09
「投げ――じゃあ、この雨は」
皐月さんは外を指差す。外は雨で白みを帯びている。まるで熱帯雨林のスコールだ。
「こう見えても学者なので気になってしまって」
私はこほんとひとつ咳払いをした。
「ともかく、雨が降るのは確定しましたね。止む止まないは置いといて、誰かがあの池に生贄を捧げている可能性は高いです」
「――それが、供儀だと?」
「それを確かめに行くんですよ」
私はそう笑って、鞄からカッパを取り出した。
「ほ、本当に行くんですか?」
外はもう足元がギリギリ見えるか見えないかというほどに暗い。
「傘はバレますので、カッパを」
私は持って来ていた透明なカッパを手渡し土手を歩く。
「きゃっ」
「大丈夫ですか?」
倒れそうになった皐月さんの手を取る。山の中はより一層視界が悪く、足元に生えた木の根が足を取る。
池の周りは木が無いお陰で、若干の明るさを確保していた。人が居る気配はない。雨が池に跳ねる音だけがその場に響いていた。
「その……いつまで待つんですか?」
「さぁ」
「えっ」
「そもそも来るかも分からない。ただ」
確信があった。日記の雨に対する病院に働く人々の異常な反応。明らかにうろたえていた梓さん。ここ最近の降水確率は私が石を投げた以前は、数年雨が降った形跡はなかった。それがここ数日、連続の雨。怪異を信じる人の不安をあおるには十分だろう。
「――! 誰か来ましたよ」
雨音に紛れてじゃりじゃりと土を踏む音が聞こえた。
「思った通りだ。このイレギュラーに焦ってここに来ると思ったんですよ」
明かりを持ってやって来たのは、白衣に身を包んだ供儀だった。まさしく待っていたと言っていい人物だ。
隠れる私たちの横を通って池に近付く供儀。私たちに背中を向けたのを確認して私は茂みから飛び出した。
「なっなんだっ」
私は驚く供儀を勢いのまま押し倒す。泥が跳ねる。供儀を地面に押し当てて拘束した。
「どうしてここにきた」
「っ私は、ただ池の様子を見に来ただけだ! さっさと退かないか!」
茶色く汚れた顔と白衣、不快感を全面に押し出した声で供儀が怒鳴るが気にしない。
「……嘘をつくな。私たちは全て知っている。手荒な真似をされたくなければ私たちの質問に正直に答えろ」
私は、いまだ隠れている皐月さんを呼ぶ。
「聞きたいことがあるんじゃないですか? 先、良いですよ」
皐月さんは若干たじろぐも、意を決して私の元に来た。
「霖雨青葉を知ってますよね」
「霖雨……あぁ、そういうことか」
その名を口にした瞬間。抵抗する供儀の力が抜けた。
「ここに来たという事は、龍の伝説も知っているのだろう? 彼女には、犠牲になってもらった」
「――どうして!」
皐月は地面で泥だらけの供儀に掴み掛かった。
「……それしか、方法が無いからだ。龍を治めるには、生贄が必要。それ以上でも、それ以下でもない! それも女性のだ!」
その顔は後悔に包まれており、声は震えていた。
「……だからって、私の姉じゃなくても」
「許せとは言わない。病院に勤務した期間が一番短い女性を捧げるという掟なんだ。ここも柵で覆うよう訴えた。池の埋め立てだって、何度も申請しているが一向に受理されん。ここをどうこうするなど、私一人の力ではどうしようもできないのだ」
一瞬の静寂。雨の降る音の中に、皐月さんのすすり泣く声だけが微かに聞こえる。
「……そろそろ離してもらっても良いか? 逃げたりしない。人を殺した罪は償う」
私は黙って抑える力を強めた。
「まだ話は終わっていない。私の妻を、そんな掟があるにも関わらずどうして生贄にした!」
「な――なんの話だ……?」
ここに来てまでしらを切る供儀に、苛立ちを隠さず叫んだ。
「私の妻が退院以降帰ってこない! その前夜に雨が止んだ! 池に向かった足跡だってあった。知らないとは言わせないぞ!」
「な、そんな……わけない、だろう? あのときの生贄は梓だ……彼女は、生きてるのか? そんなの、聞いてないぞ」
供儀は目を見開いて私を見ながら、震える唇でそう言った。
ほんの少しでも良いと思ったら一言でもぜひ感想お願いします。泣いて喜びます。