其ノ一
学園の様子が明らかに……
七月のある日のこと。
陽の光を浴びながら重たい瞼を開け、大きく伸びをして起きた朝。
見慣れない病院の一室のような部屋の中。隣では妹の十神かなえが座っている。そして、
「落ち着いて聴いて。あっきーは、魔術師になっちゃったんだ」
唐突にこんなことを言われて、異常な日常が始まるのだった。
遡ること一時間ほど前。
国立陽ノ下学園第一棟・学園長室
高級そうなロココ風の家具らが置いてあり、部屋は学園の長が使う部屋というだけあって割と大きな作りとなっている。が、それにしてもやけに大きなこの部屋。大きさにして教室一個分ぐらい。つまりは不必要に巨い。
十神かなえは事後報告をしていた。
相手は学園の長、更科日奈姫。長くて艶やかな長髪で、整った顔立ちをしている綺麗な女性だ。
「では、この件に関しては被害者は二名。内一人は死亡、一人は意識不明、ということですね」
淡々と語るように言う日奈姫は冷静な対応をしていた。何度となく繰り返してきたからだろう。
「さて、じゃあどうしましょうか……」
腕を組みながら、口元に指をあてる。
「お昼ご飯」
「真面目にやる気あります?」
「いやいや冗談ですよ。じょーだんです。そんなに怖い顔をしていると、お兄さんに感づかれてしまいますよ?」
「……気をつけます」
ふふふと笑いながら、学園の長は言う。
どこか雰囲気を和ませようとしているのだろうか。しかし十神かなえが相手では、さして効果はなかった。
「さて、真面目な話。今回の件での問題は、死者が出てしまったことはもとより、生存者がいてしまったということですね」
というのも理由はシンプルなもので、こっち側の世界のことを知ってしまったことや体感してしまったこと。それらは本人の人生の中では限りなく障害になってしまうからである。
つまり場合によっては死ぬよりも、最も本人のためによくないことになるかもしれないこと。
「ということで、普段通り、記憶を改ざんするようにしましょうか。昨日の夜はキャトルミューティレーションに逢ってた~、とか口実しましょう♪」
少し痛い電波少年になってしまいそうですけど、と日奈姫は楽しそうに笑いながら付け足して言う。
それを切り上げるように、佳奈絵は言う。
「高瀬先生にそっち方面でお願いはしておきました」
「そうですか。なら……」
「けど薬剤とかはダメみたいです」
「え? えーっと、ダメというと……」
大きな溜め息をひとつして、学園の長は言う。
「……血筋、ですかね。子どもが二人とも『御技持ち』なんて、随分と……」
日奈姫が何か言いかけたところ、ドアを開けて入ってきた一声によって遮られた。
「失礼します! 学園長」
大きな声とともに少女が入ってきた。
髪型は肩ほどのボブカット。服装はフリルのきいた黒のドレス風と純白のエプロンを装着しているのが特徴的。端的に言うと、メイド服だ。
ちなみに、学園長の趣味で着させられているらしい。
「あら、藍里さん。どうしました?」
「染井椿綺さんと正岡充吾さんが到着しました」
「そうですか。なら、通しておいて下さい」
そう言うと日奈姫は席について、飲みかけの紅茶を飲み始めた。
「そうですね……とりあえず今日の報告はこれぐらいにしておいて。一度、お兄さんの様子を見に行ってはいかがですか?」
日奈姫は優しくそう言ったつもりだったが、佳奈絵にとって少し酷な発言だったと、言った後に後悔した。
だがかなえはそう捉えることはなく、ちょうど心の隅で抱えていた不安を解消するのにいい機会だった。
「そうさせてもらいます」
その場で学園長に一礼すると、駆け足でその場をあとにした。
「廊下は走っちゃダメですよ~~~!」
「かなえちゃん、大丈夫ですかね……」
「さぁ? 複雑な心境ではあるでしょうね」
日奈姫はティーカップを手に取ると軽く息を吹きかけて、呟くように言う。
「かなえさんは、強い人ですから。大丈夫ですよ、きっと」
どこか自信のあるような言い方だった。
国立陽ノ下学園第四棟・保険室
ここでは国内有数の医療器具が配備されており、いろいろな種類の怪我や病気に対応できるようにしている。その施設や設備の管理は、もう病院と大差がないと言っていい。
そんな一室で、十神明芳は眠っていた。
「さて十神さん。早速で悪いけど、診断結果の報告からいこうかい」
その他二人の人物もいた。まず一人は『天才少女』こと十神かなえ、そしてもう一人は保険室の担当者。高瀬梁先生。
軽い口調で相手を和ませるのが売りの、御歳二四歳の新入先生。しかし実力は学園長の折り紙付きである。が、
「記憶、無くせなかった」
職務がまっとう出来ていないようだ。
「いやいやいやいやいやいや! 何を簡単に言っているんですか!!」
「アハハハハ」
「アハハハハじゃないですよ!」
まあまあ、となだめるように梁は言う。
「試しに薬剤と催眠術ではなくて、御技を使ってみたはいいんだけど、なんでかな~効かないんだよね~。なんか、こう……ブロックされている、みたいな風でね」
そこをなんとかするべきなのだが、
「ま、おかしなところはひとつじゃないんだ」
ほら、と明芳の衣服の腹部をめくってみせる。
「この子、本当に心肺停止していたのかい?」
「はい? はい、だから能力を使って心臓を動かしてみたんですけど」
「ふーん……、」
めくられた服の下には、外傷はひとつもない。きれいな体だった。
何も、無かったかのように。
この少年の症状を調べる上で身体の中を診てみたのだが、そこで梁は不思議な光景を見た。
下大動脈から腹部へかけて、血の塊のようなものが体内で溜まっていることはわかった。不可解だったところがあるとすれば、外傷は無いというところ。これは何かしらの能力が関与していると考えれば、疑問は無い。おおかた『物質を通り抜ける能力』の系統であろうと考えていた。
それでも解らないことがひとつ。
体内の損傷が見当たらない。
心臓は一回の鼓動で、心室に溜め込んでいた血液を全身の隅々へと巡らせるほどの力がある。
通常。位置からしてこの血管に損傷があった場合、押し流される血液で損傷した箇所から亀裂は拡がり、多量の血液が漏れ出す。
出血多量で即死である、はずだ。
(……まあ、御技の中には規格外の異能もあるからな……)
考え過ぎると、考え方が固まってしまう。思考回路が意味もなく定まってしまうから、このことに関してはあまり考えない方がいいと判断した高瀬。何事もなかったかのように振る舞うことにした。
「とりまお兄ちゃんの様態は安定してきたから、そのうち目を覚ますだろう。で、どうする?」
「どうするってなにがです?」
「今後の対処だよ」
たしか……、と頭の中でケースの対処方法を探す。
この場合、陽ノ下学園では以下の対処をすることになっている。
「如何なる手段を使ってでも、こちら側の世界のことを口封じする」
「そう! だけど、今回は例外中の例外! それももう規格外にね」
「……先生の超能力で、記憶消せばいいじゃないですか」
「さっきも言っているだろう? 何かにブロックされている感じで効かないんだ」
「じゃあ魔術か異能の専門に頼んでみれば」
「してみた。けど、どれも失敗だ」
「……ッ」
一見、酷に見えるこの対処方法。実はそう酷なものではない。
如何なる手段を使ってでも、という意味には捉え方がいくつかある。
そのひとつが、薬剤や催眠術などの通常の処置ではなく、御技を使って施すということ。この方法には人権が云々で議会の上役達が抗議をしたが、侵してでも相手の生活を尊重せよという結果に終わった。
しかし今、その方法をもってしても対処出来ない存在が現れた。
ならばどうする?
他に、口封じをするなら?
如何なる手段、とは?
ひねりの無い問題だ。
そんなことは簡単じゃないか。
薬剤より、催眠術より、ましてやわけの解らない不思議な力なんかに頼るより、昔から誰もが知っている。
……皮肉なことに、明芳が襲われたあの日。同じようなことを誰かが言っていた。
「死人に口無し、かな」