食うか食われるか
このままでは皆、砂の下の捕食者においしくいただかれてしまう。
最悪のシチュエーションが頭に浮かぶや否や、頭がついてくる前に身体が反応していた。
「みんな、落ち着いて聞いてくれ」
魔法石の台座の上に飛び乗り、皆を見下ろすとレイリーは今まで被っていたフードを取り払って声を張り上げた。何のことかと視線が集まり久し振りの緊張感に曝される。
「結界が自然に壊れたのか、または何者かによって破壊されたのかは分からないが、今はあの魚達から身を守ることがーー」
「私達助からないの!? 」
「逃げろ! 今すぐ街を出る! 」
不安が隣へ隣へと伝染る。
「駄目だ! 安易に砂漠へ出るな! そんなことをしたら」
自分が逃げるのに必死になって周りが見えなくなった人間たち、その暴徒に踏みつけられ泣き叫ぶ子供。もうすでにレイリーの言葉は届いていなかった。
「落ち着け! 行くな! 行かないでくれ......! 」
無力な自分が嫌になる。目の前がかすんで見えなくなる。その代わりに浮かぶのは街から飛び出した人間に襲いかかる砂魚の未来予想図だ。しかしこのまま街にいても被害が出てしまうのは時間の問題だ。外からの救援に期待出来るほど状況は甘くなかった。
絶望感に胸の中が塗り潰されそうになったとき。
「レイリー」
うずくまる彼女に気付いた人間がいた。
「サフィア、ディマ......カマル」
震える声でその人の名前を呼べば、縋るように胸へと飛び込む。鳥肌が立つほどに冷たい身体を温めるように熱い涙を染み込ませ、不安をふりほどくように何度も顔を擦り付けた。どれだけ叫んでも届かなかった声を聞いてくれた嬉しさを噛み締めながらレイリーは彼を見上げる。
「酷い顔だ」
「う、うるさいっ」
こんな時にでも嫌味ばかり言うのだから困ったものだ。
「結界を張り直すまで時間を稼がなければいけない」
「ああ」
四人は顔を見合わせて頷く。まず動いたのはサフィアだった。
「ディマはできるだけ力を温存しながら結界を張ってくれ」
任務を与えられた本人は真剣な面持ちになり、両手を目の前に持ち上げまぶたを閉じた。そして空気中に青い光の粒を巡らせる。
「結界をこんなチビがひとりで?」
「できる」
小馬鹿にしたような言葉を一蹴してディマが目を開くと黒曜石のような瞳がサファイアのように深い青色に染まっていた。魔法の属性に合わせて瞳の色が変わるのはベドウィン特有の現象だ。その中でも青は極めて特別である。
「水属性の巨大魔法......! 」
レイリーは驚きを隠せない。ディマは大気中の水分や井戸水など自然に存在する水分をかき集め、薄い膜を街全体に張り巡らせた。今までの結界よりは強度に心配があるが、それにしても強力な魔法だ。
「そんなに、長時間は......無理」
深呼吸を間に挟みながら喋る彼女を心配そうに見守る三人。しかし街を覆った奇跡に感動している場合ではない。早く皆を助ける算段を練らないとすぐにでも魚達は結界を破壊してやってくるだろう。
足元が微かに震動している。急がねば。
「まずはこの街の港へ行こう。魚について一番知識がある漁師に話を聞いて対策を練る。そうすりゃみんなが避難する時間くらいは稼げるだろう」
またもや最初に口を開いたのはサフィアだった。
「ああ、分かった」
「急ごう」
他の案がすぐに浮かばなかったのでふたりはその提案に乗ることにした。
カマルが腕を振り召喚獣を呼び寄せる。そうすればいつも荷台を引いてくれる鹿が現れた。主人がはじめに飛び乗れば仲間達に手を差し伸べた。
「乗れ。人間の足よりは速い」
レイリーがその手を掴めば、ぐいと力強く引っ張られて後ろへと乗せられた。簡素な鞍だったが乗り心地について文句を言っている場合ではない。手綱を持つカマルの腰に腕を回し準備が出来たことを伝えた。
「サフィアは」
「ディマを動かせば集中力が切れる。あとから行くからふたりは先に行け!」
目を閉じてイメージを頭の中に保ち続ける必要がある少女をゆっくりと抱え上げ、サフィアはカマルとレイリーに不敵に笑いかけた。
「カマル」
「どうした?」
「あいつは一体......いや、なんでもない」
「なんだよ、話しかけておいて」
小さな街だ。一番端に位置すると言っても砂に足を取られることなく召喚獣は目的地にたどり着いた。やはりここでも混乱は広まっているらしい。
「騒ぎを抑えるのは無理そうだ。誰か捕まえて話を聞いた方がいいだろう」
レイリーはそう言うと鹿から飛び降りて騒ぎの渦中に入っていった。カマルもワンテンポ遅れながら飛び降りて鹿の鼻先をくすぐってやる。そうすれば鹿は満足したのか目を細め、そのまま砂像が崩れ去るように姿を消した。
前を行くレイリーを追いかけてカマルは人混みを掻き分けて進む。港は砂の上にあってもその機能を果たしている。巨大なソリのような漁船に砂を掻くオールが立て掛けられているが今は漁をしている暇ではなさそうだ。いや、今だからこそ漁をしてほしい気もするが。
「教えてくれ、あいつらは何が苦手なんだ」
日に焼けた肌と動きやすいゆったりとした外套を身に纏ういかにも漁師だと思われる男に詰め寄るレイリーの目は真剣だ。
「うちの連れが無礼を働いてすまないがあの魚達を追い払うために力を貸してもらいたい」
突然話しかけられて戸惑う彼に、やっとレイリーに追い付いたカマルが助太刀する。焦る彼女をなだめながら街を守る意思を伝えればようやく安心してもらえたのか男は会話に乗ってくれた。
「あいつらが一番優れているのは聴覚だ。砂の中で獲物の位置を探ったり危険を避けるために必要なんだ」
さすがは漁師を生業としているだけある。レイリーは一字一句聞き漏らさないように男の説明を注意深く聞いている。
「耳がいいからこそそれが弱点になると?」
「俺はそう思っている。実際、漁をするときにはわざとソリに鈴をつけているからな。間違いない」
ならば聴覚を潰してしまえば追い返すことができるかもしれない。ここでカマルはひとつくらい役に立ちそうなことを思いついた。
「貴様、荷台に何を乗せていた? 」
「ああ、言いたいことは分かった」
レイリーも同じことを考えたらしい。
「戻ろう。俺達に出来ることをする」
その瞬間、街を覆っていた水の膜が崩れ去り雨となって地面に降り注いだ。




