01
厚手のゴムで出来た長靴を履き、全身を茶色いつなぎで覆った姿。腰まで浸かった川の水は非常に冷えていて、私の身体を確実に蝕んでいく。
気温は十九度。水温はそれから数度下げた温度だ。秋も中頃で、仕事じゃなければ絶対に川に入ることなどない。
仕事といっても、川の水質調査や生体観察ではない。民謡や民説、俗的な言い方をすれば、都市伝説やオカルトの類いを調査する民族学者だ。
この川に河童が出るという情報が我が家に届いたのだ。河童といえば緑の体に水かき、頭に皿があって、人を水の中に引き込む相撲好き。このあたりが有名だろう。
近くの山から絶え間なく流れるこの川は、両端に土手があり透明で水深は浅く流れも強くない。
河童が人を引き込むには条件不足だ。
川から上がる。つなぎを着ていてもこの寒さで川に長時間入るのは無理だ。既に足先が冷えて感覚がない。
現地調査を早々に切り上げ土手に上がると、女性から声を掛けられた。
「こんにちは、教授さん。良かったら座っていきません?」
川から上がって水に濡れたままの私に話しかけてきたのは、二十代後半に見える茶髪の女性。
土手にレジャーシートを引いた二人の女性の片方が私に呼びかけていた。
「教授さんはなぜ川に?」
小首を傾げたのはもう片方の女性。紫のブラウスを着て、艶やかな黒髪を地面まで垂らしている。片手には小さなポーチを持っていた。
教授とは私のあだ名だ。元は近所の子どもたちの間で『変なことを調べてるキョウジュが居るぞ』と、広がった通名だった。今では近所で私をそう呼ばない者はいない。
「河童を探してまして。そういった話はご存じないですか?」
「さぁ、私は……知らないですね」
少し思考したあと、黒髪の女性は首を横に振った。
ピピピピピ。
「梓さん。もう時間ですよ」
ベージュ色のワンピースを着て、髪の毛を頭の上で一つの団子に纏めた女性がアラームを止める。私を呼び止めた女性だ。
「もうそんな時間ですか……すみません。仕事があるので、失礼しますね」
「で、なんの話でしたっけ?」
「この川に、河童についてなにか伝えられていないかと」
土手で遊ぶ子どもたちをちらりと見る女性。薬指に付いたシルバーの指輪を右手で触りながら、思い出すように話し出した。
「確か池の真ん中にある岩に石を投げると、河童が怒って出てくる……とかそんな話があった気がするわね」
「へぇ。そんな話が……その池の場所って分かったりしますか?」
私は持ってきていた地図を広げ、簡単な位置を書いてもらった。ここからそう遠くない。これなら暗くなる前に帰れそうだ。
私は二人に礼を言って、河童のいるという池へ向かった。幸い空には雲ひとつない。これなら河童を呼ぶこともできそうだ。
土手をひたすらに川の上流へと向かった先、暫く歩くと林が現れた。
木々の隙間を縫うような獣道を歩いて行く。パキパキと鳴る枝を踏み鬱蒼とした木々の隙間を歩く、道は段々と勾配を帯びてきた。
二十分ほど経っただろうか、坂道を歩いているとふっと視界が広がった。
池だ。黒く濁った池と、それを囲むようにススキが頭を下げている。木々が池を避けるように空間が出来ていた。
私はススキの外側から池を覗きこむ。遠くから見て分かるのは水面が濁っていること、池の真ん中に人ひとりがぎりぎり乗れる程度の大きさの岩が浮かんでいることだけだ。
周辺に民家はひとつもない。池の反対側は道がさらに山奥へと続いているが、反対に行くのは茂みとススキのせいで無理だ。ススキの生えた池の周辺はぬかるんでおり、ススキの生えていない乾いた地面より先に行けば、足を取られて池に落ちてしまう。
――そろそろ河童を呼び出すとしようか。
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