音響結晶
「まずい、ディマの結界が! 」
やはり街全体に影響を及ぼす魔法はあの小さな身体に負担なのか、水の結界は早々に役目を終えてしまった。だがしかしひとりの少女が背負った役割としては充分すぎるほど時間が稼げている。
「宿まで戻るぞ。荷台へ急がなければ」
カマルはもう一度召喚獣を呼び寄せるために意識を集中した。
「!? 」
腕を振っても反応がない。いつもなら召喚獣の動きや考えが手に取るように分かるのに、今は息遣いも鳴き声も聞こえてこない。
「どうした」
明らかに困惑するカマルの元へレイリーが駆け寄る。手を何度か開いたり握ったりしても自分の中の魔力は空っぽであった。
「喚べない」
「なんだって! 」
魔力の枯渇。レイリーはすぐに魔法研究機関のことやサフィアのことが思い浮かべる。カマルがあいつらに何かされていることは間違いないと考えているのだ。
「カマル、それはきっと魔法研究機関が……」
ぼそぼそと歯切れの悪い言葉にカマルは訳が分からないと首を振る。
「コーカソイドがどうした?今は関係ないだろう」
話が通じない。カマルの返答にレイリーは苛立ちをあらわにした。今はそんなことどうでもいいだろうと来た道を自分の足で走って戻り始める。置いていかれるのも腹立たしかったので仕方なく追い掛けた。距離はまだかなりあり、砂に足を取られじりじりと体力が削られていった。
レイリーは限界を伝える心臓と肺を押さえつけてカマルを呼び止めた。結界が崩れてからもうすでに半刻は経ってしまったように思う。街のところどころから悲鳴が上がっており、良くない予想ばかりが頭に浮かんできていた。やはり、カマルの召喚獣の力が必要だった。
「大丈夫か」
「だ、大丈夫だ。やはり召喚獣は喚べないのか」
レイリーの背を擦りながらもう片方の手を見つめる。少し意識を集中して見るものの反応はない。悔しさと疑問を織り交ぜたような複雑な気持ちで肩を落とした。
「駄目だ。魔力が足りないんだ」
魔法が使えないとはいえ、いつもなら召喚獣は喚べた。そのわずかな魔力さえもない状態は記憶の中では初めてのことだ。カマルが困惑するのも無理はなかった。
「休息や睡眠、食事と共に補給されるとは言ってもそんな時間もない……」
魔力が潤沢にあることが当たり前のレイリーにとってカマルの悩みを理解することは難しかった。しかし、幼い頃に宮殿の図書室で読み漁った本の記述を思い出していた。
「カマル、手を」
「こうか?」
両手を挙げてレイリーの目の前に持っていく。その手を掴んで祈るように身体の中に巡る魔力を意識した。
「私の魔力を使ってもう一度召喚を試みてくれ」
本の中では魔法のことやベドウィンという人種のことや魔力の属性や扱いについて書かれていた。子供でも理解できる物語として。その中の登場人物はみんなの力を合わせて巨大な悪を退けている。レイリーは半信半疑ではあったものの、その本を信じてみようと思ったのだ。
「レイリー……! 」
変化は劇的だった。
あたり一帯が魔力の光で包み込まれる。空っぽだった気力が満たされ、指の先まで力が湧いてくるようだ。そしていつもの、いやいつもより魔力が漲ってくるのが手に取るようにわかる。今なら何でもできるような、そんな気持ちになった。
「これは、何と言うか本当に……信じられない」
いつの間にか喚び出されていた鹿が背後から頭に頬をすり寄せてきた。そして目の前にいるレイリーを見て息を飲んだ。
「私だって貴様の役に立てる」
その目は赤く輝き、頭の上には王族と認めざるを得ない王冠が魔力の光で形成されていた。
鹿を走らせ遂にふたりは宿へたどり着いた。ドアを蹴破る勢いでロビーに入るとそこには疲れを顔に貼り付けたサフィアが待っていた。しかしふたりの姿を確認するとすぐに駆け寄ってくる。
「ディマはどうしてる」
「心配はいらないさ。あの幼い身体で長時間集中したんだ、今は疲れを取るためにベッドで寝ている」
結界を張り続けるために魔力を絞りきりそのまま倒れるようにして眠ってしまったらしい。熟睡してはいるが命に別状はない。しかしもう彼女の力を借りることはできなくなってしまった。
「で、収穫は」
「あった。説明は街の入り口まで行く間にしよう。時間が勿体ない」
ゆっくり立ち話をしている場合ではない。カマル、レイリー、サフィアの三人は正面から宿を出て裏に回った。預けていた荷台をすぐに見つけ、たくさん積んだ商品の中から大きな麻の袋のひとつを取り出しサフィアに見せる。
「これは祭り用の魔法アイテムじゃなかったかい」
紐の結び目を緩め口を開けると中からは音響結晶が顔を出した。レイリーがいくつか使ってしまったがまだ大小合わせてもひとりで持ち上げられないほどの量が残っている。カマルはひとまず袋を床に置き、残りの袋を指さした。
「これがきっと役に立つ。数が必要だ。ふたりも袋を持ってくれないか」
言われるがままにふたりが袋を抱えるとカマルはその中のひとつをつまみ上げ地面に叩きつけた。
パキィン!
音響結晶は特有の音を鳴らして砕けた。その音が狭い屋内で反響する。
「近付いてくる魚を確認したらこうやって牽制し続けてくれ。あいつらは耳が良いと聞いた。だとしたらこの音に驚いて離れてくれるかもしれない」
大きい結晶ほど音も大きくなると説明してもらい、ふたりはなるほどと理解する。街の端まで移動して外へ向けて音を鳴らすだけなら誰にでもできそうだ。
「分かった。あいつらを食べるのは私達の方だ! 」
やることを与えられ上機嫌になるレイリー。自分の持ち場につこうと走り出す直前にカマルの方を振り向き、思い出したかのように疑問が浮かんできた。
「そういえばなんで普段はケチなのに商品をこんなに簡単に私達に使わせるんだ? 」
レイリーが勝手に音響結晶を使ってしまった時には相当に腹を立て散々文句を言ったカマルだったが、今はこうして積極的に使えと催促してくる。これは一体どういう風の吹き回しだと思うのも不思議ではない。そうでなくてもカマルは金に人一倍執着していた。
「なんでかって? 」
にやりと口角をつり上げるその表情はまさしく金にうるさい商人のものだった。
「この騒ぎが終わったら街を救うのに使った分の結晶の代金をいただくからな。素晴らしい報酬になるぞ」
それは未来の英雄にまったく相応しくない理由で、ただ呆れ果てるばかりであった。




