本当のこと(1)
次に目が覚めた時は冷たい地下牢ではなかった。意識は覚醒したが瞼を開けるには相当の時間がかかり、完全に起きたのは体感時間で数分後。魔力消耗による疲れのせいで体が思うように動かない。頭だけはゆっくりとだがいうことを聞いたので今いる状況を確認する。地下牢ほどではないが薄暗い室内にほんのりと柔らかな灯が見える。どのようにして移動したのだろうか。記憶をさかのぼっても思い出せず、急な吐き気が襲い掛かって思わず口を覆った。
灯台が乗せられている卓上に向かう人物がいた。寒さを凌ぐために掛けている白い肩掛けの上に艶やかな漆黒の髪が流れている。その横顔はとても穏やかな女性だった。派手ではないが多くの装飾を身に付けている辺りからこの国の王妃だろうか。
しばらく見つめていると作業を終えたのかその人物は卓上の物を片付け立ち上がる。何か探しているのか此方を向いた時、目があった。
「あ」
どこかで見たことのある顔は一体誰に似ているのだったか。目が合ったからといって何が言いたいわけでもないのに何故か気まずくなってあらぬ方向に視線を逸らしてしまった。しかし逆に逸らしたおかげでますます何をすればいいのか分からず、寝るにしても意識がはっきりしてしまったので、結局はふて寝をする嵌めになってしまった。
理由は解らないが休ませてもらっているのになんて失礼な態度を取ってしまったのだろうと相手の様子を見るために目線だけ元に戻す。女は特に怒ってもなくきょとんとして此方を見据えている。
「気づいたようでよかった」
起きているのがばれているのか、女は静かに微笑んだ。
「ずっと寝ておられたんですよ。余程疲れていたんですね」
「いや、疲れていたというか」
弱冠疲れてはいるが、深く眠り込んでいたせいか今は然程そうでもない。そう女性に言うと「そうですか」安心したのか再び微笑んだ。そして近くの棚から緑の小瓶を取り出し、水亀の中身と合わせる。
「疲れが取れる薬です」
零してはいけないと思い無理にでも上体を起こして差し出された器を受け取る。口に付けるとひんやりとした液体が喉を通った。美味しいと聞かれたら全然と首を振りがたいが、薬草の苦さで苦虫を噛んだような表情になる。薬だから残すのも悪いと思ってすべて飲み干したが、やはりあまり美味しくない。勢いで中身を空にしてからはすぐに咳き込んだ。カマルの様子に女性は慌てて甕から一杯の水を汲み出して渡してくる。
「その薬は一気に飲もうとすると喉に詰まりますよ」
「飲む前に言ってほしかった」
芯はしっかりしてそうなのにどこか抜けている。しかし、不思議と怒る気にはなれないのはなぜだろうか。口の中を濯ぎながら傍で書物を読む女を見る。
やっぱり、どこかで会ったことがある。ずっと昔、この国で。
「なあ」
「はい、なんでしょうか」
「あ……いや」
呼びかけておきながら応答した相手に対して口を瞑んでしまう。とりあえず先ほどから気になっていることを聞いてみようか。
「俺は、いつからここで……」
「さあ、私は所用で留守にしていたので。夜に戻ってきたときにはすでに眠っていましたよ」
それもぐっすりとまるで子供のように。そう言って女はクスリと笑った。別に面白いものでもないのに女は意地の悪い顔をしている。
「性格悪いな」
「よく言われます。ですが、娘の方がよっぽど悪知恵が働くの」
「子供がいるのか」
聞くと、彼女には一人娘がいるという。幼い頃から武術に優れ、将来は国の為に生きるのだと目標を掲げているらしい。王宮内に居を持っているので何かしら面倒事を起こしたりするが、それは構ってほしいのだという表れだと女は言う。
稀に事件を起こすのだから本当に困った子なの。困り果てた口調とは裏腹に懐かしむように目を伏せている。ただ最近は職務で忙しく、会う時間が以前より少なくなっているという。私自身も病で床に臥せっていることもあって気を使ってくれているのか部屋を訪れることも無くなってしまったと話していた。
「私から会いに行きたいのだけれど、医者に止められてしまってね」
「大事なんだな」
思ったことを正直に紡ぐと、女は気恥ずかしそうに微笑み、開いていたページを閉じて立ち上がった。
「時々街に出かけていることもあるみたいだけど、あの子には知らないことが多すぎるの。こんな狭い王宮だけで生涯を過ごすのは可哀相だから将来は各国を巡らせてあげたいと思ってるわ」
そのためにはあの子自身が動き出さなければ始まらない。あの子の歩む路は自分で決めさせてあげたい。そう言って書物を片手にゆっくりと丁寧なお辞儀をした。
「娘が外に出るときにはお願いしますね」
「俺が連れて行く前提なのか」
「私は貴方が他人を突き放すほど冷たい人間だと見えないから」
そうは言ってもカマルはそれほど優しい性格だと自分では思ったことが無い。冷めた目線でしか他人を見ることが出来ず、事実昼間に出会った王子に対しても冷やかな物言いをしてしまった。自身でさえ最低な評価をすることが出来ないのに、彼女はカマルのことを優しい人間だと言ってくれた。
今まで生きてきた中で彼女の様な言葉をかけられたのは滅多になく、ほとんどの場合力があるか否かで評価されてきた。用が無くなればすぐにでも消される、道具の様な存在だと卑下してきたのに彼女はなんてことを言ってくれるのだろう。
俯くカマルを女性は何も言わず、机に戻っては再び作業に戻った。カマルも話している間に居心地がよくなり、再度眠ろうと横になる。
(俺は、本当に)
他者から尊敬されるような人間なのだろうか……。




