表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウラカンレオン号の航海記録  作者: 阿蘭素実史
5/19

5. 風の獅子

 甲板に警鐘が鳴り響いたその時、船長のエリオットは船長室にいた。船長机の上に広げた航海図を手早く片付けると、エリオットはすぐさま甲板に上がった。すると、甲板には警鐘を聞きつけて集まった船員たちで、すでに黒山の人だかりができていた。

 その中に実娘のレベッカと新米観測員のアレックス、船医のレイモンドの三人を見つけたエリオットは、「どうした、何事か?」と彼らに駆け寄った。

「船長! 船団です!!」

と、指差すのはアレックスだ。彼は非常に目が良く、夜目も利く。そんな彼の指先にあるのは、ゆらりゆらりと揺らめく、いくつかの灯りだった。それは、大概の船の船尾に取り付けられた尾灯の光で、船団はちょうど向かいの島影に入っており船影を確認する出来なかったが、尾灯の数を数えれば、船の数を数えることは容易だった。

「ダニー・オルソンの言ってた船団?」

 アレックスの傍らでレイモンドがボソボソと口を開く。

「おそらくそうに違いない。だが、数が多すぎるな。ヤツの情報ではせいぜい……」

 頷いてそう言いかけたエリオットは、アレックスの傍らに寄り添うようにして、船団の尾灯の光を見つめる少女の姿に気付いた。

 船上で最も違和感を感じさせる、華奢で小さな体つき、わずかにウェーブのかかった金色の髪。おおよそ船乗りではない彼女は、他ならぬこの船の珍客だ。

「おい、アレックス。何故その娘がここにいる!?」

 エリオットは、少し声音を荒げて問いかけた。

 船員とのトラブルを避けるため、少女にはナッソーの港に着くまで、医務室から出るなと命じたはずだ。幸い、船員たちは少女の存在に気付いているようだったが、少女よりも今は目の前に現れた船団に釘づけで、トラブルが発生する様子はなかった。

 だが、船上では船長の命令は絶対という掟がある。掟に煩いエリオットではないが、もしも掟を破ったと知れば、黙っているわけにはいかない。

「いや、それは……」

 アレックスは視線を逸らし口ごもった。レベッカとレイモンドも同様に視線を逸らす。

『まるで、悪戯でもしているガキのようだ。何かやましいことでもあるのか?』と、エリオットは鬣のような口髭をさすりながら、少年たちの顔色をつぶさに窺った。すると、アレックスの背後に隠れるようにしていた、件の少女がおずおずと前に歩み出て来た。

「ごめんなさい、船長さん。わたしが勝手に医務室を……」

「あ、あたしがね!」

 唐突に少女の言葉を遮ったのは、娘のレベッカだ。

「あたしが連れだしたのよ。ほ、ほら! この三日間、ずっと医務室に閉じ込められてたから、外の空気を喫わせてあげようと思って!」

「ほう、それは本当か? アレックス、レイモンド」

 ギロリと鋭い視線で、娘ではなく二人の少年に確認する。少年たちは互いに顔を見合わせると、息もぴったりにこくこくと頷いた。そんな二人の仕草を観るまでもなく、エリオットはすぐさま娘たちが嘘を吐いていると分かった。

 しかし、レベッカやアレックスたちにだけではなく、ありとあらゆるものに対して申し訳なさそうに項垂れ、眉をハの字にする件の少女を見ていると、声を荒げる気にはなれなかった。それどころか、少女の世話係にあれほど難色を示していたレベッカが、少女を庇ったことの方が意外だった。

『やれやれ、だからお人好しと言われるのか。俺も甘いな』と思わなくもなかったが、エリオットは苦笑いして気を取り直すと、

「まあいい、それよりも今は目の前の問題を片づける方が、先決だ」

 と再び船団の灯りに視線をと投じた。

「船団が島影を出るぞーっ!!」

 船員の誰かが叫ぶのと同時に、ゆっくりと沖合の船団が島影から姿を現す。月光に照らされてシルエットを浮かび上がらせたその姿に、甲板上の誰もが息をのんだのは、次の瞬間だった。

 船団は全部で五隻。船列を引率するように、二本のマストに大きな横帆を広げたブリッグ・スループが一隻。続いてブリッグよりも小型で二本のマストに縦帆を前後広げたスクーナーが三隻。

 そして、厳かにゆったりと最後尾に姿を現したのは、三本のマストいっぱいに広げた横帆、幾重にも張られた縦帆、鯨かと思わせるほどの巨体を持つ全帆装船(シップ)と呼ばれる巨大船だった。

 まず近海でお目にかかることはない、その巨大船が、月光の下、凪の海面を闊歩する姿は、エリオットを含め船員誰しもに、衝撃を与えた。

「船長!!」

 騒然とする甲板の人ごみをかき分けて、こちらに向かってくる男が一人。色白で細面、神経質そうな顔つきは、船乗りと言うより学者を思わせるような男だ。その男こそ、エリオットの右腕である、ローランド・モラン副長だった。

「あれは『戦列艦』ですね。厄介なことになりました」

 エリオットの元に駆けつけたローランドは、開口一番そう言うと、難しそうな顔をした。エリオットは、ヒゲをわしわしと撫でながら眉間にしわを寄せる。

『戦列艦』とは、イギリス海軍をはじめ、各国の海軍が海戦での決戦力を向上させるために導入している、大型の軍艦である。小型で小回りの利くブリッグ・スループに比べ、速力こそ緩慢な船だが、旋回砲、迫撃砲などの装備を大量に積載しているばかりか、両舷に並べられた主砲塔は多いもので百門を越える。縦列陣形での砲撃戦ではまずブリッグ・スループ一隻では勝ち目はない。

「ダニーの話ではブリッグ二隻を擁する船団と聞いていたが、どうやら謀られたか?」

「彼が軍と内通していると言う話は、本当のことなのかもしれませんね。とは言え、彼は我々にとって貴重な情報源です」

「奴への糾弾はナッソーに着いてからでもいいだろう。それより、敵艦について何か分かるか」

 そう言うと、エリオットはコートの懐から取り出した単眼鏡をローランドに手渡した。

「おそらく、イギリス海軍常備艦隊の三等戦列艦でしょう。はっきりとは分かりませんが、バウスプリットの形状から推測するに、モンマスかサフォーク、ドレッドノートかもしれません。船の大きさからみて、少なくとも七十四門艦と思われます。後部甲板に臼砲、船首部にも砲らしきものが見えますね」

 月の光しか頼りのない中で、シルエット状に浮かぶ艦影から、ローランドは的確に特徴を挙げていく。

「ウチの倍ちかくの火力か。戦列艦を相手にするのは得策じゃないな。スループかブリッグだけを船団から離すことはできないか?」

「まさか、夜戦を仕掛けるおつもりですか、船長?」

 少しばかり驚きの声を挙げたローランドに、エリオットは深く頷いた。

「このまま手ぶらでナッソーに帰投して、ヴェインの野郎に鼻で笑われるのだけは勘弁だ。それに、獲物をみすみす見逃しては、俺達の沽券に関わる」

「船長がそんなことを気にするとは、意外ですね」

「そうか? 見栄っ張りだぞ、俺は。夜戦は分の悪い賭けだが、幸い今宵は煌々と月が照っている」

「分かりました。おそらく、我々を視認した船団は、最も足の速くこちらと同等の火力を持つブリッグを、検閲に寄越すはずです。そのタイミングで、上手く左舷前方の島影に誘い込むことが出来れば、ブリッグだけを船団から離すことは可能と思われます」

「戦列艦は動かないのか?」

「喫水の高さから言って、あの船団はイギリスからここまで一度も戦闘をしておらず、船倉には火薬が満載でしょう。必然的に船速は落ちているはずです。したがって、足の遅い戦列艦はより低速となっています。いちど距離を離してしまえば、深追いはして来ないでしょう」

「よし、それだけ訊ければ十分だ」

 エリオットは踵を返すと、駆け足で船尾のブリッジに上がった。ローランドもその後に続く。そして、舵輪を握ると、エリオットは甲板をビリビリと震わせるような大声を挙げた。

「野郎ども、狩りの時間だ!! 目標は船団のブリッグ・スループ!! 決を取る! 賛成する者は高く声を挙げろ!! 反対するものは、そこで泣き喚いてろ!」

 その声に呼応するかのように、甲板中の船員が「おおーっ!!」と唸り声を上げる。

「よーし! 全会一致だ。戦闘配置に着け!! 船団からブリッグのみを引きつける!」

 甲板がにわかに騒がしくなる。次々と船員たちは船縁から離れて、迷うことなく自分たちの持ち場についていく。その迅速な行動と手際の良さは、エリオットにとっても自慢の一つだった。

「アレックス!! お前とレベッカは、その娘を守ってやれ、いいな!?」

 エリオットは甲板上のアレックスとレベッカに指示を与える。しかし、娘はいささか不満に思ったのか、眉を吊り上げた。

「ちょっと、何であたしまで!? あたしも戦うわよ!」

「理由はどうあれ、掟を破ったのはお前たちだ。その罰は受けてもらう」

 納得のいかないレベッカは吠え立てたが、エリオットは取り合わず、視線を娘たちから船団の方角に向けた。

 どうやら、相手方もこちらの存在に気付いたらしい。正体不明の船に検閲を執行するため、先頭を行くブリッグ・スループが船団の列から外れて、こちらに舵を切った。狙い通りだ……。

「よし、マストに旗を揚げろ! 帆を張れ!! 速力最大、フルセイルだ!!」

 怒号のような声とともに、エリオットは左舷の島影を確認しつつ、舵輪を力いっぱい回した。


 船団からブリッグ・スループを引きつけるため左舷に旋回する船が大きく揺れる。アイリスは、アレックスの腕にしがみついた。

「大丈夫?」とアレックスに問いかけれり、少しばかり怯えながらもなんとか頷いた。

「あのクソ親父!!」

 レベッカがアレックスの傍で地団駄を踏む。掟を破った罰とは言え、不遇な扱いに腹を立てているのだ。

「仕方ないだろ、船長の言うとおりだ」

「はいはい、あんたは父さんの味方だもんね。ったく、やっと獲物を見つけたって言うのに、戦うこともできないなんて、よく平気でいられるわね?」

「平気なものか。俺だって、戦いたいよ。そのためにこの船に乗ってるんだ。双眼鏡をのぞくだけで終わるつもりはないよ」

「だったら、なんで言ってやらないのよ」

「アイリスをほっとけないだろ?」

 アレックスがそう言うと、レベッカは言い返せないと悟ったのか溜息を漏らした。

「あの、ごめんなさい。なんだか、わたしの所為でお二人にご迷惑をかけてしまったみたいで」

 小さな声で、アイリスが言う。もう何度目の「ごめんなさい」だろうか。自分でもわからないくらい、誤ったような気がする。さすがのアレックスも呆れてしまうだろうと、分かっていても、何故だか口から出て来るのはその言葉しかなかった。

 しかし、アレックスは優しく微笑むと、アイリスの手を取った。

「いいんだ。それよりここにいたら危ない。船長室へ避難しよう」

「あのっ、あのあの、非難ってどういうことなのですか? 皆さんは、あのお船をどうなさるおつもりなのですか?」

 事態が上手く呑み込めていないアイリスは、思い切って尋ねてみた。すると、アレックスとレベッカは少しばかりきょとんとした顔をする。

「どうするって、襲撃するに決まってるじゃない。そのために、一週間もこの海を周回してやっと巡り会えた獲物だっていうのに、戦うことすら出来ないのは、全部あんたの所為なんだからね。ホントいい迷惑だわ!!」

 トゲトゲしい言葉でレベッカが答える。だが、アイリスは更に当惑してしまった。

「襲撃? どうして……」

「どうしてって、それは俺達が海賊だからに決まってるじゃないか」

 そう言うと、アレックスはマストの頂点を高く指差した。アイリスは振り向き、その指の先にあるものに、大きな瞳をより大きく見開いた。

 マストの一番高い場所で、潮風にはためいているのは、真っ黒な旗だった。旗には、鬣を生やした髑髏と、交差するカトラスの禍々しい図柄が示されていた。

『抵抗するなら、命の保証はない』

 そう、それは海賊たちが自らの存在を誇張し、相手を威嚇するために用いる「海賊旗(ジョリー・ロジャー)」である。

「海賊? あななたちは海賊なのですか!?」

「そうだよ、俺達はレベッカの親父さん率いる『ブラックストーン海賊団』。そして、この船はカリブの獅子と恐れられる海賊船〈ウラカンレオン号〉だ!」

 アレックスの言葉にアイリスは全身をこわばらせた。

 漂流していたという自分を救ってくれた船が、海賊船であったことを知ったのはその時が初めてだった。おそらく、エリオットやレベッカは意図してそのことを伝えなかったわけではないだろう。秘密にしていたわけでもないだろう。ただ、知らせる必要がなかっただけだ。

 だが、その事実を聞かされた瞬間、アイリスは失っているはずの記憶の底で、海賊とは海の無法者にして恐ろしい存在であると、言い知れぬ恐怖を感じずにはいられなかった。

 アイリスは驚きと恐怖の入り混じった顔で周囲を見回した。 

 後部甲板上では、この海賊団の長であり〈ウラカンレオン号〉の舵を握る船長のエリオットの傍らで、副長のローランドが難しい顔をしながら、船尾をにらんでいる。彼の視線の先には予測通り、追尾してくるブリッグ・スループの姿があった。

「よし、ここなら島影で戦列艦には発砲の光は見えない。砲兵、樽機雷を投擲しろ! ブリッグを岩礁に引きずり込む!」

 ローランドの指示で、幾人かの屈強な船乗りたちが大きな樽を担いで後部甲板に駆け上がると、その樽を海めがけて放り投げた。

 丁度、敵船が島と岩礁の隙間にすっぽりと入った瞬間、樽はブリッグ・スループの舳先の先端にある衝角に接触したかと思うと、大きな破裂音を響かせて水柱を上げた。

 樽機雷、油を染み込ませて防水処理したラム酒の樽に火薬を詰め、火縄を使った時限発火装置を仕込んだ爆弾である。だが、当然のことながら、それを知らないアイリスは、爆発の音に「きゃっ!!」と悲鳴を上げた。

 ブリッグ・スループに警鐘の音が鳴り響く。追尾していた船が、海賊船であることをようやく悟り、戦闘態勢に入ったのだ。

「全砲門開け! ブリッグに弾の雨をくれてやれ!!」

 エリオットの掛け声に〈ウラカンレオン号〉の海賊たちが「うおーっ!!」と地鳴りのように声を挙げる。すぐさま〈ウラカンレオン号〉の両舷に並ぶ、小さな窓のフタが開き、中から両舷合わせて二十四門の大砲が顔をのぞかせた。

「砲撃戦になるわ、早く非難するわよ!!」

 レベッカがアレックスを促し、アイリスは彼の手に引かれつつ、後部甲板の下にある船長室へと駆け込んだ。

 そこは質素な調度品と航海用具しかない地味な部屋だった。作り付けの船長机に船長椅子、羅針盤、いくつかの航路図が記されたスクロールがあるばかりで、金銀財宝のようなものは一切見当たらない代わりに、マストに掲げられたものと同じ図柄の海賊旗が、部屋の壁に飾られている。

「アイリスは、机の下に隠れるんだ!」

 というアレックスに、アイリスは船長机の下に押しこめられた。人一人がやっと入れるほどの狭い空間だったが、小柄なアイリスにとっては窮屈に感じるほどではなかった。

 俄かにドン! ドン! という発砲音が次々と腹に響く。外でどのような戦闘が繰り広げられているのか、アイリスには分からない。大砲を撃ちあっているということは、誰かが傷つくということだ。それは、とても恐ろしいことのはずなのに、アイリスは砲撃の音に恐怖感よりも何か得体の知れない既視感を憶えた。

「まずいわ! ブリッグ・スループが撃ってきた!!」

 レベッカの声がしたかと思うと、砲撃と水がはじけるような音と共に、船体が大きく左右に揺らされる。さながら嵐の海に迷い込んだかのような、ひどい揺れだった。

「ロンドンの常備艦隊なんて、皆との内側で平和ボケしてる連中だと思ってたけど、あのブリッグの乗組員たちは、練度が高いみたいだな。狙いが正確だ。船長の舵捌きがなきゃ、当たってたな」

「感心してる場合じゃないでしょ。戦闘を長引かせたら、船団の戦列艦が異常に気付いてしまうわ!」

 イラついたようなレベッカの声。きゅっ、とレベッカの踵が床をこする音。 

「やっぱり行ってくる!!」

「行くってどこへ?」

「あのクソ親父のところに決まってるじゃない」

 再びレベッカの声がしたかと思うと、「おい待て、レベッカ!!」と引き留めるアレックスの声を無視するかのように、バタバタと足音がひとつ、船長室から出て行った。

 断続的に響き渡る両船の砲撃の音はビリビリと船長室を揺らし、アイリスは机の下の狭い空間で膝を抱えて小さくうずくまった。激しく船が揺さぶられている所為だろうか、船酔いでもしたかのような眩暈に眼前がクラクラとしたかと思うと、まるで自分の体が津波にさらわれる錯覚を覚える。それは吐き気や胸やけを催すほど気持ちの悪いもので、筆舌し難いものがあった。

 ややあって、ひょこっとアレックスが船長机の隙間に顔をのぞかせた。

「平気?」

 と問われ、アイリスは自分が震えていることに気付いた。眩暈はまだ収まらない。無意識のうちに助けを求めるかのように、アレックスに手を伸ばす。すると、アレックスは腰を折ると、アイリスの手をそっと握り返して優しく微笑んだ。

「大丈夫。怖がらなくてもいい。俺がアイリスのこと守るから。約束する」

 アレックスの手から伝わるぬくもりが、アイリスに安堵を与えた。

『こんな優しい男の子が、どうして恐ろしい海賊なんてしているのだろう?』

 少しばかり落ち着きを取り戻すと、ふとした疑問がアイリスの脳裏をよぎった。

 真っ直ぐとした眼差し。温かな手。おおよそ、自分が想像していた粗野で無法者で危険な怪物のような海賊とは違う。アレックスはさも当然のように「俺たちは海賊だ」と言ったが、そんな人間に手を握られて、安堵を覚えるはずがない。

「アレックスさんは……」

 砲撃音の続く中、恐怖を感じながらもアイリスは少年の笑顔に率直な疑問をぶつけた。

「アレックスさんは、どうして海賊なんてしているのですか?」

 突然アイリスに問われたアレックスは、答えに窮してしまったのか、少しばかり困った顔を見せる。

「もしかして、海賊が怖い?」

 反対に質問で返されたが、アイリスは戸惑ったようにこくりと頷いた。

「海賊は、女も子どもも容赦なく殺して金品を奪う、悪党だと聞いています。だけど、アレックスさんは悪党に見えない……」

「そりゃ嬉しいな。でも、俺は海賊だ」

 照れ笑いなのかアレックスは軽く口もとを緩めると、手を繋いだまま床に腰を下ろした。

「まだ、俺たち海賊が『私掠船員』と呼ばれていたころの話だ」

 唐突な昔語りに、思わずきょとんとしてしまったが、アイリスはアレックスの話に耳を傾けることにした。そうしている間は、外の戦闘音に怯えずに済むような気がしたからだ。

「ヨーロッパの国々は戦争に明け暮れていた。私掠船員たちは海軍戦力として、自分たちが忠誠を誓う国の義勇兵となって船を駆り、敵国の船を襲撃した。イギリスもフランスもスペインも、そうやって大西洋での版図を広げたんだ。だけど、私掠船が暴れれば暴れるほど、お城で安穏と暮らしていた貴族たちは、植民地からの利益を得られなくなっていった。そこで、貴族たちは国に海軍を設立することを決めた。新しい船を作り、規律で統率された海の軍隊を作ったんだ。そして、私掠船はいらなくなった」

「私掠船の乗組員さんたちは、お国のために頑張ったのでしょう?」

「ああ、でも不要になった私掠船員たちは、恩賞も与えられることなく、『海賊』という名を与えられて、国を追われたんだ。だけど、多くの海賊はそのことを喜んだ」

「どうしてですか? もう帰る場所なんてないのに」

「帰る場所が欲しければ、奪い取ればいい。だって海賊になったんだから。むしろ、国家に胡坐をかく貴族たちのために、命を散らす必要なんかなくなった。それを喜ばずにはいられないだろう?」

 アレックスはそう言うと、船長室の壁に飾られた海賊旗を指差した。

「抵抗すれば、命の保証はしない。つまり、抵抗しなければ、命まで奪わない。俺たち海賊は、ただ単に人殺しや、金目のものを求めているわけじゃない」

「じゃあ、海賊は何を求めているのですか?」

「自由だ。この海で生きる自由を求めてる。国家とか、貴族とか、そういう柵のない海で、好きな場所へ船を走らせるために、戦っているんだ」

 アレックスの目が輝いているような気がした。アイリスはそっと、「自由」と言う言葉を反芻してみる。その言葉を耳にする機会は少ない。しかし、目の前の少年はそれすら当然のことのように口にした。

 詭弁だと思わなくもない。いくらきれいごとを並べても、海賊は人の命を奪い、財産を強奪していることに間違いはないのだ。何故なら、こうしている間も、船長室の外で〈ウラカンレオン号〉はイギリス海軍の軍船と砲撃戦を繰り広げている。

「戦うことで、自由は得られるのですか? 誰かの自由を奪っているだけではないのですか?」

 そう問いかけると、アレックスは首をかしげて、「アイリスは難しいことを考えるんだね」と言った。

「戦いで自由が得られるかどうかは分からない。ただ、俺たち海賊は、それ以外の方法を知らないんだ。勿論、この世には金のために海賊になってるやつもごまんといる。だけど、少なくともエリオット船長とこの船の乗組員は違う。その証拠を見せてあげるよ」

 アレックスがそう言ったすぐ直後、あれほど鳴り響いていたにも関わらず、潮が引くようにあらゆる砲撃音が途絶えた。

 突然の静寂の訪れに、アイリスは一瞬何が起きたのか分からなかった。

「終わったみたいだ。外へ出てみよう」

 とアレックスに手を引かれて、アイリスは彼と共に船長室を後にした。

ご意見・ご感想などございましたら、お寄せください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ