7. 海賊の街
カリブ海の海賊は、『バッカニアー』という特別な呼び名を持つ。
通常、世界中の海賊の多くは船の上を拠点とする。しかし、カリブの海賊たちは主に陸地を拠点としていた。彼らは拠点となる島で、鹿肉や牛肉の燻製を好んで食べて生活していたという。また、その燻蒸の煙でまるで獲物呼び寄せるかのように悉く獲物を捕まえていたことに由来して、フランス語の「燻製」を意味する言葉から付けられた呼び名であると言われている。
そんなカリブの海賊、『バッカニアー』たちが求めた陸の拠点のひとつが、カリブ海は北部に位置する、バハマはニュープロビデンス島のナッソーの街だった。
ナッソーは、かつてチャールズタウンと呼ばれていた。私掠船の寄港地として作られたころのことである。しかし、イギリス人入植者たちははこの島の開発にそれほど熱心ではなく、早々に投げ出して街を離れていってしまった。そうして島に残ったのは私掠船の船乗りたち……すなわち海賊である。大小の島々に囲まれているおかげで入り江が隠され、スペイン商船などの航路に近いナッソーは、彼等にとって海賊稼業にうってつけの場所だったのだ。かくして、この島は海賊たちの最大の拠点となったのである。
そんなナッソーの港に〈ウラカンレオン号〉が帰還したのは、イギリス海軍の軍船と交戦した翌日の、朝もや煙る早朝だった。港といっても、かつてイギリス人入植者たちが作った粗末な木製の桟橋がいくつか架かっているだけの簡素なものであったが、そこには〈ウラカンレオン号〉以外の海賊船が何隻も、まるで威容を見せ付けるかのように海賊旗を掲げて、係留されていた。
〈ウラカンレオン〉もそれらに肩を並べるかのように係留すると、ただちに副長ローランドの指揮の下、戦利品の積み下ろしがはじめられた。
たった一隻のブリッグ・スループ船から得たにしては、戦利品の数は多かった。穀物や野菜、干し肉など食糧に加え、海賊たちの大好物であるラム酒、十丁あまりに及ぶマスケット銃とその弾丸、大砲の砲弾に帆布などの船の補修資材。エリオットたちが、意気揚々とナッソーに帰還できたのも、これら戦利品のおかげでもあった。
アレックスが船長のエリオットに呼び出されたのは、そんな戦利品の積み下ろしの真っ最中だった。何事かと船長室へ駆けこむと、そこにはエリオットの他に、レイモンド、レベッカ、それにアイリスの姿があった。
「遅いわよ」
開口一番、辛辣な視線を向けるレベッカは、すでにイライラしているのが手に取るように分かる。さわらぬ神にたたりなし……下手な波風は立てるべきではない。「すまない」と一言告げたアレックスは、レベッカのイライラを躱しつつ、エリオットの前に立った。
「よし、全員そろったな。喜べ、ガキども。お前たちにいくつかの仕事を頼みたい」
アレックスの到着を待っていたエリオットが、船長椅子からおもむろに立ち上がった。
「まずは、お嬢ちゃんを『オットー先生』の診療所へ連れて行け。オットーは飲んだくれだが、ここらで真っ当な医者と言えば、奴しかいない」
「ちょっと何それ! 待ってよ。あたしは忙しいのよ。この船の航海長として今回の航海の海図を整理しなきゃいけないし、台所を預かる身としてローランドが売りさばいた戦利品の儲けを精算しなきゃいけないの。そんな子どものお使いみたいな仕事、レイモンド独りでも十分じゃない!」
エリオットの命令に、いきなり噛みついたレベッカは船長机を叩いて抗議した。
「お嬢ちゃんの世話係であることも忘れるな。仕事は最後まで真っ当しろ。海図の整理も金の計算も、帰ってからでも出来るだろう。ナッソーは物騒な輩も多い。お前とアレックスには『先生』の診療所までの道中、レイモンドとお嬢ちゃんの護衛を頼む」
これは船長命令だ、と付け加えられれば、憤るレベッカも盾突くことは出来ず、腕組みをして頬を膨らませると、そっぽを向いてしまった。
エリオットはそんな娘のあからさまな態度に「やれやれ」といった表情をしつつ、船長机の上に置いてあった、一通の手紙をアレックスに手渡した。封蝋のされたその手紙には宛先などはなく、エリオットのサインだけが隅に書かれていた。
「この手紙をグリーンウッド亭の、セルマ・バークレイに届けてくれ」
「セルマさんに?」
アレックスが少し驚いて、尋ねるとエリオットはこくりと頷いた。
「お嬢ちゃんが記憶喪失だか何だかで、自分が何処の誰だか分からないということは、行く宛もないってことだろう? そこで、セルマ・バークレイのところで預かってもらうことにした」
「でも、あそこは……」
「大丈夫だ。セルマとは昔馴染みだし、口やかましい女だが、あいつが世話好きなのはお前も知っているだろう?」
そう言うと、エリオットはアイリスの方に向いた。
「すまんな、勝手に決めて。だが、この船は客船じゃなく海賊船だ。一般人のお嬢ちゃんをこの船にいつまでも乗せておくことはできない」
「はい、分かっています。あの、その、命を助けて頂いた上に、何から何までありがとうございました。このご恩は一生忘れません。お世話になりました」
育ちの良さなのか、記憶がないにもかかわらず、アイリスは丁寧な礼を口にする。エリオットはそんなアイリスに苦笑した。
「なに、礼には及ばんさ。アレックスがお前さんを助けなかったら、俺たちは危うく船乗りとしてのプライドを捨てるところだった」
「それじゃ、アイリスに遭難してくれてありがとう、って言ってるようなものじゃないですか、船長」
アレックスが言うと、エリオットは「おっと、それもそうだな。失敬、失敬」と明朗な笑顔を鬣のような口髭の奥にたたえた。
「まあ何だ、記憶がないってことがどういうことなのか、俺にはよく分からん。色々と不安もあるだろう。だが、俺たちはこのナッソーを拠点にしている。こうして、広い海で出会ったのも何かの縁。困ったことがあれば、いつでも相談しにこの港まで来てくれ。それに、セルマはこのならず者の集まる街で、最も信頼できる女だ。ゆっくりセルマのところで養生して、記憶が戻ったら身の振り方を考えるといい」
エリオットは最後に「達者でな」と付け加えた。
「それじゃ、さっさと診療所とグリーンウッド亭へ向かうわよ。もたもたしてたら、日が暮れちゃうわ」
まるで先導役のような口ぶりでレベッカが踵を返した。アレックスはエリオットに「行ってきます」と告げ、アイリスとレイモンドを従えて船長室を後にした。
ナッソーの街は非常にアンバランスな景観をした街である。イギリス人入植者によって建てられたと思われる教会や集会所などのいくつかの建物は、ゴシック様式の西洋建築で高貴な印象を与える一方で、周囲にまるで雑草のごとくバラック小屋が無数に立ち並び、軒先に海賊旗がはためかせていた。それは、さもこの街が「海賊の街」であることを誇示しているかのようだ。しかし、西洋建築、バラック小屋、海賊旗の生み出すまったく統一感のないちぐはぐな景色が、街並を煩雑に見せる。
船を降りたアレックスたちは、煩雑な街並みの中心を真っ直ぐ突っ切る緩やかな坂道を、町はずれの診療所へと向かって歩いていた。
街の中央通りであるこの坂道も、もちろん舗装などされていない。しかし、坂道の両脇には、この島で最も賑わいを見せる露店が立ち並ぶ。店先には、南国の果物をはじめとして近海で採れた魚介類、そして香ばしい匂いを放つ鹿肉の燻製が、所狭しと並べられていた。
だが、その賑わいの影に、路地裏からこちらに悪意ある視線を送る目つきの悪い男たちや、通りの真ん中を肩で風を切って歩くガラの悪い海賊、街角の隅でやたらと色気を振りまいて腰をくねらせる娼婦の姿がある。
この街が「海賊の拠点」である以前に「ならず者の街」だからである。ナッソーは外見と同様に、薄汚れた街だ。すなわち、非常に治安が悪いのだ。
そのため、アレックスたち一行は、レベッカを先頭にアイリスとレイモンドを挟み、最後尾をアレックスが守るように隊列を組んだ。
そんなアレックスたちの警戒心を他所に、アイリスは船を降りてから終始、当たりを見回しては「わぁ」と感嘆の声をもらしていた。
雑然とし、無秩序で危険な街並は、それがみすぼらしいものであっても、記憶のない彼女にとっては茂樹に満ちたものに映るのだろう。いや、もしも記憶があったとしても、おそらく「お嬢様」であろうアイリスにとっては、ロンドンの街とは全く異なるナッソーの景色そのものが、新鮮な風景であることには変わりないだろう。
「あれは、貴族の方のお屋敷ですか?」
アイリスが、入り江に張り出した町はずれの崖の上を指差して、レイモンドに尋ねた。崖の上には、西洋の砦を思わせる石造りの大きな建造物が聳え立っていた。
「ちがう。総督府」
相変わらず無愛想なレイモンドは、素っ気なく答えたが、アイリスは意味が理解できなかったのか、小首を傾げた。レイモンドはもともと、会話をするのが得意な方ではない。助けを求めるように、レイモンドがチラリと最後尾のアレックスに視線を送る。
「あれは、バハマ総督府の砦だ。ずっと昔、この街がまだイギリスの入植地だったころ、バハマ総督が行政を執り行うために作られた砦なんだが、入植者たちがこの街を見捨ててから、もうずっと無人の城さ」
「それなら、海賊の皆さんは利用なされないのですか? だって、あんなに立派なお城があるのですよ?」
アイリスの言うとおり、崖の上の城はナッソーの煩雑な景色とは一線を画している。街の中央通りからでも視認できるほど大きく、そして堅牢な壁を備えた立派な要塞だ。
「確かにね」
アレックスは眉をひそめるように、やや神妙な面持ちをした。
「アイリスと同じように考えたやつは居たんだ。あの城を中心にして、このナッソーにイギリスやスペイン、いや何者の支配も受けない自由の国、『海賊の共和国』を作ろうと夢見たやつが」
「海賊の共和国! その方とは、もしかしてエリオット船長さんですか?」
「違うよ、船長はその話に乗らなかったらしい」
「じゃあ、その方は今どうなさっておられるのですか……?」
「死んだよ、その海賊は。夢を果たせないまま、誇りと一緒にね」
アイリスは思わず息をのんだが、アレックスの言葉は、まるでレイモンドのようにあまりにも素っ気ないものだった。
海賊の末路いくつかある。ヘンリー・モーガンという男がイギリスのために戦い、海賊から貴族にまで上り詰めたという話もあるが、それは四十年以上昔のことだ。成功を収める海賊もいないわけではなかったが、ほとんどの海賊がたどる末路は「支配者に捕まって縛り首になる」か「支配者と戦って海の藻屑になる」と相場は決まっていた。
アレックスが神妙な面持ちをした理由を悟ったのか、アイリスは少しばかり悲しげに目を伏せた。
「ちょっと、二人とも……話の邪魔して悪いけど。レベッカが怒ってる」
少し前を行くレイモンドが、唐突に二人の話に割って来たかと思うと、前方を指差す。彼の指先には、先導役として……と言うよりもさっさと雑務を終えたい一心でノシノシと歩いていたレベッカが、いつの間にかこちらに振り向いて目を吊り上げていた。まさに鬼の形相だ。
「ほら、アレックス! お嬢様! なに楽しくお喋りなんかしてんのよ! ぐずぐずしない! さっさと歩け!」
「アイサー、航海長! ほら、アイリス。急がないとレベッカの頭が噴火寸前だ」
とアレックスは返事をすると、アイリスを少し急かした。
その時だった、後ろを向いていたレベッカの背後を、不意に人影が横切った。「あ!」と声を挙げた時にはもう遅かった。人影はレベッカにぶつかり、跳ね飛ばされるように、派手な音を立てて地面に尻もちをついた。
「痛てえな!! どこに目を付けてやがる、小娘!!」
尻の痛みに顔をゆがめた男は、ギリギリと歯ぎしりしながらレベッカを睨み付けた。頭に巻いたバンダナ、腰に帯びたカトラスといった風体から、男が海賊であることは一目瞭然だった。
「ごめんなさい!」
とっさに、レベッカは男に頭を下げた。ところが男はレベッカを睨んで止めない。
「おお、ケツがめちゃくちゃ痛え!! 俺のケツが割れちまった! ケツの骨にヒビが入っちまったかもしれねえ! もう船に乗れなくなったら、どうしてくれるんだ、小娘!?」
男は、通り中に響き渡るような大声でまくしたてた。すると、その声を聞きつけた露店通りの人々が、「何だ何だ!?」「白昼堂々と喧嘩か?」「海賊が喧嘩してるぞ!」と集まってくる。
あっというまに、レベッカと男を中心黒山の人だかりができた。
「ケツケツ、下品な人ね。何よ、ちゃんと謝ったじゃない!」
「ごめんなさいで済めば、医者は要らねえんだよ! 俺の割れたケツをどうしてくれるんだっ!?」
「お尻ならみんな割れてるわよ。バカじゃないの?」
冷めた目でレベッカが言うと、聴衆たちは「確かに、そうだ!」と声を挙げて男のことを嘲笑した。衆目の前で赤恥を掻いた形になった男は、顔を真っ赤にする。
「う、うるせぇ!! てめえが前を見て歩いていなかったから、こんな目にあったんだ!! 悪いと思ってるなら、慰謝料よこせ、慰謝料をっ!!」
「ははーん、そういうことか。それであたしをゆすってるつもりなの?」
金を無心する男の手を、レベッカは冷ややかに平手打ちで払いのけた。
言いがかりである。小柄なアイリスよりは背丈があるとはいえ、華奢な体つきのレベッカとぶつかったくらいで、大の男が尻もちをつくほど跳ね飛ばされるはずがない。金目当ての、とんだ小悪党であることを見抜いたレベッカは、腰に手を当ててふんぞり返ると、怒りをあらわにした。
「海賊ともあろう者が、人とぶつかったくらいで、お金を寄越せだなんてちっぼな男ね。海賊の風上にも置けないわ。ちょうどよかったじゃない、あんたの汚いお尻が割れて、船に乗れなくなったんでしょ? ここらで海賊から足洗いなさいよ」
「てめえ、この俺様がヴェイン海賊団の一員だと知って、言ってやがるのか!?」
「ハンっ! あんたこそ、あたしがエリオット・ブラックストーンの娘にして、ブラックストーン海賊団の航海長だと知って、ちょっかい出してきてるんでしょうね!?」
売り言葉に買い言葉となってしまった二人は、一歩も譲らず互い罵り続けた。聴衆とその間でアレックスたちは、二人の白熱した口論固唾をのんで見守った。
先に腰のカトラスを引き抜いたのは、男の方だった。尻が痛いとのたまっていた割には、すっと立ち上がると、その切っ先をレベッカの鼻頭に付きつけた。
「もう頭にきたぜ!! お前、ブラックストーンの娘だと言ったな。海賊の風上にも置けないのは、ブラックストーンの方じゃねえか! ブラックストーンと言えば『殺しはやらねえ』とか賺したことを抜かす腰抜けめ! ちょうどいい、お前をここで辱めて、ブラックストーンへの見せしめにてやる!」
「父さんの悪口を言うのは気に食わないわね。いいわ、あたしもちょうどストレス解消したかったところなの。あとで吠え面掻かないでよね!!」
挑発に乗ったレベッカが、するりとカトラスを引き抜いた。
だが、慌てたのはアレックスである。レベッカは言うほど剣術に長けてはいない。まして、少女の細腕で、大の男と渡り合えるはずなどないことは、火を見るより明らかだった。
「レイ、アイリスを頼む。このバカ騒ぎに巻き込まれないように、お前たちだけで診療所へ向かえ。グリーンウッド亭で落ち合おう」
「うん。アイサー」
こくりと了承したレイモンドが、「え? でもっ」と戸惑うアイリスの手を無理やり引いて、人だかりから遠ざかるように走り出した。
アレックスは二人の後ろ姿を見届けることなく、抜刀と同時に聴衆をかき分けてレベッカの前に飛び出す。
「止せ、レベッカ、お前一人じゃ、あいつに敵いっこない!」
「うるさいわね。あいつは父さんの悪口を言ったのよ。邪魔しないで、あんなやつあたし一人で十分よ!」
「お前に何かあったら、その船長に申し訳が立たないだろ!!」
キっと睨みつけるレベッカにぴしゃりと言うと、アレックスはカトラスを斜に構えた。
「何だ、仲間がいやがったのか!? いいぜ、二人でかかって来いよ!」
男は自信たっぷりな表情で剣を振りかざすと、ホエザルのように「キェー!!」と雄たけびを上げて、二人にとびかかって来た。
だが、男の太刀筋は、アレックスの傍でブンブンと空を切るだけ。何度、男が剣を振り下ろしても、アレックスはひょいひょいとダンスのステップでも踏むかのように、男の剣を躱していく。大振りな太刀筋は無駄な動きが多い分隙だらけで、動きが読みやすいのだ。
「このガキっ! ちょこまかと、うっとおしい!」
「いい大人が こんなところで暴れれば、周りに被害が出る。こっちに非があることは認める。謝罪もする。だけど、ヴェイン船長にこんな騒動を知られたら、あんただってただじゃ済まないだろ!?」
「知ったことか! てめえらの腕一つ切り落とさなきゃ、気がすまねえ!」
苛立ちと共に横薙ぎに払われた男の剣を、アレックスは紙一重で受け止めた。衝撃がびりびりと二の腕を駆け巡る。
「聞き分けのない大人だな! ヴェインもよくよく人を見る目がないっ!!」
二の腕のしびれをごまかすため吐き捨てると、アレックスは両手の力を抜いた。突然のことにバランスを崩した男の体が、吸い寄せられるように近づいてくる。その瞬間を見逃さなかった。アレックスは素早く相手の懐に入り込み、くるりと逆手に返した剣の柄で相手の鳩尾に一撃をえぐり込んだ。
「ぐえっ」
と、カエルの鳴き声のような呻きを挙げた男が、胸を抑えて後ずさった。
「まだだ!!」
すかさず間合いを詰めたアレックスは、拳を握りしめると「やあっ!」と掛け声をあげ、男の顔面に強打をお見舞いしてやった。その渾身の一撃は、メリっと音を立てて男の鼻骨を割る。男が「ぎゃああ!」と悲鳴を上げたのは言うまでもない。
圧倒的な体格差をものともしないアレックスの戦いに、聴衆たちから「やった!」「いいぞ!」「すごいじゃないか!」という喝采が、露店通りに響き渡った。
「くそったれが……」
たらりたらりと赤い鼻血をこぼしながらよろめいた男は、喝采を送る聴衆と余裕の笑みを浮かべるアレックスを憎々しげに睨み付ける。
「ガキの癖に、なんて身のこなしだ。てめぇ、本当に海賊か?」
「ああ、紛れもなく。おまえこそ、レベッカの言うとおり、海賊から足を洗った方がいいんじゃないか?」
「フン! 息がるなよっ」
男は鼻血まみれの口元をぐにゃりと歪めた。その視線がアレックスを通り越して、その後ろに向いていることに気付いたアレックスが、ハッとなり振り向くのとほぼ同時に、レベッカの悲鳴が耳朶を打つ。
「きゃあっ!! ちょっと、離しなさいよっ!」
いつの間にか聴衆の隙間から現れた男が二人。一人はレベッカの背後から彼女を羽交い絞めにし、もう一人は彼女のこめかみに拳銃を突きつけ、こちらに向かってニヤニヤと嗤っていた。二人とも、海賊と分かる風体だ。
「遅いじゃねえか、お前たち」
と男が鼻血を手の甲で拭いながら言った。どうやら、新たに現れた二人は、この男の仲間のようだった。
「鼻がひん曲がっちまった、どうしてくれるよ、ああん?」
凄みを利かせた声音で男は言うと、腰帯のホルスターからフリントロックの拳銃を取り出し、その銃口をアレックスに向けた。
「鼻が折れたおかげで、尻の痛みは忘れただろ? 感謝してくれよな」
アレックスは冗談めかすように言ったが、明らかにこちらの旗色が悪くなってしまったのは明らかだ。
「ああ、感謝してる。だがそれとこれとは別だ。頭を吹っ飛ばされたくなきゃ、あり金を全部置いて、とっとと失せな」
「おいおい、海賊辞めろとは言ったけど、オイハギになれとは言ってないぜ」
「うるせぇ! いちいちムカツクガキどもだな。頭を吹っ飛ばされなきゃ、その軽口も止まらねえのか?」
「レベッカを離すのがまず先だ」
「ダメだね。ブラックストーンの娘にゃ、俺たちに付き合ってもらう。ガキだが、女だ。楽しませてもらうよ」
下卑た笑いを浮かべる男の顔を、アレックスはきつく睨みつけた。
「レベッカに、これ以上指一歩でもふれてみろ。俺だけじゃない、海賊団の全員が草の根分けてもあんたたちを探し出し、五体がバラバラになるまで苦しめて、殺してやるぞ」
「おお怖い。不殺の海賊にそんな真似できるのか? そういう大口は、この如何ともしがたい状況を打破してから言うんだな。五つ数える。あり金を置いてトンズラするか、頭を打ち抜かれるか決めろ! ファイブ!」
男は容赦なくカウントダウンを始める。アレックスは思わず目を瞑った。
「フォー!」
高速で回転するアレックスの脳。勿論、トンズラなどという選択肢はない。だが、至近距離に突き付けられた銃から放たれる、音速の弾丸を躱すことなど、さすがのアレックスにも出来ない芸当だ。
「スリー!」
アレックスはぎりぎりと唇をかみしめ、拳を握りしめる。なんとかして、レベッカだけでも逃がす手立てはないものか。
「トゥー! 馬鹿め……! 死ね、クソガキ!!」
卑怯にも、最後のカウントがなされる直前、不意打ちのように引き金にかかる男の人差し指に力がこもった。
カチリ。撃鉄が起き上がる瞬間、アレックスはカッと目を見開いた……。
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