だって使えるんだからよ」
魔法。その言葉に周囲はざわつく。よく見れば男の瞳が黒から緑に変わっていた。魔法は砂漠地帯に住まう砂漠の民なら生まれた時から備わっている力。瞳の色によりその内容は異なる。
緑は風の魔法。強い風を起こせるなら相手を怪我させることだって可能だ。なにもそうまですることはないはずなのに。
魔法を使うと言い放った男に対し、カマルは何も言ってこない。男は勝ち誇ったように笑みを零した。
「お前も悔しかったら魔法で立ち向かってくるんだな!」
「貴様の魔法はそんなにも素晴らしいものなのか?」
「そうさ、なんだって……へ?」
まさかカマルではなく自分が捉えている人物が答えるとは思っていなかった。見ると、マントの人物は捕まっているにもかかわらず余裕の態度を示していた。
「そこまで自身があるなら、我が国の兵士として働いてみてはどうだ?」
そう言い放ちながら外されたフードの中身は悠然とした面構え。褐色の中の黒い瞳は楽しそうに男を見つめていた。
「ジャ……ジャリル王子!?」
露になった双眸に男は唖然とする。瞳の色も元の黒色に戻っていた。周囲から王子に刃を向けた、魔法を打ち込もうとしていたのかという非難の声に、王族を間近で拝見できたという感激の声が耳に届く。男もまさか王子が相手だったとは思ってなかったようで、もし非行が通報されたらたまったものではない。
「お許しくださいーっ!」
叫んで、男は逃げるように駆けていった。すぐさまジャリルと呼ばれた人物の周りに人が集まる。
「流石はジャリル王子だ。あの男、顔を見ただけで怖気づきやがったな!」
「あいつ、何者なんだ?」
「カマルおめーさん知らねえのか? ジャリル王子と言ったらこの国では有名だぞ」
「生憎、この国にきて日が浅いんでね」
「なら覚えておいた方がいいぞ。あの方は週に何度かは王宮を抜け出しては視察ついでに街を探索する。俺たちみたいな一般人にも話しかけてくれるし情けもかけてくれる優しいお人だ」
「へー」
さも関心のない返事をする。多くの人に囲まれては称賛の声を浴びるジャリルは誰彼かまわず笑みを見せている。先ほど助けられた少女もお礼にと零れなかったリンゴを差し出していた。
特に興味を持たないので喧嘩が終わったなら営業を再開できる。この国の王子、というらしいが祭事でも抜け出しているのだろう。きちんと執務をこなしているのだろうか。否、あの様子では絶対サボっているに違いない。
来てくれるであろう客を待っていたのだが、店にやってきたのはジャリル王子だった。
「親父殿、今日も繁盛しているな!」
「これも王子のおかげですよ。どら、腹ごしらえに俺の商品を持って行ってくださいよ。国王たちと一緒に食べるのもありです」
「うむ、そうさせてもらおう」
彩りどりの果物を受け取ったジャリルは、ふと、頬杖を掻いている青年が気にかかった。
「私はジャリル。この国の王子だ、宜しく頼む!」
「別に宜しくしたくないし、王族とも関わりたくない。帰れ」
せっかく仲良くなろうと話しかけたのにそっけない態度だ。隣の男に聞くと、どうも入国したのは最近だと言っていた。店を構えているので商人だと認識している。人と交流を持たなければせっかく品もそろっているのにもったいないと思えた。
「そんなことを言うと友達がいなくなってしまうぞ?」
「俺には友と呼べる奴がいないから心配するな」
「なお心配だ。友達がいないとは貴様も寂しい奴だな」
「……余計なお世話だ。商品を買うなら買う、買わないならさっさと余所へ行ってくれ」
商売の邪魔だ。そう言い放っては自分の仕事に戻るカマル。カヤの外に置かれてしまったジャリルは何かを考える素振りをみせる。そのうち何処かへ行くだろうと放って置いていたが、やがて思いついたのか、ジャリルは残っている品数を紙に記そうとする青年の手を勢いよく掴んだ。
「あんた、何を……」
「貴様、旅をしているのか?」
「……そうだが」
突拍子もなく聞いてきたので正直に答える。旅をする商人と分かったジャリルは「そうか」と嬉しそうに頷いた。
そして、まっすぐな眼差しでカマルを見つめて言った。
「貴様の旅に、私も連れて行ってくれないか?」