不思議な二人組
あまりの驚きでしばらく声が出せなかったカマルは思い出したかのように目の前の男の名前を叫んだ。
「サフィア!」
ただひとり状況が飲み込めないレイリーが首を傾げてふたりの顔を交互に見た。サフィアと呼ばれた大男はレイリーを見て少し大袈裟にお辞儀をしてみせる。
「これは失礼。申し遅れました、私吟遊詩人のサフィアと申します」
芯の通った声は歌うように自己紹介の文を紡いでいく。そして後ろに背負った弦楽器と笛をポンポンと叩き、白い歯を見せるのも忘れていなかった。
「カマルには昔お世話になりましてね。しばらく一緒に旅をしていたこともあるのですよ」
「まあな……」
目を泳がせる商人は大男の後ろに隠れきれていない黒髪を見つけた。続けて黒い瞳と自分たちと同じ褐色肌が顔を覗かせる。不安そうにきょろきょろと忙しなく動く幼い女の子だ。大男と幼女、不釣り合いな組み合わせに嫌な記憶が脳裏をよぎった。いや、まさか。
「サフィア、そいつは」
「またまた紹介が遅れちまったな。この子はディマ。まあいろいろあって預かってる子なんだ」
サフィアの大きな手がディマの頭を撫でると固かった彼女の表情が少し緩む。慌てて頭を下げると小さな声で「こんにちは、はじめまして」と呟いた。
「なんだ、誘拐でもしたのかと思ったよ」
大きな仕草とともに大袈裟にため息をつけばサフィアは拳を軽くカマルの頭に当てる。
「おいおい冗談が過ぎるぜ」
それが「普通の」仲間のように見えて、レイリーはひとつ笑みを浮かべて空いている席をふたりに勧めた。
ディマが厳しい顔をして砂魚の塩焼きを睨んでいる。量が多いが残したくないと手を離さないのだ。ゆっくり食べてもいいんだぞとカマルが声をかけたら手を叩かれた。
「このクソガキが……」
「カマルおじさんは口が悪いですねえ」
「なんだと」
何もしていないのに明らかに警戒され、カマルの目つきがいつもより悪くなる。するとさらにディマはカマルとの距離を広げた。
「ククク、ずいぶんと嫌われてるみたいだな」
子供に敵意を向けられていることが面白いのか今にも噴き出しそうな顔をしている。カマルはそれが面白くなくて話を先に進めることにした。自分とサフィアの関係性、サフィアとディマの旅について、秘密を漏らさないようにしつつレイリーを紹介するなどなど。特にカマルとサフィアの昔話についてたくさん話すことになった。
「最初に会ったのはいつだったか。俺がまだ行商を始める前だったからかなり昔の話になる」
たどたどしい語りに横槍を入れることなく、みんな大人しく相槌を打つ。
褐色の肌を持つこの国の人間、ベドウィンなら誰でも使える魔法すら制御できなかったカマルは何をするにも遅れを取ることになり、役立たずと言われ続けていた。そのせいで収入も少なく飢えて死ぬのも時間の問題だった。しかし遠い国からやってきたサフィアと出会ってからはそんな生活が180度変わることになる。
「この国の人間が魔法に頼って生きていることはもう既に常識みたいなものだったが、外の人間は違う。サフィアは魔法が使えないんだ」
俺はベドウィンなのに今でも魔法が使えないがな、と自嘲気味に付け足すとさらに話を展開していった。
「この国の魔法について研究しているチームに参加しないかと誘われた。報酬も悪くなくて死ぬ心配はしなくてよくなった」
「君たちの魔法の力は本当に素晴らしい。白人の俺達からすれば羨ましいったらなかったよ」
サフィアも説明に参加する。さすがは吟遊詩人。観客を世界へ連れ込むことは造作も無い。
外の国からやってきたそのチームはその名前をコーカソイドといった。ベドウィンの魔法を是非全世界へ活用しようと研究を続ける者達の集い。カマルはベドウィンの代表としてそこに参加していたのだった。
「研究と言っても具体的にはどんなことをするんだ?」
レイリーは興味津々だ。魔法についてはベドウィンの民でもまだよく分かっていないことが多い。魔法を使う時は瞳の色が変化するとか、ひとりが使える魔法の属性はひとつだけだとか、魔法を多用しすぎると魔力が尽きて疲れ果ててしまうとか、それくらいの知識しか伝わっていなかった。魔法が研究によって解明されれば、もっと便利でみんなが幸せに暮らせるようになるかもしれない。
「それがな」
窓から入ってきた風で灰色の髪の毛が揺れる。
「覚えていない。仕事自体は簡単ではなかったと思うんだが、印象に残っていないんだ」
いやもしかしたら楽で単純な作業だったんだろうなと言い直すとサフィアに話を振ってみた。何か思い出せることはあるかと聞いてみる。
「ううむ、俺もあんまり詳しくはないんだけど、また思い出したら教えてやるよ」
ようやく砂魚を食べ終わって手を合わせるディマを見つめながらサフィアがカマルとレイリーに今日の宿について質問してきた。
「今日はレイリーに部屋を取ってある」
「あれ、お前は」
さきほどは話の腰を折られてしまったが、今のカマルにはふたつも部屋を借りる財力は残っていなかった。レイリーにベッド付きの部屋を与え、自分は荷台の商品に囲まれながら寝るのが日課になりつつある。今日もそうしようと思っていた。
「なんだよみずくさい。そんじゃ、俺と同じ部屋で良ければ招待するぜ」
「…………」
サフィアの提案にディマがこの世の終わりのようなショックを受けていた。カマルと同じ部屋は嫌らしい。てててと距離を置くとレイリーの背中にくっついた。
「ディマはレイリーのお姉さんと一緒に寝たいのかな?」
少し膝を曲げて少女と同じ目線に立って見せれば彼女はこくりと頷く。
「せっかくだしお願いしてしまおうかな、レイリー」
「おう!任せろ!」
ありがたいことなのだが勝手に話がまとまってしまい、カマルは申し訳なさそうにサフィアに向き直る。サフィアはOKマークとウィンクで応えるとご飯の代金も支払ってしまった。
「困ったときはお互い様だろ?」
旅をするときには良い仲間を持つことが一番大事だとカマルは再認識した。
サフィアの借りた部屋は広々としていて、しかもふたり部屋だった。これではカマルが借りたレイリー達の部屋が途端に見すぼらしく思えてくる。
「女の子同士きゃっきゃ楽しくやってると思うから気にすんなって」
別に気にしてなどいないとあからさまな嘘をつきながら煙管に火をつけた。息を吐けば煙が薄く揺らめいて窓から出ていく。
「まだそれやめられないのな」
「ああ、なぜだかな」
煙管の葉の独特な匂いが部屋に充満すると満足そうに息をつく。すでに旅装は解かれベッドで転がるサフィア。彼に聞き出したい質問がたくさんある。レイリーの前では持ち出せなかった質問が。
(だが……)
この男は元々吟遊詩人ではなかった記憶は確かである。最初出会ったときもあの男は。
「ぐっ」
思い出そうとする度に頭に靄がかかったようにぼーっとしてしまい、記憶にたどり着けない。目の前にいる人間は本当に仲間か?心配そうな表情でこちらに近付いてくる。やめてくれ、寄らないでくれと懇願しても届いている気がしなかった。
「カマル、またありがたくいただくぜ」
目の奥が熱い、カマルはそう思った。普段は赤胴色のその瞳は金色に輝いていた。




