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22.名前の向こうにいる私

ベッドに腰を下ろし、スマホの画面を見つめたまま、私は深く息を吐いた。

さっきから何度も文字を打っては消している。

「ありがとう」――その言葉を送るだけで済むのに、なぜか指が動かない。


本当は、心の底から感謝している。

けれど、ただの「ありがとう」では足りない気がして。

もっと複雑で、もっと大切で、簡単には言い表せないものが心の中に渦巻いていた。

思い返せば、私はずっと“陽咲”を演じてきた。

明るく、周囲に溶け込み、友達と笑い合える陽咲。

両親に心配をかけない、しっかり者の陽咲。

名前にふさわしい“太陽のような存在“でいようと、そう努めてきた。

でも、演じ続けるうちに、どこが本当の自分なのか分からなくなっていた。


みんなと過ごす時間は楽しいはずなのに、どこか心が空っぽになる。

家に帰れば整えられたリビングが待っているけれど、そこに温もりはなく、ただ静寂だけが広がっていた。

“陽咲”としての私を見てくれる人はいる。

けれど、その内側にいる本当の私は、誰にも気づかれていない。


だから私は「レン」をつくった。

名前の向こう側にいる、もうひとりの私。

笑わなくてもいい。気を遣わなくてもいい。

「陽咲」ではなく「レン」としてなら、言葉を飾らずに吐き出せた。

けれど、レンでさえ孤独だった。

誰も見てくれない言葉を画面に投げて、ただ虚空に消えるような日々。

それでもやめられなかったのは、どこかで待っていてくれる誰かがいると信じていたからかもしれない。


そして、カケルが現れた。

最初はただの一言だった。

「今日の授業、すごく疲れた」

そんな、誰にでも言えるような何気ない言葉。

けれど、どうしてか心に引っかかった。

返してみようかどうしようか迷って、思わず返信した。

「わかる……。私も今日は勉強で頭がパンクしそう」

送ってから後悔しかけた。

けれど、不思議なことに、それで終わらなかった。

少しずつ、少しずつ言葉を交わして、気がつけば私はカケルに本音をこぼしていた。

“陽咲”としては言えなかった弱さを、“レン”としては吐き出せた。


今日だってそうだ。

私は思いきって打ち込んだ。

――「ねぇ、カケル。私、怖いんだ。本当の自分を出したら、誰もそばにいてくれないんじゃないかって」


送信ボタンを押した瞬間、妙な汗が陽咲の額にまとわりつく。

もう取り消せない。

変に思われたらどうしよう。

重いって思われたら。


数分後、ようやく通知が光った。

震える指で画面を開く。

――「そしたら俺がいるよ」


目を疑った。

何度も読み返す。

「俺がいるよ」

それだけの言葉が、どうしてこんなにも温かいのだろう。

涙が込み上げてきた。

会ったこともない相手なのに、顔も名前も知らないのに。

けれど、誰よりも私の心に寄り添ってくれた気がした。

「陽咲」としてではなく、「レン」としての私を、ちゃんと受け止めてくれた。

ふっと笑みがこぼれる。

無理やり作った笑顔じゃない。

陽咲でもレンでもなく、ただの私が自然に浮かべた笑顔だった。


――名前の向こうにいる私を、見てくれる人がいる。

それだけで救われる。

それだけで、私は明日もまた歩ける気がした。


「ありがとう」

今度こそ、その言葉を打ち込み、送信ボタンを押した。

返事は来なくてもいい。

私の中にはもう、温かなものが確かに灯っているから。


スマホを閉じ、ベッドに横たわる。

カーテンの隙間から夜空がのぞいていた。

小さな星がいくつも瞬いている。

その光は弱いけれど、遠く離れていても確かに届いている。


私の言葉も、きっと同じだ。

「レン」として紡いだ言葉が、誰かに小さな光を残すのだとしたら――それで十分だ。

明日になれば、また「陽咲」としての一日が始まる。

友達と笑い合い、家に帰れば整えられた静かな部屋が待っている。

でも、もう知っている。

名前の向こうに、本当の自分を見てくれる人がいることを。


その事実を抱きしめながら、私は目を閉じた。

小さな星のような光が、ずっと消えずに輝いているのを感じながら。

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