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ウラカンレオン号の航海記録  作者: 阿蘭素実史
17/19

17. 決闘

「総員戦闘は位置につけ!!」

 艦長の合図とともに、〈インスパイア号〉の甲板は慌ただしくなった。

「砲兵隊、全砲門開け!! 仰角揃え!!」

 砲兵長ブライアン・セシルの掛け声とともに〈インスパイア号〉は、両舷の砲門を開き、左右で合計三十門の大砲を敵船に向けた。

 敵船……すなわちクロフォード海賊団の〈ウラカンレオン号〉である。かつて、同じ名を持っていた〈インスパイア号〉にとって、運命的な一戦となることは言うまでもない。さらに、アレックス・クロフォードはかつてその船が〈サファイア号〉と呼ばれていた当時に積載されていた、英国宝石商協会の密輸品で得た潤沢な軍資金により、強力な戦闘用スループとして改修を施している。容易ならざる相手であることは明白だったが、〈インスパイア号〉も十年の歳月を経て、かつて〈ウラカンレオン号〉と呼ばれていた当時とは比べ物にならない近代化改修を施している。現に、両舷の大砲は速射性に優れた最新型に改められている。

「敵船に最接近時、同時波状的に敵船に鉤爪ロープをかける。甲板員は、敵船に乗り込み陸戦を行う用意をしろ!!」

 甲板長であるレイモンド・ミラーも部下たちに指示を下す。

〈ウラカンレオン号〉はこちらを視認すると、すぐさま舵を右に切った。島影を利用して、この〈インスパイア号〉から逃れるつもりなのだろう。だが、かつて自らが乗船していた船に出くわしたアレックス・クロフォードの心境や如何なるものか。おそらく動揺を隠しきれないはずだ。

 対向する〈インスパイア号〉の操舵手は、〈ウラカンレオン号〉を逃がすまいと舵を左に切る。船は波を凌ぎながら〈ウラカンレオン号〉の尻を追いかける形となった。

 定石ならば、〈ウラカンレオン号〉は追っ手を撒くために、樽機雷をばらまくはずである。しかし、〈ウラカンレオン号〉は、断続的な砲撃でこちらを牽制するばかりである。

「スタンセイルを張れ!!」

 速度を上げるため、艦長の命令が飛ぶ。すぐさま、掌帆員らがシュラウドを駆け上り、スタンセイルが張られた。ぐん、と船速が上がる。

「敵の後尾を捉えろ!! 前部臼砲、撃てーっ!!」

 ブライアンの指示に従って、砲兵たちは船の前部に取りつけられた、臼砲に点火した。発射された弾丸は、弧を描いて〈ウラカンレオン号〉の後ろに迫る。だが、もともと射撃精度の高い武装ではないため、その着弾点は大きく反れていた。それでも、水柱と共に生まれた横波は〈ウラカンレオン号〉の邪魔をして、脚を遅くさせるには十分だった。

〈インスパイア号〉と〈ウラカンレオン号〉は互いに応射を続けながら、距離を詰めていく。

「よし、行ける!!」

 と、ブライアンはミラーの傍で拳を握りしめた。だが、ミラーは眉をしかめる。

「何故、アレックス・クロフォードは反撃してこない?」

「それは、こっちの勢いにビビってるからだろ? とにかくお前は、陸戦のことを考えろ!」

 という、ブライアンにミラーは頷き返したものの、〈ウラカンレオン号〉のおざなりな反撃に、不気味さを感じた。

『アレックス・クロフォードは賢しい奴だ』

 出航前のブリーフィングで本作戦の司令官が口にした言葉だ。

 海賊団の規模としては、船団を形成しないクロフォード海賊団は弱小と呼んでもよいだろう。かつてナッソーでその名を轟かせたヴェイン海賊団やボネット海賊団のような大規模な作戦を敢行できるだけの人材を持ち合わせてなどいない。

 それでも、多くの名だたる海賊が捕縛されたにもかかわらず、クロフォード海賊団が十年近くも逃げ延びているのは、単に〈ウラカンレオン号〉が高い性能を誇っていたからだけではない。船長であるアレックスが、そのよく回る頭で、海賊団を先導しているからである。

 アレックスはそういうやつだ。と、ミラーは思う。

「このまま接舷して、乗り移るぞ! 陸戦隊、用意!!」

 後部甲板で指揮を執る艦長が声高に宣言した。〈インスパイア号〉は〈ウラカンレオン号〉の右舷に接舷すると、トップセイルをたたみ減速を始めた。〈ウラカンレオン号〉の甲板には、海賊たちが右往左往していた。反撃のために、マスケット銃を撃ち、船縁に引っ掛けられる鉤爪ロープを切る。

 だが、「おかしい……アレックス・クロフォードが甲板にいない」と言いかけたミラーの声は、兵隊の怒号でかき消された。

 そんなミラーの懸念をよそに、ついに〈インスパイア号〉の左舷と〈ウラカンレオン号〉の右舷が軽く接触した。

 反撃とばかりに〈インスパイア号〉に乗り込もうとする海賊たちを押し返し、ミラー、ブライアンたちは、陸戦隊を率いて一気呵成に〈ウラカンレオン号〉に乗り込んだ。

 と、その時である。予想だにしなかったことが起きた。

〈ウラカンレオン号〉の砲門が開き〈インスパイア号〉に接射を行ったのである。激しい揺れとともに、両船は大きく傾いた。

 横腹に穴があけられた程度で、〈インスパイア号〉は沈まない。かつて、この船が海賊船であった当時から、水密構造をした当時数少ない頑丈な船であったため、少々の浸水で轟沈するようなヤワな船ではないのだ。

 しかし〈インスパイア号〉からの応射はできない。ミラーを含む甲板兵たちが〈ウラカンレオン号〉の甲板に乗り移っている。そこを攻撃することは、仲間を殺すことになってしまうからである。まるで、そのことがすべてわかっているかのような射撃である。

 たちどころに、〈ウラカンレオン号〉の放った砲煙が、両船の甲板に煙幕のように立ち込めた。

「アレックス・クロフォードを探せ!!」

「どうなってる!? 被害状況を知らせ!!」

「ひるむな、海賊どもを蹴散らせ!!」

 一寸先が煙で真っ白に覆われ、算を乱した兵隊たちは、口々に叫んだ。

 混乱をきたしている。ミラーは白煙の中で、冷静に分析した。やはり、アレックスは何か仕掛けてくる。砲撃は、この白煙を巻き起こすためのもので、かつて彼がブラックストーン海賊団の一員であったことを鑑みても、一度きりの砲撃で〈インスパイア号〉が沈まないことくらい知っているだろう。

 白煙は数分もしないうちに海風にあおられ、両船の甲板から消え去った。

 甲板にいる海賊が少なすぎる……、ミラーがそう思った瞬間だった。〈インスパイア号〉の方から悲鳴が聞こえた。

 振り向きざまにそちらに目をやると、白煙に紛れていつのまにか〈インスパイア号〉の甲板に乗り移った海賊たちによって、〈インスパイア号〉に残っていた兵隊や船長が捕えられていた。

 やはり、罠だった。

 寡兵である海賊どもは〈インスパイア号〉の陸戦隊をわざと〈ウラカンレオン号〉の甲板に誘い込み、砲撃の白煙を煙幕代わりに人手の少なくなった〈インスパイア号〉に乗り移り、艦長たち……即ちイギリス海軍側の指揮官を捕えて、士気を失わせて、海軍を一網打尽にしたのだ。ミラーもブライアンも〈インスパイア号〉もろとも、アレックスに踊らされていたに過ぎない。

 そう悔しく思ったのもつかの間、船倉に隠れていたと思われる海賊たちが、甲板のハッチを開けて、なだれ込んできた。そのうちの一人がミラーに襲い掛かってくる。ミラーはマスケット銃の先端に取り付けられた短刀で、海賊のカトラスをかるくいなすと、銃床でその腹を思い切り叩いた。

「ぐぇっ!!」

 とカエルを踏みつぶしたかのような声を立てて、海賊はその場に倒れた。

「気圧されるな!! 隊列を戻せ!! イギリス海軍の意地を見せろ!!」

 ブライアンの必死の叫びが響き渡る。しかし、一度混乱した部隊は、音を立てて崩れていくかのようだった。〈ウラカンレオン号〉に乗り込んだ陸戦隊も、次々と海賊たちによって捕えられていく。そのありさまは、あまりの手際の良さに、思わず舌を巻いてしまうほどだった。

「まだ殺すな!! 全員生け捕りにしろ。『余興』の時間だ!!」

 戦場と化した〈ウラカンレオン号〉の甲板を、後部甲板のほうから、悠然と歩いてくる一人の男がいる。コートの裾をマントのようにひるがえし、とびかかるイギリス兵を突き飛ばしながら、こちらへと向かってくる。

「アレックス……」

 ミラーは静かに、その男の名を呟いた。


 まんまと、イギリス兵は罠にかかってくれた。

 突然現れた〈インスパイア号〉に、アレックスは驚いた。だが、それはイギリス海軍が待ち伏せていたことへの驚きではなく、〈インスパイア号〉……即ちかつてエリオットやレベッカたち仲間とともに短い時を過ごした〈ウラカンレオン号〉が現れたことだった。隣で慌てる、副長ライナスの声で、その驚きは一瞬で覚めてしまった。

「くそっ!! 待ち伏せかっ!? あれは哨戒艦ではない、総員戦闘準備!!」

 客船や商船とは違う。戦闘用に作られ、戦闘に長けた者たちが扱う軍艦は、一朝一夕に沈めることができるような相手ではない。まして、自分たちを狩りに来た相手なら、なおさらだ。

 だが、〈インスパイア号〉の足の速さを、アレックスはよく知っている。

「まさか、ウラカンレオンがイギリス海軍に寝取られるとな……」

 アレックスは小さくつぶやくと、脳をフル回転させて作戦を練った。だが、そこまで悩む必要などなかった。狙われているのは自分だ。船長であるアレックスの首級を上げるために、〈インスパイア号〉の兵隊たちは必ずこちらの船に乗り込んでくるに違いない。ならば、船倉に隠れて待ち伏せをし、相手船を乗っ取ればいい。相手が取った『待ち伏せ作戦』をこちらも応用してやるのだ。

「樽機雷の投擲もするな、砲撃も最小限にとどめろ!!」

 アレックスがそう指示を与えると、隣でライナスがややぎょっとした顔をする。

「まさか、逃げるつもりなのか?」

「俺をヴェインの腰抜けと同じにするな。目の前に現れた獲物は、どんなやつでも必ずいただく。それが、俺たちの流儀だ。だが、相手は俺たちを捕えに来た、さしずめ『討伐隊』だ。勝つためには作戦が必要だ。卑怯な手を使っても、何物にもののしられないのは、俺たちが海賊であることの特権だということを忘れるな」

「しかし、攻撃を控えるなど……!」

 と言いかけたライナスは閉口した。いつもなら、苦言を呈するのも副長の仕事とばかりに、反対ごとをいうライナスがやけに素直に従った。

 アレックスはすぐさま、数人の甲板員を残し、舵をライナスに任せると自ら海賊を率いて、船倉に隠れ潜んだ。

 狙い通り、〈インスパイア号〉から陸戦の切り込み隊が、〈ウラカンレオン号〉に乗り移ってきた。すぐさま、煙幕代わりの砲撃をお見舞いする。

 かつて、〈ウラカンレオン〉の名を持っていたその船は、客船時代から水密区画構造をしており、防御力に優れていることは、かつて乗組員であったアレックスはよく知っている。無論、砲撃は〈インスパイア号〉を撃沈するためのものではない。

 アレックスは両船の甲板を白煙が覆ったことを確認すると、船員の一部を〈インスパイア号〉へと移した。〈インスパイア号〉の艦長を捉えるためである。また、それとほぼ同時に甲板のハッチを開き、敵の切り込み隊が煙幕に惑わされている隙を突いて、攻撃を仕掛けた。

 それはアレックス自身も驚くほどの手際であった。自分の手下たちが経験を積み成長した証しであるのか、はたまた〈インスパイア号〉の乗組員たちが油断していたからなのか。そのどちらであっても、結果は上々だ。

 アレックスは〈ウラカンレオン号〉の甲板に、縄で縛って整列させた〈インスパイア号〉の乗組員……即ちイギリス兵たちの悔しそうな顔を眺めつつ、満悦の笑みを浮かべた。

「ようこそ〈ウラカンレオン号〉へ、イギリス海軍の諸君!」

 まるで、ロンドンの劇場主のような慇懃な挨拶をしてみせるアレックス。だが、〈インスパイア号〉の艦長は忌々しげな顔つきで、アレックスたちを睨み付けた。

「ええい! 縄を解け!! 海賊どもがっ!!」

「おやおや、本日のお客様は、少しばかり態度がよろしくないようだ」

 芝居がかった口調のアレックスは、ブーツのつま先で、跪く艦長の顎を蹴り上げた。

「イギリス海軍というのは、脳の構造が皆同じなのか? どいつもこいつも、縄を解けの一点張り。そろそろ聞き飽きた」

「貴様……っ!! 誇り高きイギリス海軍を愚弄するか!?」

 歯が折れたのか、口の中を切ったのか、口元から血を流しながら、なおも艦長がアレックスを睨み付けた。

「愚弄しているんだよ。支配者気取りの王家の犬が、真っ赤な服着て、鉄砲を振りかざしているなんて、馬鹿にする他ないじゃないか。いや、犬じゃないな。茹で上がったエビだった」

 アレックスがそういうと、クロフォード海賊団の船員たちが声をそろえて笑った。無論、エビとは赤い軍服のイギリス軍を揶揄した言葉である。

 艦長は顔まで赤くして、汚い言葉で何ごとかアレックスのことを罵ったが、その言葉の羅列は耳を素通りしていった。

「俺たちは誇りだの名誉だの、そんなものに興味はない。俺たちは、ただ自由に生きているだけだ。自由の前に、誇りも名誉も枷に過ぎない……などと言っても、ジョージ王に忠誠を誓うお前たち公僕には、到底理解などできはしないだろう。忠君とは聞こえが良いが、まさに、王命に従うだけの愚劣なる生き物だ」

 もう一度、艦長の顎を蹴り上げた。顎の骨が砕けたのだろうか、艦長の口からぼたぼたと血の塊が落ち、〈ウラカンレオン号〉の甲板を汚す。だが、アレックスは気にする風もなく、踵を返すとライナスからカトラスを一振り受け取った。

「本日の余興は、決闘だ」

 と、一言。アレックスはライナスから受け取ったカトラスを、甲板に突き立てた。

「我こそは、と思う者は立ち上がり、この剣を抜くがいい」

 イギリス兵は静まり返った。誰も立ち上がろうとはしない。決闘などと名ばかりである。アレックスの背後には、副長ライナスをはじめとする彼の仲間が、マスケット銃を構えている。もしも、アレックスが不利になれば、彼らはその銃でアレックスを援護するだろう。要は、決闘という名の処刑である。

「おやおや、海軍には腰抜けしかいないのか」

 誰も名乗りを上げないことに、アレックスはため息を吐き捨てると、自らのカトラスを鞘から引き抜いた。そして、顎から血を流しうなだれる艦長のもとに近寄ると。彼の丸まった背中にカトラスを突き刺した。

「ぎゃ!」

 という短い悲鳴とともに、艦長は絶命した。

「さあ、名乗りを上げないなら、一人ずつ殺していく。その死体は〈インスパイア号〉に磔にして、キングストンの港へ返してやろう。お前たちの妻子や恋人はさぞ驚くことだろう。これで邪魔な夫はいなくなった、新しい男を見つけられるってね。そして、イギリスの市民たちはお前たちを指さしてあざ笑う。お前たちが求めた名誉は地の果てに落ち、このアレックス・クロフォードの名声はますます高くなる!!」

 アレックスは饒舌に語った。そして、艦長のそばにいた副長ののど元を切り付け、殺害した。

 もはや逃げ場はない。一矢報いることができるなら、少なくとも誰かは生還できる。だが、その一縷の希望にすがるほどの度胸がある人間が、どのくらいいるのか。

 と、その時である。

 一人の青年将校が立ち上がった。軍帽を目深にかぶってはいたが、その廂から除く青い瞳は、鋭くアレックスを睨み付けていた。

「僕が相手しよう……縄を解いてくれ」

 青年将校が言うと、アレックスは顎をしゃくって、手下に縄をほどくよう指示した。

 拘束を解かれた青年将校は、しっかりとした足取りで前に歩み出る。彼のそばにいた別の青年将校が「おい、ミラー!!」と声をかけたが、彼の耳には届いていないようだった。

 青年将校は、アレックスが甲板に突き立てたライナスのカトラスを引き抜いた。刀身のほころびを確認する。

「お前、名は?」

 アレックスが問いかけると、青年将校は静かに軍帽を脱ぎ捨てた。

「レイモンド・ミラー……いや、君にはレイ・ゴードンと名乗った方がいいか。久しぶりだね、アレックス」

 青年将校……ミラーは抑揚のない口調で名乗った。

 銀髪に近いブロンドの髪、鼻筋は通っているが細い輪郭、ほとんど仮面のように表情を変えない仏頂面。その姿に、アレックスは驚愕せずにはいられなかった。

「レイ……!」

 アレックスの前に現れた青年将校。十年の歳月で、すっかり身長も声も変わってしまっていたが、かすかに残る面影は、かつてブラックストーン海賊団で轡を並べた、若き船医だった。

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