割れたアイシャドウ
私の友達はお洒落に無頓着だ。メイクはしないし、休日もパーカーにジーンズみたいなラフな格好をしている。対して私は結構気を使っているつもりだ。毎朝メイクに一時間費やしたり、洋服は新作をチェックするようにしている。そんな真逆の私たちだが、実は私も、一年生の頃はこんな感じだった。ある時SNSを見ていたら、メイクというものに興味を持つようになり、次第に外見全体に気を使うようになった。そして私が次に興味を持ったのは、ガールズトークができる友達だった。ここでいうガールズトークというのは、洋服やコスメなどのお洒落全般に通じる話のことだ。
ミユは、去年同じクラスだった友達の中で、唯一今年も同じクラスになった友達だった。まだ新学期が始まったばかりというのもあってか、クラス内はいつも少し緊迫した雰囲気を纏っていた。その雰囲気の中で新しい友達を作るという勇気を、私は持っていなかった。だから、ミユにお洒落というものを教えてあげようと思ったのが始まりだった。
初め、ミユはあまり乗り気ではなかった。私はそういうの似合わないから、と言って聞かなかったので、私が半ば無理やりミユに化粧を施した。実際ミユの顔を間近で見ると、それぞれのパーツが整っていて羨ましくなった。それと同時に、勿体ないとも思った。そうして完成したミユの顔は、まるで別人みたいに綺麗に見えた。やっぱり、メイクってすごい。自分のメイク技術を自画自賛しながら、ミユに手鏡を渡した。
「すごい、キラキラしてる」
ミユは、自分が化粧を拒んでいたのを忘れたかのように、目を輝かせながら、顔の角度を色々変えて鏡を眺めていた。ミユが喜んでいる姿を見られて、私はとても嬉しかった。これでお洒落に少しでも興味を持ってもらえただろうか。もし、興味を持ってもらえたなら、今度一緒にコスメを買いに行けたらいいな。そんなことを思いながら、ミユに問いかけてみた。
「メイクに興味が出たなら、今日使った私のコスメを一つだけプレゼントさせてくれない?」
ミユは少し驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔に変わり、本当にいいの?と、先ほど鏡を見ていた時のように目を輝かせて、私の顔を見た。こんなに綺麗で素直なミユと友達になれて本当に良かったと思う。そして、ミユをもっと可愛くするという気持ちが強くなった。私は、お気に入りのアイシャドウをミユに渡した。
「ありがとう、絶対大事にする」
ミユはそう言って、愛らしいとびきりの笑顔を私に向けた。
早速予定を合わせて、二人でドラッグストアに行った。必要な物だけでも揃えようと、私がミユを連れ出したのだ。下地、リップにハイライト。ミユはキラキラしたコスメが好きだと言ったので、売り場で一番キラキラだったハイライトを選んであげた。友達とコスメ売り場に来たことが初めてだった私は、様々なコスメを吟味するのに夢中になった。隣のミユは、未知の世界に期待と不安に包まれているようだった。でも、時々私に、楽しいね、って言っているみたいに笑いかけてくれる。その笑顔を見ると、本当に嬉しい気持ちになった。そうしてコスメを選び終えたので、私はそのコスメを全て買ってあげた。ミユがメイクを始めた記念だから、このくらいは友達として当然だ。コスメを握り締めたミユは、また眩しい笑顔を私に見せた。
それから、ミユと私はお洒落に関する話をするようになった。まさに、私が望んでいた通りだ。SNSで集めた新作コスメの情報を議論し、休日には時たまウィンドウショッピングをする。そんな二人で過ごす時間がとても楽しかった。でも、ミユには少し違和感がある。ミユは絶対に物を買わないのだ。一緒に出かけても、物を買うのはいつも私だけだった。
「最近お金ないんだよね」
いつも、ミユは軽い声とあの笑顔でこう言って、気に入った物を手に持ちながら、私の顔をチラチラ見ていた。だから私は、何回かミユに物を買ってあげたことがある。コスメだけでなく、洋服やご飯も。その度に、ミユは私にとびきりの笑顔を見せてくれた。私はその笑顔が大好きだった。毎日自分磨きに尽力し、だんだんと可愛くなっていくミユの姿を見ると、とても嬉しい気持ちになった。でも本当は、少しだけ、妬ましくも思った。私は何ヶ月もかけてここまで来たのに、ミユは数週間でこんなに輝くことができるのだから。
次第に、いつまでこの関係が続くのだろうと思い始めていた。最近、ミユのあの笑顔が、私に物を買ってもらうための笑顔に見えてきた。私がその笑顔が好きなことは、ミユもわかっている。でも、ミユのために使えるお金が無限にあるわけではない。それなら、ミユに何か買うことを辞めれば良いのかもしれないが、私はミユに嫌われたくないのだ。もしミユに嫌われたら、私は一人になる。クラス内のグループも固まってきたこの頃、私とミユはいつも二人きりだった。ミユの期待に応えられなければ、私は嫌われてしまうのではないかと考えると、恐怖と焦燥感に駆られた。そんな弱い自分を取り繕うために、今日もアルバイトに行く。そういえば、ミユに貸したリップが返ってきていないことを思い出した。
ある日、ミユが学校にアイシャドウを持って来た。初めに私があげたアイシャドウ。
「ごめん、これ割れちゃったみたい」
ミユの手の中には、ボロボロに割れたアイシャドウがあった。私は驚いてその場に立ち尽くしてしまった。どうして、謝るのだろう。
「別に謝らなくてもいいよ、だってそれはもうミユの物なんだし」
ふとミユの顔を見ると、ミユが何故謝っているのか、その理由が感じ取れてしまった。主文は、割ってごめん、ではなく、また新しいのを買わせてしまってごめん、だったのだ。私に言えばきっと新しいのを買ってくれるだろうと、ミユはそう信じきっているのだと思った。その証拠に、ミユは謝っているはずなのに、顔にはあの笑顔が貼り付けられていた。私が大好きだった、あの眩しい笑顔。
「そっか、そうだよね」
ミユはその笑顔を剥がさないまま、何か言いたげに、少し目を泳がせながら私のことを見つめていた。言いたいことは分かっているが、私は何も言わない。ただ、互いの視線が交錯する中、私たちが友達だった時間が遠く感じられた。
ミユの笑顔を見ながら、彼女を試してみたいと思った私は、ミユの手の中から割れたアイシャドウを取り上げた。
「これ、私がもらってもいい?」
ミユはようやく笑顔を剥がして、今度は不思議そうな顔をした。それもそのはず、こんなボロボロになったアイシャドウは誰が見ても使い物にならない。でも、それでよかった。
「このアイシャドウ、新しいのを買ってきてあげるから、古いのは私がもらう。どう?」
私は、ミユが欲しがっていた言葉をあげた。少し困惑しながらも、欲しかった言葉を受けたミユは満足気だった。
「ありがとう、今度は絶対大事にする」
ミユはそう言って、またあの笑顔を貼り付けた。
空っぽの心を抱えながら、机に向かって、割れたアイシャドウを修復した。根本は割れたままだが、表面だけは、新品のように滑らかに蘇った。まるで、私たちの友情を繕ったみたいだ。でも、これで新しい物を買ってあげたという体裁は整う。
アイシャドウを割ったのは、私だ。私からミユへの静かな復讐が始まった。いつか、あの笑顔を剥がすために。次は、何をしようか。
部屋に差し込んでいる茜色の日差しが、キラキラしたアイシャドウの上で冷たく踊っていた。