第3話 町中華の半チャーハン、半ラーメン
「……うぅ。」
掛け布団にすっぽりくるまった小山 二楽は、枕に顔をうずめたまま、静かな寝息を立てていた。 寝返りを打った拍子に、まぶしそうに目を細める。
「……ん……?」
カーテンの隙間から差し込む光は、朝のものにしてはずいぶんと強すぎた。 まぶたの奥にじわりと光がしみ込み、じわじわと現実に引き戻されていく。
手を布団の外へと伸ばし、枕元に置いてあった目覚まし時計を探り、もう片方の手で、寝ぼけまなこにメガネをかける。 ゆっくりと時計を顔の前に持ち上げ、じっと針を見つめた。
短針は10を、長針は2を――つまり10時10分を――しっかりと指している。
……その瞬間、両手で時計をわしっと握りしめ、目を見開いた。
「……遅刻だぁーーっ!!」
布団を蹴飛ばして飛び起きる。
「まずいぞ、まずいぞ」 パジャマの前ボタンを慌てて外しながら、口を尖らせてぼやいた。
「なんで、なんで起こさないんだぁ……」
ふらつく足取りのまま、服を片手に廊下を進み、リビングへと向かう。 どこかアイロンの匂いが漂ってきて、部屋の中はすでに午前の空気に包まれていた。
リビングでは、妻の弓子が生花の道具をバッグに詰めているところだった。
二楽はネクタイを手に、まだ焦りの残る声で言う。
「おい、なんで起こしてくれないんだ?」
弓子はくるりとこちらを振り返り、少し呆れたように笑った。
「……何言ってるの。あなた、もう退職したじゃない」
そう言いながら、テーブルの横を指さす。 二楽がその方向に目をやると、そこには―― **「お父さん 退職おめでとう」**とカラフルな文字で描かれた色紙と、 昨夜もらったままの花束が、まだラッピングのまま飾られていた。
二楽の動きがぴたりと止まる。 だらんと下がったネクタイを持ったまま、虚を突かれたように立ち尽くす。
「……ああ。そうか。そうだったな」
苦笑しながら頭をかくと、ソファの背にもたれて、大きくひとつ息を吐いた。
「それじゃ、わたしは出かけてくるからね」
弓子がバッグを肩にかけて、にこにこと笑う。
「じゃあねぇ〜」
その声が玄関の扉の向こうへ消えていくのを、ソファに腰を下ろしたままの二楽はぼんやり聞いていた。 しばらくそのまま、ネクタイを握った手を見つめていたが――やがて、「……はぁ」とため息をつく。
スーツの上着を脱ぎ、シャツを引っ張ってボタンを外す。 下着姿のまましばらく立ち尽くしたのち、寝室から気に入りの私服――チノパンとポロシャツを引っ張り出してきて着替えた。
着替え終えたところで、スマホに弓子からのLINEが届いているのに気づく。
【ご飯は用意してないから、どこかで食べてきて。あと、庭のお花に水やっといてね。よろしくね☺️】
「……はぁ」
スマホを置き、一息ついたところで裏口から庭へ出る。 ホースを伸ばして花壇に水を撒くと、陽の光がきらきらと飛び散り、色とりどりの花の向こうで、蝶々が飛んでいる。
小山二楽。六十五歳。 この春、42年間の教員生活を退いた。 途中、教頭や管理職への声もかかったが、「子どもの近くが一番」と断り続け、 教壇に立ち続けたまま、最後まで“担任”として教職を終えた。
家では少しおっちょこちょい。だけど、生徒にはやけに人気があった。 若いころから変わらない“やわらかい笑いジワ”と、教科書を忘れたときの言い訳を一緒に考えてくれるような先生。 生徒も保護者も、いつのまにか味方になってしまう、そんな人だった。
……ただ、今はそれを支えていた日常が、すっぽり抜け落ちている。
水やりを終えてリビングに戻ると、ソファに腰を下ろし、文庫本を開いた。 けれど数ページも進まないうちに、文字が頭に入ってこなくなった。
教師だった頃の癖で、「午前中は頭を使え」とばかりに、何か読んでいないと落ち着かないのだ。 でも、もうその必要もないのだと気づくと、逆にそわそわしてきた。
「……出かけてくるかぁ」
そうつぶやくと、二楽は立ち上がって、財布とスマホ、家の鍵をポケットに突っ込み、玄関の扉を開けた。
平日の昼前。 いつもより静かな駅前通りには、スーツ姿のサラリーマンたちが小走りで横切っていく。 電話片手に苦い顔をしている若者、タクシーを止めようと手を挙げる中年、信号を気にしながら小走りするOL。
二楽は、肩をすぼめながら、なんとなく申し訳なさそうに歩き始めた。
「……なんだかすまないねぇ」
自分でも苦笑してしまうその言葉を、胸の中だけでつぶやきながら―― 彼はのんびりと、歩き出した。
気づけば、ずいぶん歩いた。 普段なら通らないような裏道や、階段の多い坂をのぼったり下ったり―― 目的もなく、ただ靴の裏に任せるままに、ぶらぶらと。
昔、生徒と一緒に歩いた通学路のような道。 どこかで見たことのあるような、ないような、そんな風景が続いていた。
そしてふと、小さな脇道に目が留まる。
奥へと続くその細い路地は、雑草がぼうぼうに生い茂り、アスファルトも割れて苔むしている。 その先にぽつんと佇む一軒の建物。 ツタの這った外壁と木の扉。その傍らに小さな木札が二枚。
「営業中」――「1名限定」
二楽は立ち止まり、眉をひそめた。
「……1名限定?」
思わず声に出す。 飲食店でそんな札、見たことがない。 店の中から物音も気配も感じられない。まるで呼吸するように静かだ。
「……へぇ。変わった店だな」
そうつぶやいたあと、軽く肩をすくめてから、 「……ハァ。そういやまだ朝飯食べてなかったな。」
周りを見渡すところ他に飲食店はおろか、建物が見当たらない異様な場所だ。
「でも、1名限定って、もう先着はいるだろうな」 二楽はドアノブに手をかけ、恐る恐る扉を開ける。
カラン……と、鈴の音がひとつだけ転がった。 足元は木の床、照明はやや暗く、光と影の境界がはっきりしている。
誰もいない静かな空間の中で、カウンターの奥に一人、男が立っていた。 白髪まじりの穏やかな顔立ち。少しも動じることなく、ただ静かに二楽の方に顔を向いた。
二楽が戸口で一歩踏み出したとき、その男――マスターが口を開いた。
「……いらっしゃい」
その声は落ち着きがあり、よく通る声だった。
(いらっしゃい、てことは店主か?)
マスターはゆっくりとカウンターから出て、 入り口に掲げられていた「営業中」の札を裏返す。 そこには、**「閉店」**の文字が現れた。
二楽がカウンター席に腰を下ろすと、マスターが正面に戻ってきて静かに尋ねた。
「何になさいます?」
「えっ?」
二楽はマスターの意外な一言にびっくりし、周囲を見回した。棚には食器やグラスが整然と並び、壁には絵やメニューの類は見当たらない。 「えっ…とー……メニューはありますか?」
するとマスターは、微かに口元を緩めて答えた。
「いえ。でも、だいたいのものは作れますよ」
二楽は「へぇ」と驚いたように声を漏らす。 中華なんか、さすがにこの落ち着いた店では出てこないだろうと思いながら、試しに聞いてみる。
「……さすがに中華ってのは、ダメですかね?」
「中華は何を食べたいですか?」「……例えば、半チャーハン、半ラーメンとか」
マスターは少しだけ間をおいて、静かにうなずいた。
「出来ますよ」
「ですよね、はは。さすがに中華は……」
その言葉が二楽にとってまさかの返答だったのか、苦笑いするも、その2秒後に表情が止まった。
二楽は眉間にしわを寄せたまま 「いま……なんて?」
マスターは変わらぬ静けさでうなずいた。
「半チャーハンと半ラーメン、出来ますよ」
言葉を飲み込んだままの二楽の表情が、ぴたりと止まる。少し目を丸くしながら
「……ほんとに?こんな雰囲気なのに」
マスターはくすっと笑ったようにも見えたが、それ以上は何も言わずにカウンターの内側へ戻ると、二楽の表情を見つめながら尋ねた。
「ビールは、飲まれますか?」
二楽は、「あ、」と声を漏らしかけて、すぐに口を閉じた。 手元に視線を落とし、ちょっと苦笑いを浮かべる。
「いや、でも……平日の昼間からってのはねぇ……」
ふだんなら、そう答えていた。 教師だった頃の癖で、昼に酒を飲むなんて発想自体が、どこか“いけないこと”のように思えてしまう。
けれど。
「……いや、でも、もう辞めたんだったな」
そのつぶやきを受けて、マスターが静かに言葉を返す。
「今日が、特別な日というだけです」
言葉に力はない。押しつけもない。 でも、その一言に、二楽はふと肩の力が抜けるのを感じた。
マスターは一拍置いて、もうひとこと付け加える。
「わたしも、飲みますよ」
その言葉に、二楽の口元がゆるんだ。
「……じゃあ、いただこうかな。瓶ビールを一本」
マスターがうなずくと、冷蔵ケースから一本の瓶ビールを取り出し、コトリとグラスを添えて置く。 グラスの底に光が差し込み、どこか落ち着いた金色の影をカウンターに落としていた。
栓の音が、小さく響いた。
瓶を傾けながら、二楽はふと思いつく。
「……餃子って、いけますか?」
ラーメンとチャーハンに加えては、さすがに頼みすぎか―― いや、昼からビールを飲むなら、あれがないとどうも締まらない。 どこか申し訳なさそうに尋ねた二楽に、マスターは一瞬だけ目を細めた。
「餃子ね、はいよ」
その返答に、二楽は思わず吹き出しそうになって、肩をすくめた。
「はは……やるなぁ、マスター」
瓶ビールの栓が抜かれ、小さな音を立てた。 グラスに注がれた金色の液体は、ほんの少し泡を立てて、すぐに静かに落ち着いた。
二楽がひと口飲むと、喉を通る炭酸が、じわりと胸を満たしていった。
マスターは黙々と、調理場で準備を進めている。 カチャリ、トントン、ジュッ……と、音だけがやけに心地いい。
二楽はカウンターに肘をつきながら、店内をゆっくりと見回した。
棚の上に、古びたラジカセが置かれている。 その横に、透明のプラスチックケースに収められたカセットテープがいくつも並んでいた。
白いラベルには、それぞれ黒の油性ペンでこう書かれている。
「1989」「1990」「1991」 ……と続き、「1994」がなく「1995」まで、5本。
どれも同じ文字の筆跡で、きっちり並んでいる。
「……カセットテープ?」
思わず声に出していた。 その響きが懐かしすぎて、思わず少し笑ってしまう。
教師になって、ちょうど元号が平成になった頃だ―― 学級活動や放課後の時間、生徒たちと誕生日メッセージや将来の夢を録音したことがあったのを思い出す。
「まさかな……」
首をかしげながら、もう一度ラベルを見やる。
“これは一体、何の録音なんだろうか――”
「94年……」
そんなことを思いながら、グラスの縁に口をつけた。
ジュウウッ……という香ばしい音とともに、最初にやってきたのは餃子だった。
餃子のために作られたような白いお皿に、焼き目が美しくついた五つの餃子が並ぶ。 皮は端がほんのり焦げ、中心にはきつね色の焼き面が光っていた。
「……ほぉ、うまそうだ」
マスターは調味料をいくつか二楽へ渡した。
「酢と醤油、ラー油とコショウ使うならどうぞ」
「ありがとうございます。」二楽は、小皿に酢と醤油だけを入れ、割り箸を割ると、ゆっくりと餃子を持ち上げた。肉汁が外に溢れないようにそっとつまみ、タレに軽くくぐらせて口に運ぶ。
噛んだ瞬間、パリッという心地いい音のあと、 じゅわっと肉汁と野菜の甘みが舌の上にひろがった。
「ぁッ……うん、うん……旨い。」
思わず声が漏れた。 火傷しそうな熱さに、ビールをぐいっと流し込む。
ビールの冷たさが、餃子の余韻と混ざって、喉をすうっと通っていく。 昼間にしか味わえない、背徳と自由の交差点みたいな時間。
その頃合いを見計らったように、マスターが二皿目を運んできた。
八角形のお皿にふんわりと盛られた半チャーハン。 そして、丼にそっと張られた澄んだスープの半ラーメン。
飾り気はない。だが、その分だけ湯気が主張してくる。
二楽がレンゲを手に取ったとき、マスターも自分の前に静かに皿を置いた。 それは、チャーハンと、スープ。そして、350ml缶のビールだ。
マスターは表情を変えることなく、缶ビールをグラスに注いで、一気に飲み干した後、すぐに炒飯を一口。いつもの味といったような感じで表情は変わらない。そして、また一口食べ、ビールをグラスに注ぎ、カウンターに置いてある新聞を手に取って静かに目を通している。
その様子は、まるでいつもと変わらない、淡々とした日常の一部のようだった。
二楽はマスターの見た目とのギャップに驚くも、その飲みっぷり食べっぷりを見て、緊張感が一気になくなり、穏やかな気持ちになった。
(よし、いただくか。まずはラーメンのスープから) 改めてレンゲを取り、スープをひと口――。
鶏ガラと香味野菜のだし。 すっと体に染みこむような、優しい味。
塩加減も脂も出しゃばらない、だけどしっかり支えてくれる“昔ながら”の一杯。半ラーメンとはいえ、チャーシュー一枚に、半分に切られた味玉と海苔があるのが贅沢に思える。
二楽は思わず、スープをもうひと口。
そして箸を取り、ラーメンをすする。
ずるっ、という音とともに、細めのストレート麺が、静かに口の中へ入ってくる。
すすった瞬間、スープの温度と醤油の香りが鼻に抜けた。
「……これは……いいなぁ……」
小さくつぶやきながら、またレンゲでスープをすする。
今度は、炒飯へ。
箸で一口分をすくい、ふうと冷ましてから、口へ。
ふんわりとした米に、卵の甘みとネギの香ばしさ。 鍋肌の香りが、鼻を抜ける。
(すごいなぁ、中華料理屋のチャーハンの味だ!)
思わずグラスに手が伸び、またビールをひと口。 すべてが静かに噛み合っていく。
二楽が炒飯を口に運びながら、ふう、と息をついた。
「……うまいですね。こういうの、やっぱり落ち着きますよ」
マスターは顔を上げて静かに言った。
「そうですか。口に合ってよかったです」
二楽はグラスを手にしながら、小さくうなずいた。
「私、最近まで教員をしてましてね。小学校で……四十年かぁ。ついこのあいだ、定年で退職しました」
マスターは黙って耳を傾けていた。
二楽はスープをひと口すする。 湯気の中で視線がゆっくりと沈んでいく。
「退職って、もっとこう……解放感があるもんかと思ってたんですよ。 でも実際は、なんていうか、ただ急に空っぽになった感じで」
ラーメンをひとすすりして、静かに箸を置く。
「老後の準備って、なんとなく“いつかそのうち”って思ってたんです。 でも気づいたら、“そのうち”が目の前にあって。 しかも何もしてない自分がいたんですよ」
グラスを持つ手が、少しだけ揺れる。 けれどその手元は、すぐに落ち着きを取り戻した。
しばらく沈黙が流れたあと、マスターがぽつりと口を開いた。
「“そのうち”がやってくると、人は焦るんですよ。でも、“そのうち”ってのは、誰かに見せるためにあるんじゃなくて、本当に必要なときに、自分の中で形にできれば、それで間に合うもんです」
「それに……“何もしない時間”ってのは、悪者みたいに言われがちだけど、 中身が詰まってた毎日を過ごしてきた人にとっては、 それくらいの“空白”がないと、ちゃんと次の景色が見えてこないこともありますよ」
不思議な静けさが店内に落ちる。 どこかの隙間で、風が草木を揺らしたような音がした気がした。
二楽は、箸を持ったまま少し目を丸くしてから、にやっと笑った。
「……なんだ、マスター。けっこう喋るんですね」
マスターは咳払いをし、新聞を手に取り直して、何事もなかったようにあしらった。
二楽はその背中を見ながら、ふっと笑って、炒飯をもう一口、口に運んだ。
噛みしめるごとに、どこか遠い記憶の味のようなものが、じんわりと広がっていく。 目の前の風景も音も、いまこの瞬間だけはやけに静かだった。
「……ごちそうさまでした」
二楽は箸を揃え、丁寧に頭を下げた。
レジカウンターで会計を済ませようと立ち上がり、マスターも静かにレジへ。
「……えーっと、いくらですか?」
「1300円です。」
「あっ、じゃあ2000円で。」
マスターがレジ操作をしていると、二楽はその背後にある棚の一角にふと視線が向いた。
そこには、一枚の写真立てが飾られていた。写っているのは、校舎のような大きな建物。どこかで見たような記憶のひだが揺れる。
「……なんだか、見覚えがあるような……」
そんな二楽のつぶやきに気づいた様子もなく、マスターは小銭を揃え、柔らかな声で言った。
「はい、700円のお釣りです」
「あ、はい、どうも」
二楽は財布に硬貨をしまい、軽く頭を下げて店を後にした。
*
外はすでに日が暮れており、時間がかなり経っているようだった。
二楽が店を出て石畳の通りを歩いていると、前方から老夫婦がゆっくりと近づいてきた。
どちらも控えめな黒の服に身を包み、手には小さな紙袋を一つだけ持っている。どこかの法要帰りだろうか──そんな雰囲気が漂っていた。
(……ん?)
すれ違いざまに、二楽は思わず足を止めた。老夫婦をどこかで見たような……そんな気がしたのだ。
二歩、三歩、通り過ぎてから、なんとなく気になって振り返る。
けれど、老夫婦はおろか、そこにあったはずのお店がない。建物の影も……何もなかった。
あるのは、ただ風に揺れる草むらと、陽に照らされた石畳の道だけ。
「……。」
二楽は目をこすり、もう一度あたりを見渡した。
「どういうことだ……なんで……」
何度かその場を行ったり来たりして確認するが、やはり何もない。まるで最初から、存在していなかったかのように。
「……なんで何も…なんだよこれ……夢か?」
ぽつりとつぶやいたその声だけが、やけに静かに響いた。
しかし、口の中にはまだ、チャーハンと餃子の味がしっかり残っていた。
*
翌日の昼下がり。
キッチンには、炒め油の香ばしい匂いと、不慣れな手つきの音が漂っていた。
その様子を、弓子はダイニングテーブルに腰掛けうれしそうに見つめていた。
「お待たせ!」
二楽が運んできたのは、焼き目が少し強めの餃子と、ややべちゃっとしたチャーハン。
見栄えは決してよくない。それでも二楽は胸を張ってテーブルに並べた。
「見た目はともかく……食べてみてくれ」
弓子は嬉しそうに一口チャーハンを口に運んだ。
二楽はその様子をじっと見つめ、「ど、どう?」とやや緊張した声で尋ねる。
弓子は少し間をおいて、にっこりと笑った。
「……おいしい」
その一言に、二楽は肩の力を抜いて「よかった……」と胸をなでおろす。
自分もチャーハンをひと口。
「……うん。まぁ、旨い。……けど、やっぱり、あの味にはいかないな」
「ん? あの味?」
弓子が不思議そうに首をかしげた。
二楽は水を飲んでから、ゆっくりと語り始める。
「昨日さ、ぶらぶらしてたら変わった店を見つけてな……最初は喫茶店かと思ったんだけど、中華もあるって言うから、半ラーメンと半チャーハン、頼んでみたんだよ」
「ええっ、その組み合わせ?」
「そう、それがさぁ……」
──二楽の声が続いていくなか、庭先では、朝にやった水を受けた花々が陽射しのなかで光り、二匹の蝶が、花の間をふわりと舞い、空へと吸い込まれるように飛び去っていく。
昼間の静けさだけが、庭に残されていた──。