衝突する思想
船底の穴からどんどん水が入ってくる。すでに船体は傾き始めていて、持って五分だろうということは容易に推測できる。
甲板の方にいるティーチへ目をやると、もう一人の自警団のフォロウと、未だドンぱちやっていた。しかも先から変わらず防戦一方の様子だ。加勢しようと甲板の方へ上がろうとするも、先ほど、ウィアードが俺の右足にぶち込んだ傷が思いの外効いているらしく、思うように体を動かせない。そんなことをしている間にも、フォロウの打撃は止まず、ティーチはそれをすべて身体で受けていた。
「ダイモン人めッ!!オラァッ!!観念しやがれッッ!!」
しかし、その様子を見ているうちに、あることに気づいた。ティーチは少し遠慮しているというか、攻撃を躊躇しているような節がある。彼の性格も原因の一つではあると思うが、それ以上に船体を傷つけまいと立ち回っていることに気づいた。ティーチの怪力とあの巨大な斧をもってすれば、一撃でこの船が沈みかねないだろう。そしてティーチはそれを危惧していたのだ。
「おいティーチッ!すでに俺が船底に穴を空けたッ!この船はもう持たない、だから船体のことは気にせずに戦えッッ!!」
「えっ」
ティーチが今までの俺の努力は、と言わんばかりの顔持ちで俺の方を見てくる。俺はそれに申し訳なさそうな顔持ちで返答すると、ティーチはもうどうにでもなれと、巨大な斧で甲板を思い切り叩いた。
「…ぬぅッッ!!!」ドゴオオッ!!
「うっ…あああ!?」
ティーチとフォロウが戦っていた甲板はバラバラと崩れていき、その下の俺がいる船室に二人は落ちてきた。また、どうやら浸水のせいか、もうどこかへ流されたと思われたウィアードが、俺の空けた落とし穴から船内へ流れてきていた。しかし、すでに海水をたらふく飲んだのか伸びきっていて、戦えなどできない様子だ。
「が………は……」
「う……ウィアード団長っ!!」
フォロウはその光景を目にすると、浸水した海水をかき分けながら、ウィアードのもとへ向かった。ティーチはそれを見て状況を察し、フォロウに話を持ちかけた。
「ニ対一、アンタの負けだ。俺たちの意思によってアンタらを生かすも殺すも自由だ。しかし、俺はなるべく手荒な真似はしたくない」
「アンタらも知ってるとは思うが、トイデには数多くの教会がある。アンタの上司のその負傷は教会で蘇生してもらえば間に合うだろう。そこで取引をしたい。俺たちはアンタらに一切、危害を加えない。そこで、アンタにはトイデまでの船の操縦と、俺たちへの不干渉を要求する。先の船も、操縦していたのはアンタだろ」
「くっ……う……舐めるなよ……ダイモン人!」
フォロウはそう言い歯ぎしりをするが、ウィアードの苦しむ様子を見て心が揺らいだのか、嫌々ながら、こちらの要求を飲み込んだ。
「よくやった、ティーチ!」
俺たちは勝利を祝すも、足元はすでに浸水してきた海水に浸かっていることを思い出した。自警団の二人が乗ってきた船に乗り移ろうと船を探すが、衝突の衝撃で少し離れた場所に漂っていることが分かった。冷や汗がドバドバ出てきた。現に、その穴を空けた犯人は俺なのだから。しかし、その様子を見たのかティーチが話し出した。
「少し俺に任せてくれ」
ティーチは重さ数トンはあるであろう碇を手に取って、そこから伸びる鎖を掴んでぶんぶんと振り回し始め、それを思い切り投げた。
「……ふんッッ!!」
飛ばされた碇は、離れたところにある自警団の乗り捨てた船に重々しい音を立てて直撃し、そこから伸びる鎖とそれを握りしめるティーチを介して、二隻の船はめでたくも繋がった。
「このまま、あの船を引いて、あっちに乗り移る。すまないが、時間はもうあまりないようだ。二人とも引くのを協力してくれ」
おう!と俺は返事をして、俺たちは船全体が沈むすんでのところで、乗り移ることができた。
船は、俺とティーチとフォロウと瀕死のウィアードと一応運び込んであげたおっちゃんを乗せて、改めてトイデへと出発した。
◆◆◆◆
やがて日は落ち、その日の登らないうちに、俺たち一行の船はトイデへ無事に到着した。フォロウは上陸するや否や、ウィアードを抱えてどこかへ走り去っていった。船頭のおっちゃんは俺に殴られた衝撃でまだ船上でダウンしているようだ。
「おっしゃあ〜ッ、来たぜ夜の街ッ!!紆余曲折あったが、無事着いてよかったぜ!!」
俺とティーチも船から降り、未開のトイデの地に足をつけた。普段ならなんとも思わない月明かりも、夜の街というだけあって、やけに俺たちをギラギラと照りつけているように感じる。
「なにぶん、常に夜なものだから、この街ではランタンが必須アイテムだ。まずはランタンを買いに行こう……いや、その前に疲れたな。とりあえず宿を探すとでもしないか」
ああ、とティーチの提案に賛成しようとしたそのとき、俺たちの前を、白い布を頭深くまで被った集団が過ぎていった。この街の住人なのだろうか、ティーチの言ったように、全員がランタンを手に提げている。また、遠くからもこれまた薄衣で顔を隠した集団が近づいてきた。
「伯爵様は神の生まれ変わりなのです!」
「お前たちはいつまでヴァンパイアに怯えて暮らすのだ!?今こそやつを討たんするときだ!!」
「伯爵様の気に触るようなことをするな!無礼者どもが!!」
「我々、人間どうしが争ってどうする!」
「吸血鬼なんていない、虚構だ。あれは政府のプロパガンダだ」
「ああ、伯爵様。この醜き家畜どもに天罰を与えてやってください……」
「コレト草は吸血鬼の陰謀だ。コレト草を食べたものはみなゾンビになるぞ!ナカダは今やゾンビの徘徊する街になっている!!」
「ああああああああああ!!!」
情報が錯綜している。やばい街に来たかもしれない、そう思わざるをえなかった。しかし、ティーチはこの状況も知っていたのか至って冷静であり、その集団の口論をよそに、俺に話し始めた。
「突然だが、この街には大きく分けて三つの勢力がいる。一つ目はシーク、アンタと同じ思想、伯爵を危険分子として排除するべき主義の"革命派"だ」
「革命派か。そりゃいないわけないよな、そういう層も………革命派…か、そいつらを上手く利用できれば、吸血鬼を倒すってのも割と現実的な話なんじゃないか」
「ああ。しかし、問題なのは残り二つの勢力だ。二つ目は、現状を維持するのが最も安定的として、伯爵に手を出したくない思想の"穏健派"だ。下手に伯爵の気に触れてしまえば、街にどんな被害が出るか分からない。だから、変に伯爵を刺激しないように立ち回ろうという主義の連中だ。他にも、この思想を支持するものとして、伯爵がタカオカにおける、一種の抑止力のように働いているという主張をする者もいる。また、この伯爵のもたらした夜の街という特性を利用している層もこちら側だ。この街においては、この勢力が最も多い」
「そして三つ目。こいつが厄介だ。伯爵を絶対的な存在として崇め奉る思想の"信仰派"だ。コイツらはクレイジーだ。何をしでかすか本当に分からん。まあしかし、どの世界でも強大なチカラの前では、一定数こういう層が存在してしまうのもまた事実だ」
なるほどな。トイデの全容はある程度分かった。そして、それぞれの思想がぶつかり合い、半ば宗教戦争じみたことにトイデは陥っていることも理解した。今、俺たちの前で行われているソレは、まさにその一片というワケだ。
「それにしても、後半二つの勢力は俺たちの目的にとって邪魔だな……なるべく人同士では争いたくねェが、もしものことがあれば、いずれ対峙しなければならねェ運命なのかもな…」
チリーン……
小さい金属音のような音が夜に鳴り響く。その音を聞くやいなや、革命派と思われる人々は、口論を中断し、明らかに動揺し始めた。
「ああ……!殺人司教だっ!!司教が来るっ!!殺される……!!殺される!!!」
「司教が来るぞ!!みんな逃げろ!!!」
「ああ、神様!!助けてぇええ!!!」
チリーン………
落ち着いた足音が金属音を鳴らしながら近づいてくる。革命派の人々の取り乱しようは、まさに発狂というべき凄まじさである。その異様な光景に、俺の心臓もだんだんと鼓動が早まっていく。
「……みなさん、お揃いでしたのか。我らが神である伯爵様を侮辱する、憐れな者どもが集まっていると聞いたのですがァ………」
ティーチ並みの大柄な男が姿を現した。どうやら、コイツがみなの言う司教らしい。
「全員、司教様が来ると知ったら、逃げて帰りましたよ」
信仰派と思われる男が司教に答える。
「そうですかァ………それでは、また何かあったら呼んでください……ヤツらは、ウジのように次から次に湧いてきますからなァ……」
そう言うと司教は振り返り、また金属音を立てながら闇の中へとゆっくりと消えていった。残された信仰派などの連中もどこかへ行ったようで、後に残った俺とティーチは放心状態であった。
「この街じゃ、敵は吸血鬼だけと思ってたのは大間違いだったのかもな………」
ティーチも小さく頷いた。