バザー騒動(1)
豪華な装飾家具が定位置に設置された室内。その端に掛けられた姿鏡の前で己の格好を確認する人物が一人。頭がすっぽり入るようなフードつきのマントは自身の正体を簡単に明かされないようにするため。
「忘れ物はない、と」
なるべく持参するものは少なめに。そうだ、いつも用いている愛刀も持っていこう。大事があれば使えるかもしれない。そう思い立ち、すぐさま寝台の上の得物を手に取っては装備する。
「これでよし!」
準備はできた。あとはいつものように抜け出すだけ。拳を握りしめてると、足元に柔らかな感触が伝わってきた。見ると、赤い目をした狐が擦り寄っている。
「うむ。貴様も一緒に行こう」
抱き上げて、向き合っては笑いかける。狐は一つ鳴いてひょい、と肩に乗った。
ここ数日は王宮内に留まり、職務をこなしなさいと傍付のテルに口うるさく言われ、渋々言うとおりにしてきたが、我慢の限界だ。自分がいつまでも大人しく従っていると思ったら大間違いだ。考えが甘すぎる。
厳しい傍付は現在、別の用で走り回っている。丁度良い時にいなくなってくれたので嬉しい。
警備兵が見張っている正門は見つかると厄介だ。少し離れたところにバザーへ続く裏門がある。そこを通っていこう。
「今日は、どんな楽しみがあるのだろうな!」
主人の言葉に狐が高らかに鳴く。
「お、貴様もわくわくするか?」
声の主ははしゃぎつつ、忍びやかに王宮から姿を消した。
◇
バザーは常に活気がある。特に祝い事があればそれに応じてひと儲けしようとする旅の商隊がやってくる。かく自分も金儲けのため、商品を広げていた。
「なあ、兄ちゃん。ここに珍しい魔法石があるんだが、いい値で買い取ってくれないかい?」
人受けの良さそうな男がやってきて掌ほどの石を差し出し交渉してきた。どれ、と手に取って眺める。紫色をした石は太陽にかざすと輝いて見える。力の強い魔法石なら高値が付くだろうが、しかし首を横に振った。
「見たところ確かに高価そうな石だ。だが、魔法石じゃない。アメジストと言って宝石としての価値はあるが加工もされてないならただの岩石。まあ、高くてこれくらいだったら受け取りを検討してもいい」
手元の紙に値段を記して見せる。提示された価格の低さに男は驚きを隠せなかったらしく、目を丸くした。
「あのよー、もうちょいいい値で……」
「無理だ。なんだったらこのまま俺の商品にしても構わないが」
すまし顔でいう店主に男は怒りを隠せず、「なんだと!?」と殴ろうとして胸倉をつかむ。どこから現れたのか解らない鹿が、さりげなく男に寄ってきた。いきなり近づいてきたので戸惑いと恐怖が顔に現れ、思わず後ずさる。何だこいつは? 何処から湧いて出てきたんだ。男は鹿と店主を交互に見るが、本人は関係ないとでも言うように次の客が来るのを待っている。
「くそっ、どうせべらぼうに高くするんだろ!?」
負け惜しみか、男は店主から石をもぎ取って去っていった。貧乏人を見るような目で見送る少年に隣で商売していた髭の立派な男が話しかけてきた。
「カマルよう、相変わらずピシッと捌きやがるな!」
「売り物にならないのは受け取らない。それが商人ってもんだろ」
「がははは! 違いねえ!」
当たり前のように理屈を言う青年店主――カマルが言うと、男は何が面白かったのか意気揚揚に笑った。
「だが、あまり商品やら値段にこだわり続けると、稼げるもんも逃げちまうぞ?」
男はカマルが並べている品ぞろえみて指摘する。店頭には数種類の衣類やどこで仕入れてきたか分からない謎の骨董品があり、どれも高そうだ。特に隅にまとめられている薬品の類の札には、とてもじゃないが安く買うことが難しい値段が振り分けられている。よく見ると、男の店には次々と客が商品を買っていく。大柄な体格故に怖そうな印象だが、それは声や見た目だけであり、砂漠には欠かせない果物を安い値段で売っている。売る際に気前よく話をするおかげでお客も落ち着いて買うことが出来るらしい。
着々と売れていく男とは反対に、カマルの店にはあまり客が来ない。カマルは眉間に皺を寄せて唸る。
「なんで売れない」
「そんな高そうな品ばかり並べているからだぞ。ま、一番の原因はお前さんの顔が怖すぎるからだな!」
「アンタの方が逃げていくんじゃないか?」
「それもそうだ! だが、俺のほうが人生経験長いからな!」
人生長けりゃ商品もよく売れると言いたいのかこの親父は。そう口を開こうとしたカマルだったが、店の前で怒鳴り声が鳴り響き、一瞬時が止まる。
「おい、こりゃあ売り物なんだ。生活の糧になる大事な商品を汚すとはいい度胸してるな!」
見ると、高価そうな服を着た中年の男が少女に向かって叫んでいた。その顔は鬼のような形相。少女が売り物のリンゴを落としてしまい、それを彼は怒っているのだろう。
「ご……ごめんなさい。すぐに拾うから…」
少女は謝りながら急いで落としたリンゴを拾おうとする。が、掴もうとするリンゴは蹴られてしまった。
「あーあーいいんだよ。おめえの売った食い物なんて誰も買わねえし、捨てちまった方がいい」
「で…でも」
「うるせえな。おめえは黙って従えばいいんだよ!!」
「ご、ごめんなさい……」
更に怒らせてしまった責任を感じ、少女は許しを願おうと必死で謝る。くずる少女にイラつきを覚えたのか男は剣呑な眼差しを向ける。いつまでも泣き止まないのでついには「だあ!」と大声を上げた。
「うるせえって言ってんだろ!!」
怒りが収まらない男は拳を握りしめ勢いよく振り上げる。カマルは商売の邪魔になると思い、諍い事を止めようとして腰を浮かせたが隣の男に手を掴まれた。下手に関わらないほうがいいとでも言いたいのだろう。殴られる、その場を目撃した誰もがそんな未来を予感し、目を背ける。少女も逃げられないと強く目を瞑った。
だが、いくら待っても痛みは襲ってこなかった。恐る恐る目を開けると、少女を殴ろうとした男の腕を掴むものがいた。体をすっぽりとマントで羽織り、頭もフードで隠されている。マントの人物は自分よりも背の高い男をフードの下から睨んだ。
「大人が子供に手をあげるのは、好ましくないことだな」