わたくしを誰だと思っているの?
朝の太陽が、硝子窓越しに少女たちの頬を照らす。
擬洋風建築の高等女学校には、今朝も良家の子女たちのさえずりが響き渡っている。
膨らみかけの蕾、けなげにか細い茎は、いずれ来る嵐も知らず、温かい春風にそよいでいた。
ところが、そんな穏やかさをかき消すように、突如騒音が廊下に響き渡る。
「も、申し訳ございません!」
掃除婦は、倒れたバケツから零れる汚水にも構わず、廊下に這いつくばった。
「申し訳ないで済むと、思ってらっしゃいますの!?」
「お前の不注意で、お嬢様の履物が汚れましてよ?」
金切り声をあげる少女たち。彼女らに囲まれて、一際目を引く美しい令嬢が一歩前に踏み出していう。
「わたくしを誰だと思っているの?」
高慢そうに顰められた柳眉、赤く弧を描く唇。
「わたくしは照葉伯爵家の令嬢、照葉彰子!あなたごときが無礼を働いて、許される相手ではなくってよ!」
――――――ブッ
「お嬢様、このような低俗なテレビ番組を録画してまでご覧にならないでください。しかも朝から」
「低俗……低俗。そうね」
ふふっと私は自虐気味に笑った。
そう、これは昼ごろに放送される低俗な愛憎劇、通称昼ドラ。正しくは、大正時代に実在したある華族のゴタゴタを元ネタに、下宿していた書生が書いた小説『燃え落ちる薔薇』を映像化したものである。健気な女主人公と性悪なライバル、ヒロインの出生の秘密、嫉妬愛憎不倫お家争い、ドロドロの人間関係が、主に主婦層の心をわしづかみにし、何度もテレビドラマ化されている。今見ていたのは最新のものだけど、二十歳過ぎの女優が女学生は無理がありすぎだと思う。あと、化粧が濃すぎ。伯爵令嬢なのに立ち振る舞いに品性がない。それから、あそこまでは言ってない。
なぜ私が、ドラマの登場人物にそこまで肩入れするのか。それは、私に前世の記憶があり、おそらく元ネタの意地悪な悪役、薔子伯爵令嬢だからである。そう、私は、ヒロインにえげつない嫌がらせを仕掛け続けた挙句に、人望も寄る辺も全て失い、腹心の部下から裏切りを受けて焼死した、まさしく”燃え落ちる薔薇”なのだ。自分を薔薇に例えるとか、どんだけだけど……
前世の私はなぜ、あれほどまでに根拠のない自信に満ち溢れていたのか。創作物を通じて客観的に見てみると、悲惨な死に様も「ざまぁ」としか言えない。せめて、今生では謙虚に生きようと、自省の意味も込めてこうして黒歴史と向き合っている次第だ。の割には女優に文句をつけたけど。
「もう登校のお時間ですよ。今、車を回します」
「ありがとう」
前世の悪行のためにどんな畜生に生まれ変わるかと思っていたのに、今生の私もお嬢様と呼ばれている。これについていろいろ考えたが、
1.前世を反省して今生をまっとうに生きろという思し召し
2.虫や獣に生まれた方がまだマシという人生をこれから送る
3.そもそも、前世の記憶自体、まったくの思い込み。関係ないね
とさまざまな可能性が思いついた。今のところ、3が最有力候補である。どの案が正解であれ、あるいはまったく的外れなものであったとしても、私にできる対策は、前世と同じ轍を踏まないよう、地味に心穏やかに生きることくらいしか思いつかない。
というより、人間怖い。前世での私の死後、取り巻きや従業員含め、今まで私に媚びていた者は皆手のひらを返したように私を罵り始めた。腹心の部下は姿を消した。特に小説が出版された後は、関係ない連中まで私の墓を引き倒し、遺骨に悪戯をした。まあ、自業自得と言えばそこまでだけど。
それ以上に驚いたのが、ヒロインの私に対する擁護である。『すべては私のことを思いやってのことだった』『周りに何も言わせないよう、わざときつく当たっていた』『薔子様は誰よりも高潔な方だった』等々。
逆に恐ろしいわ!
……どれだけ本当の発言かは分からない。彼女は、彼女の擁護者からすれば天使のように、私からすればネジをどこかに置き忘れたかのように、とにかくいい方にしか受け取らない人間だから、実際そう思ってても不思議には思わないけれど。
とにかく、今生の私は、悪行を働くことなく、というより人になるべく関わらないことを心掛けながら生きる。成人したら幾分か生前贈与を受け、薔薇の品種改良とかしながらひきこもろう。
そう思っていた。
主人公の名前
今生:総備 咲子 前世:高嶺 薔子 小説・ドラマ:照葉 彰子
名前の読みはすべて「しょうこ」です。
なお、華族や爵位については不正確な知識しかないのでご容赦ください。