08
雨は一向に止むことなく降り続ける。
あれから、どのくらいの時間が過ぎたのかはわからない。
わかるのは人影がめっきり減り、交通機関が終了した時間だろうということだけだ。
歩夢はベンチに腰掛け、ただ時間が刻々と過ぎてゆくのを感じていた。
冷たいはずの秋の雨はとうに、気にかける存在ではなっかた。
それくらい、長い間雨に打たれていた。
みんな心配しているだろう
歩夢は素直にそう思う。
このての問題に関して、歩夢は非常にナイーブなことをメンバー全員が知っている。
たまに遭遇してしまうあのような出来事の度に、どうしても感情的になり落ち込んでしまうのだ。
けれどメンバーはあえて安易に慰めるようなことはせず、いつもただ暖かく歩夢を迎え入れるだけだった。
それはなにかと問題を抱えるメンバーの些細な気遣いなのだ。
そんなメンバーも突然の失踪にはさすがにいつも以上に心配しているのは明白であり、胸がちくりと痛む。
けれど歩夢は行動に移すことができずにいた。
道路にでてタクシーを拾う。それすら億劫だった。
先ほどまで螺旋のごとくフル回転していた脳はまるで急に眠ってしまったかのように鈍く、歩夢の行動を拒む。
簡潔に、あまりに馬鹿げた言葉を使うのであれば、自分の脳は絶望感に見舞われているのだ。
明日のスケジュールを思い出しては消えまた思い出す、そんなことを繰り返す。
そして時間が過ぎる。
そんなことを繰り替えしていると急に雨が止んだ。
否、止んだのではなくそれが誰かの傘だということに気付いたのはしばらくして声をかけられてからだった。
「風邪ひくよ。」
馴れ親しんだ男の声に歩夢が、脳が、反応する。
「社長、」
振り向かなくてもわかる。
歩夢は小さく男を呼んだ。
「進がね、どこを探しても見つからないと慌てて私の部屋までやって来たんだよ。」
進らしいと歩夢はおもった。
歩夢を気遣い、話を大袈裟さにせず適格な対処をとったのだ。
「いやね、大変だったよ。彼、自分ももう一度探しに行く気でね。だいたいいる場所は検討つくから大丈夫って嘘ついて部屋にむりやり押入れて、だ。」
男は軽くため息をつく。
そしてまた言葉を告ぐんでいく。歩夢はただ耳を傾けた。
「なぜかな、雨の日とは過去にしたりたくなる。」
すらすらとまるで詩を詠むように、男は言う。
彼はいつもこんな調子で、どこか読めない言動をするのだ。
「うん。そうだな、では懐かしい話でもしよう。歩夢は覚えているだろうか。私が君たちarkをスカウトした日のことを。」
急な問いに歩夢はたじろく。
「・・・覚えてますよ、二年前。ライブが終わったあと、俺たち貴方にファミレスに呼ばれたんだ。」
忘れられるわけがない、と歩夢はおもった。
あの時、とても衝撃的な言葉と名刺にメンバー全員が目を丸くしたのだから。
黒髪にやや白髪交じりの中年男性。
目は笑い皺におおわれ、ひどく優しげな表情にみえる。
服装はスーツでサラリーマンのような容貌。
そんななんの特徴のない男。
大手グループ・レコード会社代表取締役 広瀬真義
そう記載された名刺をこちらに渡し、そして広瀬は言ったのだ。
君たちを迎えたいんだ
もちろんメジャーという形でね
当時はark結成後まもなく、もちろんアマチュアで活動をしていたメンバーはひどく動揺したものだった。
「私はね、見た目こそ似合わないもののライブが大好きでね。暇さえあれば当日券を買ってよく足を運んでいたんだ。あの日もたまたま、入場料フリーの会場をたまたま見かけてね。」
広瀬は照れたように言う。
広瀬はスーツ姿が多く、あのときもスーツだった。
ライブ会場のスタッフが一万払った中年サラリーマンがいる、と騒いでいたのを歩夢は広瀬だと確信している。
「そして私は、君たちに出会った。確信したよ、職業柄たくさんのアーティストを見てきた私の目は節穴じゃないからね。絶対売れると思った。」
歩夢は、今の現状を思った。
確かに、広瀬の目は超えていた。
「でも、君たちは私の申し出を断った。」
広瀬は渋い口調で言い、そして次にさらりと続けた。
「なんとなく、わかっていたがね。君たちの音、パフォーマンス、目、全てが私のような組織的な何かに縛られることを望んだものではなっかた。地位や名誉、そんな私利私欲より強い 何かが、欲求が、 君たち一人一人に根ずよくあると思えてね。それも欠陥ゆえの、ね。」
この人は本当に、どこまで想像や勘を真実に変換するのか、と歩夢は思う。
経営者としてでも、ここまでキレものである必要はない。
それくらい、彼の心理描写は完璧だった。
確かに、広瀬の言う通りarkはメンバーが個々に激しいコンプレックスを抱き、そしてそれを音楽、ステージの上からと、己の存在を確かめるためのバンド活動だった。
「そう、俺は欠陥品だ。一人の人間としても、商品としても。」
皮肉混じりに歩夢は応えた。
「後悔しているかい。メジャー行きを。」
「・・・。」
答えにつまり、沈黙する。
答えが見つからないのだ。
「君はいつか私に言ったね。いつか、本当の自分になると。そして、本当の自分をあるがままに生きたいと。それは、ステージの上だけの話、っだたかい。」
「違う!」
広瀬の言葉が脳裏に響き、とっさに叫ぶ。
急に脳が冴える。
「ではなぜ、真実を知られることを恐れているのかい」
「恐れてなんてない、だから後悔なんか・・!」
まるで導くような広瀬の問いに歩夢は、消えかけた本能を感じる。
そう、答えなど最初からない、後悔などという言葉、存在しないのだ、と。
自分自身を探すという行為は、後悔したところで戻ることのできない願望、本能なのだから。
「整理ができたようだね。」
歩夢がやっと振り返れば、穏やかな表情の広瀬がいた。
傘に収まりきれなかった肩は濡れ、スーツを濡らしている。
「あ、・・社長。心配・・・おかけしました・・・。」
我にかえり、急にことの重大性に気づき、血の気が引いていく。
「ていうか、どうして貴方がここに、」
「様子見だよ。なんたって、君たちarkには二年も待たされていたからね。それも君たちを引きとめるために金にならない、インディーズ契約をつんだ二年間だ。そんなarkの記念すべきデビュー後のライブツアー、少しくらい見たいじゃないか。やっと、仕事がひと段落したんで今日のライブ見させてもらったよ。・・私があげた喉飴、飲んでないね。機材車に封印してあった。」
お茶目に広瀬は微笑んだ。
「あ、いや、あれは・・!とにかくまずくてですね。あっ!社長!傘、お持ちします!!」
歩夢は痛いところをつかれ、蒼白する。
なんとか話題を変えようと立ち上がり、傘を奪う。身長差がなんともなさけない。
歩夢は正直、広瀬が苦手だった。
くえない性格、全てを見透かしてしまう瞳と、なんとも恐ろしい人物なのだ。
それ以上に尊敬しているのだけど。
「さ、早く帰りましょう!」
どっちのセリフだ、と内心ツッコミながら、広瀬の横に立ち道路を指差した。
「明日は早朝の便ですよね?」
「それが、三日間休息をつくってていてだね。」
広瀬は至極嬉しそうに言う。
「まさか・・。」
それ以上の言葉を連想し、背筋が凍る。決して雨に濡れたせいではない。
「そう、よろしく頼むよ。」
歩夢は、傘を落として落胆した。