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ウラカンレオン号の航海記録  作者: 阿蘭素実史
11/19

11. お宝探し

 水深はそこまで深くはない。水の透明度も高く、周囲の景色を形作る珊瑚と海藻、そして白い砂は、海上から入る日光に照らされて、キラキラと輝いて見えた。

 しかし、やはり潮の流れがやや速い。気を抜けば瞬くうちに漂流者の仲間入りだ。泳ぎが得意なアレックスでも油断を許さぬ海と言うことだ。

 時間をかけて慎重に着底したアレックスは、両手足を鳥のようにばたつかせて、その場に留まると、あたりの様子を伺った。目的の沈没船を探すためである。

 難所と呼ばれる海域での沈没船の数は、計り知れない。カリブ海の存在をヨーロッパ人が周知して、すでに二百年以上の歳月が過ぎているが、まだまだ航海技術が未熟であることもその理由だ。それと同時に、このあたりは海賊討伐を進めるイギリス海軍と、海賊たちの最前線でもある。

 そのため、見回すだけで辺りには、いくつかの沈没船の姿が確認できた。

 あるものは時化で沈み、またあるものは戦い敗れて沈んだのだろう。あるものは船体が真っ二つに折れていたり、またあるものはもはや甲板などのわずかな残骸しか残っていない。

 おそらくは数年前、もっとそれ以前に沈没したに違いない。しかし、アレックスが探しているのは、およそ三週間前に嵐で沈んだスペインの商船である。乱れ狂う突風と高波によって船体が粉々にでもなっていない限り、比較的真新しい沈没船がそれだ。

『あれは……』

 沈没船を求めて海底を歩くように泳ぐアレックスの眼に飛び込んできたのは、ジャックが用意した空気樽である。

 樽は結わえつけられた石の錘を下にして、まるで海藻のようにゆらゆらと海底に佇んでいた。丁度息継ぎの頃合だと思ったアレックスは、樽の中に頭を突っ込んだ。

 樽の中には、ラム酒のクラクラとする匂いと共に、ジャックの言うとおりダイビング・ベルの代用として、人ひとりが息を整えることのできる程度の空気があった。

『闇雲に探すのは得策じゃないか』

 と考えたアレックスは呼吸を整えて、再び水中に戻ると、使い終わった樽を逆さにして沈めた。

 海底は広い。その何処かに沈んでいる沈没船を探し出すことは容易ではない。まして、他にも多数の船の残骸がある中で、目的の船を選りだすことは至難の業と言える。

 勿論、潜水夫はアレックス以外にもいる。その中の誰かが、沈没船を見つけることが出来れば、あとはお宝をサルベージするだけだ。しかし、宝を沢山持って帰るから期待してろ、とアイリスたちに言った手前、何としても自分が一番乗りで沈没船を発見したいと思う。

 それはちょっとした意地のようなものだった。

 もしも、沈没船があるとすれば、潮に流されている可能性が高い。海賊船に沈没させられたのではなく、嵐で沈んだのであれば尚更だ。闇雲に広大な海底を彷徨うよりは、賭けに出る方が分がある。

 そう考えたアレックスは、潮目に身を任せ、目的の沈没船の捜索を続行した。

 途中、発見した空気樽で何度か息を継ぎ、時折海面を見上げては〈オールド・レンジャー号〉の船底で、自分の位置を確認する。

 そうして潮の流れの先に、珊瑚礁を枕に横たわる真新しい船の残骸を、ようやく見つけた。

 武装を持たない単帆装のスループ船。だが、マストは根元から折れ、船首のバウスプリットも見当たらない。船底には大きな穴が開いている。おそらくそれが致命傷となったのであろう。

 跳ねて喜びたい気持ちを抑えつつ、アレックスは周囲を見渡した。辺りの景色を頭に叩き込み、一路〈オールド・レンジャー号〉に戻り、発見の報告をするためだ。

 ふと、そんなアレックスの視界に、影が一瞬通り過ぎる。珊瑚礁の隙間を縫うように、チラリ、チラリとその姿を見せながら、影は徐々にこちらに近づいている。まるで、幽霊か何かのように、気配がなかった。

 驚いたアレックスは、肺の底から空気を吐き出してしまいそうになった。

『サメだ! ホオジロザメだ!!』

 全身から血の気が引いていくのが分かる。

 サメの多くは、人を襲ったりはしない。しかし、ホオジロザメは「人食いザメ」として知られる、獰猛で恐ろしい種類である。全長は人の五倍ほどもあり、鋭い歯と強力な顎に噛みつかれれば、人間の五体などあっという間に引き裂かれてしまう。

 とっさに腰の辺りに手を伸ばすが、潜水の邪魔になるカトラスは船に置いてきた。今、手元にあるのは小型ナイフ一本だけだ。

 丸腰に近い状態、自由の利かない水中、言葉の通じない野生生物。

 アレックスは自らの置かれた危機的状況に歯噛みした。

 逃げ込む場所は一つしかない。素早く海底の砂を蹴り上げ、全力で沈没船目指して泳いだ。振り向く余裕はなかった。殺気に満ちた捕食者の気配を感じつつ、沈没船の腹に空いた穴に滑りこむ。

 ちょうど船倉と思われるその場所は薄暗く、積荷がそこらじゅうに散らばっていた。小麦粉やサトウキビの入った麻袋、ラム酒やワインの入った木箱、そして厳重な鍵がかけられたチェスト。それらは交易品として、スペイン本国に持ち帰られるものだったのだろう。

 船倉に眠る積荷を横目に、船室階層へ上がるための階段へと滑り込む。

 かつて船員たちが航海中の生活の場としていた船室と通路は、瓦礫と化した扉やベッドやランプなどが海水に漂い、かつての面影を残してはいない。

 その通路の先に、アレックスが見つけたのはこの船の「船長室」だった。

 すぐさま、船長室の扉を開け中に逃げ込んだ。船長室の中も他の部屋と同様に、この船が健在であった頃の名残を残してはいなかった。テーブルや椅子などの調度品の類や羅針盤など重いものは床に散乱し、航海日誌や海図などの軽いものは、まるで魚のように部屋の中を漂っている。

『空気だ!』

 部屋の一番奥、天井の隅にわずかな空気だまりを見つけたアレックスは、一目散に空気だまりに顔を出した。

 おおよそ新鮮とは言い難い空気であるが、三か月経ってなお、空気だまりが残っていたことは奇跡に近い。信心を持たないアレックスも、この時ばかりは神様に感謝したくなった。

「助かった……」

 思わず安堵の声が漏れる。しかし、このままこの空気だまりに顔を出していても埒が明かない。何とかサメを撃退し〈オールド・レンジャー号〉へと戻らなければいけないが、相手は恐ろしい人食いザメである。戦い慣れしたアレックスと言えども、人間と野生動物では勝手が違い過ぎる。

「人食いザメも〈あの十五年〉に比べればマシか……」

 ふと、苦笑いしたアレックスは再び水中へと潜った。

 首を回し船長室をくまなく物色する。すると、部屋の隅に一本のカトラスが吊るされていることに気付いた。すかさず、カトラスを手に取り引き抜いてみる。

 ずいぶんと装飾の派手な鞘から、美しい波紋を描いた刀身が現れる。有名な鍛冶にでも鍛えてもらったものなのか、業物と言うにふさわしい剣だ。おそらくこの船の船長の持ち物だったのであろう。

 アレックスは鞘を捨て、抜身のカトラスを握りしめると、船長室を後に甲板側の出口から、再び船外へと飛び出した。

『サメは何処だ!?』

 潮に流されぬよう、マストの残骸に捕まりながら警戒する。異様な静けさに否が応でも緊張感が増す。沈没船の周囲にサメの姿はない。隠れ潜んでいるのか、それとも諦めて立ち去ったのか? 

 アレックスが視線を上げた瞬間だった。海面越しに輝く太陽を背に、頭上から急降下するサメが姿を現した。

 獲物を見つけたサメは、大きな口を開け、尾びれをくねらせながら全力で突進してくる。幾重にも並んだ鋸状の歯が狙いを定めた。

『来るなら来やがれ!』

 アレックスはサメを睨み付けると、カトラスを構えた。甲板を強く蹴り、浮き上がると同時に鋭く尖った切っ先を繰り出す。

 両者が激突した瞬間、カトラスの切っ先とサメの歯が鈍く光った。


〈オールド・レンジャー号〉の甲板で、アイリスは心なしか不安げな顔をして水面を見つめていた。

 それと言うのも、アレックスが沈没船を探すため海に潜ってから、随分と時が過ぎたからだ。その間、潜水夫たちは報告と休息のために、入れ替わり浮上してくるが、その中にアレックスの姿はなかった。

 船上からでは海の中の様子を知る手立てはない。「潮流が速くて、探索が困難だ」「ホオジロザメらしき姿を見た」などという潜水夫たちの報告が、一層アイリスを不安にさせる。

「アレックスさん、遅いですね……」

 と、内心を吐露してみても、傍らの無口な船医は何も語らない。甲板を吹き抜ける海風に乱された色素の薄い髪を、時折押さえるだけだ。

 甲板を振り向くと、ジャックとその仲間たちが「空気樽」と称した錘つきの空樽を、次々と海へ放り投げている。

 陽は徐々に島の影へと落ち始めていた。陽が沈むまでに、つまり海賊団のリーダーであるヴェインに気付かれる前に、ナッソーへ帰投するつもりだったジャックの顔には、俄かに焦りの色が見え始めている。船員たちに与える指示も、少しばかり乱暴な口調になっていた。

 そんな騒々しい甲板の様子を眺めつつ、アイリスも海風になびく、金色の長い髪を押さえた。

「ちょっと邪魔よ、お嬢様!」

 唐突に棘のある声とともに、苛立ちを顔に表したレベッカが、空気樽を抱えてこちらへとやって来た。

「連れて行けって言ったのはあんたの方なのに、そんなところでボーっとしてるなんて、良いご身分ですこと!!」

 あからさまな嫌味にアイリスは困った顔をする。

「あの、えっと……でも、わたし何をしたらいいんでしょうか?」

「はぁ? そんなこと自分で考えなさいよ、お嬢様!」

 プイっと顔をそむけると、レベッカは空気樽を放り込むため、船尾の方へと歩いていってしまった。アイリスはレベッカの背中を見つめながら、ため息を漏らした。

 確かに自分も連れて行ってほしいと懇願したのは自分だが、船乗りでない上に、記憶すら失った自分に何が出来るのかも良く分からない。

「船室、入る?」

 途方に暮れていると、傍らのレイが小声で促した。寡黙な彼なりに、気を使ってくれたのだろう。アイリスは小さく頷き返した。

「おおーい!! ジャーック!! あったぞ、沈没船だ!!」

 踵を返し、甲板下の船室へと向かおうとしたアイリスの足を、アレックスの声が止める。

 甲板が歓声に包まれた。船員たちは投入しようとしていた空気樽をその場に放り出して船の縁へと駆け寄る。アイリスとレイもそれに続いた。

「アレックスさん!!」

 アイリスが船縁から身を乗り出すように海面をのぞくと、アレックスは海面を漂いながら、こちらに笑顔で手を振る

「サルベージは出来そうか!?」

 船縁に駆け寄ってきたジャックが問いかけると、海面に浮かぶアレックスは手を振るのを止めて、こくりと頷いた。

「チェストならすぐにサルベージできる。俺が船まで案内するから、潜水夫とロープを寄越してくれ!」

「よくやった、アレックス。上々だ!!」

 ジャックは労いの言葉をかけながら踵を返し、てきぱきと船員に指示を与えていく。

「ロープだ! ロープを出せ。サルベージ用に用意した長巻のやつだ! 潜水夫どもは、アレックスに付いていき、出来るだけ多くのお宝にロープを繋げ!! 甲板員はお宝を引き上げる準備にかかれ!」

 その表情は、先ほどまでの焦りをにじませた顔色とは打って変わり、やや頬を上気させて喜びにあふれていた。

 ジャックと同じく、〈オールド・レンジャー号〉の甲板は揚々とした雰囲気に包まれ、あわただしくサルベージの準備が開始された。

 アレックスもジャックの潜水夫たちを従えて再び海底に姿を消す。

「よかったね。アレックス、無事で。宝が揚がるまで、船室にいよう」

 アイリスを手招きするレイに、彼女は頭を振った。

「見ていてはダメですか?」

「サルベージ、邪魔になる」

 レイはきょとんとした。単帆装のスループ船〈オールド・レンジャー号〉の甲板は、ブリッグ・スループの〈ウラカンレオン号〉のそれと比べて非常に狭い。そんな甲板で、ぼんやり見学などしていれば、再びレベッカの雷が落ちるのは明白だった。

 だが、アイリスは食い下がった。

「見てみたいんです、皆さんが……海賊と呼ばれる皆さんが、どんな人たちなのかを」

 アイリスの言葉に、船室へ向かおうとしたレイは少しばかりの溜息とともに、

「じゃあ、あっち」

 と、船首を指差した。あそこなら、サルベージの邪魔にならないと考えたのだろう。アイリスは促されるまま、船首の隅に移動した。

 それから間もなく、サルベージが始まった。

 アレックスたち潜水夫が、海底の沈没船に積み込まれていたチェストにロープを結わえ、一旦〈オールド・レンジャー号〉の真下まで引っ張り出す。

 一方〈オールド・レンジャー号〉の甲板では甲板作業員の船員たちが、潜水夫のゴーサインを待って、ロープを綱引きの要領で引く。

 水中からものを引き揚げるためには、相当な力が必要だ。ロープは大きな滑車な通してあるが、それでも水の粘性抵抗に、屈強な海の男たちは顔をしかめる。

「それ! 引けーっ!! 引けーっ!!」

 後部甲板の上で音頭を取るのは、この計画のリーダーであるジャック……ではなくてレベッカだ。

 彼女は最後尾でヒィヒィと息を乱しながら、今にも倒れそうなジャックを見つけると、眉間にしわを寄せた。

「ほら、ジャック、なに屁っ放り腰になってんのよ、だらしないわね! 男なら、腕が千切れるまで引きなさいよ、あんたのお宝でしょ!?」

「そ、そんなこと言ったてよ、本当に腕が千切れてしまいそうだ!」

「いいわ、ナッソーに帰ったら、あんたのヘタレっぷりをグリーンウッドのアンさんに、包み隠さず報告してあげる。アンさんどう思うかしらねえ」

「ま、待ってくれ。それだけは勘弁してくれ! や、野郎ども!! 宝は目の前だ気合入れろーっ!!」

 相手が年上でも歯に衣着せぬレベッカの叱咤に乗せられた、ジャックはきりりとした顔つきになる。

 やがて、船員たちに疲れの色が見え始めるころ、ようやくチェストが甲板へと引き揚げられた。スペイン製の意匠が施された、明らかに厳かな雰囲気を纏った宝箱だ。

 一瞬、甲板が静まりかえった後、まるで地面から湧き上がるかのように、船員たちの歓声が海峡に響き渡った。

「やった! やったぞー!!」

 ジャックと船員たちが肩を抱き合い、口々に喜びを叫びあう。瞬くうちに甲板は笑顔で満たされた。

 アイリスは船首部の隅でその光景を眺めていた。

「みなさん、とても嬉しそうですね」

 とアイリスが言うと、傍らのレイは小さく頷いた。

「ぼくたちが、宝を手に入れられることなんて滅多にない」

「そうよ、無傷で宝を手に入れられるなんて、幸運以外の何ものでもないわ」

 レイの声にかぶせるように、レベッカがこちらに向かってくる。サルベージの号令を終えた彼女の声は少しばかり枯れていたが、心なしか嬉しそうな顔つきで、いつもの棘はそれほど感じられなかった。

「たとえ、宝を手に入れたとしても、船のオーバーホールや、弾丸、食糧、医療品補充にかかる雑費を引けば、儲けなんて呼べるもんなんて残らないわ」

「ウチは貧乏……」

 と、レイが付け加える。

「どうして海賊なんてやっておられるのですか?」

 アイリスの問いかけに、レベッカは少し考えてから、「これしか生き方を知らないから」と答えた。

「ロンドンで暮らせば、きっと楽な暮らしが出来ると思うわ。だけど、あたしたちは偉い誰かさんが決めたルールに従って、窮屈で退屈な生き方をするのなんて、真っ平ごめん。あたしの生き方はあたしが決める。ここにはチャンスも転がってる。今日は貧乏でも明日は大金持ちかも知れない、あんな風にね」

 ジャックたちを指差すレベッカは、付け加えるように言う。

「自由を得るためのリスクなら、甘んじて受け入れるわ。貧乏だってね」

「自由……ですか」

 アイリスはその言葉を反芻するように小さく口にした。この海で、その言葉を聞くのはこれで二度目だった。最初にその言葉をアイリスに語った人は、ようやく仕事を終え、潜水夫たちを引き連れて甲板に上がって来た。

「あ、アレックスさ……」

「アレックス!! こっちだ、こっちへ来いよ!!」

 か細いアイリスの声をかき消し、ジャックがアレックスを呼んだ。


 甲板に上がるなりジャックに呼ばれたアレックスは、海水が染み込んだ服を絞る間もなく、彼の下に駆け寄った。

「さあ、こっちへ」

 ジャックに手招きされるアレックス。チェストを取り囲んでいたジャックの仲間たちは、潮が引くかのようにアレックスに道を譲った。皆の顔が、何やら怪しげにニヤニヤとしている。

 その様子怪訝に思ったアレックスが「さては鍵が開かないんだろ?」と問うと、一堂は揃いもそろって頷いた。

「ピックツールはあるんだが、俺もこいつらも使い方を知らないんだ。鍵が開けられなきゃ、こいつはただの飾りのついた木箱だ」

 そう言って、ジャックはアレックスにピックツールを差し出した。これでピッキング……すなわちチェストの鍵を開けてくれと言うのだ。

「準備がいいのか悪いのか。ホント、お前ってそういうところあるよな」

 アレックスはツールの入った皮袋を受け取りながら、皮肉交じりに言ってやったが、当の本人はいささかも悪びれる様子なく、

「褒め言葉と受け取っておくよ。それよりも、早くこいつを開けてくれ。みんな、中身が知りたくて待ちきれないんだ」

 と、アレックスを急かした。

 苦労して手に入れたお宝の中身を知りたいのは、アレックスも同じだった。

「お宝は逃げたりしない、ちょっと待っててくれ」

 と、はやるジャックをなだめつつ、ピックツールの入った革製の袋から、先端に鉤のついた針金と、目打ちのような専用ツールを取り出した。

 その二つを器用にも鍵穴に差し込み、鍵穴をいじること数分。ジャックとその仲間たちが固唾をのんでその様子を見守っていると、小さく「カチリ」という音が聞こえた。

「よし、開いた!」

 アレックスの一声に、甲板がにわかに騒がしくなる。

「静かに!」

 と、アレックスはジャックとその仲間たちを制すると、ゆっくりとチェストのフタを開いた。海底での眠りから突然目覚めさせられたチェストが、まるで欠伸でもするかのようにギィと金具を軋ませる。そして、ついに皆の前に待望のお宝が姿を現した。

 人が両腕で抱えられる程度の大きさのチェストの中には、船員たちを狂喜乱舞させるほどのお宝があるわけではなかった。それでも、チェストの中にはぎっしりと、財宝が詰め込まれていた。

 スペイン製と思われる量産品の銀食器、同じく銀で作られた宝飾品の数々、レアル銀貨がわずかに数枚。

 すべて売り払えば、船員たちに日当と小遣いがたんまりと与えられる。日帰りのサルベージにしては想像以上の稼ぎではある。

 ジャックとその仲間たちは、手にした宝に喜びの声を挙げた。彼等にとって、お宝の額よりも船団長であるヴェインの力を借りずに、独力で宝を手にしたという事が、彼等の瞳に映るお宝をより一層輝かせているのだろう。

「アレックス! お前のおかげだ! ありがとう!!」

 とりわけ、ヴェインに失敗を責められて落ち込んでいたというジャックの喜び様に、アレックスはため息交じりに苦笑した。

「約束だ、お前たちにも分け前をやろう。どれでも好きなものを持って行け。と言っても、全部持って行かれたら困るけどな」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 ジャックの勧めに応じて、アレックスはチェストの中から自分たちの取り分を選ぶと、アイリスたちの待つ船首の方に踵を返した。

「お疲れ様」

 とレベッカが短い労いの言葉をアレックスに送る。返事する代わりに、アレックスは手にした銀の杯を彼女に投げ渡した。

「そいつを売れば〈ウラカンレオン号〉の台所の足しにはなるだろ?」

 続いて、レイにも分け前を投げ渡す。同じく銀で出来たスプーンだ。

「ほら、レイにも。前に薬匙がほしいって言ってたろ?」

 スプーンを受け取りながら、レイは渋い顔をする。

「食器と薬匙は別物……」

「わがまま言わない」とアレックスはレイの頭を二、三度軽く叩くと、最後にアイリスにも報酬を差し出した。

「アイリスにはこの腕輪をあげる」

「え? でも、でもわたし、何もしていません。ここにいて、皆さんの働きを見学していただけです。レベッカさんにも叱られました……報酬を頂くわけには」

「じゃあ、これは俺からの餞別」

 そう言って、アイリスの言葉を制すると、アレックスは彼女の白くて細い手を取って、有無を言わさずに銀の腕輪を通した。

 あまり豪奢な腕輪ではなかった。宝石などの目立った装飾も、細工彫りも見当たらなかったが、腕輪の外周には、緻密な彫り物でスペイン語と思しき言葉が刻まれていた。

「魔除けの言葉。De modo que despida al diablo, y la felicidad le visita.『魔を払い、幸福の訪れんことを』って意味」

 すらすらと外国の文字で書かれた刻印を読むアレックスに、少しばかり目を丸くするアイリス。

「ナッソーへ戻ったら、次に会えるのはいつになるか分からない。こんな稼業だからね。だけど、君がカリブにいる限り、これからの暮らしに幸せが訪れますようにって、いつも願っているよ……早く記憶が戻るといいな」

 目を細めて言うアレックスに、アイリスは嬉しそうな微笑みの蔭で、何か言いたげな表情で、こくりと頷いた。

「それで? あたしの杯とレイのスプーンは売り飛ばすとして、アレックスは何も貰わなかったの? 一番の功労者は、沈没船を発見したあんたじゃない?」

 いつの間にかレイからスプーンを取り上げ、頭の中で金勘定を始めているレベッカが言う。

「ああ、それなら……」

 と、アレックスがズボンのポケットから取り出したのは、親指ほどの大きさの、乳白色をした鋭利な三角形の物体だった。

「何、それ?」

 小首をかしげるレベッカ。

「戦利品」とアレックスはホオジロザメの歯を太陽にかざし、満足そうに薄く透ける様を眺めた。

「よーし!! 野郎ども、錨を揚げろ! 帆を張れ、フルセイル!! ナッソーに凱旋だ!!」

 財宝の分配が終ったのか、ジャックの揚々たる掛け声が〈オールド・レンジャー号〉の甲板に響き渡った。船員たちの威勢の良い返事とともに、それぞれが持ち場へと駆けていく。甲板は俄かに騒がしくなった。

「あれは何だ?」

 そう口走ったのは、ナッソー帰投の準備で慌ただしくなった甲板の隅で、双眼鏡を覗き込んでいた観測員の男だった。

 彼の視線の先、もうじき水平線に姿を消そうとする真っ赤な夕陽を背に、一隻の船がこちらに接近しているのが見える。

「ジャック! 不明船だ!!」

 観測員の声に、ジャックとともにアレックスたちも何事かと観測員の傍に駆け寄った。

「海軍か?」

「分からない……船影からしてブリガンティだ」

 ジャックの問いかけに頭を左右に振りながら、逆光に顔をしかめる観測員。

「ちょっと貸してくれ!」

 アレックスが観測員から双眼鏡をもぎ取る。〈ウラカンレオン号〉では観測員を務めるアレックスの目は、確かにその旗を捉えた。

 不明船のマスト頂上にはためく、一枚の黒い旗。大きな髑髏と交差した死神の鎌があしらわれた「海賊旗」だ。

「まずい、海軍より厄介だ……パイレーツ・ハンターのサイモン・グレイナーだ!!」

 驚きのあまり、アレックスはそう叫びながら、双眼鏡から目を離した。

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