過去の話
カマルは夢を見ていた。それはずっと昔の話。カマルがまだ……罪を重ねていた時の話だ。
彼はあの傍付のテルが言うように盗賊団に所属していた。とは言っても下っ端の下っ端で市場で金目のものをこっそり盗み、それを売って生活していた。
「このクソガキが。役立たず」
無謀なミッションを押し付けられ、成果が芳しいときは暴行を受け、動けなくなれば消される。そんな苦しい毎日にも屈せず生きてこられたのは家で母が待っていてくれたからだ。
「母さん、今日も頑張ったよ」
病弱ながらも優しい母。1日に2回ほぼ水の粥を与えるのが精一杯な現状に嘆きつつも、現状を打開できる方法を見つけるにはカマルはまだ幼く力も持っていなかった。自分も日に日に衰弱していくのを感じ取りながらも、藁をもつかむ思いでいた。
状況が変わったのは白い肌の人間がやってきてからだ。魔法研究機関コーカソイドと名乗る彼らは盗賊団の頭領と手を組み始め、生活が一変したのだった。
「じゃあ次はこの部屋に入ってもらおうかな」
盗みをしなくてもいいほどに金は手に入った。しかしその代わりに失ったものがある。
「ぐああああああっ!!」
「やめて、やだああああああ!!」
「ああっ、ううう……」
ベドウィンの持つ魔力を抽出する実験の被験者とされたのだ。同じ元盗賊団にいた同じ歳の少年達が次々と断末魔をあげて廃人になるのを見せつけられ、次は自分の番ではないかと怯える日々に変わってしまった。コーカソイドの人間が魔法を使えるようになるためにベドウィンの少年達は消費されていった。
カマルがサフィアに出会ったのはこの頃であった。コーカソイドの人間であるにも関わらずサフィアはカマルに優しかった。いや、優しいと油断させてその仮面の下にはとんでもない欲望を抱えていたのだった。
「カマル、今日の実験はついにお前の番らしいぜ」
自分があの少年達のように精神崩壊を起こす想像が頭に思い浮かんでは消えていく。膝を抱えて震えているカマルに甘い言葉を投げかける。
「逃げたい?」
逃げ出したら母への生活支援が滞る。逃げ場なんてどこにも存在しない。それでも。
「逃げ出したい」
ひび割れた唇をなんとか動かして返事をする。それを聞いて彼はニヤリと笑ってそして立ち上がった。弱々しく今にも消えてしまいそうなカマルの心臓あたりを押さえて、ぐっと腕に力を込める。
「じゃあさ、その魔力を俺にくれよ」
どうやって。
何のために。
どうして。
目が語っていたのか読心術を心得ているのか、サフィアはカマルの疑問に答えた。
「そんなの決まってるじゃない。俺たち白人は魔力を自分で作れない。でも魔法は使いたい。だから体内生成できる君たちベドウィンから頂戴するしかないってこと」
裏切りを警戒して機関員に魔力を渡さないなんてひどい話だよねと付け加えられる。
「裏切るつもりなのか。この巨大な組織を……?」
そんなことをすればあっという間に捕まって口封じのために殺されるか、死ぬより辛い目にあうかもしれない。魔法研究機関コーカソイドはそれくらいの事件の揉み消しくらいなら簡単にやってのけそうだ。
「やるさ。お前は心配しなくてもいいさ、俺の魔力タンクになってくれればそれでいい。」
指が、手のひらが光りながらカマルの胸に沈んでいく。駆け巡る激痛に背中が跳ねた。叫びはもう片方の大きな手のひらに口を押さえられてドアの向こうまで届かない。手首まで浸かったところで魔力の心臓を掴まれた。
「温かくて力が湧いてくるようだよ」
あまりの未知の感覚に目を見開いて口を開け閉めすることしかできないカマル。彼を労うように優しい手つきでそれを引っ張りあげる。そしてブチッと音を立てて引きちぎった。
「ありがたくいただくぜ」
飴玉のようにも見える魔力の心臓を口の中に入れるところまで見て。
カマルは目を覚ました。
「あれ、俺はいつの間に寝てたんだ」
朝の陽光が眩しい。
昨夜の記憶が曖昧だったが、煙管の火がきちんと消されているところから一応寝る前までの意識はしっかりしていたのだと考える。ゆっくりと起き上がると胸のあたりをさすってまだきちんと覚醒していない頭を何度か傾けた。
「なんか変だな」
何かが足りないような。そんな気がして一生懸命思い出そうとしても夢は水が指と指の間から漏れ落ちるように忘れられてしまった。
「まあいっか」
きっとそんなに大したことのない夢だと決めつけてそれ以上の追求はしなかった。
隣のベッドを見やればサフィアが枕を抱いて眠っている。シーツはぐしゃぐしゃで掛け布団は蹴飛ばされて床に落ちていた。もう既に砂漠の国特有の乾燥した熱風が吹き込んでいるというのに、全く起きる気配がない。
「こいつは放っておいていいよな」
汗ひとつかかない体質を羨ましく思いながら、カマルはタオルと水桶を片手に持ち部屋から出ていった。
重い足取りで向かったのは宿の中庭にぽつんと存在する小さな井戸だ。砂漠の真ん中でも人が住んでいけるのはこうした井戸水が湧き出すポイントがあるからである。そんな場所はオアシスと呼ばれており、人々が集う街となる。
カマルは井戸に備え付けてある小さな桶を井戸の底へと落とした。つられて滑車から伸びるロープがそれを追いかける。しばらくしてずいぶん下から水の跳ねる音がした。
「よいしょ」
ロープを両手で掴んでたぐり寄せると透明な水が入った桶が地上へとあがってきた。そうしてこぼさないように抱えて部屋から持ってきた水桶に移していく。それを何度か繰り返せばあっという間に水が満杯になる。カマルはここでひと息ついてタオルを水桶に突っ込んだ。
「はあ。結局昨日何も聞けないまま寝てしまったな」
サフィアが今何をしているのか、あのディマという子供は誰なのか、そしていい仕事がないかどうか別れるまでに聞いておきたい。レイリーに言われた通りカマルは知り合いがほとんどいなかった。本人の前では恥ずかしくてとても言えなかったが。知り合いがいるうちに有益な情報は盗んでおく必要がある。
そこまで考えて頭を動かすことに疲れてしまった。
「本当に」
太陽の眩しさに顔を顰める。
「生きるって面倒臭いな」
その頃レイリーはお腹の虫が鳴るのを我慢出来ず、ディマを部屋に置いて金づるの旅の同行者を捜しに外へ出ていた。宿の看板を探して西へ東へ軽快に駆けていく。そろそろ疲れを感じたとき、視界の端に捜していた人が映った。
「よっ、カマーー」
挨拶をしようと思ってすんでのところで言葉を失う。
(なんだあれは)
カマルの足元の砂から次々と光の粒が湧き上がり、踊るように浮かんでは胸元へ吸収されていく。朝の日差しに地面が照らされているからではない。あれはレイリーもよく知っている魔力の粒だ。
(自然な状態の魔力をあれだけ必要とする魔法でも使ったのか?)
魔法を使うことにより魔力が自分の身体から枯渇すると、空気や地面、水や火から魔力を少しずつ採って時間の経過とともに回復する。その魔力のタンクの大きさと吸収して満タンになる速さには個人差があるが、いま目の前にしている魔力の回復量は尋常ではない。カマルは魔法が使えなかったのではないのか、どうして魔力が減っているのか。魔法が使えないベドウィンなど聞いたことがない。
ここでレイリーにひとつの考えが浮かんだ。
「魔法研究機関」
小さく呟いて自分の胸を押さえる。嫌な予感がする。
昨日はサフィアの話を鵜呑みにしていた。魔法技術が平等に皆が使えるようになればもっとたくさんの人が幸せになれるかもしれない。そのために動くこの人達は素晴らしいとまで思った。
「カマルがもし生まれつき魔法の使えないベドウィンではなく……」
人為的に使えない状況だとしたら。
「ならば一体何のために」
「どうしたレイリー」
はっと我に帰る。いつの間にかカマルがこちらに気付いて目の前まで迫っていた。思考がシャットアウトされて急に現実世界へ呼び戻されたからか、レイリーは面食らって冷や汗をかいた。
「な、なんでもない!」
瞳を覗き込むようにしてぐっと顔を近づけてくる。
「そうか?顔が真っ青だぞ。何かあったのか」
「貴様を見たら不健康がうつりそうだ」
「なんだよ、人が珍しく心配してやってるのに」
「とにかく離れろ! 近い!」
レイリーがカマルの胸を押しのけようとした。しかし驚愕の事実を前にして両手から力が抜けてしまった。
「カマルどうして」
レイリーに似合わない恐怖で彩られた声にカマルは不思議そうな顔をする。
「どうして体温がないんだ……っ!」
絞り出された言葉にカマルの瞳が大きく揺れた。




