手をつなごう!!
――私の彼は、手をつないでくれない。
恋人になったら、当たり前のように手をつないで、幸せな二人を町中に見せ付けてやる、なんて思ったりしていたのに……。
私は、今日も隣を歩くだけで、手をつなぐことができないでいる。
勝手に手をつないでしまったときは、まるで濡れた手の水を払うかのように、私の手を振り払った。
あの時は、ショックだった。
「ひどいよ、祐二。私たち、恋人だよ?」
「……悪い」
目と目を合わせずにつぶやく。
「あ、別に、怒ってはないんだよ? 分かってくれれば……それで……」
惚れた弱み、その言葉を唇でかみ締めた。
祐二は無口で不器用だ。それは付き合う前から分かってた。
どこか遠くを見るような眼差しで、時々口にする言葉は深遠で――
そういうところに私が一方的に惹かれてしまった。
付き合う前、近くで彼の声が聞こえたときは、それだけで胸が爆発しそうになった。低くて、渋い、吐息が漏れるような声。時々しか聞けないその声。
だから、恋人になったらどんなに素敵だろうって、ずっと考えていた。
そして、せっかく恋人同士になれたのに、祐二はあまり変わらない。
私だけが浮かれて、あたふたしてる。
もしかしたら、もう私のことを好きではないのかな……。
そんなことは、もう数えられないほど繰り返し考えた。寝る間も惜しんで考えた。
祐二の気に触るようなことをしたのかな、とか。
祐二が誰か他の人を好きになったのかな、とか。
私の身体的特徴から、料理の味付け、果ては家系まで。どんな小さな可能性も探ってみた。本当に自分が醜いと思う。祐二の身辺調査、聞き込み調査、まるで警察がやるそれみたいに、私は調べて回ったのだから。
でも、答えは出なかった。
「ねえ、祐二」
祐二は無言でこちらを振り向く。笑顔なんてない。
「ん……なんでもない」
私は祐二の機嫌を損ねるんじゃないかと思って、聞くことができない。
のどまででかかった台詞を飲み込んでしまう。
――どうして手をつないでくれないの?
何度も一人で声を出して練習して、臨んだ本番。やっぱり駄目だった。聞いてしまったら、二人が終わってしまうような気がしたから。恋人同士でいられなくなってしまう気がしたから。
私は二人の恋愛貯金をずっと切り崩して過ごしているんだ。貯金が尽きてしまえば、そのときは、きっと終わってしまう。だから私は、嫌われないように、嫌われないように、貯金を少しずつ少しずつ使っている。少しでも長く、祐二との恋愛が続くように祈りながら。
彼の顔色をうかがって、言葉一つに神経を注いで、彼好みの服を着て、話し方だって……。
全部、彼をつなぎとめておくため。彼に好きでいてもらうため。
だから、手をつないでもらうくらい、我慢する。私の夢だったけど、でも、彼が好きでいてくれるなら。
「……熱でもあるのか」
低い声が聞こえてきた。彼の声だ。目は前を向いたままだけど、私を心配してくれてる。
まだ付き合っていられる。心配してくれているのだから。
私は少しだけほっとした。
「ううん、平気」
私の言葉を聞いてそれきり黙ってしまう。周囲にはどう見えているのだろう。しつこく付きまとう女、かな。私って醜い。こんなの恋人じゃないよ。
私は考え込んでしまう。何度も何度も、自問自答して、原因を究明する。でも、確かなことは分からなくて。それで、悪いほうへ悪いほうへ、考えは行ってしまって、戻ってこれなくて。
そして――
「……あれ、私……」
私はベッドの上で横になっていた。額には濡れタオル。
「知恵熱……?」
頭がぼうっとする。看病してくれた彼がベッドに背中を向けて、安らかな寝息を立てていた。
自分が自分で馬鹿らしく思えてくる。
空回りだ。情けない。きっと嫌われた。
恋愛貯金は、この看病で使い果たしたに違いない。
好きだから、大切だから、看病してくれたんじゃない。同情で看病してくれたんだ。
涙が出てそうになる。目に涙が溜まっていって、今にもこぼれそうだ。
私は、彼に涙を見られて嫌われる前に、涙を拭ってしまおうと、手を目元に持ってこようとする。
しかし、涙を拭うことはできなかった。
――私の手は、暖かくて、大きなものに握り締められていたから。
掛け布団を取ると、そこには彼の手があって、私の手をしっかりと握っている。思わず涙の色が変わってしまう。
「……起きたのか」
彼が握っていた私の手を離すと、私は体を突き抜けるような幸福感から開放されてしまう。
「……どうして?」
彼は答えない。
「私のこと、嫌いなの? だから、つないだままでいてくれないの?」
ダムが決壊する。
「嫌いなら、嫌いだって、はっきり言って! 別れたいなら、別れたいって、はっきり言ってよ!」
彼の胸を叩く。
祐二のことがまだ好きだ。どうしようもなく好きだ。
だから、少しでも彼の心を動かしたくて、何度も何度も彼の胸を叩いた。
「……ず……んだ」
彼が何事かをつぶやいた。私は、直感的に別れの言葉だと思った。
終わってしまう。私と祐二の時間が。今、ここで。
時計の秒針が時を刻み、針の動く音が、私の心を刻む。
そして、祐二が口にした言葉。
「……恥ずかしいんだ」
……。
「――え?」
数秒の沈黙の後、思わず間の抜けた声が出た。
「恥ずかしい?」
「……ああ」
「た、たったそれだけ?」
「……それ以外に何がある」
このあと、嬉しさのあまり祐二に往復の平手打ちをしたことは、言うまでもない。
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