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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

マカブル・ティータイム

処刑人のうっかり匿い婚

作者: 櫻まど花
掲載日:2026/02/21

「はーい、ただいま参上! いや〜、遅刻遅刻! 途中で野良犬の葬式に出くわしちゃって、つい参列してたもんで!」


 死体安置所の重い鉄扉が、悲鳴のような音を立てて蹴破られた。湿った地下の冷気を切り裂いて、脂と消毒薬と血の匂いが混じり合った空間に、あまりにも場違いな陽気さが雪崩れ込む。


 現れたのは返り血で汚れた前掛けを誇らしげに翻した男、レイオフだった。

 王家お抱えの処刑人である彼の愛用品は、もはや赤黒い染みが模様のように定着していて、本人ですら「どこまでが昨日で、どこからが今日の血痕だっけ」と首を傾げるほどである。

 しかも彼は困ったことに、その下にはあえて最高級の真っ白なシャツを着るという救いようのないこだわりを持っていた。


「はぁ……またやっちゃったな。見てくださいよ、この襟元。昨日の返り血は、なんだか粘り気が強くて落ちにくかったんだ。せっかく夜中にゴシゴシと重曹と格闘したのに……僕の人生、洗濯板と血生臭い斧の往復ばっかりだ!」


 レイオフは自分のシャツの染みを摘み、本気で泣きべそをかきながら石造りの安置台の間をフラフラと進んでいく。今日は彼が無断遅刻をしたせいで、別の処刑人が代わりに「仕事」をこなしたはずだった。


「どれどれ、代役君の仕事っぷりは……。んん? おやおや?」


 並んだ死体の中で、ひときわ小柄なシーツの山の前でレイオフは足を止める。そしてひょいとシーツをめくり、その顔を見るなり目を皿のように見開いた。


「えっ……モルちゃん!? なんで君がこんなところに!?」


 そこに横たわっていたのは、王宮一の腕を持つお針子、モルちゃんだった。かつてレイオフが仕事中に指をちょっぴり切って「いたーい!」とめそめそ泣いていた時、魔法のような手つきでチクチクと指を縫い付けてくれた、あの優しい女の子だ。


 驚いたのはそれだけではない。モルちゃんは死んでいるはずなのに、その大きな瞳をパチパチと瞬かせて、レイオフをじっと見つめ返したのだ。


「……あ、あの。首が、ちょこっと残ってて。とっても、スースーするんです。わたし、まだあちら側への招待状を受け取ってないみたいなんですけど」


「うわぁっ、生きてる! 君、生きてるじゃないか!」


 代理の処刑人があまりにヘボだったのか、モルちゃんの首は皮一枚で奇跡的に繋がっていた。「なるほど、代役君が盛大に空振ってくれたわけですね」とレイオフが納得すると、彼女は「そうみたいです」と頷こうとして、うっかり頭を落としかけた。


「それで……一体どうして死罪になんてなっちゃったの? 君みたいな素敵なお針子さんが!」


 尋ねると、モルちゃんはグラグラと不安定な自分の頭を両手で必死に抱えながら、消え入りそうな声で答える。


「それが……わたし、猫アレルギーなんですけど。国王陛下が溺愛なさっているあの灰色猫が、わたしの足元でゴロゴロし始めたものだから。つい、くしゅん! って。……そしたら陛下が、『余の愛猫に呪いをかけた不届き者だ!』って叫んで……」


「くしゃみ一つで断頭台!? なんてセンスのない王様なんだ……。モルちゃんのくしゃみなんて、小鳥のさえずりみたいなものなのに!」


 レイオフは憤慨して、自分の膝をバチンと叩いた。その拍子に前掛けにこびりついていた古い血の染みがぱらりと落ち、彼は一瞬だけ「ああっ、また洗濯が……」と悲しげな顔をしたが、すぐに真面目な表情に戻ってモルちゃんを見た。


「でも困ったね。外ではもうモルちゃんは立派な元・お針子さん。つまり死んだことになって名簿にバツ印がついちゃってます。今さらお城に戻って『鼻がむずむずしただけです!』なんて言ったところで、今度はもっと腕のいい……そう、僕みたいな処刑人が、今度こそ完璧に仕事をこなさなきゃいけなくなる」


「……じゃあ、やっぱりここで落とし直すんですか? あなたの、そのよく研がれた大きな斧で。……今度は失敗しないでくださいね。せっかくみんなが用意してくれたお墓のお花、ムダになっちゃうから」


「滅相もない! せっかく繋がっているものを切り離すなんて、そんな野蛮なこと僕がするはずないじゃないですか!」


 モルちゃんが不安そうに細い眉を下げたのを見て、レイオフは「しまった!」と大慌てで両手をぶんぶんと振った。彼は大きな体をこれでもかというほど折り曲げて屈み込み、安置台に座るモルちゃんの視線よりもさらに低い位置から、縋るように彼女の顔を見上げる。


「そうだ! 名案がひらめいちゃいましたよ、モルちゃん。今日から僕の助手、やってみません? この死体安置所なら、誰も生きてる人間なんて探しに来ない。実に安全!」


「助手……? でも、わたし、首がこんなにグラグラですよ。満足にお辞儀もできないのに」


「気にしない、気にしない! 僕だって指がバラバラになって落ちるのを誤魔化しながら生きてるんです」


 彼はそう言うと、モルちゃんの首の位置を「ここが一番可愛い角度かな?」と丁寧に微調整してあげた。

 実はレイオフ、お針子のモルちゃんのことが前からちょっぴり好きだったのだ。お城の廊下ですれ違うたび、ちっちゃな体で大きな布を抱え、大きな瞳を輝かせて一生懸命に働く頑張り屋な彼女の姿を、彼はこっそり眩しく眺めていたのである。


「お願いです、モルちゃん。この地下なら、誰も君を捕まえに来ませんから!」


 レイオフは前掛けのポケットをごそごそと探って、小さな裁縫セットを取り出した。それは彼が仕事中に前掛けを破いたり、指を落としそうになったりした時に、自分で応急処置をするための大切な道具である。


「これを貸します。……あ、いや、差し上げます! 僕みたいな不器用な男が持っているより、君の指先にある方が針もきっと喜ぶはずだ」


 最初はいつもの無骨な白い糸を渡そうとした。けれど、ふとレイオフは動きを止める。


 待てよ。モルちゃんは女の子だぞ。

 お城で一番可愛いお針子さんなんだ。そんな、僕のツギハギを直すみたいな素っ気ない糸じゃ、あんまりじゃないか?


 意外にも乙女心のわかる──というか、可愛い女の子に対して並々ならぬ夢を抱いているレイオフは、「ええっと、ええっと」とポケットの奥をさらに深く探った。そして顔を真っ赤にしながら取り出したのは、可愛らしいピンクの糸だった。


「はい! これを。その、女の子ですから。首のステッチだって、黒や白より、こういう明るい色の方が……チョーカーみたいで、オシャレかなって!」


 照れ隠しにヘラヘラと笑いながらも、その瞳は期待でキラキラしていた。


「……ふふ。処刑人さんなのに、変なところで優しいんですね」


 モルちゃんは毒気を抜かれたように可憐な笑顔で微笑むと、そのピンク色の糸を受け取った。その瞬間、マシュマロみたいな指先が触れ、レイオフの心臓は斧で薪を割るような勢いで跳ね上がる。

 生まれてこの方、首を撥ねるか指を切るか、あるいは洗濯板を叩くかしかしてこなかったレイオフにとって、それは雷に打たれたような衝撃であった。


 それから、二人の奇妙な地下生活が始まった。

 モルちゃんは安置所の隅っこにお裁縫箱を広げ、レイオフが仕事中に「いたぁーい!」と絶叫しながら持ち込んでくる、スライスされた指やうっかり切り込みを入れた足を手際よく縫い付けていく。

 彼女が針を通すたび、レイオフは痛みよりも「モルちゃんが僕の指に集中している」という事実に顔を血みたいに真っ赤に染めていた。


 おまけに、モルちゃんの洗濯技術はプロ級だった。レイオフが毎日ゴシゴシ時間をかけて洗っても落ちなかったシャツの血痕が、彼女の手にかかれば嘘みたいに真っ白になる。


「レイオフさん、ここは擦るよりつけ置きの方が落ちるんですよ。ほら、見て」


「すごい……モルちゃんは魔法使いだ! 僕、一生ついていきます!」


 毎日午後三時になると、決まってティータイムが開催される。レイオフは棚から欠けたカップをありったけ取り出し、モルちゃんだけでなく、安置台に並んだ死体たちの前にも律儀にカップを並べて回った。


「お砂糖は二つでよろしいですか? ……沈黙は肯定だね」


「レイオフさん、彼らはお茶を飲めないんじゃなくて?」


 さらにレイオフは、時々思い立ったように安置台を「ガガガッ」と動かして、死体たちの配置換えを始めた。


「こっちの数字に命かけてそうな元・出納官さんは、このお喋り好きそうな元・露店商さんの隣の方がいいかな。うん、これなら地獄への待ち時間も退屈しませんよ」


 死体たちの相性まで考えて配置を変える処刑人の横顔を、モルちゃんは呆れながらも、やっぱり優しい瞳で見つめていた。


 満月の日をいくつか超えれば、モルちゃんもすっかり死体安置所のお針子さんが板についてきた。運ばれてくる死体たちの首を、彼女は自慢の腕でチクチクと縫い合わせ、断面が目立たないように、あるいは少しだけ可愛らしく整えていく。


「いやあ、見てよモルちゃん! 今日の元・男爵さん、君のステッチのおかげで、まるでこれから夜会にでも出かけるみたいに誇らしげな顔をしてます!」


 レイオフが血の染みの消えた真っ白なシャツをはためかせてはしゃぎ、二人の間には──彼本人にしか観測できない、きわめて主観的で、だいぶ都合のいい“良い雰囲気”が発生していた。

 レイオフがうっかり切り落とした膝から下を、モルちゃんが「もう、じっとしててください!」と叱りながらピンクの糸で繋ぎ止める。それは地下室の隅っこで育まれた、歪で、けれど確かな愛の形だろうと彼は真顔で考えていた。


 けれどそんな日々も数ヶ月を過ぎた頃、ついにモルちゃんの心に限界の影が落ちてしまう。


「……ねえ、レイオフさん」


 ある日のティータイム、モルちゃんは死体の前に並べられたティーカップをぼんやりと見つめたまま、ぽつりと呟いた。窓のない冷たい石壁、カビと防腐剤の匂い。

 話し相手はいつでも陽気すぎて空気を読まない処刑人と、いくら話しかけても返事をしない、冷え切った沈黙の住人たちだけ。


「今日、地上はどんなお天気?」


「ええっと、今日はお日様が機嫌を損ねていて、どんよりとした曇り空ですよ! 洗濯物が乾きにくくて、僕はまた家で落ち込んじゃいそうだ」


 レイオフはいつもの調子で笑い飛ばしたが、モルちゃんの瞳には光がなかった。彼女の指先は、針刺しを弄びながら小さく震えている。


「……お外に出たい。お針子仲間のみんなと、お日様の下で、汚れていないレースを編みたいの!」


 ついにモルちゃんは「えーん!」とシーツの山に顔を埋めて泣きじゃくってしまった。


「モルちゃん、泣かないで! 僕が、僕が代わりにお日様みたいな色のカボチャを盗んできてあげますから! それか僕の指をあと三本くらい落として、君に縫わせてあげてもいい!」


「そんなのいらないわ、わたしは、ただ普通に笑ってお庭を歩きたいだけなの!」


 レイオフは差し出した手を宙に浮かせたまま、パンダのような隈のある瞳を悲しげに揺らした。大好きなモルちゃんを笑顔にしたい。けれど彼女を外に出せば、今度こそ本当に彼女の首を撥ねなければならなくなるかもしれない。


「……ごめん、ごめんね、モルちゃん」


 陽気な処刑人は、初めてその場に似つかわしくない、消え入りそうな声で謝った。

 どうしようかな。どうしたら元気にさせてあげられるかな。新しいカラフルな糸を仕入れようか、それとも安置台をダンスフロアのように並べ替えようか。


 そんな時だった。地下の安置所まで響くような、お城の広間からの凄まじい叫び声が聞こえてきた。直後、パチン、パチン! と鋭く指を二度鳴らす音が響く。それは処刑人への至急呼び出しの合図である。


「おや、お仕事かな? モルちゃん、ちょっと待ってて。お詫びに何か美味しいお菓子でもくすねてくるからね!」


 レイオフが慌てて広間に駆け上がると、そこは修羅場だった。

 長い間北の塔に閉じ込められていた王女様が、巨大なハサミを持つ従者を従えて、無理やり国王から王冠を奪い取っている真っ最中だったのだ。どうやらこの国の歴史がひっくり返る国家転覆の瞬間らしい。


「レイオフ。この男、もういらないわ。片付けてちょうだい」


 処刑人としてこれ以上ない命令だ。しかも相手は、大切なモルちゃんをくしゃみだけで死罪にした張本人。レイオフはふだんのひょうきんさが吹き飛ぶほど、私情をたっぷり込めて大喜びした。


「はいはい、喜んで! 陛下……あ、元・陛下、最後は僕がとびきり綺麗に仕上げてあげますからね!」


 えいっ。


 レイオフの渾身の一撃が空を切り、彼はその首の髪をひっ掴むと、鼻歌まじりに地下の安置所へと駆け戻った。


「モルちゃーん、お土産ですよー。ほら見て、このセンスのない生首!」


 扉を蹴破って現れたレイオフの手には、驚愕の表情で固まった国王の生首。それを見たモルちゃんはあまりの衝撃に頭が落ちそうになり、慌てて両手で支えた。


「え、えええ……陛下!? どうして!?」


「国家転覆ですよ、モルちゃん! 王女様が新しい女王様になったんです。王様はもう君にくしゃみの罪を着せることはできない。自由だ! これでもう、隠れて暮らさなくていいんですよ!」


 モルちゃんの大きな瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。けれど、それはさっきまでの悲しい涙じゃない。暗い地下室から、お日様の下へ戻れる喜びの涙だった。


「……本当ね! これで、堂々と外でお裁縫ができるわ!」


 彼女はかつて自分を断頭台へ送った男の哀れな姿を見て、満面の笑みでレイオフに飛びついた。レイオフは顔を真っ赤にしながら、折れそうなほどちっちゃくて、生きている証拠のようにあったかい彼女を、大切に大切に受け止めた。


 それから数日後、即位した女王様が地下へ視察に訪れた。女王様はモルちゃんが丁寧に縫い付けた死体たちのステッチを指先でなぞり、うっとりと目を細めた。


「貴女が死体たちの首をパッチワークみたいに可愛く直していた子ね? 幽霊たちがみんな、貴女のステッチを自慢していたわ。私の王国に、これほど死をキュートに飾れるお針子がいるなんて!」


 女王様はモルちゃんをいたく気に入って、彼女は「死体安置所・兼・王宮専属のお針子」として正式に任命された。もう隠れる必要も、首を抱えて怯える必要もない。


 そして、月が青白く輝くある夜のこと。女王様が新たに作った夜にだけ咲く白い毒花の花畑で、レイオフはとびきり真っ白なシャツの襟を正し、震えながらモルちゃんの前に立った。


「モルちゃん! その……僕は不器用で、シャツも汚すし、指もすぐ落とすけど……君の首だけは、一生僕が支えたいんです! 当たって砕けろ、骨になっても構わない! 僕と結婚してください!」


 文字通り骨身を削る覚悟のプロポーズ。モルちゃんは一瞬きょとんとした後、いつもの可憐な笑顔で「ふふ」と笑い、お気に入りの特別な糸を取り出した。


「はい、喜んで。レイオフさん、この糸をわたしたちの運命の赤い糸にしましょう。……動かないでね、針が変なところに刺さっちゃうから」


 モルちゃんはレイオフの手を取り、彼の左手の薬指にキラキラと輝く金の糸で指輪のような刺繍を入れた。それはどんな宝石よりも強く、二人の運命を繋ぎ止める愛のステッチである。

 一本の糸で結ばれた二人の日々はこうして、おぞましくも愛らしいパッチワークのように続いていくのであった。




最後までご覧いただきありがとうございました。

王女様による国家転覆は同シリーズの『悪役王妃の愛娘』という作品で詳しく書いています。もし気になった方がいらっしゃいましたら、ぜひそちらも覗いてみてください。

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