10
黒い髪に、大和撫子を思わせるあの顔は、あのとき、白い着物を着て私に龍の伝説を教えた張本人。釘沢梓。資料では、確かに病院最年少の医師と書いてあった。
思えば、会話の節々から、違和感を感じていたのだ。そうか。あの女が、海を……。
私は、拘束した腕をそのままに、皐月さんを見た。
「私は彼にもう用はない。君は、どうしたい?」
「どうしたいって……」
「幸い、私たちの前には一度落ちたら絶対に戻れない池があるわけだけど」
私の意図に気づいた皐月さんは一歩後ろに下がった。
「なにも、そこまで――」
「君のお姉さんはこの男に殺されたんだ。君にはその権利があると思うが?」
皐月さんはしばらく黙って考え込むと、私の腕をそっと触った。
「……いえ、離してあげてください」
「……良いんだね?」
「はい、彼を殺したところで、姉は帰って来ませんから」
私は押さえていた腕を解く。
供儀は顔の泥を拭い、皐月さんの方を見て立ち上がると、思い切り抱き着きにかかった。
「えっ」
「悪いが、僕と梓のためにも犠牲になってくれ――」
固まったまま動けない皐月さんに掴み掛かった供儀の首を掴み、池に放り投げた。
「っぱ、こ、こんなところで! た、助け――」
供儀は少しの間バシャバシャと暴れるも、すぐに沈んでいった。
「皐月さん。貴女は優しすぎる。その優しさはいつか身を滅ぼします。全て忘れて普通の生活に戻りなさい」
雨は止まない。皐月さんを連れて山を降りる。道中に会話はない。
「あの……ありがとう、ございました、私はここで……」
結局なんの会話もすることなく、図書館の前で私たちは別れた。
結局犯人は別だったが、それでも確実な一歩だ。もうこの手は汚れてしまった。今更一人も二人も変わらない。私は今一度決意を固めた。
供儀の話が真実なら、この雨の生贄はあの女になる筈だ。しかし、あの女は自分の代わりの人間を生贄にした。あの女はおびえていた。もし私があの女ならどうする?
きっと欲するはずだ。自分の代わりの生贄を。一度人を傷つけた人間は、その薄暗い欲望からは逃れられない。人を引きずりこむ河童の様に、あの池で生贄を待つはずだ……。
踵を返して図書館へ戻る。図書館前には、当たり前だが、誰も居ない。この胸騒ぎは気のせいだったか、家に帰ろうかと思ったとき、バキリとなにかを踏んだ。
足を上げる。砕けた黒いプラスチック。キラリと光るガラス。皐月さんの付けていた眼鏡だ。
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