14
「あの人は、そんなことする人じゃない」
私はあの日、別れる前の最後の会話を思い出していた。
「……どうするんですか? これから」
病院からの帰り道、今度は家の前まで送ってもらった。玄関先で別れる直前に私は聞いた。
「この後、そうですね……」
少し驚いた表情をした後、くるりと外に視線を向けた。
外はまだ雨が振っている。軒下でも風に吹かれた雨粒が顔に吹き掛かる。
いつの間に脱いでいたのか、深谷は合羽を着てなく、シャツは泥と雨でビチャビチャに汚れていた。
「警察にでも行きますよ。どんな理由であれ、人殺しには変わりないですから、海に合わせる顔がありません」
切り刻まれるほど悲しげに、しかし包み込む陽射しのように優しい声で彼は笑った。
「それは……ですが」
ギシりと歯軋りをする。そもそも、私を助けなければ池に突き落とすことだってなかったのに。
「皐月さんはどうされるんですか?」
「私は……私も出頭します。私だって無関係じゃ――」
「駄目ですよ。せっかくこちら側に来ないで済んだんですから。私のは、そう、刑務所の取材みたいなもんですよ。せっかくだし、刑務所の七不思議でも調べて本にしましょうか。そのときはぜひ読んでくださいね。外に読者が居ないと寂しいですから」
私の言葉を覆って言い切られてしまった。外を見ている彼の顔は見えなくて、私は酷くもどかしい気持ちになった。私だけ一人、置いてけぼりにされている感覚。みんな私を置いて何処かへ行ってしまう。
私は今にも叫んでしまいたい気持ちを抑えて話を続けた。
「……でしたら、久しぶりに実家に帰ろうと思います。有給も溜まってますし、もう、ここに居る意味はなくなってしまいましたから」
「うん。良い。それは非常に良いですね」
私に背を向けたまま噛み締める様に頷いた。
「それでは、さようならですね」
一息置いた彼は、傘も合羽もなしに歩き出した。私は大切な人を亡くしたその小さな背中が消えるまで、顔に当たる雨水を拭うのも忘れて玄関に立ち尽くしていた。
別れる最後まで、苦しいくらいに優しい声で話す人が自殺なんてするわけがない。
「誰かに貶められたんだ……自分からなんて、絶対にあり得ない」
「なら、取り敢えず池を調べてみますか。皐月さんの言う通りなら、二人とも池に落ちた可能性が高いんですもんね」
「少なくとも供儀が池に落ちたのは、この目で見た」
「なら決まりですね。早速行って来ます。何かあったら連絡しますから」
「え、私も行くけど」
既に腕はレインコートの中だ。ここでただ待っているなんて、私には到底無理な話だ。
「ほら、ボケっとしてないで行くよ」
私が絶対に真実を見つけてみせる。それが今、私に出来る唯一の恩返しだから。
「まったく……皐月さんは一度言い出したら聞かないんですから、外に車停めてますのでそれで行きましょう」
池に向かう山道の手前に車が停まる。ここから先は徒歩で向かう。
山道は連日の雨で泥だらけになっており歩きづらい。雲と木々に覆われた道は昼だというのに薄暗く不気味で、呼吸をすると雨が口に入ってくる。レインコートを着て来て良かった。傘なら一瞬でびしょ濡れだっただろう。
車から持って来た懐中電灯を点けた私たちは、一歩一歩慎重に進む。ところどころから飛び出す木の根に一度足を引っ掛けたら、泥だらけになるのは確実だ。
「ここね……」
池に続く道は、幾重もの足跡で凸凹に隆起した泥の道が続いている。池の周辺には誰もいないが、地面はここ数日の間に踏み荒らされぐちゃぐちゃだ。
茶色いススキも正面が綺麗に押し倒されており、広場の入口から池が一望できた。
「これは、証拠どころじゃ」
「待って! ねぇ、あれ」
池の縁で何かが懐中電灯の光に反射した。




