悪役令息は二度死なない
【あらすじ】
公爵家令息のジュリオは、傲慢で残酷な令息として家族や社交界から嫌われていた。
18歳の冬、幼なじみである第二王子レオンの婚約披露パーティの最中、逃げ出したベランダでジュリオは突き落とされ命を落とした。
次に目を覚ましたとき、ジュリオは15歳に戻っていた。
死を回避するため、今度こそ正しく生きようと誓う。人に優しく、争いを避け、家族との仲も戻そうと決意した。しかし、過去に築かれた悪行は容易に断ち切れなかった。
愛されたがゆえに殺され、
生き直したがゆえに心を殺される。
悪役令息の2度目の地獄の幕開けだ。
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相変わらず性癖詰め詰めメリバ物語です
ちなみに殺した犯人は明確にはしませんが
最後まで読むと分かるとおもいます。
メリバが苦手な方はご注意ください
『悪役令息は二度死なない』
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グリフィルド帝国 稀代の性悪で有名な
公爵家三男、ジュリオ・アーバンヴェルチ。
彼は齢18にして、数々の悪行を行ってきた。
この金色に輝く高貴な髪を梳かす腕が悪いという理由だけで、何十人ものメイドを解雇した。おやつのデザートが気に食わないとシェフも解雇した。
幼なじみのレオン第2王子に近づく令嬢の家族の弱みを使って脅し、二度と王子に近づかないと約束させた。
ドレスを引き裂いた、熱い茶をかけた。
男であろうが女であろうが、気に入らない者は、貴族の集まりで最悪な噂を流し、評価を地の底に下げた。
そして、ジュリオの悪評を強めた出来事は
7歳の時、『人間のペットがほしい!!』と両親に駄々をこね、隣国の人身売買オークションへ連れてってもらい、近年問題になったクーデターにより没落した王族の子息が売りに出されていた為、その12歳の子どもを購入し、新たに『ギリシア』という名をつけ、自身専属の従者(奴隷)にしたのだ。
その上に、ジュリオが10歳の時、
ギリシアの美貌が気に入らないと、
熱湯を顔に浴びせ、顔に火傷を負わせたのだ。
家族や使用人、そして外の人間もジュリオを一斉に咎めた。
《頭がおかしい》《倫理観が欠如している》
《公爵家の恥》《お前に人の心はないのか》
だが、ジュリオはその宝石のようなエメラルドグリーンの瞳で家族を見つめ、こう言った。
「だって、ギリシアに『いいよ」って言ってもらったもん。」
その表情には、反省の色など一切見られず
母親は顔を青ざめて、ふらっと倒れそうになった。
それからしばらく、部屋に軟禁されたが
ジュリオは毎日部屋の中でいつも通りに、
反省の様子1つ見せずに、 目から下を包帯でグルグル巻きにされたギリシアと遊んでいた。
ギリシアも、相変わらずジュリオ以外には無表情で心を開いた様子もなく、
いつも通りジュリオに尽くしていた。
「この2人は狂ってる」
周囲が恐怖を覚え、それからは2人に関与する人間はいなくなった。
そんな悪名高いジュリオは、
18歳の冬のある日、 王宮のベランダから転落し死亡することになった。
ジュリオが落ちたのは地上から約40mの高さがあるベランダだった。
風を切る音、夜の冷たさ。
体がベランダの手すりを越えた瞬間、世界が反転する。 息もできなかった。
そして落ちる直前、誰かが笑った気がした。
(――あ、死ぬ。)
思ったより、痛みはなかった。
ただ視界が真っ黒になっただけ。
なんで、誰がこんなことを、どうして
あぁ、最悪だ、こんなことになるなら
もっとまともに生きればよかった。
ジュリオが人生で初めての反省や後悔をすることになったのが、
まさか自身が死ぬときだったとは
思いもしなかった。
「うっ!!!!!!!」
目を開けたとき、視界いっぱいに淡いクリーム色の天蓋が広がっていた。
この景色は何度も何度も見た。
ジャスミンと薔薇が混ざったようなこの部屋の匂いも 何度も、何度も嗅いだ匂いだ。
ここは、…自分の部屋だ。
公爵家第3令息、ジュリオ・アーバンヴェルチは、息を詰めたまま天井を見つめていた。
心臓がうるさいほど脈打っている。
喉が焼けつくように渇いている。
[――生きている。]
その事実が、恐怖を呼び起こし息ができなくなった。
ゆっくりと上体を起こす。
相変わらず筋肉のつきにくい細い腕。
細く白い指。
手のひらを握って、開いて、また握る。
ベッド脇の大きな鏡に視線をやると、
そこには――相変わらず青白く人形めいた、美しい自身の姿が映っていた。
誰もが羨むブロンドの髪。
宝石のようなエメラルドグリーンの瞳
髪と同じく、ブロンドの長いまつ毛に
薄ら色づく唇
陶器のような真っ白な肌。
帝国一の美少年と言われた自身の姿。
「……18歳の僕はもっと大人びてたはず…」
何故だか声が少し幼い
18歳の冬の夜。
幼なじみであるレオン王太子殿下の婚約パーティーが開催され、勿論幼なじみのジュリオも出席した。
だが、予想外のことが起きたのだ。
主役であるレオンが祝言をあげるジュリオを今にも泣きそうな、辛そうな顔をして抱きしめたのだ。
ジュリオ自身も、周囲も、唖然とした。
隣にいる婚約者を無視して、
ジュリオを抱きしめ、こう言った。
『――約束を覚えているか?』
思い出した瞬間、胃の奥がきしんだ。
ジュリオは「頭を冷やしてくる」とだけ言ってその場から逃げた
答えられなかった
あの約束を受け止める勇気がなかった
男同士というレッテルがあるだけではなく、
レオンと違ってジュリオは嫌われ者だった。
ジュリオも、昔から親密な仲だったレオンのことは好きだった。
でも、頭の中がパニックになって、
思わず逃げ出してしまった。
そして――頭を冷やすために
(あのベランダに走ったんだ)
そしたら、誰かに背中を押された。
ジュリオは自身の手でぐっと喉を押さえ、
えずくように息を吐いた。
「……………僕はっ、……殺された。」
その事実を口にした途端、部屋の空気が一段冷えた気がした。
一体誰が????
恨まれることは山ほどしてきた
相手を想像してもキリがない
もしかして、逃げられたことに腹を立てた
レオンに………??
それとも、祝いの場を台無しにされたレオンの婚約者に???
公爵家の恥をさらした家族に???
嫌がらせをした貴族たちに……?
今までに恨みを買った人間たちを考えようとすると、頭の奥がじくじくと痛む。
でも、ただ一つ、確かなことがある。
――自分は、憎まれていた。
横暴で、傲慢で、性格が悪い、
誰の物語にとっても、ジュリオは悪役だ。
誰もが内心、いなくなればいいと思っていたことだろう。
「……次は」
ジュリオは、震える指を握りしめた。
「次は、殺されない……」
憎まれないように。
殺されないように。
目立たないように、慎ましく。
その決意が、
どれほど無意味なものか分からずに。
――コン、コン。
扉がノックされる。
「ジュリオ様。お目覚めですか」
凛とした、低く落ち着いた声。
ゆっくりと大きな扉が開く。
入ってきたのは、背が高く綺麗な黒髪の美青年だった。しかし、そんな美しい彼の右頬には痛々しい火傷の跡がある。
ジュリオの従者
ギリシアだ
ジュリオの前でだけ見せる優しい笑顔
静かな足取り。 感情の読めないダークブルーの瞳。
ジュリオは思わず、ギリシアの火傷から目を逸らした。
なんと酷いことをしてしまったのだろうか
そう、今更後悔しても意味が無い。
「……どうしました?」
ギリシアの鋭い視線が、まっすぐジュリオを射抜く。
探るような、そんな目。
ジュリオはドキッと、内心冷や汗をかき
その不安を誤魔化すように、ギリシアに微笑んで見せた。
「い、いや……少し、怖い夢をみて、」
ギリシアは目をすっ、と細めた。
「……そうですか」
だが、その声は、どこか不気味だった。
「本日は、よく眠られていました。
――いつもよりも、ずっと。」
何故だか、不穏な言葉に聞こえて
ジュリオはぞわり、と鳥肌を立てた。
「……死んだかと思って心配した?」
そう冗談めいたことを聞いてみると
ギリシアはふっと微笑んだ
「生きていてくださって、何よりです。」
その言葉が、祝福なのか。
それとも、呪いなのか。
ジュリオには、分からなかった。
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「ジュリオ様、朝食のお時間ですよ。」
顔を洗い、ギリシアに着替えと髪を梳かしてもらうと、いつもの様に朝食へ向かう。
家族揃っての朝食の席は、いつも冷めきった空間だった。
それは、ジュリオが原因だったのだ。
「パンが冷たい。取り替えろ。」
「この皿が気に入らない」
「まずい、作り直せ。」
それが、これまでのジュリオだった。
「…いただきます。」
その一言が、部屋を更に凍りつかせた。
ガシャン
動揺のあまり、皆の食器が音を立てた。
長いテーブルの向こう。
父――アーバンヴェルチ公爵が、ゆっくりと顔を上げる。
まるで幽霊を見たかのような、驚愕した声で
「…ジュリオ、今、なんと言った?」
と言った。
ジュリオは綺麗に背筋を伸ばしたまま、
ナイフとフォークを持つ。
「…?…いただきます、と……」
長男のグレイが持っていたナイフを落とした。まるで信じられないものを見るような目でジュリオを見る。
「なんだって?」
次男のシルヴァは怪訝そうに眉をひそめた。
メイドたちも、動かない。
給仕の手が、途中で止まっている。
まるで――
死人が、突然口を利いたみたいだ。
「……どうかしましたか?」
できるだけ穏やかに聞いた
多分それが、いけなかった。
「風邪でもひいてるんじゃ…」
ぽつり、と誰かが言った。
母のミネルバだった。
「何の真似だ。薬でも盛られたか?」
「正気じゃない。強い酒でも飲んだのか?」
長男のグレイや次男のシルヴァも困惑した様子で問い詰める。
「ごほん……それとも…今度の新しい遊びか?」
父の視線が、冷たく細められる。
「ジュリオ。
お前は、いつからマトモになったんだ」
父や兄の言葉に、
何故か胸の奥が、じわりと痛んだ。
「……えっと、…今日は、気分が……」
言い訳を探す。
その瞬間。
「失礼します」
静かな声が割って入った。
無表情のギリシアだ
音もなく歩き、ジュリオの背後に立つ。
いつも通りの位置
いつも通りの距離
普段なら安心するはずなのに、
何故か、不安を覚えた。
「ジュリオ様は、昨夜あまり眠れていませんでしたので、体調があまりよろしくないのでしょう。」
なんの感情も籠らない淡々とした説明
父はしばらくギリシアを見つめ、それからふん、っと鼻を鳴らした。
「……そうか」
それ以上、追及はなかった。
メイドたちが、ようやく動き出す。
だが、視線は隠されていない。
怯え、疑念、そして
このままずっと、
不調でいてくれという、期待。
そんな空気を感じつつ、ジュリオは
たいして味のしないパンを一口かじった。
味が、分からない。
朝食を終え、部屋に戻る廊下で
数歩後ろを歩くギリシアに問いかける。
「……ギリシア」
小さく声を落とす。
「今日の僕って、気味が悪い?」
「いいえ」
即答だった。
「どんなジュリオ様でも、尊いことに変わりありません。」
「…ははっ、そんなことを言ってくれるのは世界でお前だけだよ。」
ジュリオが苦笑いすると
後ろにいたギリシアの気配が真後ろに移動したのがわかった。
ギリシアの声が、耳元に落ちる。
「ジュリオ様は、私が守りますから。」
「……え、」
何から? 誰から?
あるいは――
何を、させないために?
ジュリオは疑念を振り払うために
早足で自室に戻った。
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午後、公爵家の屋敷がざわついた。
自室で大人しく本を読んでいたジュリオは
ギリシアがノックをしてきたので
「なに?」と聞くと、ギリシアは無表情でこう告げた。
「王太子殿下がお見えです」
その一言で、ジュリオの表情は強ばった。
その様子を見ていたメイドは首を傾げる
(いつもは大喜びするのに……どうしてあんな辛そうな顔を……?)
本当に体調が悪いのね、とメイド達は納得して、仕事に戻った。
(……レオン。)
思い出すのは、あの夜の声だ。
『――俺は、ずっとお前が好きだった。』
胸の奥が、酷く痛む。
「……通して」
声が震えないよう、意識しているが
きっと震えていたに違いない。
ギリシアの眉がぴくっ、と動いたから
確実にバレているだろう。
大きく頑丈な自室の扉が開く。
「ジュリオ!」
弾むような低い声。
炎を連想させる赤い髪、高い背に筋肉のついた美しい体。美丈夫とは、まさにレオンを表した言葉だと誰もが思うだろう。
そして、子どもの時と変わらない、
気さくな笑顔。
我らが帝国の太陽である第2王子、
レオン・ロジバルド。
彼は迷いなく近づいてきて、距離を詰めた。
(……近いな)
前なら、何も思わなかった距離だが
あの告白がフラッシュバックし、ジュリオは無意識に1歩下がってしまう。
「久しぶりだな。元気そうでよかった」
肩に手を置かれる。
ぞくり、と背筋が冷えた。
今、誰かに触れられただけで、
“落ちる直前”の感覚がよみがえるからだ。
「……殿下」
距離を取ろうとすると、レオンは不思議そうに首を傾げた。
「なんだよ、その呼び方。
いつもみたいにレオンでいいだろ?」
「…そう、だな。今日はどうしたの?」
ジュリオは、レオンに不審に思われないように、できるだけ穏やかに話しかけた。
「最近家の事で忙しくて…会えなかっただろ。…ジュリオの顔を見に来た。それだけだ。」
「ははっ、大袈裟だな。たかが2ヶ月会わなかっただけなのに。」
いつものジュリオなら、「僕も会いたかったよ!」とレオンに抱きついただろう。
でも今は、大袈裟だとレオンを宥めた。
レオンは、ジュリオの顔をじっと見る。
「…ジュリオ、なんだか…変わったな」
心臓が跳ねる
「そう、かな」
「うん。前はもっと――」
「……この国で誰よりも素直だった…」
冗談めかした声だったが、目だけが、真剣だった。
「今のジュリオも、大人っぽくていいな。」
その“いい”が、何を意味するのかジュリオには分からないが、褒められてることだけは何となく理解できた。
「なぁ…ジュリオ」
「なに?」
「父上がさ、俺の婚約者を探してるんだ。」
「!」
(過去に戻ったはずだけど…こんな話をレオンから聞いた事がない)
予想外の展開に、足が震えそうになる。
「……ジュリオ……俺の婚約を…、とめ、」
「失礼いたします」
静かな声が、空気を切った。
ギリシアだ
いつの間にか、部屋の端に立っている。
ドアを開けた音すらしなかった。
ギリシアの無断入室に、
レオンの視線が鋭くなる。
「……従者が、口を挟む場面か?」
「国王陛下より公爵家に伝達がありました。
直ちに戻ってくるようにと。」
ジュリオには向けることのない
機械のような、感情のない声。
ギリシアは昔からレオンに対して壁がある
レオンに笑いかけるギリシアなんて、
ジュリオは想像ができなかった。
知らせを聞いて、レオンは笑った。
「相変わらず、過保護だな。」
「国王陛下は王太子殿下を愛しております。」
「…………」
二人の視線が交差する。
きっと、レオンはギリシアに対して「過保護」と言ったのだろう。
空気が、重い。
ジュリオは、その間に立たされている感覚に、無意識に息が詰まった。
「……レオン、陛下を待たせないほうが…」
この重い空気に耐えきれなくなり、
ジュリオはレオンに持ちかけた。
レオンは少しだけ驚いた顔をして、すぐに笑った。
「…いつもなら、帰らないでと我儘を言ってくれるのに………冷たいじゃないか、ジュリオ。」
どこか寂しそうな声色で、
最後にジュリオの頭を撫でる。
「じゃあ、また来る。」
通り過ぎる際、ジュリオの耳元で囁く。
「俺から逃げないでくれ。」
去っていく背中を、ジュリオは見送れなかった。 固まっていた。
(…………え、)
偶然なのかもしれない
でもその言葉は、あの日と重なる。
ギリシアが、ジュリオにそっと近づく。
「…体調がまだ優れないのでしょう?
今日はもう横になりましょう。」
震える肩を抱かれ、ベッドへ誘導される。
そのまま横になり、ジュリオは目を閉じた。
(…何も考えたくない…誰も疑いたくないんだ……)
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【1ヶ月後】
屋敷の廊下は、昔から変わらない。
磨き上げられた床、足音を吸い込む絨毯、壁に並ぶ歴代当主の肖像画。
以前なら、廊下を歩くたびにわざと音を立てていた。
靴底を鳴らし、存在を誇示するように。
でももう違う。
歩幅を抑え、背筋を伸ばす。
使用人とすれ違えば、視線を向けて
「……ご苦労」
と労うことを忘れないようにした。
使用人が目を見開き、青ざめた顔で深く頭を下げるのを見て、胸の奥が微かにざわついた。
(今さら僕が、変わったところで
今までやってきたことは変わらない。)
そう思いながらも、家族の元へ足を向けた。
朝食の間では、家族がすでに揃っていた。
父は帝国新聞を広げ、母は静かに紅茶を口にしている。
2人の兄は、ちらりとジュリオを見てから、やはりバツの悪そうな顔で、すぐに視線を皿へ落とした。
「おはようございます」
ジュリオがそれを口にした瞬間、場の空気がわずかに歪む。それでも、誰も咎めない。
「ジュリオ、今日も早いのね。」
母の声は穏やかだが、やはりどこか距離があった。
ジュリオは椅子を引き、音を立てないように腰を下ろす。
「今日から剣の鍛錬に参加しようと思っています。筋肉もつかない情けない体では、婚期を逃しかねませんから。」
「「「「!?」」」」」
剣、稽古というジュリオからは想像もつかない単語が出てきて、思わず皆が目を見開き固まる。
「……お前のその容姿さえあれば結婚など容易い。どうせすぐに音を上げるのだから、剣などと無駄なことに時間を使うな。」
生まれて1度も愛情など感じたことの無い
いつも通りの父の言葉。
たげどもう、反射的に言い返さない。
「……承知しています」
実の所、自分の口から出た言葉に、ジュリオ自身が一番驚いた。
兄たちが食べる手を止め、恐る恐るジュリオを凝視する。
沈黙。
その重さに耐えるように、ジュリオはナイフとフォークを整えた。
以前なら、沈黙を壊すために、誰かを刺す言葉を選んでいた。
でももう、何も言わない。
食事が終わり、席を立つとき。
「父上」
呼び止める声は、わずかに震えていた。
「……今後、社交の場での振る舞いについて、ご指導をいただければと思います。」
父は、ゆっくりと顔を上げる。
その視線は、疑いと観察と、ほんの僅かな警戒が混じっていた。
「……必要になればな。」
拒絶ではない。
受け入れでもない。
その中途半端さが、胸に刺さる。
「はい」
それでも、ジュリオは頭を下げた。
部屋を出て、扉が閉まった瞬間。
肩から力が抜け、思わず壁に手をつく。
(家族と関わるって、こんなにも孤独なんだな。)
その時、ふと、いつから自分は傲慢な性格になったのか、いつから家族と上手く関われなくなったのか気になった。
産まれた時新品なのだから、壊れていた筈はない。ではどこから、いつから
自身は嫌われる悪役になってしまったのか。
1度目を閉じて思い出そうと記憶を辿った。
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ジュリオが産まれてから、最初に与えられた評価は、「元気な子」でも「賢い子」でもなかった。ただ――美しい、それだけだった。
生まれたときから、母に似た顔立ちだった。
白い肌、キラキラ輝くブロンドの髪、
人形のように整った目鼻立ち。
乳母も侍女も、皆そろって同じ言葉を口にした。「まあ、なんてお綺麗なんでしょう。」と
公爵家の三男。
家を継ぐこともなければ、政治の切り札にもならない。期待されないということは、叱られもしない代わりに、誰からも関心を向けられないという事実があった。
父は、いつも乳母に抱かれるジュリオを見ると一瞬だけ目を細めた。母に似ているからだ。だがすぐに視線を逸らす。役に立たない三男には興味がなかったからだ。
「女に産まれていれば、王太子と結婚させたのにな。」
「女の方が家の役に立つ。」
「何が得意でも兄達には及ばんだろうな」
「変態共の接待でもしてもらおうか」
そして、思わず乳母が悲しい顔をするほどの言葉を、幼いジュリオに浴びせた。
しかし兄たちは、もっと露骨だった。
長男は次期当主として期待を一身に受けていた。体格にも恵まれ剣の才もあるだけではなく、政治にも詳しく、幼い頃から父の仕事の手伝いをしていた。
次男は、子どもの頃から頭が良かった。
本を一度読めば内容を覚え、家庭教師の問いにも即座に答える。父は彼を誇りに思っていたし、使用人たちも自然と一目置いていた。
そんな兄ふたりは、容姿しか取り柄のない三男に、わざわざ関わる理由がなかった。
子どものときから、兄たちに話しかけても、返事は適当だった。
遊びに誘えば、面倒そうな顔で断られる。
そのくせ、社交の場ではまだ幼い弟を連れ回し、自慢する。まるで、アクセサリーを見せびらかすかのように。
「なんて美しい弟君だこと!」
「将来縁談には困りませんわね。」
「ご家族に愛されているのが伝わってきますわ!」
それが、ジュリオに唯一与えられた評価だった。
いつしかジュリオは学んだ。
中身を見てもらおうとするのは、無駄だと。
だから磨いた。
笑い方、立ち居振る舞い、視線の使い方。
誰よりも美しく、誰よりも目立つように。
愛されないなら、
せめて――羨まれればいい。
そして、周りを試すように、横暴になった。
尊敬されないなら、
せめて――恐れられればいい。
誰も自分を見上げないのならば、
こちらから見下ろしてやればいい。
ジュリオの傲慢さは、産まれもった本性ではない。それは、幼い頃に身につけた鎧だった。
愛される方法を教えられなかった子どもが、
唯一、自身の心を守るために選んだ形。
そして誰も、その鎧の下で震えていた少年に、手を伸ばすことはない。
「…………っ、…ふ、」
誰もいない薄暗い廊下で、ジュリオは小さく震える息を吐いた。
ここから逃げたくなる衝動を噛み殺しながら、それでも、屋敷の奥へと足を進めていった。
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【1ヶ月後、王室主催のパーティにて】
第2王子レオン・ロジバルドは、グラスを片手に人の輪を抜ける。
今日は、まだジュリオを見ていない。
(珍しい。今までなら、こういう場には必ずいたはずなのに。)
「殿下」
背後から、軽い声。
振り向くと、貴族の令嬢たちが揃って微笑んでいた。
社交辞令の距離。
噂話をする時の、不気味な空気。
「ジュリオ様のお話はご存じですか?」
軽々しく出されたジュリオの名前にレオンは、無意識に眉を上げた。
「ジュリオが、どうした?」
レオンがその名を口にした瞬間、
空気が待ってまたしたと言わんばかりに弾んだ。
「あぁ、公爵家の暴君のことですよね。」
「最近、ずいぶん大人しくなったとか。」
「別人みたい、って……」
くすくす、笑いあう令嬢達。
レオンは、黙って聞いた。
「家族への挨拶もきちんとするし、
使用人に怒鳴りもしないそうですよ。」
「ご病気じゃないか、って噂もありますわ。」
「頭を打ったのでは、なんて……。」
冗談めいた声から伝わる、濃い悪意。
(今までのジュリオの行いが招いた結果なのは分かるが、ジュリオの良い所も悪い所も、
すべて知っている俺の前でこんなことを言ってくるとは…)
尚更タチが悪い。
レオンは、怒りでグラスを持つ指に力を込めた。
「……それで?」
一体何を言いたいのだ、と先を促す。
「……その、殿下は、あの方と幼なじみでしょう?」
探るような視線。
「何か、心当たりはあるのですか…?」
(そんなこと、俺が知りたいくらいだ。)
ある日会いに行くと、既に変わっていた。
前触れもなく、突然だ。
病気や怪我の情報はなかった。
ある日突然、なのだ。
あの時、ジュリオが見せた怯えた顔。
触れられることすら、怖がる仕草。
でも、それを説明できる言葉はない。
「……人は変わるだろう。」
「成長すれば」
レオンは、そう答えた。
当たり前のことのように。
一瞬の沈黙。
令嬢たちは、顔を見合わせる。
「でも、あそこまで急に?」
「まるで、別人ですわ…」
その言葉に、
レオンの胸が、わずかにざわついた。
――別人。
(馬鹿げている。
そんなこと、あるはずがない。)
なのに。
(……本当に?)
ジュリオは、前よりもずっと静かで、
気をつかえて、お淑やかだ。
でも何かに怯えている。
触れられること。
近づかれること。
「……殿下?」
声に、我に返る。
「ああ、悪い」
軽く笑う。
「くだらない噂話に付き合うのは、好きじゃない。」
それは、本音だった。
「ジュリオは、俺の高貴な友人だ。
病気でも、事故でもない。
貴女たちにこんな扱いをされる筋合いはない」
令嬢たちは、驚いた顔をした。
しかし、すぐに頬を赤らめ微笑む。
「殿下はなんて思慮深いのでしょう!」
「お優しい殿下」
「素敵ですわ」
その賛美に、レオンは、強烈な違和感を覚えた。
――思慮深い?優しい?素敵?
違う。
自分は、ただ。
(ジュリオを守りたい、手に入れたい。)
人の輪を離れ、レオンはホールを見渡した。
美しく輝く花がどこにも、いない。
強烈な不安が胸にじわりと広がる。
噂の中心にいる本人だけが、この舞踏会に、いない。
その事実が、妙に
引っかかった。
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【同時刻、公爵家ジュリオの自室。】
ジュリオは王室主催のパーティーを欠席し、事実のベッドに丸まっていた。
まるで、外の悪意から身を守るように
ジュリオは部屋にこもるようになった。
ジュリオが部屋から出なくなったのには
理由があった。
自身が変化してからの数々の違和感
ジュリオは、2週間前のお茶会を思い出す。
「ご機嫌よう」
ジュリオがそう言うと、
相手は青ざめ言葉を失う。
それから困ったように笑って、会釈を返す。
以前なら、露骨に顔をしかめられるか、
怯えられるか、どちらかだった。
でも今は、気まずさ。
それが、空気を支配している。
ジュリオが廊下を歩けば、人々の会話が途切れる。振り返ると、視線が逸らされる。
ただ、ひそひそとした声だけが、背後に残る。
「ねえ、あれ…… 」
「…何を企んでいるのだ…」
「なんだか怖いわ。」
「恐ろしい」
お茶会を主催した男爵家の美しい庭で
ジュリオはただ立ち尽くした。
気に触った者にお茶をかけていない。
作り直せと生意気に命令していない。
服が古臭いなどと、誰も貶していない。
ただ、そこにいるだけだ。
なのに、相変わらず人々の笑い声が遠い。
「おい、ジュリオ。」
ニヤニヤしながら話しかけてきたのは、
さっきまで令嬢達に囲まれていた次男のシルヴァだった。
面白いものを見る目でこちらを見る。
「今日は随分と“良い子”じゃないか。
上品な所作なんてどこで覚えたんだ?」
「……嫌われる人生は飽きたな、と思ったんです。」
切ない表情を見せるジュリオに、
シルヴァは鼻で笑った。
「妙な演技はよせジュリオ。
お前は、そういう役じゃない。」
演技
その言葉が、胸の奥に刺さる。
「どうせ、また何か企んでいるんだろう?
性格はそう簡単に変わらん。」
ジュリオは変わることを、許されていない。
ジュリオはすべてを諦めた表情で黙った。
何も言えなくなった。
怒れば「ああ、やっぱりな」と笑われ
黙れば、「図星だったな」と笑われる。
どう振る舞っても、答えは決まっていた。
耳鳴りがして、指先が冷たい。
(……僕は、どうすればいい?)
その夜、部屋に戻っても胸のざわめきは止まらなかった。
鏡の前に立つ
映っているのは、美しい顔をしたガラクタ人形。
「……これが、僕?」
怒っても駄目。
優しくしても駄目。
(なら、何もしないのが一番楽だ。)
そう、思ってしまった。
翌日から、社交の誘いを断り始めた。
頭痛、腹痛、倦怠感、足の痛み
様々な理由を使ったが、やがて
理由を告げることもやめ
欠席とだけ手紙を返すこともあった。
部屋の扉を閉めると、自身を包み込む世界は驚くほど静かで心地よかった。
嘲笑が聞こえない空間は心を癒してくれる
「……病気、か」
噂の言葉が、耳にこびりついて離れない。
まともになった。
変わった。 おかしい。
(ただ生き直そうとしただけなのに。)
ベッドに顔を埋める。
布の匂いが、息を詰まらせる。
「……静かにしてよ……」
誰に言ったのか、自分でも分からない。
胸の奥が、じくじくと痛む。
呼吸が浅くなり、指先が冷たい。
「……僕は、生き返っても悪役のままだ。」
独り言が、床に落ちる。
その瞬間、扉の外でかすかな音がした。
静かな足音がぴたりと止まる。
誰か、いる。
確信と同時に、喉がきゅっと締まり苦しくなった。
ノックは、ない。
呼びかけも、ない。
ただ、気配だけが、扉越しに立っている。
ジュリオは、震えて動けなかった。
逃げたい
扉を開けてほしくない
(でも何処に逃げるんだ?)
ここは安心できる箱だが出口はない。
その矛盾が、更に胸を締めつける。
「消えろ……!!」
扉に向かって、ジュリオは叫んだ。
一方、扉の向こう側には無表情のギリシアが微動だにせず立っていた。
ジュリオの部屋の前
閉ざされた扉に触れることもなく、
ただ、無表情で見つめていた。
この箱の中で、主人が壊れていく音を、
聞き逃さないように。
(鳥籠で飼われていれば幸せなのに。)
ギリシアは、羽をおられた鳥が、健気に籠の中でピーピー泣き喚く姿を慈悲深く見守っていた。
扉の向こうで、小さく布が擦れる音がした。
ジュリオが動いた。
それだけで、胸の奥がひどく満たされる。
(ジュリオ様は生きている。)
それだけでいい。
ノックをすれば、怯えた顔をさせてしまう。
声をかければ、怒らせてしまう。
それをギリシアは望んでいない。
「私はずっとここにいます」
誰にも聞こえないほど小さく、ギリシアは囁いた。
「だから貴方も、逃げなくていい。
ずっとこの鳥籠にいてくださいね。」
ギリシアはジュリオを守っているのか、
または鳥籠に閉じ込めているのか。
部屋の中で怯えるジュリオはまだ知らない。
自身が選んだ「籠る」という行為が、
ギリシアにとっては、最も都合のいい選択だったことを。
ギリシアは自身につけられた醜い火傷の痕をそっと撫で、恍惚した表情でジュリオとの出会いを思い返す。
(あぁ、……私の 神様。)
ギリシアがまだ10歳の時、
革命軍のクーデターにより自身の家族は皆殺しにされた。
そこで利用価値があるからと生かされた第1王子のレイチェルは、名を奪われ、権利を奪われ、人身オークションの目玉品として売り出された。
容姿鍛錬だったこともあり、変態から高く買い取られるだろうと商人も期待した。
そして、彼を高額で買い取ったのは
隣国の公爵家、アーバンヴェルチ家。
ボロボロになったレイチェルを指さしたのは、まだ小さな、天使のような子ども。
ジュリオ・アーバンヴェルチ
目が合った瞬間、彼は迷いなく言った。
「おまえがほしい。」
それが、出会いだった。
命を買われた身として、それ以上に分かりやすい言葉はなかった。
私は頷いた。
跪いた。
彼の靴先に、視線を落とした。
――そうするべきだと思った。
それから自分より3歳幼い天使に仕えることになった。
その天使は見た目の可憐さと裏腹に生意気で、我儘で横暴だった。
「今日からおまえはギリシアだ。
昔の名前は忘れろ。」
「………はい。」
(美しい神様は私に名前を与えてくださった)
しかしその神様は、酷く嫌われ者だった。
気分ひとつで人を傷つけ、貶め、気に入らなければ平然と切り捨てる。人の人生がどうなろうと気にしないと言った残虐ぶり。
それでも
(ジュリオ様は私を捨てなかった。)
無茶な我儘を言い、怒鳴り、こき使い、価値があるかどうかを何度も確かめるくせに、
決してギリシアを手放さなかった。
それが、どれほどギリシアにとっての救いだったか。
命令されるたび、呼ばれるたび、ギリシアは「必要とされている」と実感できた。
「その綺麗な顔が気に入らない。
ぐちゃぐちゃにしていい?」
ある日ジュリオはキラキラと輝かせたエメラルドグリーンの瞳でそう言った
ギリシアは「私はジュリオ様の所有物です。物の許可はいりません。」と微笑むと
ジュリオは本当に熱湯をかけてきた。
顔半分が酷く痛む。熱い。痛い。
だが、痛みはギリシアの存在証明だった。
どれだけ周りに説得されようがジュリオの傍を離れず、献身的に尽くした。
周りの声なんてどうでもよかった
この傷は神に与えられたご褒美だというのに
しかし、神に近づく唯一の光が存在した。
レオン・ロジバルド
王太子第2殿下。誰にでも優しく、誰からも好かれる、ジュリオの幼なじみ(特別)
彼が笑うと、ジュリオが心の底から笑う。
彼が帰ると、ジュリオの機嫌は地の底に落ちる。 彼に近づく者を、容赦なく排除する。
彼に関することでヒステリックに喚く姿は
さながら恋に狂う女のようだった
ジュリオは誰がどう見ても、レオンを愛していた。
貴族の間では、男色はマナー違反ではないようで、むしろワンランク上の趣味のように受け入れられていた。
ジュリオは容姿がそこらへんの令嬢よりも美しいので、レオンと親しげに接触するジュリオを誰も批判しなかった。
それが、ギリシアにとっては何より耐え難かった。
(神が奪われる)
そう内心絶望していた。
レオン殿下は、きっと何も知らない。
知らないまま、神に踏み込む。
知らないまま、神に触れる。
(その無自覚さが、刃物に見えた。)
きっとレオンがジュリオに矢印を向ける日も近い。もしも、ジュリオに愛を告げたらどうしよう。ジュリオは嬉々として受け入れるだろう。王になれない第2王子と、政治の役に立たない公爵家第3令息、
周囲は彼らを決して止めないだろう。
(………奪われるくらいなら…、
いっそこの手で。)
終わらせる
(家族も、舞踏会も、レオン殿下も――
全部、邪魔だ。)
「私だけが、ジュリオ様の傍に居れば良いのです。」
守っているのか、閉じ込めているのか。
もう、この際どうでもいい。
ギリシアにとっての愛とは、
鳥籠の鳥に選ばせないことだ。
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【2週間後】
レオンは公爵家屋敷の玄関で立っていた。
ジュリオが欠席したパーティーから2週間が経ち、ようやく陛下の許可を得て、ジュリオの屋敷へ向かうことができたのだ。
しかし、いつもジュリオのせいで賑やかだった公爵家の屋敷は、異様なほど静まり返っていた。
「殿下、本日はお引き取りを——」
執事やメイドたちが美しく整列し、
深々と頭を下げる。
レオンは一瞬だけ視線を落とし、
それから静かに告げた。
「“今日は無理だ”と、誰が君たちに言わせているんだ?」
声色は穏やかだが、退かないと決めた声音だった。使用人たちは互いに目配せをし、最後には渋々道を開ける。
階段を上がるほど、胸がざわついていく。
あの傲慢で、皮肉で、誰よりも自尊心の高かったジュリオが “引きこもっている”などと、誰が想像しただろう。
行き慣れたジュリオの部屋の扉の前に立つ。
中から物音はしない。
「……ジュリオ」
返事はない。
それでもレオンは、ノックをやめなかった。
しばらくして、かすかな衣擦れの音。
鍵が外れる、微かな金属音。
扉の隙間から覗いたジュリオは、まるで別人だった。
青白くなり痩せた頬、服のラインから見ても分かるくらい更に華奢になった体、長いまつ毛に覆われるよう伏せられた光のないエメラルドグリーンの瞳。
部屋の中からふわっと香った匂いは
貴族の中でも有名な、リラックス効果のある花の香水だが、匂いがあまりに濃すぎる。
部屋の換気もしていないのか、とにかく強い花の匂いが鼻をついた。
この匂いは過剰に嗅ぐとふわふわと意識が朦朧とすると聞いたことがある。嫌なこともすべて忘れて、ただ雲の上に乗っている感覚になると噂に聞いた
依存性に注意するように喚起されているようだ。
「……帰って欲しい」
声は酷く掠れていた。顔も声も、泣いたあとのように疲弊の色が見える。
「嫌だ。中に入れてくれ」
レオンはそう言って、視線を逸らさなかった。じっと、瞳を合わせると、ジュリオがバツが悪いように先に目を逸らした。
「……1人になりたいんだ…」
「ダメだ。ここから出ろ。」
「……は?」
ほんの一瞬、ジュリオの眉が動く。
それだけで、胸の奥が少しだけ緩んだ。
「遊びに行こう、久しぶりに。」
「………僕なんかといたら、お前も笑われるよ。」
ジュリオの自虐的な発言にレオンが目を見開く。以前までのジュリオは、自信に満ちていて、人を笑うことはあっても、笑われるなんて言うよう自尊心の低い人間ではなかった。
レオンは一歩、扉に近づく。
急いで閉めようとするジュリオの細い腕を掴んで廊下にいる自身へ引き寄せる。
「なっ、っ!?」
「お前が壊れていくのを、見ないふりする方が俺には無理だ。」
レオンに抱きしめられながら、
長い沈黙のあとジュリオは小さく笑った。
「……君はずっと優しいんだな、レオン。」
ジュリオは、抵抗しようと一瞬力を込めたが、ふっ、とすぐに力を失う。
大きな体に抱きしめられた瞬間、 詰まっていた喉が自然と柔らかくなった気がした。
「…ちゃんと食ってるのか?抱き心地が悪いぞジュリオ。」
耳元で落とされる声は、低く、ひどく静かだった。同情でも、哀れみでもない。
ただ、大切な人を尊んでいるだけだった。
「…もう離してくれ。誰かに見られる」
だがレオンは離れなかった。
むしろ、腕に力を込める。
ジュリオの額が、レオンの筋肉に覆われた逞しい胸元に押し付けられる。心臓の音が、うるさいほど近い。
「……離せ」
弱々しい声。それでも、突き放す力はもう残っていなかった。
「離さない」
即答だった。
その瞬間、静かだった廊下に複数の足音が響く。ギリシアとさっきの執事か立っていた。
「レオン王太子殿下、ジュリオ様は体調を崩されていますゆえ、そろそろお引き取り願いたく存じます。」
執事が申し訳なさそうにおずおずとレオンに告げる。執事の真後ろには、無表情を通り越して今にも人を殺しそうなほど冷たい顔をしたギリシアが立っていた。
レオンは2人に顔を向け冷ややかに言い返す
「ジュリオは何の病気だというのだ?
まさか、医者にも見せずにここに閉じ込めて、勝手に病気と言っているのか?」
「まっ、まさか……そのようなことは!
し、しかし、ジュリオ様はお痩せになり、憔悴されております……」
「公爵夫人やグレイ、シルヴァすらジュリオの顔をしばらく見れていないと言っていたぞ。
何故か執事に止められてしまうと。」
「ジュリオ様の不調が流行病だった場合、ご家族に移ってしまうと大変なことになります。」
「ほう…ジュリオを医師に見せたのだろう?
医師はなんと言っていたんだ?
それとも、まだ見せていないのなら、宮廷の医師を今から寄越そう。」
執事は冷や汗をかきながら言葉を失う
その背後でギリシアがレオンを憎らしい目で見つめる。不気味なほど静かに。
膠着状態が続くと、久しぶりに部屋の外の空気に触れたジュリオが
抱きしめられた状態で更に顔を青ざめさせ、ふらっと倒れそうになった。
もうほとんど意識がはっきりしていないのか
瞳の焦点はあっておらず、可憐な唇は半開きになっていた。
「今日は、ここまでにしてやる。」
「……ありがとうございます。」
「だが、必ず医師に見せるんだ。
明日医師をこちらに送る。必ず中に入れるように。」
レオンがジュリオを抱き抱えながら部屋の中に入り、豪華なベッドに寝かせてやる。
締め切られたカーテンと窓を開け部屋を換気すると噎せ返るような花の匂いがマシになった気がした。
ジュリオの冷たい頬を撫でながら、
レオンは思い出す。
ジュリオとの出会いを
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【ジュリオとレオンの出会い】
城で開かれた、うんざりするほど長い茶会。
大人たちの声は妙に高く、笑顔は作り物で、
子どもたちは“飾り”のように並べられていた。
その中で、ひとりだけ飾りの中でも一際輝いている子がいた。
陽の光でキラキラと輝く金髪、人形のように美しく整った顔立ち。特に宝石のようなエメラルドグリーンの瞳が印象的だった。
そして、大人に可愛がられるように、誰よりも礼儀正しく微笑んでいるが、まる心を遠くに置いてきたみたいな、空っぽの笑顔だった。
近くにいた使用人にその宝石を指さす
「……あの子、だれ?」
「公爵家のジュリオ様でございます。」
ふーん、と返事しレオンは何も考えずに近づいた。
「ねえ」
声をかけると、少年は一瞬だけ目を見開き、すぐに完璧な笑みを貼り付ける。
「れおんでんか、お目にかかれてこうえいです。」
貼り付けた笑顔、貼り付けた言葉。
ジュリオの本心ではないとレオンは感じた
「レオンってよんでくれ。
なぁジュリオ、ここはたいくつじゃないか?」
問いかけに、ジュリオは少し困ったように目を伏せた。
「……たいくつだなんていったらおこられますよ。」
その言い方が、ひどく大人びていて、
レオンの胸がちくりとした。
「じゃあさ」
大人達は子供を放っておいてお喋りに夢中だ。使用人もデザートの追加でバタバタしている。誰もこっちを見ていない。
レオンは、半ば衝動で言った。
「にげよう」
返事を待たずに、小さな手を引いた。
庭の奥まで走った。
そして綺麗なバラ園へたどり着いた
静かになった場所で、ようやくジュリオは息をついた。
「…はぁ、はぁ、は…おこられちゃう…でんか。」
「レオンでいい」
「…れ、………レオン」
恥ずかしそうに躊躇いながら名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がくすぐったくなった。
「ジュリオって、きれいだよな。
このお茶会の中で1番きれいだ」
「………あ、ありがとう…」
手をつなぎながらバラ園のベンチに座り、
何気ない会話を繰り広げていると、
ふと、レオンが不貞腐れながら言った。
「はぁ……じいやに聞いたんだけどさ、俺たちは大人になったらすきでもない人と結婚させられて、家の道具になるんだってさ。最悪」
「ねえ、レオン」
「なに?」
「おとなになっちゃうの?」
「たぶん」
「……そっか」
少し黙ってから、ジュリオはぽつりと言った。
「…おとなになったら、 レオンはぼくのことわすれちゃうんだろうなぁ………..。」
その寂しそうな声が胸に刺さった。
でも、レオンは照れ隠しのように笑って言った。
「じゃあさ」
「?」
「ジュリオが俺のお嫁さんになればいい」
一瞬の沈黙
次の瞬間、遅れて理解したジュリオの顔が耳まで真っ赤になった。
「えっ!?ぁっ、いいの…?」
「好き同士で結婚したほうがいいだろ?
ジュリオも俺なら結婚してもいいって思えるだろ?」
「……レオンは、僕にだまってわらってろっていわない??いうこときいたら、ちゃんとほめてくれる…??」
「当たり前だろ!!笑いたくないときは笑わなくていい!ワガママいっぱい言ってもいいし、褒められるのを待つんじゃなくて、権力振りかざして褒めさせたらいいんだよ!
ジュリオはそれがゆるされる立場なんだから。」
その言葉はジュリオの影を落としたエメラルドグリーンを輝かせた。
権力を振りかざせばいい、褒めさせたらいい、ワガママを言ってもいい。
今まで周りの大人に制圧されていたジュリオの渇いた心が潤った
「レオンのおよめさんになりたいなぁ」
握った手ジュリオの手に力が篭もる
まるで、生命が宿った人形のようだった。
キラキラと輝くエメラルドグリーンに見つめられ、レオンの心臓が大きく跳ねた。
「ほんとか?……じゃあ、約束な。」
「やくそく…えへへ、はじめてしたよ。」
「……照れくさいな」
鼻をくすぐる薔薇の香り
二人だけの秘密
「レオン様ーー!」
遠くで、大人たちが騒ぎ出し、王太子を探す声が薔薇園にも響き渡った。
ジュリオははっとして言った
「…も、…もどないと。ぼくのせいでレオンまでおこられちゃう…」
自分の心配より、先に他人を思う声に
握る手を強める。
「大丈夫だ、ジュリオ。」
「俺が守るから」
その言葉に、ジュリオは目を丸くした。
「………やくそく?」
「うん、約束。」
その日からレオンは、王太子の立場などどうでもよくなるほど、どうしても手放したくない存在を得てしまった。
それが恋だと知るより、
ずっと、ずっと前の話。
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レオンに会った日からも、ジュリオはまだ部屋から出られていない。
扉の向こうに外の世界があると思うだけで、胸が詰まる。外は広く、自由で、同時にジュリオの存在を拒絶する場所だ。
昨日会ったレオンは相変わらずまっすぐで、
優しくて、昔と何も変わっていないように見えた。
それが、いちばん苦しい。
「……僕はもう、レオンに守ってもらえる資格なんてない…」
独り言は、誰にも届かない。
レオンの体温を思い出すたび、胸の奥がじくじくと痛む。
未練だと分かっている。
でももう今さら縋る権利なんてないことも分かっていた。
ベッドの縁に座ったまま、ジュリオは視線を落とす。足は床に触れているのに、立ち上がる気力だけが欠けている。
——外に出れば、また笑われる。
——外に出れば、自身が誰からも受け入れられないと理解してしまう。
コンコン
ノックの音がした。
「ジュリオ様」
聞き慣れた声、ギリシアだ。
「……はいれ」
そう言うとギリシアは静かに部屋に入り、
何も言わずにジュリオに近づいた。
「……レオン殿下に会われて、元気はでましたか?」
「……見たらわかるだろ……もう粉々だ」
自虐する声が震えた
「レオンは優しかったよ……昔のままだった。だから……」
言葉が続かない。
“やっぱりまだ好きだ”そう言いたくても
言う権利がないと痛感する
ギリシアはジュリオの前に膝をつき、視線を合わせた。
「外は、怖いですか?」
小さくジュリオは頷く
「レオン殿下がお傍にいたとしても?」
また頷く。
ギリシアは一瞬だけ目を伏せ、それから微笑んだ。
「では、ここでずっと私と生きましょう。
私は貴方を否定しない、拒絶しない、侮辱しない。神として崇め、尊み、愛しますよ。」
ギリシアがあまりにもサラリと流れるようにそんな言葉を言うから、ジュリオは息を詰めた。
「無理に捨てなくていいんですよ、未練も、恐怖も。ただ、貴方のような素晴らしい方が
どうでもいいことで傷つく必要はないんです」
ギリシアの手が、そっとジュリオの細い指に絡む。
「ここだけが貴方の世界なんです」
その言葉は今のジュリオにはとても甘く、
危険だった。
「私は生涯結婚せず、貴方が病にかかっても、貴方が老いても、ずっと貴方と共にいます。
のどかな田舎に家を建てて、一緒にのんびり暮らすのもいいですよね。
誰も貴方を傷つけない、干渉しない、
私と貴方2人っきりで暮らすんです。」
ジュリオはギリシアから視線を逸らした
しかし、手は振りほどいていない。
選べない自分、進めない自分、
閉じた部屋でしか呼吸できない自分、
美しく輝いていない無価値な自分。
全部、ギリシアは受け入れてくれる。
たとえ老いて美しくなくなっても、傍にいてくれると言ってくれた。
「………その火傷跡を付けたのは僕だぞ。」
かすれた声でそう言うと、ギリシアはくすりと笑った。
「それがどうしたというのですか。」
二人同時に、握る指先に力がこもる
ジュリオの血色を失った頬に薄ら色が戻る。
美しいエメラルドグリーンの瞳から涙がほろほろと流れ始めた
「貴方は出会った時から私のすべてです。」
弱っている時の肯定は、麻薬になる。
「……ねえ、ギリシア」
隠しきれない幸福に震えた声
「……もし、お前がいなくなったら……僕、どうすればいいんだろ……」
答えは決まっているとばかりに
ギリシアは即答する
「そんなこと考える必要はありません」
無駄な思考は消す。
それもジュリオにとっての麻薬だ
「……じゃあ…僕は、もう何も考えなくていい?」
(ああ。その言葉をどれほど待っていたか。)
ギリシアは歓喜する、恐らく今の自身は
心なら幸せそうに微笑んでいるのだろう。
「はい」
静かに頷く
「あなたは、ここで私に守られてくれてさえいれば良いのです。」
これは支配ではない、保護だ。
ジュリオはもう戦えない
ならば、敵(世界)を遠ざければいい。
(ジュリオ様が見る景色を、私が選ぶ。
聞く言葉を、私が選ぶ。触れる人間を、私が選ぶ。)
(これを愛と呼ばずして、何と呼ぶのだ。)
ジュリオは、ゆっくりと目を閉じた。
安らかな顔
ギリシアの声だけを、
自身の世界として受け入れた顔だった。
もはや、レオン・ロジバルドが割り込む余地はない。思い出も必要ない。
ジュリオに必要なのは、ギリシアの言葉だけ。
(私は、ジュリオ様の籠だ。)
守るための檻であり、閉じ込めるための檻。
それから先、帝国一の嫌われ者
ジュリオ・アーバンヴェルチ表舞台にめっきり出なくなった。
病弱。静養。心を病んだ
――理由は、いくらでも用意された。
ジュリオはいつも決まった時間に目を覚ます。窓辺に椅子を置き、
本を読み、時折ページをめくる手を止めギリシアに話しかける。
隣にはいつもギリシアがいた
「今日は少し、散歩へいきましょうか。足が衰えてしまいます」
「……うん。」
外出の選択権、面会の選択権
手紙の取捨もすべてギリシアが管理した。
判断は、すべて彼がする。
ジュリオはもう迷わなくなった
迷う必要がなくなった。
「ねえ、ギリシア…僕、前より幸せそうに見える?」
公爵家の薔薇園を二人で歩きながら、ジュリオはギリシアにそう聞いた。
「はい」
勿論ギリシアは即答した
「不要なものが、消えたので。」
ジュリオは、くすっと笑った。
「……そうだな。」
もう悪夢を見ることはない
落ちる夢も、叫ぶ夢も。
夜中に起きて目を開けると、ギリシアが必ず傍にいてくれる。
それだけで、心臓は正しく動く。
「田舎で二人で暮らすのも悪くないな」
薔薇の匂いに包まれながら、
ジュリオはギリシアに満面の笑みを向けた。
「もちろんです。」
ジュリオは外の世界を失った代わりに、
ギリシアという愛を手に入れた。
⸻
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【第三者視点】
屋敷の使用人たちは、口を揃えて言う。
「最近のジュリオ様は、完全に落ち着かれましたね!」
怒鳴らない、物を投げない、理不尽な命令もしない。
人形のように美しく、静かに微笑むだけ。
【公爵家の傀儡が完成した】
そう両親は内心喜んでいた
兄達も前のように冷たく接することなく
まるで可愛らしい人形を愛でるように優しくなった
「ジュリオ、貴方はその美貌のまま微笑んでいればいいのよ。素敵な子だわ。」
「……ふん、最初からこうなっていたら良かったものの。」
「ジュリオ、この服どうだ?お前に似合うだろ?」
「今日婚約者が家に来るんだ。
迎えてやってくれ、彼女が喜ぶ。」
その扱いの違いに、執事は眉を顰めた。
心が空っぽの人形を愛でる大人たちは
ひどく醜いと思えてしまったのだ。
そして、ジュリオの傍には以前よりも必ずギリシアがそばにいた。
「……ジュリオ様とギリシアは仲がいいわね。」
「主従として、理想的だわ。」
ギリシアは、出過ぎない。
しかし、決して離れない。
2人の会話は少なく、目線だけで通じ合っているように見える。
執事は二人の関係にも眉を顰めている。
異様だと感じる者もいなくはない
だが、もう公爵家には問題は起きない。
ジュリオは、穏やかだ。
屋敷は、静かだ。
これ以上、何を求める必要があるのか。
王宮では、第二王太子殿下がジュリオ様を公爵家から連れ出そうと動き出してるらしい。
『ジュリオは公爵家に軟禁されていて、虐待を受けている。解放しろ。』と
だが、面会は叶わない。
理由は、いつも同じ。
「ジュリオ様はご静養中ですので」
その言葉を告げるギリシアの目は、
非情に冷たく、どこまでも揺るがない。
そう、レオンは知らない。
ジュリオはもう不幸ではないということを
初めて家族に愛されて、幸せだということを。
誰も気づかない。
守られているのか、閉じ込められているのか
その境界がもう存在しないことを。
何も気づかない使用人からすれば、この公爵家は幸せに満ちていた。
だから誰も、
扉を開けようとはしなかった。
帝国一の悪役が、みんなが求めるカタチに
生まれ変わったのだから。
【悪役令息は二度死なない】
END




