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泥に塗れたそれは  作者: 天空 浮世
泥に塗れたナニカ

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「私だって、驚いてるんだから」

 私が初めて話かけたときから、彼は既に壊れていた?

 そんなわけないと一蹴したいが、そもそも私は彼の普通の姿を知らない。仮に壊れていたとしても、私には分からなかっただろう。それでも――。

 

「普通に見えたんだけどなぁ――」

 もうこれ以上無機質な記号の羅列を見るのは辛い。ノートパソコンを閉じると、カサッと封筒が地面に落ちた。

 どうやらノートパソコンの裏に貼られていたのが、剥がれたらしい。

 フローリングの床に落ちた無地の茶封筒を開ける。中には折り畳まれた紙が入っており、開くとパソコンで打ち込まれた文字が羅列されていた。


 ――深谷(ふかや)様、なにかが出る場所をお探しと傍目に聞きました。もしよろしければ、龍泉川(りゅうせんがわ)の下流に現れる河童などはいかがでしょうか。実際に見た人もいるとのことです。ぜひ一度行ってみてください。


「ねぇ、あの川にそんな話って……」

 龍泉川は私たちの町を流れる唯一の川で、病院のある山から流れている。

「うん。聞いたことないね。それにその封筒切手が貼ってないよ」

 言われてみればそうだ。封筒には切手はおろか、宛先も差出人も。なにも書かれていなかった。

「つまり、誰かが直接渡した?」

「そうだね。そのせいで手掛かりらしいものはないね。唯一気になるのは、彼に池のことを教えた人かな」

 パソコンに打ち込まれた内容には、池について教えた人物のことについても書かれていた。

「子連れの、茶髪の女性だよね」

「うん。川で深谷さんを呼んで、池について教える。まぁ怪しいよね」

「じゃあこの女性が?」

「うん。現状では一番探すべき人だね。まぁ予想はついてるけど」

 さらっとそう言った小岩(こいわ)の顔に私は鼻先がくっつきそうなくらい顔を近付けた。

「誰?」

「えっと、供犠浅見(くぎあざみ)さんだよ。亡くなった供犠斎士(さいし)さんの奥さん」

「分かった。その人に話を聞けばいいんだね」

 私はすぐに支度を済ませて立ち上がった。

「素直に話してくれれば良いんだけどね」

 小岩は自身の胸ポケットにそっと触れて立ち上がった。


 供儀の家はそこからそう遠くない。約六百メートル。徒歩で約十分の距離にある一軒家だ。

 私は着いて早々に、インターホンを鳴らした。

「はーい」

 少しの間を置いて小さなしわがれた声と共に扉が開いた。

「どちら様でしょうか?」

 腰の曲がった老婆が中から現れ、シワでほとんど潰れた目で私たちを不安げに見ていた。

「どうも、私警察の小岩と申します。浅見さんはいらっしゃいますか?」

 警察手帳を取り出すと、老婆の目がぱっと見開かれ、小さな口がゆっくりと開いた。

「まぁ、警察さん……あの子でしたらちょうど病院に行くって出掛けましたよ」

「そうですか、ありがとうございます」

「その……あの子になにか」

「いえ、ご協力ありがとうございました」

 小岩は仮面のような笑顔で一礼すると、困惑する老婆を背に、私の手を引いてその場を後にした。

「次は病院ね」

 パトカーに乗った私たちは、再び山の麓まで向かった。

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