諦めは悪なのか
一、
世の人は、「諦めないことが大事だ」と言う。確かに、そういう側面はあるかもしれない。なかなか結果が出なくても諦めずに続けることで、結果につながることもあるだろう。しかし同時に、「引き際が大事」と言うことも、言えると思う。そのどちらが当てはまるかは、完全にケース・バイ・ケースであり、その都度自分が置かれている状況を精査していかなければ、自分の取るべき行動は見えないのだろう。ところが今の世の中では、「諦めないことが大事だ」と言う考えに焦点が当てられ過ぎていて、「引き際が大事」と考えるべき立場の人たちでさえも、不毛な努力を続け、ついには人生を破滅させることになってしまうケースも、あるように思う。
それは結局、「諦めないことが大事だ」と言う考え方は、自己責任論と相性が良いからなのだろう。「誰でも努力すれば、結果が得られる。だから、不遇な環境に置かれた人は努力が足りない、つまり諦めてしまっていることが悪いのだ」と言う理屈が成り立つからである。逆に、「引き際が大事」と考えることは、努力したからと言って誰でも結果が出るわけではない、ということを受け入れることでもある。当然、こうした考え方は自己責任論とは相性が悪い。「諦めずに結果を出した人」の姿にばかり脚光が当てられて、その影に埋もれた多くの屍が隠蔽されてしまっている有様は、今の日本社会の病理を如実に示しているように思える。
ただ難しいのは、そう簡単に諦めてしまっては結果が出せないことも、また事実であると言うことだ。「諦めないことが大事だ」という考えは、半分は正しいのである。では、どういう場合に「諦めないことが大事だ」と言う考えから、「引き際が大事」だという考えに切り替えるべきなのか?それは前述のように完全にケース・バイ・ケースであり、一般法則のようなものはないと思うのだが、だからこそ、実際に引き際を誤ってしまった事例について考えることは、一定の教唆を与えてくれることだろう。今から紹介するのは、西本幸太郎と言う、元プロボクサーについての話である。
二、
西本は、高校のボクシング部でボクシングを始め、高校を卒業後に地元のジムに所属して、プロボクサーになったという経歴の人物である。決して派手なパンチ力やスピードがあるというタイプではなかったが、コツコツと練習をこなすことで得たスタミナが武器の、オーソドックス(右構え)のボクサーファイター(遠距離での戦いも近距離での戦いもこなせる、万能型のボクサー)だった。
西本は高校のボクシング部出身とはいえ、アマチュア時代に目立った実績があったというわけでもなく、C級のライセンス(プロボクサーのライセンスは格が高い順番にA級、B級、C級に分かれていて、通常はC級からスタートして、C級で4勝すればB級に昇格し、さらにB級で2勝すればA級に昇格する)からプロボクサーとしてのキャリアを始め、キャリア4年目の時点で、5勝7敗という戦績のB級ボクサーだった。C級時代は比較的簡単に勝ち星を積み上げられたのだが、B級に上がってからは辛うじて一勝は上げたものの、負けが込むこともしばしばだった。
プロボクサーになる人は、最初は誰でも大なり小なり「チャンピオンになって、富と名声を得たい」という気持ちを持って、プロの世界に入るものである。西本もその例外ではなかったのだが、もう何年もプロのリングで戦ってきて、そろそろ自分の限界が見えてきた頃合いでもあった。しかし、「チャンピオンは無理でも、せめてA級に昇格するまでは」と自分に言い聞かせて、ボクシングを続けている状態であった。
西本は、昼間は食品製造の工場でバイトをして、夜はジムでボクシングの練習に励むという生活を続けていた。幸いにして、西本のプロボクサーとしての活動に対する職場の理解を得られており、夜勤をせずに済んでいた。とはいえ、生活は決して楽とは言えないし、もうこうして何年も通常の会社員としてのキャリア形成とは全く異なる道を歩んできたことに対する不安も大きかった。自分でも、このままボクシングを続けることは賢明とは言えないことは百も承知だったのだが、高校時代の恩師に言われた「諦めずに続ければ、必ず結果は出るんだ」という言葉を胸に、日々、ハードなトレーニングに励んでいた。
三、
そんなある日、西本は所属していたジムの会長から、ジムの会費を値上げする旨を伝えられた。プロボクサーは、チャンピオンにでもならない限り、所属しているジムに普通の会員と同様に会費を納めなければならないケースがままあり、西本もそうだった。それまでは月1万円だった会費が、月1万3千円になるという話だった。これは大幅な値上げであり、バイトで食いつないでいた西本や、他の多くのボクサーたちにとって、大きな打撃だった。ちなみに、「プロボクサーならファイトマネーもあるじゃないか」と思う人もいるかもしれないが、多くの場合、B級やC級のボクサーのファイトマネーは微々たるもので、一試合に数万円程度のものだった。
さらに、現金でもらえればまだ良い方で、(西本のジムもそうだったが)ジムによっては試合のチケットを何十枚か渡されて、それを自分で知人などに売った分がファイトマネー、というケースもあった。しかも、ボクシングという競技の性質上、一年に何回も試合ができるものでもない。駆け出しのボクサーの多くが生活苦を強いられており、月に数千円の会費の値上げであっても、西本たちにとっては死活問題だった。
西本は地方都市に住んでおり、その都市にはプロボクシングのジムは、現在彼が所属しているジムただ一つしかなかった。ボクシングを続ける限りはジムを辞めるという選択肢はなかったのだが、今回の会費の値上げという会長の暴挙を見て、西本を含めた複数のボクサーや、プロ志望の練習生たちの不満が爆発した。それからしばらく、彼らは練習後のロッカールームで話をするたびにこの話題で盛り上がり、ついにはそのうちの数人で、会長に直談判をすることになった。西本は、ジムの中ではプロの経験が長い方だったこともあり、その直談判の中心になることになった。
「会長、大切なお話しがあるのですが。」
会費の値上げから数週間経ったある日の午後7時頃、プロ選手の練習が本格的に始まる時間帯になるとすぐに、西本は同じ不満を抱えるボクサーたち数人と共に、リングサイドのパイプ椅子に腕組みして腰掛けていたジムの会長に、声をかけた。
「なんだ?さっさと練習しろよ。」
機嫌が悪そうに答えた会長に対して、西本は今回の会費の値上げについて多くのボクサーたちが不満を持っていることや、同様に、ファイトマネーが現金払いでないことに対しても多くの者が不満を抱えており、もし値上げをするならファイトマネーを現金払いにしてほしいという思いの丈を、率直に伝えた。
「・・・そうか。会費の値上げについては、変えることはできねえんだ。ジムの経営が苦しくてな。」
西本たちの訴えを黙って聞いていた会長はため息交じりにそう言った後で、
「ファイトマネーの件は、考えておく。」
と言った。それを聞いた西本たちはその日は練習に戻り、何事もなく一週間程が過ぎていった。
四、
その直談判から一週間程経ったある日、西本は唐突に、トレーナーから、
「一ヶ月後に試合が決まった。相手は日本ランキング3位の飯岡だ。」
と告げられた。飯岡はここまで15勝1敗の強豪で、三ヶ月前に日本タイトルに挑戦して敗れ、復帰のための調整試合の相手を探しており、最近試合をしていなかった西本に白羽の矢が立ったという話だった。
西本が驚いたことは言うまでもないが、同時に興奮を抑えきれなかった。ボクサーは強い相手と戦いたいと願う生き物だし、この時の西本はいわば「咬ませ犬」であり、勝利の見込みは限りなく低かったが、それでも万が一勝つことがあれば、一気に日本ランキングの上位にまで躍り出るチャンスでもあったからである。
西本はその場で了承し、懸命にトレーニングに励んだ。ところが、である。どういうわけか、会長やトレーナーは、西本にスパーリング(防具を付けて実際に打ち合う実戦練習)をさせようとしなかった。いつもなら試合が決まると、練習を開始してウォーミングアップが終了した頃合いに、
「今からスパーリング5ラウンドだ。準備しろ。」
という具合に声がかかったものだったのだが、その時に限っては練習中もほとんど放置で、何日待っても、一向にスパーリングをやらせてもらえる気配がなかった。当然、実戦練習もせずに試合、ましては格上の相手との試合に臨むというのは無謀な話である。
西本は、ピンと来た。これは、先日のジム会費の値上げを巡っての直談判の中心人物だった自分に対する、会長からの報復なのだと。自分に逆らえばどんなことになるのか、見せしめの意味で試合が組まれたのだ、と。
このことに気が付いたとき、西本は背筋が凍るような思いがした。本来なら味方のはずの会長やトレーナーでさえも信頼できない状態で、はるかに格上の強敵に立ち向かわなければならないという事実に、改めて驚愕した。西本は、高鳴る胸の鼓動を抑えながら、
「望むところだ。そう簡単に潰されるような俺ではないぞ。」
と自分に言い聞かせ、トレーニングに励んだ。
五、
やがて一ヶ月が経ち、試合の日がやってきた。タイトル戦の前座の試合だったこともあり、会場は人で賑わっていた。西本の試合は、その日の興行の第4試合だった。会長は、控室でウォーミングアップをする西本をニヤニヤした目で見つめながら、
「なかなか良い仕上がりじゃないか。」
と言った。この日の試合会場は地元とは離れた場所で、西本にとってはアウェイであった。西本が入場しても何の歓声もなかった一方で、相手選手の飯岡がけたたましいロック音楽と共に入場した際には、大歓声が沸き上がった。
ボクシングの試合では、試合開始の前に両選手がレフェリーの注意を聞いて、グローブを合わせる場面がある。その際に対峙した飯岡の風格に、西本は早くも気圧されてしまっていた。飯岡の鋭い眼光、身体の厚み、威圧感、そのすべてが、今までの相手とは全く格が違う相手であると、西本のボクサーとしての本能に告げていた。
試合開始のゴングが鳴って相手に向かっていくと、不意に、
「ビュン!」
と言う風切り音と共に、鉄球を顔面にぶつけられたような衝撃を覚えた。相手は手探りのジャブを放ってきただけだったにもかかわらず、いきなり顎を跳ね上げられてしまったのである。必死で体勢を立て直したものの、今度は左側の視界の遠くから、稲妻のようなフックが顔面目掛けて飛んできた。次の瞬間、
「ガキン!」
という嫌な音と共に、西本の目の前は真っ暗になった。
「・・・ツー、スリー、フォー、・・・」
気が付くと、レフェリーがカウントを取っていた。西本は一瞬、自分がどこにいて、何をしているのかがわからなくなったが、レフェリーのカウントを聞いて、反射的に立ち上がった。
レフェリーは西本の目を覗き込んで、
「まだできるか?」
と、西本に問いかけた。西本が反射的に頷いたのを見て、試合続行が告げられた。その後も西本には、飯岡のパンチがまるで見えなかった。おまけに飯岡のパンチには、一撃くらうたびに意識を根こそぎ持っていかれるような、重さがあった。
六、
「カーン!」
一ラウンド終了のゴングが鳴ったとき、西本は立ってはいたものの、すでに意識は朦朧としていた。どうやって自分のコーナーに戻ったのかさえも、よくわからなかった。
ラウンド間のインターバルの間、会長やトレーナーは、西本の汗を拭いたり、マウスピースを洗ったりしながら、終始無言のままだった。彼らは能面のような無表情のままで、その表情には感情の気配が、まったくなかった。
第二ラウンドも試合は一方的な展開になり、西本は何度も倒された。西本は、反撃しようにも足に力が入らなかったし、すでに冷静な作戦を遂行できるような意識状態でもなかった。それでも無意識に、倒されたら立ち上がったし、ファイティングポーズをとって相手に立ち向かいさえもした。このときの彼を突き動かしていたのは、練習の積み重ねで培われた条件反射と、ボクサーとしての本能だけだった。そしてその間、彼の脳裏では、高校時代の恩師に言われた「諦めずに続ければ、必ず結果は出るんだ」と言う言葉が、グルグルと回り続けていた。
何度倒されても立ち上がる西本の姿を見て心を打たれた人もいたのか、最初は冷淡だった会場の雰囲気も徐々に変わっていき、次第に彼が立ち上がるたびに、歓声が沸き上がるようになっていた。西本の方も、知らず知らずのうちに、歓声を浴びるたびに快感を覚えるようになっていた。まるで、絶望的な状況でも立ち向かい続けてきた自分の生き様が、肯定されているかのような感情すらも湧いてきた。
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「この患者さんは、もう意識は戻らないだろうね。」
「ああ。ボクシングの試合でこんなことになってしまったそうだが。」
西本の試合から数日後に、某病院のベッドの傍らで、医師たちがこのようなやり取りをしていた。
「西本さん、だったか。あまり有名なボクサーではなかったみたいだけれども、こうなるまで戦い続けるとは、すごい気持ちの強さだったんだな。」
「ああ。だが、今回に限っては、その気持ちの強さが仇になったのかもしれない。どうして誰も、こうなる前に止めてやらなかったのか。」
医師たちはため息ながらに、生命維持装置をつけてベッドに横たわる西本の姿を見下ろしていた。彼らの表情には、ただただやるせない感情を、読み取ることができた。