表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の柩  作者: 桧崎マオ
第2章 月影のパラノイア
6/11

03

 居城全体を見渡せる位置に建つ『三日月竜の棟』の一角に設えられた執務室の窓際、外からは窺えない、ちょうど死角の位置で影に紛れるようにして立つ法水のりみずは腕を組んだまま、無精髭に覆われた頬を無骨な掌で、ざらりと一撫でした。歴戦の軍将いくさのきみらしく炯々とした光を湛えた紫闇の瞳を仰ぎ、差し向かいに建つ『妃の棟』の屋上の光景を捉えながら。

 ……一体、どのような会話が為されているものか。シャムロックと言う名の、毒花の如き妖艶な女と、そして、強い風にはためく大きな紺色の襟が特徴的な、膝上まで肌の露出した裾の短い奇妙なデザインのドレスを着たリューカとの対峙に法水は目を眇める。

「いつまでタダ飯食うつもりなんだろうな、あの法術師の女はよ」

 誰に聞かせるともない独白は、この城の主である男への当て付けであった。法水とは数間の距離を置いての後背、その肩越しには、重厚な執務机の前に端然と座し、書類に目を通している三日月の竜公シン・ドラクルの称号を戴く七竜公のひとり、哉生の姿が覗える。

「……リューカ妃はいつ療養先から戻った。亭主と違って才子で聡明な、あのお姫様からの挨拶が珍しくなかったからよ」

「昨日の夕刻です」

 法水の揶揄を意に介した風もなく素っ気なく答える哉生。へぇ、と小さく応えながら、窓枠に嵌め込まれた分厚い硝子越しの景色から視線を外すと、法水は初めて其方へと向き直る。背後の窓から差し込む『貴婦人』の、白銀の光を逆に受けた表情が翳りの中に沈み込む中で、法水は甥でもある君主への問いを重ねた。立てた親指で肩越しに『妃の棟』の屋上───『リューカ妃と同じ顔貌の少女』の在る方を示しながら。

「あのお姫様、随分と印象が変わっちまったような気がするんだが、それも病気のせいか?」

 答えは、ない。問いの存在そのものがなかったかのような態度、哉生が優雅な仕草でもって引き寄せた机上の羽ペンを手許の書類に走らせ始めたのを受けて、法水は黒の戦装束に包まれた逞しい肩を聳やかした。まだ年端もいかぬ頃に大藩公の地位に就いた哉生が成人するまでの数年間、後見人を務めてきた軍将は、綺麗な顔貌はしているが、無口で可愛げのない甥の性格をよく知っていた。

「それで、落とし前はどうつけるつもりだ、哉生」

 この地に付けられた『風の平原』という名前の顕すが如くに吹き抜ける強い風が窓を叩く。その音に被さって、法水のよく通る低音の声が執務室の空気を圧して響いた。

「甕星の竜公アスタルテ・ドラクルウラヌスは他の七竜公の面々に糾弾文を出したそうだ。遠い先祖より何代にも渡る三日月と甕星の不毛な戦を止めるための講和を、妹姫の掠奪によって白紙にし、剰え、和平の仲立ちとした北辰の竜女公ポラリス・ドラクレアカレリナの面目を潰した三日月の竜公シン・ドラクル哉生の罪は重いとな」

 腕を組んだまま顎を引き、やや上目遣いの探るような紫闇の眼差しを主君に向けながら、口許に冷笑を浮かべて法水は続ける。肩先に届く、くせのかかった固い黒髪を無造作にひとつに纏め、無駄なく鍛え上げた長身の体躯を銃騎隊の真黒の長衣に包んだ様は、さながら魔王の如くの佇まいであった。

「ウラヌスは再三、妹姫であるリューカ妃の引き渡しを要求してきている。それにカレリナ公はウラヌスの奥方の姉だ。こないだの面子を潰された件に加えて、そいつを建前に北辰の竜女公ポラリス・ドラクレアに軍事介入されたら厄介なことに───」

「伯父上は臆されたか」

 玲瓏たる声音が不意に法水の言葉を遮った。羽ペンで書き物をする手を止めると、哉生は窓際に立つ伯父を真っ直ぐに見据えて言い放つ。法水の、軍将としての矜恃を揺さ振る言葉を。

「蛮勇で以て鳴り、『狂公ザナシュ』と畏れられる貴方が。神をも恐れぬ伯父上が七竜公如きを敵に回すことを恐れておられるのか」

 三日月竜の軍将、『狂公』法水───その名は彼が創設し、また自らが陣頭指揮を執る銃騎隊と共に、その勇猛と苛烈、残虐さで以て近隣に轟いていた。マスケット銃を担ぎ、腰元には二本の短刀を下げ、勲章のように数多の薬莢を胸元に仕込んだ黒長衣の戦装束に身を包んだ銃騎隊兵士は、その司令官と共に畏怖と嫌悪の意味を込めて『黒い悪魔』と忌み名される。それは一度戦火を交えた敵に対しては、後の禍根を残さぬために、敵兵はもとより非戦闘員の女子供すらもひとり残らず殺害し、都市ひとつを最初から存在しなかったが如くに破壊し尽くす法水の戦の有り様、徹底した殲滅戦に由来した。

 窓に嵌め込まれた分厚い硝子を風が叩く音と狼の遠吠えのような風鳴り、そしてふたりの男の間に横たわる沈黙。鬩ぎ合うそれらの中で、暫し目を伏せ、腕を組んだまま指先で規則正しいリズムを刻んでいた法水であったが、やがて極低温の声をたてる。

「……そんなわけあるか、糞が」

 甥がつまらぬ男に成長したなら、また腑抜けることがあったなら───この『狂公』と呼ばれる男は哉生の幼い頃より、後見人としてその背後に控えながら、いつでも主君を弑し、三日月の竜公の名を簒奪する腹づもりでいた。だが、今はその必要がまったくないようだと、法水は固い無精髭の下の口角を釣り上げ、犬歯を剥き出しに唇を下卑た嗤いに象る。その紫闇の双眸に狂気に近い色をちらつかせながら。

 今はまだ、哉生こいつの臣下、軍将という立場に甘んじていても……いや、その地位に在った方が戦を楽しめる───。

「実の所、お前がウラヌスと講和を結んで戦を止めようとした時には全力で阻止することも考えたさ。……お前をブッ殺してでもな」

 揶揄というには毒の成分が強い伯父の言に動じることもなく、哉生は静かに席を立つと風の叩き付ける大きな窓の方へと歩を進め、外を見遣る。

「だが、『狂公ザナシュ』より頭のイカレた主君が───他ならぬ和平の言い出しっぺである筈のお前が見事に講和をブチ壊してくれた。お陰で、俺の出る幕はなくなったわけだがな」

 哉生は秀麗な眉目を軽く顰めた。傍らの法水が発する皮肉のためではない。一番に視界に飛び込んでくる、この執務室の向かいに建つ『妃の棟』の屋上にある人影、少年と紛うばかりに短く切り込んだ栗色の髪と溢れんばかりの生気に輝く琥珀の瞳の少女のためだ。

リューカでありながらリューカではない、『影の世界』から連れて来た『ヒト』───コインの表側にリューカという存在が刻まれているとすれば、その裏側とも言うべき『リューカの影』。その少女が投げつけてきた言葉が哉生の脳裏に鮮やかなまでに甦る。魂と自身の存在をあらん限りに主張する、烈しい声が。

(あたしはリューカじゃない。黒岩流香だ!)

「……伯父上は我ら三日月と甕星の古くからの戦の謂われを御存知か?」

 まるで彼女自身の生き様のようだとすら思う。強い風の中、抗うように佇む少女に目を留めたまま、哉生は隣に立つ法水にふと問い掛けた。不意に水を向けられて法水は「さあな」と応えて頭を振る。

「俺らが知らないような先祖の代から、『何となく』ドンパチ繰り返してきたからな。ちゃんとした理由なんて知ってる奴もいねえんじゃねえのか」

 もっとも人殺しの理由なんぞ何時の世も後付けのもんだがよ、と。法水はシニカルに肩を聳やかした。

「先祖代々繰り返しているという義務感以外に、戦をする理由など、これまでどちらにもなかったものが、これでお互いに明確な理由ができた」

「リューカ妃のために、か」

 三日月の竜公と、その配下の軍将の、どちらからともなく互いに向けた目が、かち合った。そのまま法水は哉生の視線の軌道を手繰るようにして身を捻り、窓の外に眼を移す。その先にあるのは、敵将・甕星の竜公アスタルテ・ドラクルウラヌスの妹姫にして、三日月の竜公シン・ドラクル哉生の妃───期せずして三日月と甕星の戦の渦中に投げ込まれた少女であった。

「……じゃあ、敢えて訊くぜ。あれは本当にリューカ妃か?」

 腰に届くほどであった美しい栗色の髪は療養の間に切ったのか。少年と紛うばかりの姿となっているものの、髪の色も顔貌もリューカには違いないが……否、容姿は同じではあるが、少なくとも法水の知っている三日月竜の妃と、今在るリューカは『何か』が違うように感じていた。

 雙月境を統べる七人の大藩公。『七竜公』とも呼ばれる彼らの、政治力、軍事力、領主である彼ら自身の能力───諸々の力を拮抗させることで、七竜公の何れかの勢力が突出することもなければ、衰退することもないように、この世界は均衡を保っていた。

 その中で、遙か遠い先祖の代より永らく『断続的で退屈な』武力戦闘状態にあった三日月の竜公シン・ドラクルと甕星の竜公アスタルテ・ドラクルが停戦の和平条約を結ぶ───それはこの雙月境を統べる七竜公達が固唾を呑んで見守る歴史的な事件であり、ひとつの転換点になる……筈であったのだ。その会談の席上、三日月の竜公・哉生が突如として甕星の竜公・ウラヌスの妹姫を掠奪し、歴史的講和を破棄してしまうまでは。

(誘拐でも掠奪でもありませんわ、法水の伯父上様。押しかけの妃で私が勝手に哉生様について参ったのです)

 まるで深処を静かに流れる水のようだと、初めてまみえたウラヌスの妹姫に法水はそんな印象を抱いた。法水は回想する、夫となった男の、『狂公』と綽名される伯父を前に臆することもなく、琥珀の瞳に決然とした光を湛えながら膝を折り、堂々と貴婦人の礼を執るリューカの姿を。

(この度のことは、和平の証として私を正妃に迎えたいと言う哉生様の申し出を無碍にした兄に非がございます。哉生様に付いてきたこと、後悔はしておりません)

 法水は窓の外から視線を引き戻した。斜に向けた紫闇の眼差しで傍らの哉生を睥睨し、改めて問う。

「主君であるお前が惚れた女のために戦も辞さぬと言っている。俺ら兵隊はそれについていくだけだ。だからこそ訊いてるのさ。あのリューカ妃は偽物じゃないだろうな?」

「法水の伯父上」

 ごぉ、と渦を巻いた風が一際強く吹き荒れる。それすらも圧するかのような哉生の声音は低く、そして静やかではあるが、極低温の熱雷を孕んで響く。感情が表に顕れることの少ない甥の、刃光にも似た光彩を湛えた黒水晶モリオンの眼差しを向けられて、歴戦の軍将は軽い驚きを伴って瞠目する。

「いくら伯父上とは言え、我が妃に無礼が過ぎます。あれはリューカです」







**********







 軍将・法水が哉生の執務室を辞去し、三日月竜の紋章が彫り込まれたその重厚な扉を閉ざした処で───壁面に数多嵌め込まれた、大きなランセット窓から差し込む『貴婦人』の、柔らかな銀光の中に浮かび上がる人影を認めて法水は声を掛けた。

「よお」

 雙月境を統べる七竜公のひとりであり、三日月竜の称号を戴く大藩公・哉生の伯父にして、彼自身もその軍を統括する総司令官と言う、およそ身分の高い者らしくない砕けた挨拶をする法水に対し、純白の生地に赤の線の描かれたトーガを身に纏ったその者は作法に則った間合いを置いて騎士の礼を取り、軍将に堅物過ぎるほど鄭重に頭を下げる。三日月の竜公近衛騎士団長にして、法水の同母妹である降柳ふりやぎである。

「おはようございます、兄上」

 この世界を遍く照らす『貴婦人』の銀光が降るを声音にすればかくあるか、凛として辺りに響く挨拶の言葉とともに降柳は面を上げた。腰まで伸びた緩やかに波打つ亜麻色の髪が貌の上半分を覆い隠す白金のドミノマスクを撫でるように、さらりと音たてて流れていく。

 兄に対しても生真面目な態度を崩さない降柳に、法水は肩を竦めながら苦笑混じりに問うた。

「どうした、お前も哉生に用事か」

 蛮勇で以て鳴り、真黒の戦装束に身を包んだ魔王の如き兄と、貌を覆う無機質の、白金の仮面ゆえに謎めき、人を寄せ付けぬ空気を纏った孤高と高潔の、純白の騎士たる妹と───同じ母の胎から産まれ、血肉を分けながら対照的なふたりの兄妹は、朝の白銀の光に溢れる回廊にて対峙する。

「大藩公様への報告に。昨夕、ウラヌス公の従者であるシグマ殿が国境を越えて、こちらに向かっていると伝令が」

「へぇ」

 降柳の答えを受けて、法水は垂れ気味の瞼の上に不貞不貞しく居座る眉の片方だけを大仰に吊り上げてみせた。

「シグマって言ったら、ウラヌスとリューカ妃の乳兄弟の家臣じゃねえか。そいつを寄越してくるってことは、甕星アスタルテがとうとう痺れを切らしたってことだな」

「あと数刻のうちに城に到着すると思われます。如何様にされるのか、我が君にご裁断を仰ぎに参りました」

 腹心の従者であるシグマを寄越しての、甕星の竜公・ウラヌスの要件については改めて確認することもない。つい先程、哉生と話したばかりのことだ。自身が辞去したばかりの主君の執務室を斜に一瞥しながら、法水は愉快そうに言い放つ。

「多分、哉生のことだ。お綺麗ないつもの仏頂面で『捨て置け』とくるだろうさ」

「兄上」

 些か批難の色の混じった、窘めるような声を上げた降柳にも意に介した風もなく、その脇を法水は膝下にまで届く戦装束の黒い裾を翻して徐に通り抜けていく。

「惚れた女が敵将の妹姫だったから奪った、哉生のやりようは俺は嫌いじゃない。昔っから何考えてんだか解らん、可愛げのないガキには違いねえが、なかなかどうしてあいつの臣下でいるのも面白いもんだぜ───少なくとも謀叛を見送るくらいにはな」

「弁えられよ、兄上! 口が過ぎますぞ!」

 冗句と片付けるには分限を超えた、軍将たる兄の言い種に降柳は声を荒げた。三日月の竜公直下の近衛騎士団の長にして、主君の叔母という自身の立場に忠実な妹の生真面目な反応をからかうかのように、法水のたてた磊落な哄笑が回廊に反響する。亜麻色の髪が揺れるほどに鋭くその方を顧みた降柳は、法水の逞しい背を真っ直ぐに見据え、無機質の仮面の下で臍を噛んだ。

 哉生の父にして、先代の三日月の竜公は胡藤こどうと言い、法水にとっては異母弟、降柳にとっては異母兄にあたる人物であった。父公が戦場で落命したことにより、七竜公の大藩公位、三日月竜シン・ドラクルの家名と領地、そしてそれに纏わる重責の一切を若干十歳にして背負うことになった哉生であったが、当時幼少であるとの理由から軍将であった伯父の法水が後見人として背後に控え、哉生が成人するまでの数年、政と戦を代行してきたのである。

 大藩公位の世襲は生まれ順ではなく正室の血統が優先される。先々代の正室の子であった胡藤の跡目は、その正室の子である哉生が継承することが定めであった。長兄でありながら妾腹の法水には正室の血統が途絶えない限りは三日月竜の家名と大藩公位を継ぐことは赦されない。それゆえに胡藤の戦死は当初から法水の仕組んだ暗殺と囁かれ、そして、現当主である哉生を巡っても何かと不穏な噂が纏わり付いていた。法水の戦を主眼に置いた政の有り様やそれに伴う不遜な言動、また彼の束ねる配下の銃騎隊の存在が噂を助長したが、そもそも後見人の地位を巡っても何人かの親族や姻戚といった政敵を血祭りに上げた男である。当の法水自身は否定も肯定もせず、むしろ面白がるかのように逆手に取って飄々と、その噂をこんな風に弄ぶのが常であった。

「……気に入らねえんだよな」

 不意に硬い軍靴の進める歩みの止まる気配、そして思案気な呟き。この城塞のある平原を吹き抜ける風の鳴る、獣の遠吠えのような音を聞きながら、法水は紫闇の瞳を険しく細めた。

「あのシャムロックとか言う胡散臭い法術師だ。哉生はリューカ妃の病気の癒療のために招いたそうだが、どうにもな」

 家臣や兵士を始め、三日月の領民や城の下働きにまで気さくに声をかけ、聡明で気立ての良いお妃様と評判のリューカが、その姿を見せなくなったのは一月ほど前からであった。元々が敵将の妹姫という出自ゆえに不穏な噂も飛び交ったが、哉生はいつもと変わらぬ調子で「生命にかかわる重い病に罹り、療養している」と説明するに留めた。そして似たような時期に、この城に姿を見せた妖艶な法術師・シャムロックについては「その癒療のため」と。

 ……そもそもリューカ妃は本当に病気だったのか───療養先から戻ったというリューカの姿を、つい先程遠目に見た法水であったが、あの奇妙なドレスを着た少女は貌も姿も自身の見知ったリューカ妃のものには違いないものの、彼女が哉生の妃である少女と同じ人物とは思えなかったのである。

「兄上、どちらへ」

「あ? 病気快復のリューカ妃にお見舞いのご挨拶よ」

 ひらひらと戯けたように手を振りながら法水は、今度こそその場を立ち去るために再び歩を進め始める。硬い靴裏と石畳の擦れ合う音を響かせて遠離る軍将の後ろ姿を無言のうちに見送っていた降柳であったが、やがて静かに踵を返した。眼差しを覆い隠す白金のドミノマスクの下より虚空の一点を凝視する───押し殺したような声音で、誰に聞かせるともない独白を紡ぎながら。

「……今回、ウラヌス公が要求しているのは再三に渡るリューカ妃の引き渡しだけではございません。三日月の軍将・法水が先の戦で甕星の神殿を攻めた際に捕虜として連れ去った巫女達の身柄を解放するように、と」

 血を分けた兄妹の間に横たわる物理的な空間に明らかな逡巡の気配を漂わせながらも、法水と降柳は背中合わせのまま互いを振り返らない。そんなふたりの姿を回廊に揺蕩う『貴婦人』の銀光が柔らかく包み、レリーフのように浮かび上がらせた。

「ひとつ、伺いたい。兄上が神殿を攻めた際に掠奪した巫女姫、アシュリー殿を邸に囲っているという噂は真か?」

 後背からの妹の問い掛けを受けて、法水は無精髭に覆われた唇を薄く開いた。眉根を顰め、僅かな、溜息にも似た呼気とともに忌々しげに吐き出された言葉は、距離と靴音に邪魔をされて沈み込み、降柳の耳には届かない。

「……誰が、あんな鬱陶しい小娘───」

 高く低く、回廊の高い天井に反響しながら遠離っていく軍靴の音を降柳は凝然と聞いている。肩越しに聞こえるそれが、兄からの無言のうちの答えであるかのように感じながら。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ