1. プロローグ
はじめまして&こんにちわ。
本作は時雨瑠奈さんから原案の提供を頂いたものです。著作権は時雨瑠奈さんにあります。
不定期更新の長編作品となりますが、何卒最後までお付き合いいただければ、幸いかと存じます。よろしくお願いいたします。
アメリカ、ボストン北方にある小さな農村。その一角にある小さな家。その家の書斎で、白髪の老人が独り、ロッキングチェアに揺られながら古い本を開いていた。
外はすでに陽も沈み、清かな月明かりが窓辺から差し込み、フクロウの鳴き声が近隣の森からさえずる。『愛国派』と『王統派』に分かれ「独立だ! 戦争だ!」と喧騒渦巻く世間とは、まるで隔絶したかのように静かな夜だった。
老人は暖炉の柔らかいオレンジ色の光を頼りに、本のページを一つ捲った。本にはびっしりと手書きの文字が書きこまれている。青いインクはところどころ水にぬれて滲んで読みにくくなっていたが、老人には何が書いてあるのか、目を瞑っても分かると言わんばかりに、老眼鏡の奥の瞳が文字の一つ一つを追っていった。
ふと、傍らのレターテーブルに目をやると、冷え切ったコーヒーがカップの中で、窓の外の月を映し込んで佇んでいる。
「いかん、いかん。すっかり冷めてしまったな」
老人はひとりごちて、置かれた珈琲に手を伸ばした。不意にその手元が狂う。指先に弾かれたカップは、ゴトリと音を立てて、板張りの床に落ちてしまった。
「おやおや」
老人は慌てて椅子から立ち上がった。クマのような髯を撫でながら、きょろきょろと周囲を見回し、拭き取るものを探した。
ちょうど手近なところに、布巾があったのは運が良かった。老人は痛む膝を「よっこらしょ」と緩慢な動作で折り曲げ、床に広がった琥珀色の水たまりを拭き取った。
「歳は取りたくないものだな……。体のあちこちが痛むし、すっかり頭も白くなってしまった」
老人はぼやくように、再びひとりごちると、汚れた布巾と空になったコーヒーカップをレターテーブルの上に、無造作に置くと、溜息を吐き出してロッキングチェアに腰かけ直した。
「後で、ジェシカに叱られてしまうな……」
そう言いながら、本の続きに戻る。
今日は疲れてしまったし、ベッドに入らずこのまま眠ろうか。老人がそう思いかけた矢先、夜の静寂を破るがごとく、部屋の外からドタバタと無節操な足音がいくつか聞こえてきた。
まもなく、老人の書斎の扉が無遠慮に開かれる。
「おじいちゃん!!」
掛け声のように老人を呼びながら部屋に飛び込んできたのは、三人の幼い子どもだった。一人目は、赤茶けた髪がクルクルとしたわんぱくそうな男の子。二人目は、活発さを絵にかいたようなそばかす顔の女の子。三人目はややおとなしい亜麻色の男の子。三人とも、老人の孫である。
「おやおや、どうしたんだお前たち。もうお休みの時間じゃないか」
優しい声で老人が問いかけると、孫たちは老人の傍まで駆け寄ってきて、その膝に縋りつくようにして、「何かお話を聞かせて!」と唐突にせがんできた。
どうやら、三人は寝付けなかったのだろう。そこで、母親に内緒で祖父の部屋を叩いたのだ、と老人は推察した。
「いいだろう。お話を聞いたら、ちゃんとベッドに戻って寝るんだぞ? いいなお前たち」
「はい!」
「それじゃあ、どんな話がいいかな?」
老人が子どもたちに話を聞かせてやるのは、これが初めてのことではない。孫たちがいつも老人の話に目を輝かせて聞いてくれることを、老人も少なからず快く思っていた。
「昔、おじいちゃんが助けたグリズリーの話が聞きたい」
と、わんぱくな少年。
「ううん、わたしはボストンの街の話が聞きたいな」
と、そばかすの少女。
「僕は……あの、あのねっ」
亜麻色の髪の少年は、やや伏し目がちに答えに窮した。老人はそんな少年の頭を笑顔でそっと撫でてやった。
「お前は、若い頃のお祖母ちゃんに良く似ている。よし、それなら今夜はお前たちに取って置きの話をきかせてやろう」
老人はそういうと本を閉じて膝の上に置き、老眼鏡を外した。暖炉の火を見つめる老人の瞳がまるで時をさかのぼるかのように遠くを見る。子どもたちは、暖炉のそばに座ると老人の語りに耳を傾けた。
「これはまだ、誰にも話したことがない秘密の話だ。だから、誰にも話しちゃいけない。ジェシカママにも内緒だぞ」
孫たちがこくりと頷くのを確かめてから、老人は昔語りを始めた。
「今よりずっと前のことだ。おじいちゃんが、若者だったころ。場所はここから遠く離れた、南の海……。カリブ海だ!」
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